『トポイの雲』


 昔、怠け者の羊飼いがいた。彼は名前をトポイという。トポイは子供の時分より怠け者で、ほかの子供たちが三里を歩いて羊を追うあいだ、草地に寝転び雲を数えていた。


 大人になっても、トポイの怠け癖は治らなかった。トポイの父は働き者で、たくさんの羊たちをよく従えていたが、息子の怠け癖をたいへん心配していた。

「わたしが健やかなうちはいいだろう。しかしいずれわたしが病に伏し、地へ還る日が来れば、トポイはとうてい生きてはいけまい」


 父親はトポイを呼びつけ言い聞かせたが、トポイは泣きながらこう言った。

「父さん、ぼくもに生きたいのです。皆と同じように羊を追い、日々の糧を得たいのです。

 しかしぼくのまなこは、美しいものから目を離せない。あの空をご覧ください。薄い雲がすうと伸び、地平の向こうへ続いています。ひとときでも目を離していれば、同じ姿はふためと見られない。

あの儚く美しいものを、どうして見つめずにいられましょう」



 困り果てた父親は、村のまじない師に相談をした。まじない師はホッホと笑うと「簡単なことだ」と言った。

「美しいものを嫁にとりなさい。愛するものと結ばれること以上に幸福なことはない。おまえの息子は人にあらず。人の姿をした雲なのだろう」

 それを聞いたトポイはたいへん喜んだ。

「ぼくは雲だったのだ。人の世が苦しく、日々が困難であったのは、ぼくが雲だったからなのだ」



 その夜、トポイの家の扉を叩くものがいた。村のものもみな寝静まった、深夜のことである。不思議に思いながらも、トポイの父が返事をした。扉の向こうに立っていたのは、若い娘だった。

「夜分におたずねいたします。こちらにトポイ様はおいでですか」

「トポイなら寝ているよ。おおいトポイ、お前にお客だよ」

 父親は家の奥に声をかけたが、返事はなかった。不思議に思い見に行くと、寝床にトポイの姿はなかった。間口へ戻ると、そこに娘の姿もなかった。そこだけ雨に降られたように、澄んだ水たまりがきらきらと、月の光を反射していた。


 そしてトポイは戻ってこなかった。ひとつきののち、父親の元へ便りが届いた。

「山の暮らしはかくもく、日々を雨粒と営みつ ただ春の細雨さいうのごとく 溶溶ようようたる生を見付けたり」

 山の峰に雲がかかっていたら、それがトポイの雲である。

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