雨夜の閑談3
「なんだか悲しいお話ね」
ティエラが青いまつげを伏せて言う。
「え、そうかな? 勇ましい話だと思ったけど」
零夜の言葉に、ティエラは不服そうな顔をする。
「女の人がかわいそう。だって村が平和になったって、みんなが笑顔になったって、その人の好きな人は死んじゃったんでしょ。それってすごく寂しいと思うなあ」
反論され、零夜は考え込む。自分の性別が男だからか、金細工師の男目線で話を聞いていた。愛する人を守るため、自分の命を投げうって敵を討つ。それは勇ましく、悲劇的ではあるがそれ以上に英雄的で、ある種の自己憐憫に似た憧れを抱かせる展開だ。
しかし、遺されたものからすればどうだろう。そう考え始めると、物語はまた違う側面を見せる。
「置いていかれる者の苦しみ、か……あんまり考えたことなかったな。キヤは、これはどんな話だと思う?」
「俺か?」
キヤは頬杖をついて、レイヤとティエラの議論を眺めていた。話を振られると「そうだなあ」と視線を遠くへ投げる。
「別に勇ましくも悲しくもない、ただのおとぎ話だろ。強いて言うなら……遺された者が悲しみを癒やすための話だな」
「悲しみを癒やす……」
復唱し、言葉の意味を汲み取ろうとする。血のように赤いキヤの瞳が、
「誰かが何かを守ろうとして死んだなんて、ありふれた話さ。それでも当事者以外が覚えてくれてるってのは、当事者にとっては救いにはならなくても、慰めにはなるんじゃないのか」
意外な発言に、零夜は目を丸くしてキヤを見る。言ってはなんだが大雑把で、感情表現もどちらかといえば雑な部類に入るこの青年から、ここまで感傷的な意見が出るとは思っていなかったのだ。
「キヤって案外、含蓄のあることも言うんだな」
「案外は余計だろコラ」
キヤの長い脚が零夜のすね辺りを蹴っ飛ばし、零夜は小さく「いてっ」と
「でも」
零夜とキヤのじゃれ合いに頬を緩ませながら、ティエラが言う。
「遺された人に寄り添うために作られたのなら、『チルミト谷の伝説』はお葬式みたいなものなんだね」
「葬式か」
乱れた寝具を整えながら、キヤが呟く。
「そうかもな」
ざあざあ。雨がいっそう激しく天幕に叩きつけられ、存在を主張するように騒ぎ立てる。日の出まであとどれくらいあるのか、見当もつかない。
「さて、次はどうする? 話してないのはレイヤだけだが」
「俺は話しただろ。タクシーの……」
「あーあーあー、そうだったそうだった」
怖い話を思い出したのか、キヤは薄手の毛布を
「お前は聞き役な。怖い話は禁止」
「分かったよ」
雨にまつわる怖い話は種々あるが、怖くない話を思いつかないため零夜はおとなしくキヤに従う。
「と言ってもな、俺はもうネタ切れだ」
キヤは「降参だ」と言わんばかりに両手を上げた。ただの童話ならば零夜ももっと話せるが、「雨に関連するもの」という縛りがあるだけでずいぶん手持ちがなくなってしまうものだ。
降参ムードは話の種だけでなく、真夜中に覚醒した意識にも忍び寄る。零夜はすっかり目が冴えてしまっているが、ティエラの元には睡魔が訪れつつあるようだった。船をこぐほどではないが、先程よりもまぶたはとろりと落ちかけている。
「ティエラ、眠い? 明かり消そうか」
零夜のいつもの悪い癖。ティエラに歳の近い妹の面影を重ね、つい彼女を子供扱いしてしまうその悪癖に、眠気に負けたティエラはおとなしく甘えることにしたらしい。頷いて、寝具に潜り込む。
「じゃあ、もう寝よう。おやすみ」
零夜の声と共に、天幕は再び闇に包まれる。「おやすみ」と、キヤとティエラが小さく返事をした。
とはいえ、眠れなかった。もう夜も
(外に出て、トケイグルマでも探してこよう)
零夜は音を立てないようにそっと起き上がり、雨除けの外套を羽織った。
トケイグルマはどこにでも自生しているミトラ共生植物で、季節や天候に左右されず、ただ時刻によってのみ正確に色や形状を変化させる。摘んでも丸三日はその性質を維持するため、旅路における時間の把握には重宝する。
明かりを持ち出し、布戸をくぐって外に出る。雨はなお酷く降っており、テント周りに掘った水路は、もはやほとんど用をなしていない。浸水していないのが不思議なほどだった。
キヤの言う通り、高台に野営していてよかったと、零夜は胸をなでおろす。これだけの降雨量ならば、低地はもっと大変なことになっているに違いなかった。
岩陰にトケイグルマを探しながら、零夜は聞いたばかりの異世界童話を思い返していた。
異世界にもまた長い歴史があり、そこに根付き語り継がれる物語がある。それは人々の夢想や想像の結実であり、脚色された史実であり、教訓や戒めを内包した事実でもある。それが巡り巡って、全く違う世界で生きていた自分の元へ届くのだから、なんだか不思議な感覚がした。
雨に打たれること数分、ようやくトケイグルマの小さな群生を見付け、零夜はしゃがみ込んだ。大きな花弁は中心に向けて濃く、雨の中でも褪せることのない
零夜は大ぶりの花をいくつか摘み取り、テントに戻ろうと
ぴちゃり。
背後に水音を聞き、零夜はその場で固まった。雨音とは確かに違う、濡れぼったい足音がぴちゃぴちゃ、ぴちゃりと断続的に響く。それと同時に、何人ものささやき声がかすかに耳に届く。ひそひそと内緒話をしながら、時おりクスクスと笑い声の交じるそのささめきに、零夜の背筋がぞくりと寒くなる。
「誰だ?」
外套の中で短刀を握り、零夜は意を決して振り向いた。しかしその緊張を裏切って、視線の先には雨以外に動くものなど何もない。それでも声はなお聞こえ、零夜の鼓膜を不気味にくすぐる。
「誰? ミトラなのか?」
零夜には、人間の声もミトラの声も区別がつかないことがある。問いかけに返事はない。耳を澄ませて、ささやきがどこから聞こえてくるのか確かめようとする。その声源は移動しており、どうやら雨と共に低地へと流されているようだった。
(やっぱりミトラだ。でも、なんだか……)
零夜は声の行く先へと視線を向ける。ぬるい雨と共にとめどなく流れていくささやき、ひそやかな笑い声。
そこに漠然とした不安感を覚え、零夜は小走りでテントへと戻る。あの声を長く聞いてはいけない、そんな気がしていた。
(雨が上がったら……)
外套の雨粒をはたき落としながら、零夜は考える。
(あの声の先に行ってみよう。なんだか嫌な予感がする)
キヤの話した、チルミト谷の伝説が思い出される。人に害なすミトラの
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