第三十一話 消された一席


 まるで別人といってもいい空気を河田はまとっていた。

 一言でいえば殺気である。


「そこもとに頼みたいことがある」


 低くし殺した声で河田がいった。


「勝ちを譲ってほしい」


 意外な申し出であった。大地は河田の顔をまじまじと見た。

 とても冗談をいっているような顔にはみえない。殺気を漂わせた瞳の色はあくまでも真剣だ。


「いってる意味がわからんべや。なしておらが、おめさんに勝ちを譲らにゃなんねえだ?」


「ワケを所望しょもうか?」


「聞かせてけろ」


「聞いた上で、拙者の申し出を断れば、おぬしは死ぬことになるぞ」


「そんときは、そんときだべ」


 脅しそのものといった河田の言葉にも大地は動じない。まだ右腕は十分に動かせないが、左手だけでも風は起こせる。


 一瞬、迷いの表情をみせた河田だが、ひとつ間をおくと切り出した。


「拙者は山尾庄左衛門やまお・しょうざえもんの兄だ」


 山尾庄左衛門? どこかで聞いた覚えがある。


「先の江戸剣客番付第一席だ」


「あッ!」


 大地は思い出した。番頭の太兵衛に聞いたのだ。

 山尾庄左衛門は先の天下無双武術会の優勝者であり、剣王位戦の挑戦者であった。確か、剣王位の星神道雪ほしがみ・どうせつに敗れ、その後、第一席の座を降りて隠遁したのではなかったか?


「弟は……山尾庄左衛門は、星神道雪に殺されたのだ!」


 怒りをあらわにして河田が吠えた。

 それは河田がはじめて見せた、ひとの表情かおであった。



   第三十二話につづく


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