第三十二話 暗殺剣


「殺された? お城サなかで、公方様くぼうさまの見てる前で亡くなったということだべか?」


 聞いていた話とは違う。それならば即座に暫定第一席を決める試合が組まれたはずだ。

 だけど実際には、その三年後に若槻一馬と松浪剣之介の試合が催されている。

 つまりそれは、それまで山尾庄左衛門が生きていたということの証左ではないのか?


「話の筋が通らねえだ」


 大地は疑問をそのまま口にして河田にぶつけた。

 河田は息を吐くようにフッと笑うと、


星神一刀流ほしがみいっとうりゅうの裏目録に『三年殺し』という業がある」


「三年殺し? なんだべ、そいづは?」


「すぐには殺さず、打突の部位からじわじわと蝕み、三年の刻をへて死に至らしめる暗殺剣あんさつけんだ」


「暗殺剣?!」


 大地は河田の言葉をつづけて繰り返した。なにやらきな臭いにおいがする。


「星神一刀流とは、そもそも暗殺を請け負うことに特化した闇の武術なのだ」


「!――――」


 そんな武術があったのか。大地はいま、旅立つ際、天狗の師匠にいわれたことを思い出した。


 ――江戸という町は恐ろしいところだぞ。


 師匠はさらにいった。おまえが風門流の業を人前で見せれば、江戸のものはおまえを放ってはおかないだろう、と……。

 まさに師匠の予言は事ここに至って的中したのだ。


「いまの公方様は星神の暗殺剣によって将軍職についたとの噂がある」


 大地の知らないことではあるが、将軍吉宗は紀州藩二代藩主・光貞公の四男坊である。

 しかも嫡出ではなく、お湯殿番である婢女はしために産ませた子供であった。

 吉宗は、本来なら生涯部屋住みを宿命づけられた身ではあったが、ここに奇跡が起きた。


 宝永二年(1705)、長兄・綱教が死去。父・光貞や跡を継いだ三兄・頼職までもがつづいて同年の内に病死するという変事が頻出し、吉宗はまさしく棚ぼたのように藩主の座についた。


 いや、それは奇跡や棚ぼたであったのか?

 暗殺剣の星神道雪を使役しえきしての工作ではなかったか?

 吉宗が藩主の座について四年後に五代将軍・綱吉が亡くなり、六代将軍・家宣も就任から三年で死去。七代家継はわずか六歳でこの世を去っている。

 吉宗の周りは不審な死であふれているのだ。


「弟はある勢力に頼まれ、その真相を探るべく剣王位に挑んだと拙者は見ている」


 そして殺されたのだ。じわじわと死にも勝る苦痛を与えられて、山尾庄左衛門は悶死したのである。

 兄の河田庄蔵が天下無双武術会の優勝に拘泥するのは、第一席となって星神道雪と闘い、弟の仇を討つことだったのだ。


「……話は以上だ。秘中の秘を打ち明けた以上、ただでは帰さぬぞ」


 河田が腰に差した大刀の鞘の栗形くりかたに手をかけた。いつでも鯉口を切れる構えだ。


「返答はいかに?」


 殺気が厚みを増した。勝ちを譲らねば斬る、と瞳がいっている。


「おらに勝ったところで松浪や太牙がいるだっぺよ」


「松浪や太牙は理合いの剣だ。手の内を明かさなくとも勝てる。

 だが、おぬしは理外の剣だ。こっちも手の内を明かさねば勝てぬ」


 ……ということは、河田も理外の剣を遣うということか?

 それは一体……?


「……どうやら勝ちを譲る気はないようだな」


 ついに河田が鯉口を切った。

 すらり、鞘の内から刀身がはしる。

 だが、それは――


「っ?!」


 なんと竹光たけみつ、竹製の模擬刀であった。



   第三十三話につづく


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