退職祝い

 もう私のお腹はいっぱい。

 つまりは吐くのを我慢していた。

 確かにお寿司を死ぬほど食べてみたい、と言ったけどモノには限度がある。

 うん、調子に乗った私が悪い。

 それにこの店はローカルでマニアックな回転寿司で、メジャーなブランドの回転寿司とはほど遠い。

 全てのネタが薄いし握り方も雑で不味い。

 ましてや退職祝いの場としては相応しくない。

 いや、私のお父さんの退職祝いとしてならお似合いかもしれない。


「どうした? まだイケるだろ。そうだ、プリンもあるぞ。デザートは別腹だしな。お父さんはビールをもう一杯頼もう。どうだ、ナナミも飲むか?」

「私が十四歳って知っているでしょ。いくら嬉しいからってお父さん、浮かれすぎ」

 中学三年の一人娘にアルコールを勧めるなんてまったく。


 プリンを食べているとテーブルの上に置いてある私のスマホがブーンと震えた。

 お父さんは飲みかけのビールを”ブッ!”と吐き出した。

「なんだ、ナナミのか。会社とは縁が切れたけどスマホが震えると未だにドキッとする」

 そう言って全身を震わせるお父さんは少し滑稽であり、哀れでもあった。


「まだSNS恐怖症は治っていないみたいね」

「ああ、お父さんのトラウマだ。パワハラ、理不尽な言いがかりなどをわずかばかりのお金のために我慢した。我慢したが実質クビの宣告を受けてはね」

「あのSNSのやり取りを労基署ろうきしょとかに見せれば少しは仕返しもできるんじゃないの? 私に下着モデルをやれなんて! フザケてる」

「会社側もそう思ってメッセージを全て削除した。一部には犯罪教唆はんざいきょうさのような文面もあるしね。もちろん、専門業者に頼めば復元できるらしいが結構なお金がかかるそうだ。それにそんな暇があるなら職探しをしないと」

 フウ、と大きく息を吐くとお父さんはジョッキのビールをゴクゴクと飲み干した。


「それで、これからどうすんの?」

「明日からハロワに行く。それと同時に小説家を目指す」

「はあ!?」

「ストーリーはこうだ。主役はパワハラ三昧を行う社長夫婦なんだ。従業員をイジメにイジメ抜く社長夫婦は部下から呪われてしまう。その結果、社長は隕石が頭に当たり死亡。社長の奥さんは大地震で出来た地割れに落ちて死亡。だが生前仲の良かった夫妻は神様のお慈悲で二人そろって転生する。ただしカメムシとして。タイトルは『カメムシ転生』という。どうだ、お父さんはなかなか才能あるだろう」

「……。お願いだから地道に働いて」

「わかってる。それはそれとして実はな、小説の下書きはスマホに打ち込んである。今からナナミのスマホに送るから感想を聞かせてくれ」

「冗談はよしこさん」


 それでもお父さんは構わずに自分のスマホをいじってデータを送信しようとしはじめた。

 冗談はやめてね、といったばかりなのに。

 するとお父さんのスマホがブーンと震えた。

「ヒイィッ」

 店内にお父さんの悲鳴が響き渡り、スマホが床に落ちた。

 私はスマホを拾い画面を確認した。

「安心して。吉本さんからのメッセージだから」

「ああ、よかったよかった」

「そんなに怖がるなら会社関係は全部ブロックしちゃえばいいのに」

「社会人ともなるとそう簡単にはいかないんだ」


 お父さんは恐恐こわごわと画面をいじりメッセージを読んだ。

「吉本の奴、今から大事な話をしたいから会えないか、だと。なになに、『スカッとストレス解消するようなイベントに興味はないか? どうせ無職なんだから暇だよな。これから会って話だけでも聞いて欲しい。連絡を待つ』って内容だ」

「確か吉本さんってお父さんをブラック会社に紹介した張本人でしょう」

「それだけじゃない。奴には結構な大金を貸しているんだ」

「お人好しにも程があるんじゃないの」

「でもお金をだまし取るような人になるよりかはマシだ」

 お父さんはそう言うと再び画面をいじりだした。


「とりあえず会うのは断った。もうドラマは終わったんだ。後は野となれ山となれ、だ。さあ、家に帰ろう」

そう言ってさびしそうに笑うお父さんを見てしまうと、私はもう何も言えなかった。

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