第三十五話 漆黒の夜


 暗夜であった。

 星も月も分厚い雲に覆われ、路上を照らす光は辻行燈つじあんどんの淡い明かりしかない。


 そんな夜更けの道を河田庄蔵は歩いていた。

 この先の無縁墓地には弟・山尾庄左衛門の墓がある。

 おのれの正体を知られないためには、人通りの絶えた時刻を狙って墓参りをするしかない。


 ぽっ。

 行く手に火影ほかげが差した。

 提灯を手にした男を先頭に左右に一人ずつ、計三人の袴姿の武士が歩いてくる。蒸し暑い熱帯夜だというのにきちんと羽織をはおり、腰には大小二刀をたばさんでいる。


 名のある家中の武士に違いない。だが、子の刻(午前0時)を過ぎたこんな夜更けになんの用だろうか?


 ザッ


 武士の一団が行く手をふさぐように足をとめた。

 どうやら狙いは河田のようだ。

 さては刺客かと身構え半身になる。


「あいや、待たれい」


 提灯ちょうちんを持った武士がいった。


「我らは敵ではござらぬ」


「さよう。貴殿の味方にござる」


 左右の武士が声を揃えて河田の警戒心を解く。


「河田庄蔵どのにござるな」


 河田から見て右に位置する武士がきいた。


「いかにも」


「我らは尾張おわりの手の者。亡くなられた弟どのに密命を下したのは我らだ」


「!――――」


 やはりにらんだ通りであった。将軍吉宗の質素倹約令にことごとく異を唱える尾張藩藩主、尾張大納言こと徳川宗春とくがわ・むねはるが裏で糸をひいていたのだ。


「我らは、貴殿が亡くなられた山尾どのの兄上であることをようやく突き止め申した。ならばと、ここでお待ちしていた次第でござる」


「ならば……とは?」


 いささかも警戒心を解かず河田が反問する。


「ならば、我ら尾張に合力していただきたい」


 左の武士が懇願するような口調でいった。


水鏡流みかがみりゅうの遣い手である貴殿はいずれ武術会で優勝することは必定ひつじょう。城中の剣王位戦において吉宗公の覚えめでたきを得れば――」


「それは叶わぬ願いというものだ」


 声を発したのは河田ではない。それは河田の背後から突然、発せられた。

 バッとはじかれたように河田が振り向く。

 宗匠頭巾そうしょうずきんをかぶり、黒羽二重くろはぶたえの小袖をまとい、同色の袴を穿いた屈強の武士がいた。

 背が高い。おそらく六尺(役180センチ)はゆうに超えているだろう。見下ろすように河田と尾張の一団を眺めている。


「おのれ、なにやつ?!」


 提灯をその場に捨て、真ん中の武士が抜刀した。

 つづいて他の二人も大刀を抜き、河田を庇うように宗匠頭巾の前にでる。


 宗匠頭巾の武士もすらりと刀を抜いた。

 そのまま無造作に歩を進める。

 血煙が噴いた。

 まさに早業であった。

 いつ刃をふるったのか?

 三人の尾張藩士が、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ち絶命する。


 河田が鞘を払った。竹光を右八双に構える。

 その刹那、辻行燈の淡い明かりが消えた。

 打ち捨てられた提灯の灯も燃え尽きている。

 宗匠頭巾がわらいを含んだ声で河田にいう。


「まさに漆黒の夜とは、このこと。これではいかな水鏡流の術油じゅつゆといえど光は放てまい」


「ど…どうして」


 そのことを知っているのか?

 まさか、昼間の風巻大地との闘いをだれかに見られていたのか?


「だ…だれだ。おぬしは?」


 異様な迫力に気圧けおされ、じりじりと後ずさりながら河田が素性すじょうを問うた。


「剣王位、星神道雪ほしがみ・どうせつ


「っ!!」


 その刹那、暗空を慕うかのように首が飛んだ。

 鮮やかな朱の軌跡を描いて……。



   第三十六話につづく


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