第3話 小野寺家および鈴村家のカオスでスパイラルな家族模様と濃さを増す影

「――いらっしゃい。観静さん」


 ――を、中庭で出迎えた三十歳半ばらしき外見年齢の男性は、温厚な顔つきに柔和な表情を作って見せると、さっそく背後にある大きな一軒家へと続く石畳みの道を開けて案内する。


「――わたしは勇吾ユウゴの父親、小野寺勇次ユウジと言います。事情はなし景子つま勇吾むすこからテレ通で聞いています。まだ泊まる宿を決めていないことも。それなら、我が家の訪問がてら、ここにしませんか?」


 そして、自己紹介がてらに、自宅の宿泊をうながす。

 顔つきや表情にふさわしい口調で。

 目つきにいたっては息子そっくりだった。

 妻の景子ケイコもそうだが、飾り気のない簡素な服装も、士族とは思えないほどに庶民的である。


「――えっ!? よ、よろしいのですか?」


 リンは戸惑いにどもりながらも問い返す。


「――もちろんですとも。勇吾むすこがお世話になっているご学友なのですから、ぜひそうさせてください」


 小野寺勇吾ユウゴの父親は力強くうなずく。


「――それに……」


 だが、その後……


「……ご迷惑までかけてしまっては、なおさらですからね……」


 負い目と罪悪感でいっぱいな表情と口調に変えてつけ加える。


「……それも、妻子ともども……」

「…………………………」


 リンはなにも言えなかった。

 それもさもありなんであろう。

 息子を出迎えに八子やご駅へ向かったはずの妻が、近くの路地裏で出会ったその場で自分の息子と口論を始めたのだから。

 右も左もわからないご学友の存在をそっちのけに。

 そしてそれは、勇次ユウジリンの背後でなおも続いていた。

 先を行く勇次ユウジリンのあとをノールックで追って。


「……こうなるのが目に見えているからわたしが迎えに行くと言ったのに、妻は『大丈夫』の一点張りで我を通したのです。小野寺家当主の権威を振りかざしてまで。なので、そうではないわたしはそれに逆らえなくて……」


 勇次ユウジは肩を落としてうなだれる。


「……奥さんが当主なのですか……」


 リンは意外そうな表情と口調で質してしまうが、現在の第二日本国では、別に珍しい事象ではない。第二次幕末の動乱では、『桜華組おうかぐみ』を筆頭に武名を挙げた女性の志士が数多く存在した。動乱終結後、生き残った彼女らのほとんどは、士族の称号たる『寺』を授かったことで、女性が当主である士族の家が誕生したのだ。雨後のタケノコと言ってもいいくらいに。小野寺家もそのひとつなのだろう。

 ただ、


「――たしか、ユウちゃんの父親も、母親同様、第二次幕末の動乱で武名を挙げ、士族になったって……」

「――勇吾むすこから聞いたのですね。ええ、その通りです。小野寺夫妻わたしたちはほぼ同時期に『寺』の称号を授かり、士族になったあと、結婚したのです」


 その返答に、リンは意外さを禁じえない表情を、あらためて作りなおす。

 正真正銘の珍しさに。

 女性が当主である士族の家にとつぐ――否、『婿むこる』男性の身分は、大抵は平民である。華族が下の身分に婿むこるなど、華族としての矜持プライドが許さないし、それは同じ身分たる士族もさして変わらない。皇族など論外。である以上、跡継ぎを設けるには、必然かつ消去法的な経緯で、士族よりも下の唯一な身分に求めるしかなかった。むろん、第二次幕末の動乱で武名を挙げた女性志士の気質や性格が、小野寺父子おやこのような温和にはほど遠く、平民の男性からすれば、男勝りなアマゾネス以外の何者でもない。ゆえに、婿むこれば鬼嫁の夫として生ける座布団と化すのは目に見えている。そのため、女性が当主の士族の家に婿むこるのは、政略的な目的でその家門をくぐる卑賎の男性がほとんどで、恋愛結婚のような経緯で結ばれるのは、絶対的少数派だった。女性が当主の士族に婿る男性自体も。男尊女卑だった旧時代をひっくり返し、女性の地位を飛躍的に向上させたのはよかったが、皮肉にもそれが祟って深刻な婿不足に陥っているのだ。未婚のままアラフォーに突入した昨今の女性当主たちは、婚活と婿探しに必死で、その模様がアスネのニュースで面白半分に取り上げられていたことを、観静リンは脳内記憶で覚えている。

 そのような事情なので、小野寺夫妻のような組み合わせは、極めて稀な上に異色なのである。リンが珍しく思うのも無理はない。

 だが、いい意味での異色な組み合わせである。

 小野寺夫妻の間に生まれた一人息子がそれを物語っていた。


「――ねェ、あなた。ちょっと聞いて。この子ったらねェ」

「――父さん。母さんってこんな事を言うんだよ」


 論争中の小野寺母子おやこが、夫であり父親である小野寺勇次ユウジにそれを振ってきた。

 怖れていた事態の発生である。

 このままではいつ自分にまで振られるかわからない。

 その危惧を、リン勇次ユウジとの会話中でも、常に抱いていた。

 一度巻き込まれたら翻弄は必至だった。

 論争の加熱化ヒートアップも。

 どちらの肩を持とうが持つまいが、関係なく。

 なので、


「――とりあえず、まずは客人を客室まで案内して落ち着かせてからにしましょう。話はそのあとで聞きます」


 勇次ユウジ妻子ふたりをなだめると同時に助け船を出してくれたのは、とてもありがたかった。その代わり、このやり取りによって、どっちが当主なのかわからなくなってしまったが。いずれにしても、玄関をくぐったリンは、小野寺勇吾ユウゴの実家に上がると、そのまま勇次ユウジのあとに続く。小野寺母子おやことは家の中でいったん別れて。


「――大変でしたね」

「えっ?」


 突然の感想に、リンは困惑の表情を浮かべるが、すぐに気を取りなおし、どもりながらも応じる。


「……そ、そんなことはありません。むしろ、小野寺母子ふたりがうらやましいです。言いたいことを本音で言いあえて……」

「――いえ、違います」

「……え?」

「――二ヶ月前に解決した連続記憶操作事件のことです。それに至るまで、相当な苦労を、息子に出会うまで、一人で色々と抱えて。アイさんとの関係が悪化した勇吾むすこよりも辛かったでしょう。なのに、そんな境遇の女子に助力し、見事はたせた息子を、わたしは誇りに思います」


 思いも寄らぬ勇次ユウジの賞賛に、凛は慌てふためく。


「――いっ、いえ、そんな。……それに、無事事件が解決できたのは、ほとんどユウちゃんのおかげです。アタシ一人では、とても……」

「――そうですか。それでは、観静さんはすでに知っているのですね。勇吾むすこが『ヤマトタケル』であることを――」

「――えェッ?!」


 思わず声を張り上げたリンの困惑は驚愕に変貌する。そして、これも思わず立ち止まった息子の学友を、ほぼ同時に立ち止まって顧みた勇次ユウジは、


「――しかも、そのことは誰にも告げていない。アイさんは元より、勇吾むすこ本人にすらも――」


 安堵に似た微笑を浮かべてつけ加える。


「――安心しました。もしそのことを全国の感覚同調フィーリングリンク放送で知れ渡っていたら、勇吾むすこの志望が叶わなくなってしまうところでした。軍部を始めとした周囲がそれを許さないでしょうからね。そんな逸材を」

「…………………………………………」


 リンは口を動かすが、肝心の声が出ず、むなしく開閉させる。

 すべてを見透かしたような、息子そっくりな糸目で。


「――これも安心してください。別にテレハックで観静さんの思考を読み取って知ったわけではありません。そもそも、わたしにそんなことはできませんし」

「……それじゃ、いったいどうやってそれを……」


 リンに問われた勇次ユウジは、しばらくの間を取ってから、


「――何事に対しても察する能力――『洞察力』です」


 静かに答える。


「――アスネやエスパーダに類する情報収集手段が存在しなかった第二次幕末の動乱では、この『察する能力』は生死の明暗を分けるほどに重要な能力ですからね。具体的には『観察』、『推察』、『考察』ですが。むしろこちらの方がテレハックよりも多くかつ効率的に、相手のささやかな挙動や言動から情報を収集・分析することができます」

「…………へェ…………」


 リンは感嘆以上の言葉が出ない。瞬間移動のような『瞬歩』を会得している小野寺景子ケイコといい、第二次幕末の動乱を戦い抜いた元志士たちの『高能力』は、次世代たる少年少女たちの想像を絶している。その勇次ユウジに引き続き客室まで案内され、そこで旅装を解き、小野寺母子おやこがいる居間へ向かう途上になっても、リンはその凄さに感銘を解けずにいるが、ふとあることに気づき、勇吾ユウゴの父親に問いかける。


「――でも、勇次ユウジさんは、結局、一人息子に小野寺家と総合武術道場の跡継ぎとしてふさわしいハクをつけるために、職業軍人の道を、息子ほんにんの志望を無視して、妻ともども無理やり進ませたと、アイちゃんから聞きましたけど」

「――たしかに、結果から逆算すればそうなってしまいますね」


 勇次ユウジは苦笑する。


「――正直に言いますと、わたしは息子を軍人や家の跡継ぎにする気はありません。むしろ好きな道を選んで欲しいほどなのです。強くなれなくても、勇気さえ持てるようになってくれれば……」

「……それじゃ、どうして……」


 問い続けるリンを背に、勇次ユウジは居間のドアに手を置き、押し動かすと、


「……その『好きな道』が絶望的なまでに向いてないからです……」


 それを証明するかのような光景が、リンの視界に飛び込んだ。

 ……腐海ふかいのような光景が……。


「…………………………」


 リンは感嘆の言葉すら出ない。客室へ案内される際、小野寺母子おやこが、いったん別れる形で入室した、ほんの一分前までの居間は、整理と整頓が芸術的なまでにキチンとされた、清楚で清潔な部屋だった――

 ――のに……


(……なにがあった?! この一分の間に、この居間で……)


 リンが抱いた疑問は深刻を極めていた。むろん、その解答は即座に出たが、素直に認めるにはあまりにも心理的抵抗が強すぎた。

 ヤマトタケルよりも。


「なにやってるのよ勇吾ユウゴっ! 帰省早々っ! せっかく勇次ユウジが掃除した居間を瞬く間に汚しちゃってっ! 足の踏み場もないじゃないっ!」

「そんなの、掃除に決まってるだろうっ! これはそのための修行なんだっ! 母さんだって知ってるはずだよっ! ボクの志望をっ!」

「アンタまだそんな寝言を目を開けたまま言ってるのっ!? 糸目とはいえ、器用にもほどがあるわっ! いい加減認めなさいっ! そして諦めなさいっ! 専業主夫なんて絶対になれないことをっ! アンタには職業軍人と小野寺の家督とその総合武術道場を継ぐしかないのよっ! 適性的に考えてっ!」

「それこそ絶対にイヤだっ! 戦いや争いなんてっ! なんで嫌いなものにならなきゃならないんだっ!? ボクは専業主夫になるっ! だれがなんて言おうと、絶対になってやるっ!」

「たったいまこの居間をこんな惨状ありさまにしたばかりだっていうのに、なんでそんなセリフが言えるのっ!? 根拠なんて絶無なのにっ! いったいだれに似たのかしらっ!」

「もちろん父さんだよっ! 父さんは家事の名人だもんっ! 母さんとちがってっ!」

「失礼ねっ! 母さんだって本気を出せば勇次ユウジ以上の技量を発揮することができるわっ! 家事と母さんをめないでっ!」

「……ああ、路地裏で出会ってからずっと繰り広げられていた口論が、止むどころかさらに加熱化ヒートアップする……」


 最後のセリフはリンが漏らしたものである。

 感想というより嘆きだが。


「……観静さん。これでも、息子の志望どおりに進路を定めさせてもいいと思います?」

「…………………………………………………………………………………………………………」


 リンは答えない。

 否、答えられない。

 記憶操作されても思えなかったので。

 ましてや、温厚な顔つきに沈痛な面持ちをたたえて再度ただされてはなおさらだった。

 そうしている間にも、小野寺母子おやこの口論はまだ続いている。


「――勇吾ユウゴ、アンタ、観静さんからテレ通で聞いた話だと、超常特区ではそこでの家事の仕事を片っ端から引き受けたそうね。金銭かねを払ってまで。そして、居間ここやアスネに掲載アップしたような惨状にしまくったあげく、『小野寺勇吾ユウゴの家事に対する被害者の会』から民事訴訟を起こされ、しかも、その判決が、『野外実験場以外での家事の禁止』という、前代未聞の結果が下されたそうじゃない。こんな大事おおごとにまで発展させ、多大な迷惑をかけたっていうのに、それでもアンタは専業主夫になれると思ってるのっ!?」

「うんっ! 思ってるっ!」


 勇吾ははっきりと即答する。

 なんの迷いやためらいもなく。


「だって保障してくれたんだもんっ! 父さんが、はっきりとっ!」

『…………………………………………………………………………………………………………』


 勇次ユウジは顔を背けたまま沈黙する。

 三者の視線からのがれるように。

 ――否、明らかにげていた。


「――あなた、まだ勇吾ユウゴに伝えてないのっ! あなたがこの件にかぎって優柔不断だから勇吾ユウゴも諦めてくれないのよっ! だから、いますぐはっきりと伝えなさいっ! たしが言ったことをっ! これは家長命令よっ!」

「母さんなに父さんに言わせてようとしてるのっ! それでボクが諦めると思ったら大間違いだぞっ! ボクは専業主夫になるんだっ! だれがなんて言おうが、絶対にっ!」


 ……そして、母と子の間でふたたび激しい論争が始まる。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 それを見計らっていたかのように、背けていた視線を戻した勇次ユウジの横顔を、リンは冷ややかな眼差しで見つめる。


「……わかっています。しょせん、後先を度外視したその場しのぎでしかないということは……」


 それに即刻耐え切れなくなった勇次ユウジは、持ち前の『察する能力』で、リンの言いたいことを、音声や精神感応テレパシーによらず、正確に解釈する。


「……でも、こうでもしないと、その場すら凌げなくなってしまいます。後先まで考えたら……」


 苦悩に塗れた表情と口調で。


「――なら、もう一度証明して見なさいっ! アンタが専業主夫に向いているか否かをっ!」

「うん、いいよっ! 証明して見せようじゃないかっ! 今度は料理でっ!」

「もしこの居間のような惨状ありさまになったら、今度こそ諦めるのよっ! 専業主夫をっ!」

「母さんこそもしボクが証明できたら二度とそんなこと言わないでよっ! この居間の惨状ありさまはなにかの間違いなんだからっ!」


 ――そうしている間に、小野寺母子おやこの論争はいったん終結するが、代わりに勇吾ユウゴの専業主夫適性審査が勃発した。

 怪獣のような足取りで居間を出た勇吾ユウゴのそのあとを、リンと小野寺夫妻が続く。

 最初は、この家の台所だと、リンは思っていたが、その家を小野寺親子がそろって出たため、戸惑ってしまう。そして、そのまま広い中庭に入ると、家や道場よりも大きく離れた場所に建ってある、一軒のプレハブを発見する。しかし、その周囲は不自然なまでに何もなかった。まるでスーパー戦隊もののヒーローが、ザゴや怪人を相手にバトルする戦場のような荒寥こうりょうぶりである。だが、リンにはこれとよく似た光景を、これも脳内記憶で覚えている。

 それは――


「……野外実験場……」


 ……を、想起した時点で、すべてを察した。


「――じゃ、始めるよっ!」


 どうして台所だけが、隔離施設よろしく別個に建てられたのかを、当の本人たる勇吾ユウゴだけは知らないまま……。

 そして――


「――ほら、ちゃんとできたよ」


 という結果が出た。


「……な、なぜなの?」


 景子ケイコは茫然と立ち尽くす。

 目の前のテーブルに置かれたカレーライスを凝視しながら。

 自分の息子が作った料理である。

 香ばしい匂いが、十畳間ほどの広さがあるプレハブの台所にゆっくりと漂う。

 自分の意思に反して、それに釣られた景子ケイコは、手に持ったスプーンでカレーライスをすくい、口に運んで咀嚼そしゃくすると、


「……美味しい……」


 という感想が、これも自分の意思に反してこぼれた。それにより、景子ケイコの茫然さに拍車がかかり、愕然に取って代わる。


「――当然だよ。これがボク本来の実力なんだから」


 勇吾ユウゴは胸を張って自分の母親に言い放つ。言い放たれた方は、まるで敗北を悟った敗者のように、両膝と両手の順に床につき、深くうなだれる。勝者さながらに傲然とたたずむ息子の前で。

「……そ、そんな、バカな。家事オンチのアンタに、こんなに美味しいカレーライスを作れるはずが――」

(――ないよ。確かに――)


 そんな小野寺母子を、リンは冷めた眼差しで眺めながら断言する。

 なぜなら、ひとつしか考えられない結論に、すでに達していたから。

 勇吾ユウゴの父親が息子の調理行程で犯した数え切れないミスをさり気なくフォローし、成功に導いたという……。

 そのさり気なさは、感知はおろか、認識すら不可能な次元に達していた。

 それは勇次ユウジの息子は元より、妻さえも同様だった。

 空気よりも存在感が絶無だった。

 ゆえに、リンもそれを認識できていたわけではない。

 それしか考えられないのだ。

 理路整然と順を追って行くと――


 ・勇吾ユウゴが決まって家事オンチを発揮するのは、その父親が不在な時だけである。

 ・現に居間の惨状も、勇次ユウジが目を離した隙に起きた事態であった。

 ・超常特区で犯した数え切れない惨事も。

 ・その上、勇吾ユウゴの料理中、隣に立っていたはずの勇次ユウジの姿ははどこにも見当たらなかった。

 ・そして勇吾ユウゴは、自分の父親を家事の名人と絶賛していた。

 ・家事がらみになるといつもの聡明さが暗黒化するほど悪くなる勇吾ユウゴだが、この件にかぎって見誤ることはまずない。


 ――風になる。

 ここまで観察、推察、考察、すれば、結論は出たも同然だった。


(……アタシがヤマトタケルの正体を知っている事や、それが知られている範囲も、こうやって洞察したのね。ユウちゃんの父親は……)


 胸中で語りかけるリンの心に隙間風のようなそれが吹き抜く。


「――居間で犯した惨状アレはやっぱりなにかの間違いだったんだよ。でなければ、こんなに美味しいカレーライスが作れるわけないもん」


 勇吾ユウゴは無邪気にはしゃぎまわる。


「――超常特区で犯した数え切れない惨事もなにかの間違いなの?」


 と、言いたい衝動を、リンは必死に抑え込む。


「――ふふん。将来専業主夫になるボクを、それこそめないで欲しいね、母さん。その技量うでまえはすでに母さんを超えているんだから」


 友達の前ですら見せたことのない息子の不遜な態度と言動に、


「――なに言ってるのよっ! そんなわけないでしょっ! 増長もいい加減にしなさいっ!」


 母親が迅速に立ち上がって叱咤しったする。


「――ほう。なら証明してよ。ボクが作った同じ料理で」

「いいわっ! 証明してあげるっ! 専業主婦志望だったわたしの技量うでまえをっ!」


 売り言葉に買い言葉そのままのやり取りと勢いで、母子の間で料理対決が勃発する。

 そして――


「――さァ、できたわ。食べて見なさい」


 完成した料理を息子に突きつける。


「――むっ!」


 それを口にした勇吾ユウゴは、糸目の表情を苦しげにゆがませる。

 不味まずかったわけではない。

 むしろ逆である。

 自分のそれに匹敵するほどの美味しさを、勇吾ユウゴは舌で感じ取る。

 そのあと、自分が作ったカレーライスに手を取り、確かめるように味わう。

 景子ケイコもまた自分や息子が作ったカレーライスを交互に食し、味を比較する。


「――どうやら――」

「――互角、のようね――」


 二つとも完食した小野寺母子はにらみ合う。

 いまいましくも認めざるを得ないと言いたげな顔に、ご飯粒やカレーのルーを、それぞれ付着させて。


「……そりゃ当然でしょう。互角で……」


 そんな母子を、リンむなしさしかない眼差しで眺めながら独語する。

 小野寺景子ケイコがカレーライスを料理している間、リンは感じ続けていた。

 数え切れないほどに犯した調理ミスを、認識が不可能な父親のフォローですべてカバーされた小野寺勇吾ユウゴと同質の気配を、その母親から……。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 ……これ以上の考察は、精神エネルギーの浪費ムダでしかなかった。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 リンの隣で同じ対象を眺めている小野寺勇次ユウジに至っては、完全にそれを放棄した表情だった。

 悟りを開いた僧侶と喩えるべきか。

 無我の境地にたどり着いた達人と見るべきか。

 どちらにせよ、凡人ではないのは確かである。


「……それはあなたもですよ。観静さん……」


 心中を素粒子サイズの針穴に通すような正確さで察してくれた勇次ユウジから、栄誉あるお褒めの言葉を、リンたまわった。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 ……のに、あまり嬉しくないのはなぜだろう……。

 ……真空のような虚しさが、リンの心をスッカラカンにする……。

 ……あの時の再来である。

 ……いずれにしても、これだけは言える。

 小野寺勇吾ユウゴはまぎれもなく小野寺勇次ユウジと小野寺景子ケイコの息子であることを。

 それも、母親寄りの……。




 神社や寺と言えば、簡略すると初詣などで神様にお願いする場所の想像イメージや認識が強いのは、一周目時代の現代日本と同様、二周目時代における現在の第二日本国でも変わらなかった。

 祭りといった地元のイベンドを開催する場所としても。

 無論、それに適した神社や寺は限定されるが、毎年八子やご町で開催される『夏祭り』は、地元有数の神社である『八国やつくに神社』で実施されていた。

 名前の由来は、二周目時代において初めて開かれた『叢雲むらくも幕府』が、半世紀も経過しないうちに政権基盤が崩壊し、一周目時代のような戦国時代が到来した際、最大八つに国が分裂してしまった当時の時代を差して名づけられたそうだが、その戦乱が原因で、八国やつくに神社の神主が不在な時期が長く続き、荒廃していったため、詳細や真相は不明である。

 およそ一世紀半にわたって及んだ戦国時代も、新たに開かれた『江渡えど幕府』によって終結し、戦乱で荒れ果てた国土を復興する事業が様々な分野で開始された。

 同様の状態だった神社や寺もそれに含まれ、その中のひとつ、『八国やつくに神社』の再建に携わり、そのままそこの神主に収まったのが、現在の鈴村家が知るかぎりにおいてもっとも古いご先祖様である。

 そのご先祖様は、当時、伝説や神話の域を出ていなかったはずの一周目時代の日本神話に、なぜか精通していて、それが家伝として代々鈴村家に受け継がれている。

 それに影響を受けなかった歴代の神主は皆無であり、それは夏祭りの実行委員長を務めている現在の神主も例外ではない。

 特にその一人娘は幼少の頃から『鉄オタ』なみにハマり、一周目時代の日本神話に関する蘊蓄うんちくを、周囲の迷惑を省みずに触れ回ったため、迷惑をこうむった周囲からは、『和風中二少女』としてイタイ子あつかいされていた。

 そんな一人娘の両親も、やはり両親なので、溺愛する我が子の『和風中二少女』的な性格に矯正を施すどころか、さらに促進させ、こちらも周囲の迷惑を省みず、我が子のために色々と手を尽くした。

 それが最も顕著なのが、毎年『八国やつくに神社』で行われる『夏祭り』である。

 そこの神主夫妻は、夏祭りの開催に適した場所が他にない八子やご町の事情をいいことに、その場所を貸す条件として、夏祭りの実行委員長に就任すると、さっそくその肩書きと権限を振りかざして、それ一色に染め上げた。

 神社の景観、出店のデザイン、グッズ、景品、各種護符おまもりなど、思いつくかぎり、次々と。

 これで同人誌の販売やコスプレも加われは、一周目時代の二十一世紀日本でもよおされていた『コミケ』とたいして変わらない。

 そこまではさずがに地元の町長を始めとする周囲の猛反対で断念せざるを得なかったが。

 ましてや今年は、サイコモーターカーの開通記念や町おこしと連動させたコラボ祭として、全国の耳目が、直接間接問わず集まっているのだ。地元のイメージダウンを誘うような真似は絶対に避けなければならなかった。


「――はァ、やれやれ。やりにくいったらありゃせんわい。今年は特に……」


 八国やつくに神社の神主である鈴村権之助ごんのすけは、ため息とぼやきをこぼしながら、神社の広場にある同人誌販売用の出店を片づけていた。朝方の町内見回りに来た町長からさっそく注意されて。神主にふさわしく、上下を白色と水色に分けられた袴姿や、シワの多めな顔つきとは裏腹に、その表情は拗ねた子供さながらに不平満々だった。


「――もうすぐ五〇を迎える中年男が、いい年齢としこいてそんなもんにうつつを抜かすんじゃないっ!」


 と、去り際に残した町長の言葉が、木霊のように権之助ごんのすけの脳内で反芻される。

 忌々しいなまでに。

 だが、それは痛いところを突かれたからではない。

 自分や妻子同様にハマっている同年代の同性にだけは言われたくなかったからである。

 本人は秘密にしているつもりだが、公然の秘密として地元の住人たちに知れ渡っている事実に、本人はまったく気づいていない。匿名を装った町長の個人用記憶掲示板メモリーサイトに、そうとしか思えない内容が、赤裸々せきららつづられていたのだ。発見した権之助ごんのすけはその事実を文句まじりに教えてやりたかったが、それで損ねた機嫌が原因で、夏祭りの実行委員長の座を、来年より追われることになってしまったら目も当てられない。ゆえに、いまは自重するより他になかった。


(――次の町長選挙では絶対に現職以外の立候補者に投票してやるっ!)


 という決意を固めて。

 石畳の階段を下り去って行く現職の町長の背中を恨めしげに睨みながらのことである。


「――アンタっ! 負けるんじゃないわよっ!」


 権之助ごんのすけの妻、初江はつえが意気消沈気味な夫を叱咤激励する。神主の妻らしく、上下が白と赤の巫女姿だが、顔立ちが四十代半ばに達した近所のおばちゃんそのものなので、一人娘とは対照的なまでに似合ってない。小野寺景子けいこなら神々こうごうしいなまでに似合うと思っているのは、鈴村権之助ごんのすけが抱いている自分一人だけの秘密である。

 もっとも、その秘密は、ずば抜けた洞察力を持つ景子けいこの夫によって知られているが。

 むろん、知られた当人にその自覚はない。

 現職の町長同様に。


「――おうっ! もちろんだともっ!」


 そんな思いなどおくびにも出さずに、権之助ごんのすけは妻に応える。


「――それにしても、どうしたんじゃろか、アイのヤツ。あれほど楽しみにしておった今年のコラボ祭じゃというのに、まるで通夜のような表情かおで帰省して」

「――なにかあったのかしらねェ。勇吾ユウゴちゃんとの仲がふたたび悪くなったわけじゃなさそうだし……」


 話題を変えた鈴村夫妻は、困惑に曇らせた表情を見合わせる。本来なら兼ねてからお願いしていた夏祭りの準備を手伝って欲しいのだが、あの状態では危なっかしいので、止めさせたのだ。今は自宅の自室に閉じこもっているが、それが却って鈴村夫妻の心配を煽るのだった。夫妻の周囲では、実行委員として抜擢された地元の住人たちが、夏祭りの準備作業に勤しんでいる。


「――あのー、すみません」


 そこへ、町長と入れ替わるように階段を上がって来たショートカットの少女が、その間を縫うように鈴村夫妻を訪ねて来たのは、そんな時だった。




 鈴村アイは自室の隅でうずくまっていた。

 陰惨な空気が室内に漂っている。

 自分の迂闊さをこれほど呪ったことは、アイはなかった。

 どうして忘れてしまっていたのか。

 なぜ覚えていなかったのか。

 記憶操作されたわけでもないのに。

 エスパーダを装着しているというのに。

 萩原杏里アンリの事を。

 地元唯一の友達の事を。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 アイにはわからなかった。

 これからどうしたらいいのか。

 わかっているのは、どちらも大切な友達だということだけ……。

 幼馴染の少年も。

 同好の少女も。

 だが、両者は決して交わらない。

 幼馴染の少年が拒絶しなくても、同好の少女が拒絶する。

 後者にとって、それは水と油としか見なしてないのだから。

 それが両者の和解を妨げる大きな溝として分けへだたれていた。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 アイは途方に暮れるしかなかった。

 その溝を埋める術がアイにない以上、どちらかを選ぶしかない。

 選ぶしかないのだろうか……。

 

「…………………………………………………………………………………………………………」


 アイの脳裏に混沌の苦悩が渦巻く。

 板挟みさならがに。

 もはや、想い出づくりどころではなかった……。


「――勇次ユウジおじさまの言う通りになっていたわね。その様子じゃ」


 突然かけられた馴染みのある声に、アイは伏せていた顔を上げると、驚いた表情で見やる。


「……リン、ちゃん……」


 いつの間にか入室していたショートカットの友達に。


「――安心しなさい。ユウちゃんは手伝いに来ないわ。こんな事やそんな状態では、久しぶりに再会した地元の友達の手前、会いづらいでしょうからね」


「……………………」


 アイは何も言えなかった。まさにその通りだったので。


「――ホント、第二次幕末の動乱を戦い抜いた志士の洞察力って、凄いとしか言えないわねェ。この世で見透かせないものなんてないってくらいに」


 もっとも、それは現在の家庭環境によって培われたものなのか、それとも磨きがかかったものなのか、リンは今でも判断に迷っているが、いずれにしても、勇吾ユウゴの父親は凡人ではないことを、この件に関わったことであらためて思い知らされた。


「――ま、少しタネ明かしすれば、今年から教師として勤め始めた地元の高校で、隔意ある視線を、目を合わせるたびに放つ一人の平民女子高生の存在が、そのきっかけだったんだけどね」

「……………………」

「――そんな視線を放つ理由も、おおよその見当がついている。けど、その詳細までは、さすがに推察できないけど……」

「……………………」

「――もし知っていたら、教えてくれない? アタシがユウちゃんに代わって訪ねて来たのも、アイちゃんの口からそれが知りたくて……」


 リンが口を閉ざした後、室内にふたたび重苦しい沈黙がのしかかる。

 明るい内装とは裏腹に……。

 アイは重々しく口を開いたのは、しばらく経ってからであった。

 暗い顔に意を決したような表情をたたえて。


「……杏里アンリちゃんは、アタシやユウちゃんと違って、八子町ここで生まれた地元の住人じゃないの」


 萩原杏里アンリが生まれたのは、八子やご町の又隣にある金原かなはら村という農村の農家であった。

 アイリンと同様、第二日本国において、全人口の九九パーセント以上を占める、ごくありふれた平民の子として生を受けた杏里アンリは、ごく平凡な両親とともに、ごく平凡な幼少期をその村で過ごした。

 平民ゆえに生活は決して豊かではなかったが、両親から惜しみなく注がれた豊かな愛情がその自覚を打ち消していた。

 横暴な士族が住み着くまでは……。

 その瞬間、杏里アンリの幸せは遠い過去のように遠のいた。

 成り上がりの士族ならではの、暴力団さながらな暴風雨にさらされた両親は、見る影もなくやつれ果て、両親から愛情の元である笑顔が消え失せた。

 恫喝、暴力は日常茶飯事。生活の糧である畑は隅々まで荒らされ、貧窮ひんきゅうのどん底に突き落とされた。

 無論、それは一人娘の杏里アンリに対しても向けられ、士族の子弟から様々なイジメを受けた。

 村の駐在や村長などに助けを求めても、そんな士族相手では、平民のみで構成された村人たちでは太刀打ちできるわけもなく、それどころか、自分たちにそれが向けられることを怖れて、士族に加担する村人まで現れる始末だった。

 この頃の中央政府や地方自治体の統制は、新時代を迎えて間もない多忙な国づくりに追われて、まだ市町村レベルにまで浸透されておらず、そこまで手が回らなかった。

 その間にも、士族の横暴ぶりはますます激しくなり、母親は心労で倒れ込み、父親に至っては自殺に追い込まれた。

 これ以上の居住は精神的にも肉体的にも不可能と悟った母親は、逃げるように一人娘を連れて金原かなはら村を去り、縁もゆかりもない八子やご町に移住し、現在に至るのであった。


「……それが、七年前のことだったわ……」


 そう言ってアイは口を閉じると、ふたたびうつむく。


「……………………」


 リンもそれ以上は訊かなかった。勇吾ユウゴの父親から譲りたてのホヤホヤな洞察力で、その後に続く残りの事情をすべて把握したので。

 そんな過酷な状況下で幼少期を過ごせば、萩原杏里アンリが士族を憎むようになるのも道理である。

 そして、七年前と言えば、元士族による鈴村アイの誘拐事件が起き、それが原因で幼馴染の勇吾ユウゴアイの仲がイジメに発展するほどに悪化した時期である。

 そのタイミングで八子やご町に移住して来た萩原杏里アンリが、その光景を目撃すれば、迷わず鈴村アイと友達になり、士族の子弟である小野寺勇吾ユウゴを、一緒にイジメるのは必至である。

 士族憎しとして。

 むろん、鈴村アイの誘拐事件が起こるまで、その士族の子弟とは幼馴染だった事実を、萩原杏里アンリはまったく知らない。

 その頃の鈴村アイも、当時は黒歴史と見なしていた事実を、萩原杏里アンリに伝える心境ではなかったことも。

 ましてや、その仲が最近になって修復したことなど、伝えられるわけがなかった。

 そんな友達に。

 そして、アイもまた、自分と同じく、いまだ士族を憎んでいると、杏里アンリは信じて疑ってない。

 その杏里アンリに真実を告げたら、絶交も必至だった。


「……杏里アンリちゃん、父親をうしなった故郷が忘れられない母親に付き合って、盆と正月だけは毎年欠かさずに戻っていた。父や母と自分を、死と不幸に追いやった士族への、せめてもの反抗として」

「…………………」

「……でも、その母親も、この春に身体を壊して、今年は断念せざるを得なくなった……」

「…………………」

「……アタシ、知らなかった。六年ぶりに再会した杏里アンリちゃんの口から、その事を告げられるまで……」


 アイの声が苦渋と苦痛にあえぐ。


「……アタシも、忘れてた。杏里アンリちゃんとの想い出に、ユウちゃんはイジメの対象としてしか入ってないことに……」


 それに自責と後悔の念が加わる。


「……杏里アンリちゃん、コラボ祭で、ユウちゃんに恥をかかせてやるって言ってた。アタシがそれに協力すると、微塵も疑わずに……」

「……………………」

「……アタシ、どうしたら……」


 アイは弱々しい声で尋ねる。

 超常特区でできた最初の友達に。


「……………………」


 リンは引き続き無言のままだが、涙まじりにすがる友達に対して、これ以上それを貫くわけにはいかなかった。だが、かといって、なんて言えばいいのか、こちらもまったくわからなかった。勇吾ユウゴなら気の利いたことが言えるかもしれないが、他ならぬ当事者では、説得力うんぬん以前の問題である。

 アイの部屋に重苦しい沈黙が三度到来する。

 ――間もなく、


「キャアアアアアアアアアッ!!」


 女性の悲鳴が上がった。

 部屋の外からである。

 アイリンは顔を上げると、現在の心境をアイの部屋に置き捨てて家を飛び出し、敷地内にある神社へ向かう。

 夏祭りの準備で忙しいはずの地元の実行委員たちが、出店の設置作業を中断して、悲鳴の上がった方角へ駆け寄る姿が映った。

 二人はその列に加わり、走り続けるが、現場の到着はすぐであった。

 一足先に到着していた地元の実行委員たちが、横一列に並んで、どよめきの声を口々に漏らしている。

 その列を割って入ったアイリンが、群衆の列の前に出ると、地元の実行委員たちが目を奪われている光景に注目した途端、


「――――――――っ!!」


 アイリンは息を呑む。

 それは、神社の敷地内にある公衆トイレの白いコンクリートの壁であった。

 初詣や夏祭りの際、混雑の防止にやむなく設置した施設で、木造建築で占められた神社の敷地内では一際大きく、同時に一際浮いていた。

 その公衆トイレの白い壁には、等身大サイズの筆で書きなぐったような、極太のどぎつい横二列文字で、


『祭りを中止せよ。さもなくば、無差別攻撃する」


 と――

 



 ――書かれたその静止画えいぞうは、最初に発見した鈴村アイの母親が目にする前よりも早くアスネに拡散されていた。

 それも、信じられない速度スピードで。


「――明らかに同一犯の犯行――それも、集団グループですね。脅迫文の執筆者と、その文面をアスネにバラまいたのは――」


 八子やご町警察署の会議室に集まった一同の前で、署長は迷うことなく断定した。四十代半ばに達したその男性は、険しいが精悍な顔つきで、脳裏に投影されたその文面を、両目を閉ざして読んでいる。第一発見者がその時の視覚情報をエスパーダの見聞記録ログに保存し、直接署長に送信した一次情報である。アスネに蔓延しているその類の情報は、捏造や劣化が激しく、それが、今回の騒動が同一の犯行集団グループによって引き起こされた、決定的な判断材料となった。


「――単独で実行するにはあまりにも大掛かりで、個人の処理能力リソースを越えていますから」


 その根拠と見解を、署長は一同に披露する。


「……なんてことだ。コラボ際まで、あと二日にせまったこの大事な時に……」

 一同の代表者である八子やご町の町長は、怖れと悔しさににじませた声と顔で唇を噛む。本来なら署長が町役所へ出向いて報告すべきなのだが、晴天の霹靂へきれきともいうべき事態の発生に、いても立ってもいられなくなり、自分から出向いたのである。途上で事態を知った八子やご町の有力者たちやコラボ祭の主催者たちと合流しながら。八子やご町のテレタクでは、超常特区ほどその交通網が発達してないため、テレ管(テレポート交通管制センターの略称)への連絡から転送の完了に時間を要するので、それまでいても立ってもいられない彼らとしては、自家用ホバーカーや路線ホバーバスで警察署へ向かいながら、移動によって視界が変わる八子やご町の風景で気を紛らわせなければ、落ち着くことすらままならなかった。


「――まさか、コラボ祭は、中止――」


 アイの父親である鈴村権之助ごんのすけが、蒼白させた顔面で質さずにはいられなかった。夏祭りの最高責任者としては、至極当然の発言である。


「――してはいけません。絶対に」


 署長が力強く頭を振る。


「――そんなことをすれば、犯人の思うツボです。目的がなんであれ。第一、犯人の要求に従っても、無差別攻撃を中止する保証にはなりません。ここは予定通り、コラボ祭の準備を進めてください。その間に、我々警察が犯人を捕まえます。町長とコラボ祭の主催者たちは、地元の住人や観光客の動揺を抑えてください。この情報がアスネに出回っている以上、それは避けられませんから」

「……わ、わかった。一刻も早く、犯人を捕まえてくれ……」


 町長が自身の動揺を鎮めながら懇願する。だが、


「……し、しかし、犯人の目星はついているのか? あと二日しかないこの短い間に、捕らえることなど……」


 権之助ごんのすけの方は落ち着かせることに失敗し、ふたたび質す。


「――現在、アス管(A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局の略称)にこの情報の拡散者の特定を急がせています。アスネを利用した以上、必ずどこかにその痕跡が残っているはずです。直接接続ダイレクトアクセスなら残りませんが、ここまで迅速かつ広範囲な拡散は、直接接続ダイレクトアクセスでは不可能です。いずれにせよ、犯人はこの町に潜伏して――」


 署長が冷静な表情でそれに応えていると、


「――お話し中、すみません」


 部下の婦警が、ノックと同時に入室する。


「――どうした?」


 説明を中断させられた署長は、不機嫌な表情をいっさい浮かべずに、部下に報告をうながす。


「――中央警察署から派遣された公安が、至急の面会を求めています。おそらく、この件に深い関係があると――」


 ――その頃、八子やご警察署のロビー兼待合室では、


「……なんで、こんなことが、立て続けに……」


 アイが辛そうな表情で椅子に座り込んでいた。

 つぶやきも、表情に劣らず、辛さにいたんでた。


「……………………」


 その隣にはリンが座っているが、苦しみのどん底に叩き落された友達にどんな言葉をかけたらいいのか、完全に迷っていた。アイの気持ちと想いが、感覚同調フィーリングリンクしなくても、痛いほどわかるだけに、なおさらだった。


「……アイちゃん……」


 勇吾ユウゴに至っては言わずもがなである。リンからテレ通で連絡を受けた勇吾ユウゴは、両親とともに八子やご警察署へ駆けつけ、その出入口で両親といったん別れた後、ロビー兼待合室で二人と合流したものの、アイの傍で立ち尽くしたままである。気の利いたことも言えず、親しみのある呼び方で幼馴染の名をつぶやくが、それを除けば、リンと同じ状態だった。むしろ当事者なだけに、その心境はリンよりも深刻で複雑だった。


「――おまいらも来とったんか」


 そこへ、聞き覚えのある関西弁の声が、三人の間に漂っていた陰気な沈黙を突き破った。さすがに三人の鼓膜を突き破るほど大きくはなかったが、三人が驚いた表情で視線を転ずるには充分だった。

 その声の主が――


「――イサオさん――」


 ――では。


「……どうして、イサオさんが、八子警察署ここに……」


 勇吾ユウゴがその表情のまま問いかけるが、


「――それは後で答えるさかい、今からワイが言うことをよく聞いとくんや。見聞記録ログに残してでも」


 いつになく真剣な表情と口調で応えながら速足で歩み寄ってくる友達に、ひるみさえ覚え、なにも言えなくなる。


「――この町で起こっとる騒動はワイも知ってる。その犯人の心当たりもな」


 予想だにせぬ爆弾発言に、三人の驚きがさらに増す。


「――誰なのっ!? そいつっ!」


 立ち上がったアイが、飢餓者のような表情と勢いで急かす。急かされたイサオは冷静な表情で応対する。


「――その犯人は二人。二人とも、ワイらがよく知っとるヤツらや」

「――知ってる? アタシたちが、その二人を?」


 リンが意外さを禁じ得ない表情で確認を求める。


「――せや。そいつらは、つい最近、S級犯罪特殊能力者用刑務所を脱走した脱獄囚で、ワイがおまいらの帰省の途中まで同行しておったのは、そいつらを逮捕したパクった当事者として、そこへ呼ばれたからなんや。中央警察署の公安から、極秘裏に」

「――それで言えなかったのね。本当の目的を。帰省なら八子やご町よりも手前の駅で降りるはずだから、おかしいと思ってたけど」


 リンの表情に得心のそれが浮かび上がる。だが、それでも、脱獄した二人の囚人を想起することができない。勇吾ユウゴの父親ならこの時点で察していても不思議ではないが。


「――早く教えてっ! いったい誰なのっ! その二人はっ!」


 耐えかねたアイがふたたび急かす。リンよりもとぼしい洞察力を働かせる意思すら感じられないほどに。それだけ心理的に追い詰められているのだった。


「……その二人は、ともに超常特区で、それぞれ大小の事件を引き起こし、おまいらを巻き込んだ張本人どもや」


 勲は苦々しい表情と口調で告げ始める。


「……大小の事件。ボクたちを巻き込んだ……」


 勇吾ユウゴは咀嚼するように友達の言葉を吟味する。

 ――と、


「――それって、連続記憶操作事件とアイちゃんのバッジの窃盗事件のことですか?」


 思い出したかのように質されたイサオは、真剣な表情で勇吾ユウゴにうなずいて見せる。

 

「……まさか、そいつら……」


 その後、リンがついに思い当たる節を見つける。


「――ああ、おまいの想像どおりや」


 イサオは脱獄した二人の固有名詞を、三人の友達に対して告げた。


「――久島健三ケンゾウと久川比呂ヒロや」



 

「――なんでこのオレがお前みたいな卑しい平民の命令なんか聞かなきゃならねェんだよっ!」


 真昼の陽月に照らされた山林の一角から大きな怒号が噴き上がる。

 だが、広大な山林面積を持つ八子やご町の隅々まで響きわたらせるには、あまりにも小さすぎる怒号である。


「――ふん。なに言ってやがる。当然だろう。かくまってやってんだから。その恩返しとして、それに見合った働きをしてもらわねェと、採算ワリにあわねぇんだよ」


 久島健三ケンゾウは怒号を上げた同年代の男子が発した問いに沈着な声で答える。だが、答えられた方はまったく納得せず、傲慢ごうまんな顔つきに激昂の表情を重ねてさらに言い募る。


「――ふざけるなっ! オレは由緒ある士族の子弟なんだぞっ! そのオレを、平民ごとぎがアゴで使うなど――」

「――イヤだというなら、別に構わねぇぜ。こっちはお前をかくまうのを止めるだけだから。ホラ、とっとと消えな」

「なんだとっ?!」


 健三ケンゾウの不遜な態度と口調に、傲慢な男子の怒りもさらに跳ね上がる。しかし、健三ケンゾウはまったく意に介さず、


「――さァ、選びな。オレの命令にしたがうか。それともオレの集団グループから離れて官憲に追われる日々を送り続けるか」


 当人に二者択一を迫らせる。


「~~きさまァ~ッ~~」


 顔中を真っ赤にした傲慢な男子は光線剣レイ・ソードを抜きかけるが、


「――っ!?」


 喉元に青白色の切っ先を突きつけられ、それ以上、動けなくなる。

 傲慢な男子よりも、早く、速く。


「――いい加減、てめェの立場をわきまえろよォ」


 切っ先を突きつけた健三ケンゾウは殺気だった声で説き始める。


「――てめェは犯罪者なんだぜ。それも、オレと同じく、札付きの指名手配犯としてなァ。その前に、身分なんざ関係ねェ。クソの役にも立たねェんだよ、この裏社会じゃ、力があるヤツだけが上に立てるんだ。身分にあぐらをかいている驕慢きょうまんなてめェが、このオレにかなうわけねだろ。しかも、士族でありながら、その実力は平民のオレにすら劣る始末。情けねェと思わねぇのか」

「……くっ、戦闘のギアプさえあれば、お前なんか……」

「――それに見合った肉体的仕様フィジカルスペックが、てめェにあるのか? 驕慢だけなく、怠慢たいまんなてめェに。オレと違って、ろくに鍛錬トレーニングしてねェのがミエミエだぜ。なに、その緩慢かんまんな動き」

「……くっ……」

「――さァ、どの二者を択一する。不服なら、もう一択、設けてもいいんだぜ。この場でくたばるっていう一択をなァ」

「~~~~~~~~っ!」


 傲慢な士族の男子はそれが砕けんばかりに歯ぎしりするが、


「……………………」


 やがて無念と観念を入り混じった表情に変わると、抜きかけた光線剣レイ・ソードから手を放し、うなだれる。


「――そうだ。それでいい。物分かりがよくて助かったぜ。お互い」


 そう言って健三ケンゾウは相手の喉元に突きつけていた青白色の切っ先を引くと、その端末である光線剣レイ・ソードを左腰に差し戻す。


「――さァ、わかったなら、さっさとオレの命令を実行に移せ。あと二日しかねェんだからな。他にもやってもらわねぇと困る仕事が、まだたくさん残ってるんだ。のんびりするんじゃねェぞ」


 健三ケンゾウにあらためて命令された士族の男子は、不承不承の態があからさまな、これも緩慢な動作で、それを遂行すべく、森林に囲まれたその場から走り去って行く。


「――士族が、平民であるオレの命令に従っている……」


 その後姿を眺めながら独語する健三ケンゾウの表情に悦が入る。


「……悪くねェどころか、最高だぜ」


 感動と興奮を加えて。


「――なかなか堂に入っているじゃねェか」


 健三ケンゾウの背後から、突然の声がかけられた。


「――さすが、国事犯級の事件を起こした連中の主犯格リーダーだぜ。扱いづらそうな士族のお坊ちゃまボンボンを、いとも容易く言いなりにさせるとは」

「――伊達じゃねェってことさ。オレの組織力と統率力は」


 そう言って身体ごと振り向いた健三ケンゾウは、不敵な笑みを浮かべて見せる。

 背後にたたずんでいる久川比呂ヒロに。


「――そっちの首尾は?」

「――もちろん、バッチリだぜ。今頃コラボ祭の主催者どもは慌てふためいてるに違いねェ。地元の住人や観光客どももあからさまにビビってる。オレが掲載アップした落書きの脅迫文をアスネで見て」


 比呂ヒロは自慢げに答える。

 悪相に悪意と愉悦の明暗コントラストを浮かばせて。


「――で、そっちの人員あたまかずはそろったのか?」


 今度は比呂ヒロが尋ねる。


「――ああ。予想以上に集まったぜ。八子やご町でのコラボ祭の開催に不都合な裏社会の連中を呼びかけたら、あっという間にな。さっと二○人はいる。ま、中には今のヤツのような指名手配犯おたずねものも混じってるが」


 健三ケンゾウが肩をすくめて答えると、比呂ヒロいびつな笑みを浮かべて見せる。


「――いずれにしても、知名度ネームバリューが利いてるようだな。でなきゃ、短期間でこんなに集まったりはしねェぜ」


 比呂ヒロが視線を横に転じたそこでは、久島健三ケンゾウの呼びかけに応じて参集した裏社会の連中が、二日後のコラボ祭に対する無差別攻撃の準備に追われている。生い茂った山林の中と影で、様々な武器の点検、攻撃対象の確認、実行における各メンバーの役割分担など、リーダーである久島健三ケンゾウから受けた指示の実行に余念がなかった。加担する理由も参加メンバーの年代もそれぞれだが、それがなんであれ、年齢に関係なく、容認が不可能な内容と行為なのは疑いない。


「――ああ。まさかこれほどの有名人に、裏社会ではなっていたとは、オレ自身、思っても見なかったぜ」


 比呂ヒロの視線に釣られて作業中のメンバーを見やった健三ケンゾウは、驚きと意外さに満ちた表情と口調で感想を述べる。


「――オイ、本当にいいのか? これで」


 そのメンバーの一人が、比呂ヒロの姿を認めると、作業を中断して歩いて来る。


「――あの落書きといい、今からやろうとしている事といい、どうして教えたりするんだ? わざわざ標的に対して。そんなことをしたら、いたずらに地元の警察や住人の警戒を強めるだけじゃないか。それじゃ、成功するものも成功しないぞ」


 どうしても拭いきれない不安と疑問を解くために。


「――それでいいんだよ、直道なおみちオジさん」


 比呂ヒロは笑みを作って年長の知人に応える。


「――そもそも、成功する必要もねェんだ。あの落書きがアスネを通して全国に拡散した時点でな」

「……どういうことだ?」


 首をひねる直道なおみちに、比呂ヒロは忍耐強く説明を続ける。


「――あの落書きの目的は、地元の住人や観光客に、不安と恐怖の種を植え付け、コラボ祭に対する期待と楽しみを奪うことなんだ。見ろ。それに関するカキコミの山を」


 比呂ヒロから精神感応テレパシー通信で送られて来たそれを、直道なおみちは受け取ると、自分の脳裏に投影表示させる。


「オイ、ヤベーよ。このコラボ祭」

「ヤダ、コワい。すごく楽しみにしてたのに」

「イタズラにしてはヒドすぎだろ」

「だれだよ。こんなことしやがったヤロウは」

「ウワサじゃ、あの連続記憶操作事件の主犯格だったヤツの仕業らしいぜ」

「げっ、マジかよ」

「しかも、コラボ祭が開催される地元の出身だそうだ」

「うわー、衝撃の事実」

「でも、ソイツ、その事件で捕まって、刑務所にブチ込まれたんじゃ」

「脱獄したんだろ。きっと」

「ウソだろ。そんなヤバいヤツが野放しになってんのか」

「警察なにやってんだよ」

「相変わらず役に立たねェ連中だぜ」

「まったくだ」

「税金返せ。この税金泥棒が」

「……おまえ、払ってんのか? その税金……」


 ――といった内容で。

 それはごく一部であり、しかもリアルタイムでカキコミが続いているので、読んでも読んでも終わりが見えない。

 ……ただ、読み進めば進めるほど、内容が本題から逸れていっているような気がするのは、気のせいだろうか……。


「――どうだ。すごいことになってるだろう。まさにもう一つの意味での『祭り』だぜ。ま、そのカキコミには、オレもさり気なく参加してるけどな。不安と恐怖を煽る目的で」

「……………………」

「――これでヤツらは純粋にコラボ祭を楽しめねェ。主催者が強行しようがしまいがな」

「……つまり、目的はすでに果たしたってことなのか?」

「ああ、そうさ」


 比呂ヒロの即答に、直道なおみちは疑問を深める。


「――それじゃ、どうして引き上げない? 無差別攻撃をしないって言うのなら、これ以上、ここに留まって、こんなことをしても――」

「――別に無差別攻撃をしないとは言ってねェよ」

「――なら、どうして落書きを――」

「――ああァん、もう。わかってねェなァ、直道なおみちオジさん。この前も言っただろう」


 少しも解けない疑問に苛立ちを募らせる年長者に、年少者も苦心を強いられる。


「――なんの予告や予兆もなく、いきなり無差別攻撃するより、事前に教えた上で実行する方が、効果は抜群なんだよ。当日になるまで、恐怖や不安を抱え続けてなければならないんだからな。怪盗の予告と同じさ」


 以前、『怪盗比呂ヒロ』として超常特区で活動を開始したものの、早々に捕まったパンチパーマの青年は、そんな黒歴史などおくびにも出さすに、例えとして持ち出す。

 だが、それでも、直道なおみちは食い下がる。


「――だが、地元の警察が――」

「――厳重に警戒しても、たかが知れている。地方の警察力なんて。ましてや、観光客にあふれたコラボ祭の中で、オレたちの動きを察知するなど、中央警察すら難しい。むしろ、警戒していたにも関わらず、無差別攻撃を許してしまったら、警察の面子は丸潰れ。世間からその無能さを非難され、赤っ恥をかかされるハメになる。だから事前に教えた方が効果的なんだよ」

「……だとしても……」

「――もし、実行が不可能なほどの厳戒態勢なら、それはそれで構わない。無差別攻撃を実行しようとしていた痕跡をそこら中に残して引き上げるだけさ。むろん、アスネにその現場の情報をバラまいて。これだけでも充分な成果だ。『テロ』としては」

「……………………」

「――要は労力と危険リスクに見合った成果を上げりゃいいんだ。それも、最小の労力と危険リスクでの、最大の成果を。それが『費用対効果コストパフォーマンス』っていうものさ。直道なおみちオジさんが第二次幕末でやったようなやり方は、労力と危険リスクに見合った成果は得られないんだよ。アスネが普及したこの時代じゃ、時代遅れもいいところだぜ」

「……しかし、労力はともかく、危険リスクが見合ってないぞ。そんなに大きな痕跡を残せば、必ず足がついて……」

「――そこは安心しろ。オレたちには大きな後ろ盾バックがついている。警察なんざ目じゃないほどの強力な集団グループがな。このテロで大きな成果を出して、認めさせれば、その集団グループに入れるんだ。名前くらい、知ってるだろう」

「……『ナンバーズ』……」

「――そう。その集団グループに入っちまえば、裏社会での人生は保証されたも同然。老後まで安泰ってことさ。だから、そんなに心配せず、頑張ってくれ、直道なおみちオジさん」

「……………………」


 直道なおみちの表情に納得や得心の笑顔が浮かぶ気配はない。

 釈然としないとも言える。

 だが、いまだ心中にわだかまっている不安や疑問を、言語として新たに変換できない以上、引き下がるしかなかった。


「――ふう、やれやれ」


 元の場所に戻った年長の知人が、中断した作業を続ける姿を見届けると、比呂ヒロはしょうがないヤツだと言いたげな表情で一息をつく。


「――これだから古い時代の人間は扱いにくいぜ。老害もいいところだな」


「……時代の変化について行けず、置いて行かれた人間の典型テンプレだな」


 そばで一部始終を聞いていた健三ケンゾウが、比呂ヒロと似たような表情を浮かべて同意する。


「――そんなんじゃ、裏社会でも取り残されるのがオチだろうに」

「――やっぱ誘うんじゃなかったかな。猫の手も借りたい一心で加えたんだが、ここまで人員あたまかずが揃ったら――」


 ――と、そこまで言った時、


「――あ、いたいた」

「――いたね」


 聞き覚えのある複数の声が、背後からかけられた。

 健三ケンゾウ比呂ヒロが同時に振り向くと、これも見覚えのある二人の姿が、そこにたたずんでいた。

 ロール型ツインテールと、ドリル型ツインテールの、異なる髪型と同じゴスロリ風の服装を身にまとった双子の女子である。


「――調子はどう?」

「――順調に進んでいる?」


 双子の女子に問いかけられた健三ケンゾウ比呂ヒロは、多少なりとも安堵した。適当なまでの過程と経緯で今回の加入テストを課したので、そのまま放置されているのではないかと、常に内心で危惧していたのだ。それ以来、一向に連絡が来なかったので。こちらから連絡しようにも、相手のテレ通番号が不明では、取りようもなかった。


「――ええ。上々です。これから次の段階に入るところです」


 健三ケンゾウがきびきびとした態度と口調で応じる。


「――そう。じゃ、お願いがあるの」


 ロール型ツインテールの女子に、なにが『じゃ』なのか、脈絡が不明な頼みをされた健三ケンゾウは、むろん、そんなことなど口には出せず、なにをお願いされるのか、用心深い表情で身も心もかまえる。


「――改造手術を受けて」

「……………………は?」


 脈絡だけでなく、突拍子もない内容の依頼に、健三ケンゾウが深く取った用心のかまえは脆くも崩された。


「――あたしの仲間の一人がそれにハマっててね。手頃な被験体を探してるみたいなの」


 それに構わず、ドリル型ツインテールの女子は理由と事情を説明する。


「――で、この事を話したら、一人寄こせって言われて、寄こすことにしたの」


 それも簡潔に。


「――だからお願い、改造手術を受けて」

「――受けて」

「いやイヤいヤイや」


 健三ケンゾウは反射的に頭と手を振る。むろん、これは拒絶の意思を示した動作である。


「――大丈夫よ、別に死んだりしないわ。だから、安心して」

「――安心して。生命いのちだけなら保証できる改造手術って言ってたから」


 双子の女子が無邪気な笑顔を作ったのは、相手を安心させるためであろうが、つけ加えた内容がまったくの真逆なので、


「いやイヤいヤイやっ!」


 当然のごとく、逆効果となった。


「――お願い、改造手術を受けて。この前の賭けに負けた借りがあるから、どうしても断れないのよ」

「――もし受けてくれたら、仲間集めに、あたしたちの集団グループ名を使ってもいいから」


 必死に懇願する双子の女子に、


「――あ、それならもう使っちまったぜ。直道なおみちオジさんに対して」


 比呂ヒロが思わず漏らした一言が、健三ケンゾウの運命を決定づけた。

 まさに、余計な一言だった。


「――あ、そうなんだ。それじゃ、これはお願いじゃなくて、命令ね」

「――命令だから、拒否権はないわよ」


 そう告げた双子の女子は、健三ケンゾウの両脇をそれぞれ抱えると、その踵を引きずって連れ去って行く。

 有無を言わさずに。

 無論、左右に首を振る健三ケンゾウの表情は、困惑と恐怖で彩られていた。


「――すぐに終わるから、それまで待っててね」

「――待っててね」


 そのセリフは、比呂ヒロに対して残したものである。


「――おっ。天真爛漫な双子の美少女とツインデートとは、うらやましいぜ。両手に花とはこういうことを指すんだな」


 他人ひと事のような羨望とその眼差しで見送る元凶を、健三ケンゾウかたきさながらな目つきで睨みつける。


(……生きて還れるかな、オレ……)


 巨大極まりない不安を胸中に満載して……。

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