第三十九話 見せ太刀


「一本勝負あり、赤の勝ち!」


 気がついたときには、おのれの額の一寸上には松浪剣之介の木刀があった。

 虎之介にはなにが起きたのかわからない。

 木刀を納め一礼して剣武台を降りる。


「ん?」


 辰蔵がいるはずの観戦記者席に見慣れぬものがいる。髪を若衆髷に結い、井桁絣いげたがすりの小袖に縞の平袴を身につけた若侍だ。

 顔立ちが幼く端正なので一瞬、少女かと見まごうほどの美少年である。


「だれや、おまはん?」


若槻祐馬わかつき・ゆうまと申します。辰蔵さんにここで観戦するよういいつかりました」


 祐馬と名乗る少年はきちんと膝を揃え、背筋をただしてこたえた。肝心の辰蔵はどこかに用があって先ほど出て行ったいったらしい。


「若槻?……もしかして若槻一馬わかつき・かずまはんの……」


「弟です」


 虎之介はなんとこたえていいものかわからず、祐馬の隣に腰を下ろした。


「先ほどの闘い。残念でした」


 気を使ってか祐馬が同情をにじませたような口調でいう。


「一瞬のことで、なにが起きたのかわからん」


 虎之介が正直にいった。


「太牙さんは見せ太刀にひっかかったんですよ」


「見せ太刀?」


 虎之介が記憶をたどる。

 そうだ、思い出した。松浪は地摺り下段に構えた虎之介に対し、安易ともいえる突きを繰り出した。

 逆ツバメ返しの絶好の定番パターンだ。

 だが、その刹那、松浪は下からはじかれる前に自ら木刀を跳ねあげた。

 虎之介にしてみれば空を斬らされた格好になる。

 互いが上段の構えになったとき、一瞬早く松浪の木刀が打ち下ろされた。


 合わせ打ちされた虎之介の木刀は太刀筋を逸らされ、松浪の木刀が彼の頭上、一寸上の絶妙な距離に止め置かれたのである。


「あれは誘いの突きやったんか」


 現代ふうにいえば松浪はフェイントを使ったのだ。


「してやられたわ!」


 ボカ!


「痛っ、なんで殴るんですか?!」


 いきなり虎之介に頭を殴られて祐馬が抗議の声をあげた。


「悔しくてたまらんからや!」


「だったら自分の頭を殴ってくださいよ」


「自分の頭やったら痛いやろが!」


「無茶苦茶なひとだなあ」


 虎之介は悔しさを抑えるため、記者席にあった竹筒の水をがぶがぶと音をたてて飲んだ。

 少し落ち着いたのか剣武台に目を向けていう。


「いよいよ決勝やな。大地のやつ、あないな状態でれるんかいな?」


「大丈夫ですよ、師匠なら」


「師匠?」


「ええ、風巻さまはわたしの師匠です」


 きっぱりと口にすると、祐馬は誇らしげに胸を張るのであった。



   第四十話につづく


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