雨夜の閑談2
「……おしまい」
短い言葉で、ティエラは物語を締めくくった。
「山の
トポイの雲は平地には降りてこなくてね、雨はもたらさないの。だけどトポイが湿らせた山の草花が、やがて大地に雫を落とし、大きな川の流れを生むんだって。
役に立たないように見えるものでも、どこかで世界を支えているものだって、父さんがよく話してくれたな」
ティエラの青い瞳の先には、故郷の広大な自然が映っているのだろう。零夜も軽く目を閉じて、いつか訪れた、あの草原の光景をまぶたに描いてみる。陽光に照らされた鮮やかな緑と、どこまでも遠く続く空の青。その境界も曖昧に、天と地は
もしあのとき『トポイの雲』の話を知っていれば、零夜も山の峰に白雲を探したことだろう。
「ずいぶんおとなしい話だな」キヤが言う。「もっとこう、悪者と戦ったりやっつけたりはしないのか? アランジャ族らしいな」
「それって褒めてる?」とティエラが突っかかる。アランジャ族は争いを好まない温厚な民族だと、いつか零夜にそう説明したのはキヤだった。
「褒めてるとも。それがアランジャ族の良さだからな。さて次はどうする? 俺が話すか、レイヤが話すか」
「俺は……思いつかないんだよな。雨の話って。怖い話ならあるけど」
「怖い話? なにそれ、聞きたい聞きたい!」
思いがけず、ティエラが食いつく。迂闊な一言を後悔するが時すでに遅く、キヤも「へえ、怪談か?」と聞く気満々だ。
時刻は真夜中、外は大雨。
「じゃあ話すけど……題名は、そうだな。『雨夜の乗客』かな。ある雨の日、タクシーの運転手が……あ、タクシーっていうのは、遠いところに人を乗せていく、馬車みたいなものなんだけど……」
まずはタクシーというものの説明をしてから、話に入る。
ある雨の日の深夜、傘もささずびしょ濡れの女がタクシーを止めた。運転手に告げた行き先は墓場。恐ろしくなった運転手は、しかし乗車拒否をすることもできず、時おり背後を確認しながら墓場へと向かう。女は終始無言で、うつむいているその表情はよく見えない。そして墓場へ到着し、「着きましたよ」と言って後ろを振り向くと……
「そこには女の姿はなく、ただ女が座っていたはずの座席が、びっしょりと雨に濡れていたんだ……」
おしまい。と締めくくり、零夜はキヤとティエラを順に見る。二人とも、なんとも言い難い表情で固まっている。
「……なんていうか」先に言葉を発したのはキヤだ。「特に害もなく、進展もなく、起伏もない話だな。なんだが、その……」
「キヤが言いたいこと分かる」ティエラが、言葉少なに黙ってしまったキヤに続く。「なんだろう、怖いというか…………気味が悪い」
沈黙。ざあざあと降る雨の音。小さなカエルかミトラが跳ねたのか、ぴちゃんと響いた音に過剰に反応してしまう。
ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん。足音のようだ。天幕に映る影の揺らぎが、妙に気になる。風もない、誰も微動だにしていないのに、視界の隅で何かが動いた気がしてならない。砂嵐のような雨音の中に、かすかに誰かの声が聞こえたような……
「よし、怖い話は無しだな、無し!」
重たい空気を払うように手を叩いたキヤの視線が、不安げにテントの入り口に走ったことに、零夜は気が付かないふりをする。
「じゃあ次は俺の番だな。俺の故郷に伝わる話を……」
「あ、そういえば」
キヤの語りを遮り、ティエラが呟いた。
「雨の夜に亡者の話をしてはいけないって、父さん言ってたな。雨は色んなものを『つれてくる』から……」
「ティエラ!」
零夜とキヤが声を揃えて抗議する。「ごめん!」と慌てて謝る様子からして、悪気はなかったらしい。悪気はなくとも効果は抜群で、外の物音が余計に気になってしまう。
「お前ほんっといい加減に……まあいいや。続けるぞ」
不安感からくる恐怖を抑え、キヤは再び語りの体勢に入る。どうにかこの「怖い話の空気」から逃れようと、零夜もティエラもおとなしく聞く姿勢を取る。
「雨にまつわる話……『チルミト谷の伝説』だ」
昔々から紡がれるおとぎ話が、再び始まった。
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