第三章:楽園‐シャングリラ‐/02
付いて来いと言われたところで、しかし霧子の移動距離は僅か五メートルにも満たない程のごく短い距離だった。
「ん」
彼女が指差す先にあるのは、保健室の隅にある床。どこにでもあるような安っぽい板張りの床だ。
一体どういうことなのかと翔一が首を傾げていると、すると霧子はスッとその場にしゃがみ込み。たった今指差していた辺りの床にそっと手を触れると……おもむろに床板を引っ剥がしてしまう。
遂に霧子が乱心したのかと思い、翔一は一瞬焦ったが……しかし彼女は決して床板を力任せに引き剥がしたワケではなく。何故か油圧ダンパー仕掛けで跳ね上がった床板、まるで車のボンネットのように跳ね上がった床の向こう側にあったのは――――薄暗い地下空間へと続く階段だったのだ。
「霧子さん、これは……?」
「隠し通路」ニヤリとして霧子が言う。「まるで忍者屋敷みたいだろう?」
そう、今まさに霧子が跳ね上げた床板は出入り口のハッチであり、巧妙に擬装された地下通路への入り口でもあったのだ。
――――地下通路。
これを見てしまっては、そう表現する他にないだろう。薄暗かった階段の向こう側は、ハッチが開いたのに連動して淡い暖色の明かりが灯り始めていて。開いた瞬間こそ真っ暗で先が見通せなかったが……しかし今では、うっすらと奥が窺い知れるぐらいの明るさはある。何処までも続いていくような、冷たいコンクリート打ちっ放しの壁が延々と続く、地下への道が翔一の前に現れたのだ。
「さあ、行くとしようか」
そう言った霧子は慣れた調子で外履きに履き替えると、二人に先んじて階段に足を踏み入れ、地下へと降りていく。アリサも同じように階段を下っていくから、翔一もそれに倣って外履きのローファー靴に履き替え、同じように地下通路の階段を下り始める。
バタン、とアリサが保健室の擬装ハッチを閉めると、淡い夕暮れの陽光は地下通路から消え失せ。少し肌寒いような冷たい地下空間の中を照らし出すのは、淡い暖色の明かりだけになる。その明かりを頼りにしつつ、霧子とアリサの先導に従い翔一は通路の奥へ奥へと向かって歩き始めた。
そうして歩くこと……三分も掛からなかったか。狭い通路を通り抜けて行き着いた先にあったのは、小さな地下鉄のホームのような場所だった。
これもやはり、地下鉄のホームのようだと例える他にない。横長の空間があって、その向こうに細長い列車が停車しているのだ。二両編成で……見たこともないような、それこそ五〇〇系の新幹線みたいな流線形をした、そんな不思議な列車が待ち構えていたのだ。
「霧子さん、それにアリサ……これは……!?」
行き着いた先にあった空間と、そして待ち構えていた謎の列車を前にして、翔一が戸惑いの声を上げる。すると霧子は白衣のポケットに両手を突っ込んだ格好のまま、首だけで彼の方に振り向くと「リニアモーターカーだよ」と答えた。
「H‐Rアイランド……蓬莱島に繋がっている、直通の高速鉄道。保健室以外にも幾つか学園に出入り口はあるよ。ちなみに、隣には車両乗り入れ用のトンネルも併設されているんだ。不測の事態でリニアが使えなくなった時の為に、ね」
「蓬莱島って……まさか、あの蓬莱島?」
海岸から見えるあの島のことを思い出しながら翔一が問うと、霧子は「その通り」と頷き、彼の予想が正しいことを認める。
「海岸の遙か向こうにある、あの島さ。君も知っているだろう? 表向きには国際的な科学研究の為の云々って建前になっているけれど、実際は地球防衛軍……あーっと、正確には国連統合軍か。まあ細かいコトは抜きにしても、正体は秘密基地なんだよ、あの島は」
「…………頭が痛くなってきた」
「行けば自ずと分かることよ。……ほら、アンタもさっさと乗りなさいな」
頭痛を堪えるように眉間を押さえていると、アリサにそう促され。本当に頭痛を覚えそうになるぐらい混乱しつつも、翔一は二人と一緒になって目の前の列車……リニアに乗り込んでいく。
車両の中は新幹線というより、どちらかといえば山手線みたいな在来の通勤列車のような造りだった。つり革の類こそ見当たらないが、横一列になったベンチシートが並んでいる光景はまさにそれだ。そんなベンチシートに、アリサは翔一と横並びになって。霧子は彼らの反対側、真正面の位置に脚を組んで座る。
やがて扉が独りでに閉まり、リニアが緩やかに発車した。窓の外に見えていたホームらしき空間の景色が消え、それこそ地下鉄のような黒一色に変わり果てる。
(それにしても、秘密の地下鉄道か)
翔一たちが暮らし、そして風守学院のある天ヶ崎市は……何というか、小高い丘の上にあるような立地なのだ。海抜は結構高く、十数キロ先にある海岸、つまり翔一がアリサと出逢ったあの海岸とはかなりの高低差がある。だからこのリニアは今、緩やかな下り坂を下っている状態にあると考えるのが適切だろう。リニアモーターカーの類は凄まじく高速だと噂には聞いているが、それでも島までは結構な距離がある。どれぐらいの時間で到着するのだろうか…………。
まあ、分からないことをあれこれ考えても仕方ない。今は分からないことだらけだ。だから翔一は頭の中を整理し、事情を心得ている二人に問いかけるべく、こんなことを呟いていた。
「地球防衛軍……いや、国連統合軍か。ということは、昨日のあの黒い戦闘機も?」
翔一の疑問に、対面に座る霧子が「ああ」と静かに頷いて肯定する。
「YSF‐2/A≪グレイ・ゴースト≫。アリサくんの機体だ。アレは確か……ええと、Yナンバーが付いてるってことはだ。先行量産型の一号機だったかな?」
「少佐、あんまり機密情報をペラペラと……」
「良いじゃないか。仮にも彼はだね、私の大事な親友の一人息子なんだ。それに……イザとなれば、コイツで記憶を綺麗さっぱり消し飛ばしてしまえば良かろう?」
溜息交じりに苦言を呈するアリサに対し、ニヤリとした笑みを霧子は浮かべると。すると彼女は白衣の胸ポケットから、何やらペン状の物を取り出した。
ステンレスみたいに銀色に光る、明らかに金属質の物体だ。それこそ何処かの映画で見たことがあるような、とんでもなく既視感のあるソイツが……霧子が見せつけてくるボールペンのようなそれが記憶消去装置の類であることは、彼女の口振りから翔一も暗に察していた。
「えーと、これの正式名称は何だったっけか。確かエレクトロ・バイオメカニカル・ニュートラル・トランスミッティング――――」
「普通にニューラライザーで良いでしょうに。……それに、コイツに記憶消去が効かないのは、現に一回試した少佐自身が一番分かっていることでは?」
「ふむ、それもそうか。確かにESPに対しては効果が薄かったね、このニューラライザーは」
「ったく……本当に」
アリサに言われ、霧子は今まさに気が付いたといった風な顔を浮かべると。そのペン状の物体……ニューラライザーというらしいそれをサッと白衣の胸ポケットに戻した。
ニューラライザーを仕舞う彼女の仕草を眺めながら、呆れて物も言えないといった風にアリサが小さく溜息をつく。そんな風なやり取りを交わす二人に対し、翔一は「……まさか、宇宙人と戦争してる、なんて言いませんよね」と、恐る恐る問うてみた。
出来ればそうであっては欲しくない。しかし翔一のそんな楽観的にも程がある期待とは裏腹に、アリサは「その通りよ」と即座に頷き。そして続く霧子の言葉はといえば、こんな感じだった。
「宇宙人、って言い方は語弊があるけれどね。まあでも、概ねそういう解釈で構わないか」
「冗談だろ……?」
霧子から告げられた途端、翔一は絶句する。思わず頭を抱えたくなるぐらいのことを二人にサラッと言われ、理解が深まるどころか更に混乱が強まっただけだ。
そんな彼の様子の何処が面白いのか、対面の霧子はニタニタとした嫌らしい笑みを浮かべながら、絶句する翔一に対して更にこんなことをうそぶいた。
「ちなみにメン・イン・ブラックも実在するし、都市伝説でも定番のUFO目撃情報ってあるだろう? アレもね、実は割と本物が混じってるんだ。
…………尤も、後者に関しては宇宙人の乗り物じゃあなくて、統合軍の空間戦闘機がたまたま目撃されてしまったものなんだけれどね。確かにアレは戦闘機というよりも、UFOの方がよっぽど近いかもだ」
茶化しているのか、それとも霧子なりに真面目に説明しようとくれているのか。どちらにせよ、今の彼女の言葉で翔一の絶句度が更に上昇したのは事実だ。
「超能力者に見たこともない戦闘機、地球防衛軍と宇宙戦争……か。夢なら覚めて欲しい気分だ」
「お生憎様、これは夢じゃなくて紛れもない現実なの。何ならアンタ、信じられないのならアタシが二、三発引っぱたいてあげましょうか? そうすれば、嫌でも現実だって分かるかも」
「いいや、遠慮しておこう……」
本当に夢なら覚めて欲しい気分だったが、しかしアリサにぶたれて痛い思いをするのも御免だ。翔一は未だ激しい混乱の渦に呑まれつつも、ひとまず二人から告げられたありのままの事実を、文字通り鵜呑みにするみたくそのまま受け入れることにした。
「……ま、詳しいことは着いてからゆっくり見聞きするといいさ。ここでうだうだと話していても、それこそ仕方のないことだからね」
言いながら、霧子は白衣の胸ポケットから取り出したラッキー・ストライクの煙草をスッと咥え、擦ったマッチでいつものように火を付ける。
そうすると、アリサは至極嫌そうな顔で「羽佐間少佐、禁煙! もうっ……!」と霧子の喫煙を疎めるが。しかし霧子は口に煙草を咥えたまま、ニヤニヤとしながら「カタいこと言うなよ、丁度午後のスモークタイムなんだ」と……意味の分からないことを口走るだけで、煙草を吸うのをやめようとはしない。
「午後のティータイムみたいに言われても、駄目なものは駄目だっての! ったく、煙草の煙と臭いがホントに嫌いなのよ、アタシは……!」
尚も吹かそうとする霧子に対し、アリサはあんまりにも露骨に嫌がって。それこそサッと席から腰を浮かせ、霧子から大きく距離を取るぐらいの始末だ。
「やれやれ……相変わらず口うるさいお姫様だよ、君は」
そんな風に大変露骨な拒絶反応をされてしまうと、流石の霧子も思うところがあったらしく。結果的に折れた霧子はやれやれと肩を竦めながら、仕方ないといった風に口から煙草を離し。懐から取り出した携帯灰皿に、殆ど吸っていないそれをスッと落とした。
二人がそんな具合なやり取りを交わしている内に、リニアは早くも目的地に到着したらしく。学院の地下にあったのと同じような地下鉄のホームめいた場所へ滑り込むように停車すると、閉じていた扉がゆっくりと開き始めた。
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