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 撤退を始めて2時間が経った。相変わらず窓の外に広がっているのは水平線。艦橋のディスプレイもほとんどが表示を変えていない。時計を見ていなければ時間の感覚が狂っていただろう。

 こちらのレーダーからの電波によって逆探知されないように全てのレーダーは電源を切っている。そのため自発的に周囲の情報を集めることができない。こちらが現在得られる情報は目視か僚艦からの通信によるものである。


「例の艦隊は?」


「この辺らしい」


 ムサシは後方の海図台の上に人差し指を乗せる。その先が示すのはここから真北におよそ一六〇カイリ。相対距離はほとんど変わっていない。あちらも東進しているのだ。あの位置から東にあるのはサイパン島。あの島やその周辺の島々にクライアントである彼女たちが用意してくれた“港”があると思っているのかもしれない。


「この辺りには他に“港”はなかったはずだ」


「そのはずだ。それに数は十隻みたいだしな……」


「――“敵”の可能性が高いか」


 白夜は武蔵を通じて信濃に偵察機彩雲を一機だけ出させる。飛行ルートはマリアナ諸島を東側から北に回ってから、本命の艦隊に接近する予定だ。

 サイパン島に“港”が無いと知った後、針路をこちらに取るかもしれない。向こうが“港”と“敵”に気が付けば、必ず“敵”を殲滅し“港”を奪取するはずだ。白夜が先に相手を見つけていても、こちらに有利な位置取りをするには些か時間が足りない。そのため時間稼ぎのための偵察機を用意する。発見され次第遁走する偵察機を見たら、その先に母艦があると考えたくなる。餌に食らいついてくれたら針路を北東に変えてくれるかもしれない。


「しばらくは様子見だな」





 場所は移ってグアム島ドック。白色電灯によって照らされた建物に日光が少しずつ入ってくる。扉の隙間から伸びる光の帯はこれから海面を切り裂き進む彼女たちを照らしている。

 淡い灰色の巨大な箱からのし上がってくるのは、薄い灰色のロービジョンカラーに塗られた五隻の艦。ずんぐりとした巨体を誇る航空母艦信濃を筆頭に重巡洋艦利根、駆逐艦島風・夕雲・秋月がずんずんと海面上に姿を現す。


「本当に出撃して良いのでしょうか?」


「大丈夫よ。あの中にいて手も足も出ないよりかはマシでしょ」


 不安そうな顔をして尋ねてくるシナノに冥霞はきっぱりとした回答を示す。史実において戦力化が遅れに遅れ、爆撃機が飛来してくるたびに退避を繰り返していた彼女にとっては不安が募るのも致し方ないだろう。

 艦体を乗せたエレベーターが昇り切り、半地下ドックの扉が閉まると今度は海に面した乾ドックに海水が流し込まれる。滝のように流しこまれる海水は艦底の赤色を侵していって、しばらくすると完全に被い隠す。

 ドック内の水面と湾内の海面がほとんど等しくなると渠門が下がっていき、ドックが海とつながる。


「アーム解除、機関始動」


「宜候。ハンガーアーム解除。機関始動」


 艦が動かないように固定していた拘束が解除され、足元が少し左右に揺れる。また、主機関である反応炉に始動に必要な電力が注入され、これを上回る莫大な電力が反応炉から生み出され始める。これは艦内のありとあらゆる設備を十全に機能させても有り余るほどである。


「全て正常値です。航行・戦闘に問題ありません」


「出航。白夜たちとの合流地点に行くわよ。あとは任せるわ」


 恋人である白夜ほど操艦については詳しくない冥霞は最低限と考える部分の指示だけして、後は艦隊旗艦にぶん投げる。シナノならば上手くやってくれるだろう。


「頂きました。微速前進」


 艦尾にある四つの推進器が海水を後ろへ押し出し、艦を前へ押し出していく。信濃に続く形でその他の艦もドックから出ていく。出港と並行して信濃の甲板に白い機体がせり上がり、適当な場所に進んでから一機ずつ翼を回転させて飛び上がっていく。その様子を自身が作った白波すら見えない艦橋から白い服を着た冥霞は眺める。


「ところで――よくお似合いですよ」


 必要な細かい指示を一通り終えたシナノが装いを新たにした冥霞にコロコロと微笑みながら感想を述べる。

 冥霞が着用しているのは白い詰襟と白いズボン。肩には肩章のような濃紺のショルダーループがつけられ、さながら旧海軍の士官用第二種軍装のようである。“ようである”は冥霞の意図したものであり、白夜に内緒で作らせたものである。元の世界では、軽犯罪法第一条十五号違反するため断念していたが、どこの国家にも所属していない現在、何を着ようが自由である。飾緒かざりおにもこだわっており、こちらも旧海軍において使われていた銀色の副官飾緒を右肩から前部にかけて吊るしている。もちろん白夜の飾緒のついていない軍装モドキも準備済みである。


「早く合流して白夜に渡してあげないとね」

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