【29】全力疾走
ジャングルに戻ってきた三人は腰を上げた。見上げれば鈍色の空。このまま曇りが続いてくれると歩きやすいのだが、この空も長続きしないだろう。それがこの島の天候だ。
類はポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認した。
<8月1日 火曜日 17:06>
「日が暮れる前に歩こう」
「うん」と純希が返事した。
ジャングル一帯を見下ろせる場所を目指して歩いていた。浜辺に引き返すには、来た道を戻らなければならない。そのため、しばらくのあいだ傾斜面を下る。大地の泥濘に足を取られそうになりながら、ゆっくりと慎重に前進した。
明彦は、足元に注意を払いながら類に訊く。
「類、あのさ……囁きのこと、小夜子から聞いてないのか? 彼女にも聞こえていたかもしれないし……」
類は曖昧な返事をした。
「聞いてないような気がする。それに聞いてたら教えてるよ」
「気がするって……」ずいぶんと適当だなと思った。類は嘘をついている。つまり、小夜子にも聞こえていたということだ。「そうか、わかったよ。聞いてないんだな?」
類は言った。
「うん、聞いてないね」
三十年前と現在が繋がった。アメリカ人からカラクリの答えを説明されても理解できなかった理由は、おそらく囁き声が聞こえていたからだろう。小夜子は囁きに抗えずに、誰かを殺してしまったと考えるべきなんだろうか……。
だとしたら……仲間を殺害した小夜子にカラクリの答えを説明するはずがない。何度考えても腑に落ちない。
どちらにせよ、はっきりとした事情がわかってないのだから、類と浜辺で待機しているみんなを早く正気に戻さないと俺たちが危ない。衰弱している理沙が見えたとき、 ‟理沙の身を案じる必要はない” と囁いてくる声が聞こえた。俺はその命令に従わなかった。
類……。
囁きに負けて俺たちを殺すのか?
俺たちの友情ってそんなものじゃないはずだ。
この囁きにもきっと意味がある。いまはわからないけど、そのうちすべての謎を明らかにしてみせる。
「なぁ……」前を歩く類との距離が離れたところで、純希が明彦に小声で話しかけた。「デスゲームが起きたら綾香と健、ヤバくねぇか?」
由香里が懸念していたデスゲーム。あのときは馬鹿らしいと思っていたが、いまは一番の不安要素になっている。明彦も深刻な表情を浮かべた。
「俺もそれを考えていた……」
「あす浜辺に到着する。それから俺たちを交えて、みんなに打ち明けたほうがいい。ふたりだけじゃ危ないよ」
「そのほうがいいかもしれないな」
「つぎに学校であったらすぐに伝えよう」
「それまで何事も起きなければいいけど」
「そうだな。ところで、もう囁き声は聞こえないのか?」
「ときどき頭痛はあるよ。でも囁きに関しては、俺の精神力が勝ってから聞こえなくなった」
「それなら安心だ」
ふたりの会話がかすかに聞こえていた類の頭の中に囁き声が響いた。
デスゲームが起きようともカラクリを解いてはならない―――
俺はこの島に残るべきなんだ―――
囁きに支配されている類は、密かに笑みを浮かべた。
(俺は島に残る。そして理沙と永遠に……)
・・・・・・・・・
一方、浜辺で待機している一同は、流木に腰を下ろして頭を抱えていた。
由香里を捜したい。それなのにジャングルの奥に行くのが怖い。
幽霊の存在が捜索の妨げになっていた。だが、たとえ奥地まで捜索できたとしても由香里は見つからないかもしれない、と不安ばかりが募る。
(絶対に由香里を見つけたい……それなのに……どうすればいいの?)
重苦しいため息をついた綾香は、コップに目をやった。理沙が衰弱して見えた由香里は、学校から浜辺に意識を戻した直後、鍋の中の雨水を見て取り乱した。その理由は、水面に幽霊が見えたから。それに関しては全員が同じ意見だ。問題はコップと容器だ。
流木から腰を上げた綾香は、コップに歩み寄った。砂が付着したコップを手に取り、側面を確認する。自分にも衰弱した理沙が見えた。もしかしたら何か見えるかもしれないと思ったのだが、何度見ても発見時と同じ。
綾香の隣に屈んだ健もコップを見る。
「変化はあった?」
「ぜんぜん」
「由香里のやつ……何を見たんだろう?」
続いて容器を手にした綾香は、側面を確認した。これもコップ同様に発見時と変わらない。容器の側面にも何かが描かれているにちがいないのだが……。
「カラクリの答えに対する不安感がみんなから消えたら、誰かひとりくらいは何か見えるかもしれないよね」
(いまのあたしには何も見えない。明彦や純希が見たらどうなんだろう? 何か見えるだろうか?)
「明彦たちと学校で落ち合う前に、本来のみんなに戻ってもらわないと、謎解きが進まないもんな」
明彦と純希は、浜辺に到着したら自分たちを交えて話を切り出したほうがよいと考えていた。しかしふたりは、一秒でも早くいつものみんなに戻ってほしい。もちろん慎重に話を進めるつもりだ。覚悟を決めたふたりは、一同がいる流木に腰を下ろした。
道子が綾香に訊く。
「コップと容器に何か見えた?」
綾香は答える。
「何も……」
「やっぱり由香里は幻覚を見ていたんだよ。綾香たちも幻覚を見ている。理沙が衰弱して見えるなんてあり得ないもん」
「みんな異なるものを見ていたら幻覚だと思う。だけど、揃って衰弱した理沙が見える。つまり幻覚じゃない……」
「幻覚じゃないならなんなの? あたしたちには、いつもの理沙にしか見えない」
「それについて、落ち着いて聞いてほしい話があるの。みんなも聞いて」真剣な表情で話を切り出した。「島のカラクリを考えようとすると不安を感じていた。そのたびに、あたしと明彦には、もうひとりの自分が囁く奇妙な声が聞こえていたの」
斗真が訝し気な表情を浮かべた。
「もうひとりの自分が囁く?」
「そう……その声は、本来の自分とは真逆の考えを囁いてくる。抵抗は難しい。現にあたしも頭痛が続いている状態なの」
案の定、一同の顔から表情が消えた。綾香は、説明を続けることに恐怖を覚えた。
だが、怖気づくわけにはいかないので、健が続けた。
「俺にも不安感があった。でも純希にはなかったし、由香里にもなかった。はっきりとした将来の夢があるやつには、強い症状が現れるはずなんだ。
俺には大きな夢がないから軽くて済んだ。そして純希は、つねに現実的だ。だからあいつにはなんの症状も出ていない。もしかしたら死神は、夢のあるやつを潰したいのかもしれない」
美紅が言った。
「由香里には、将来の夢があったよ。小さいころからスイーツに目がないのは知ってるよね? 由香里の夢は、スイーツを目的とした世界旅行に出かけること。だから英語の成績はいつも完璧だった。いまはフランス語を習ってるって言ってたけど、これも立派な夢だよね?」
健と綾香は顔を見合わせた。美紅が言うとおり、由香里の夢はスイーツ食い倒れツアーに旅立つこと。本人から何度か聞かされていた。つまり……将来の夢は関係ないということになる。
それなら囁き声が聞こえる個人差をどのように説明すればよいのか……まちがいなく理由があるはずなのだ。だがいまは、個人差の理由を考えるよりも、彼らを正気に戻すことが先決だ。
「と、とにかく……」綾香は話を逸らした。「カラクリを追究しようとするたびに、みんなは謎解きから逃げようとしている。いまだって、みんなには囁き声が聞こえているはず。囁きに支配されては駄目。囁きに負けては駄目なの。このままだと島から脱出できない。あたしの言っている意味がわかるよね?」
美紅は綾香に言った。
「わからない……わかりたくない……」
一同の頭の中に囁き声が響く。
綾香と健の口を封じろ―――
カラクリを解いてはならない―――
しかし、囁き声が聞こえた直後、本来の心の声が頭の中に響く。
傷つけたくない―――
友達だ―――
だが、ふたたび囁き声が聞こえる。
喋れないようにすればカラクリは解かれない―――
ゲートは恐怖に満ちている―――
囁きに支配されるまでは必死にカラクリを解こうとしていた。それなのにカラクリの答えを拒否したくなる。
この島で起きている謎には理由があると明彦は言う。ひとつひとつに意味があるなら、カラクリの答えを拒むのにも理由があるはずだ。
流木から一斉に腰を上げた一同は、大きく目を見開いて、綾香と健を凝視する。
「カラクリに答えは必要ない……」
同じ言葉を口にする一同が怖くなったふたりは、逃げたほうが賢明だと判断した。ジャングルに潜む幽霊の存在が怖い。しかし、見通しのよい浜辺を走るよりも、植物に囲まれた茂みに入ったほうが姿を隠せる。急いでスマートフォンを手にしたふたりは、ジャングルに向かって全力疾走した。
一同は、逃げるふたりの後ろ姿を睨みつける。
「追う……追え……」
斗真は、視線の先に落ちていたバットほどの大きさの流木を拾い上げた。
「追え!」
結菜と道子が、逃げるふたりに大声を張った。
「逃がさない!」
光流もすさまじい形相だ。
「カラクリは解かせない!」
強い不安感と囁きから解放された時点で、なぜカラクリに恐怖を感じていたのか、その理由を覚えていない。潜在意識のどこかでカラクリの答えを理解しており、その答えは平和的なものではなく、自分たちにとって恐怖に満ちたものだったら、必死に抵抗する心理も理解できる。いま狂った一同に、カラクリの答えを訊いたら教えてくれるだろうか?
ジャングルの手前に立った綾香は、「カラクリの答えにビビってる暇があったら、その理由を教えなさい!」と命令口調で問う。
「馬鹿! 早くこい!」健は綾香の手を引いた。「何してるんだよ!」
「あたしはどうしてカラクリに怯えていたのか覚えてない! 知りたいの! そうすれば答えがわかる!」
「だからって、いまのあいつらに何を訊いても無駄だ!」
「この島からさっさと出たいの! 家のベッドで寝たいの! スマホだって使えない! もう限界なの!」
「俺だって同じだ! でもいまは逃げるぞ!」
綾香は、健とともにジャングルへ足を踏み入れた。身を隠すのに最適な植物が茂った場所は、もう少し先だ。必死で走るふたりは後方を振り返り、追いかけてくる一同に目をやった。
先頭は斗真だ。流木を手にしている。斗真のあとに続く一同も、恐ろしい形相だ。殺せという命令を囁かれたのだろうか? 友達に強打されてあの世逝きになるのは、乗客の幽霊に呪い殺されるより辛い。
息を切らして走るふたりは、背丈ほどの植物が茂った場所に目をやった。ここなら完全に姿を隠せる。急いでそちらへ走った。複葉を掻き分け、茂みの中へ入っていくと、ちょうどよい場所を見つけた。すぐさま植物の中に飛び込んだふたりは、腹這いになり、身を隠す。
一同が茂みの中へ入ってきた。息を潜めて、葉のあいだから様子を窺う。周囲を見回す一同は、必死にふたりを探している。
興奮気味の斗真が言った。
「ここにはいない。もう少し奥に行ってみよう」
翔太が返事した。
「そうだな」
結菜が言った。
「あのふたりは由香里とはちがう。答えに気づいた時点で必ず口にする」
斗真は結菜に顔を向けた。
「何がなんでも見つけ出さないと」
結菜はうなずく。
「絶対にね。じゃないとマズいことになる……」
美紅が耳を塞ぎながら呟く。
「答えなんて聞きたくない……聞きたくない……聞きたくないの……」
道子が言った。
「行こう」
茂みの奥に入っていった一同を確認したふたりは、ひとまず安堵する。この隙に逃げよう。背を起こして、来た道を忍び足で引き返し、後方を気にしながら前進した。明彦と純希が浜辺に戻ってくるそのときまで、身を隠せる場所を探さなくてはならない。
奥地に行き過ぎても遭難の心配や幽霊に遭遇する危険性がある。しかし……いまの一同に見つかってしまえば、それらよりも危険だと考えたふたりは、駆け足で奥地へ向かった。
「なぁ……」息を切らしながら健は訊く。「本当にもうひとりの自分の囁きなのか?」
綾香も息を切らして答えた。
「自分の声が頭の中に響くんだから、そうでしょ?」
「あいつらが俺らを襲うなんて信じられないよ」
「でも襲われてる」
「じっさいは死神の囁きかもしれないぜ。それぞれの声に似せた死神の囁きだとしたら……。それこそ、囁きに負けた時点でガチなデスゲームが始まる」
「それが死神の狙いだって考えてるの?」
「悲しみの結末だって由香里が言ってたじゃん。あいつはデスゲームを懸念していた。だからいくら捜しても見つからないんだ」
「たしかに由香里はデスゲームを懸念していた。でもあのときの由香里は、水面を見て取り乱した。そのあとコップと容器に驚愕して姿を消した。それがデスゲームと関係しているとは思えないよ」
「斗真なんか流木を振り回してたんだぜ。ラストがデスゲームじゃないなら、なんなんだよ? 怖すぎるだろ」
「この状況は、さすがのあたしも怖いよ。だけど、もしも死神の狙いがデスゲームなら、ゲートを通れるのは勝者一名のみ。最後のひとりになるまで闘う、それがデスゲームの条件だよね? それもこの島のカラクリを解いたうえで」
「カラクリを解く推理プラス、殺し合いっていう展開だったら、どうする?」
喋りながら走る体力は残っていない。健との話を中断させて、前屈みで息を整える。
「ちょっと待って、マジできつい……もう限界……」
健も綾香と同じ体勢で息を整える。
「俺も……」
背を起こした綾香は、健の質問に答える。
「本気でデスゲームが始まるなら、強い不安感から簡単に逃れられないと思うの。でも、あたしは逃れられた」
「かもしれないけど……」
綾香は、通常のデスゲームの流れを順序立てておおまかに説明する。
「最後まで狂ったまま殺し合う。そして勝者になった瞬間、正気に戻る。そのあと仲間たちの死を嘆き悲しみ、深く後悔する。どう? ありがちな展開でしょ? だからちがうと思う。なんかもっと裏があるような気がする」
「本格的なデスゲームが始まる前に、みんな正気に戻る展開だったら? そのあと、ガチで闘う」
「冗談でしょ? 正気でデスゲームしなきゃいけないなら、喜んで一生この島にいるよ」
「だよな、俺もそうする。この場でお前と殺し合えって言われても嫌だもん」
「でしょ? みんなだってそうするはずだよ」突然、頭痛がした。脈打つような痛みに顔を歪めた。「いった……なんのなのよ……」
「大丈夫か?」
綾香の頭の中に囁き声が響く。
カラクリを解いてはならない―――
生きていたい―――
「冗談じゃない……絶対にゲートを見てやる。むかつく……囁いている自分をぶん殴ってやりたいくらいよ……」
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ。負けてられないもん」
「少し休むか?」
「ありがとう。でも、休んでたらみんなに捕まっちゃう。そろそろ行かなきゃ」
「あいつらを正気に戻せる方法があればいいのに」
「ほんと」
ふたりは前方を見渡した。旅客機が墜落した初日に、全員で浜辺を目指して歩いた。その道を大幅に逸れることになる。かなり不安だ。それでも進むしかない。
ふたたび走り始めたそのとき、雨が降ってきた。鈍色の空に稲妻が走る。耳をつんざく轟音が周囲に響いた。
雨は嫌いだが、雨音が自分たちの足音を掻き消してくれる。それに身を隠すのにもちょうどよい。土砂降りのいまのうちに姿をくらませたい。
綾香は、着生植物が根を下ろした樹木の太い枝に目をやった。この上で夜を過ごしたほうが安全そうだ、と思った。しかし、登るための足場がないので、諦めて前方に視線を戻した。
そのとき、健が気になる茂みを見つけた。奥に進めば何かありそうな気がする、と直感が働いた。
「隠れるのによさそうじゃない? 行ってみようよ」
綾香は、健が顔を向けた方向を見た。
「そうだね、行ってみようか」
ふたりはそちらへ歩を進ませた。植物を掻き分けて進んでいく。すると、正面に洞窟が見えた。入り口は小さく、内部は暗くて見えないが、身を隠すために侵入することにした。
健は、恐る恐る少しずつ歩を進めた。
「蠍とかいないよな?」
「怖いなぁ」
「蠍がいないことを願って」
「うん……」
ふたりは洞窟に足を踏み入れた。天井のところどころに開いた穴から射し込むわずかな光が大地をぼんやりと照らしていた。内部は想像以上に広く、茶色く濁った水が流れていた。おそらく、軽飛行機が墜落していた急勾配の下に流れていた川に繋がっているはずだ。
周囲を見回したあと、奥まった場所を見つめた。この場に腰を下ろすよりも、洞窟の入り口から自分たちの姿が見えないところまで移動したい。子供でも遊べるような足場が続いてくれればよいのだが……目を凝らして確認しようとした。しかし、ここからではよく見えない。
「どうする?」健は綾香に訊く。「暗くてよく見えないけど行ってみる?」
「行ってみよう」
「そうするか」
足元に気をつけながら歩を進めるふたりの耳に雨音が響く。外は土砂降り。しかしここは、雨水が滴る程度だ。
「こんなにもいい場所があったんだね。わざわざ浜辺で雨に打たれなくてもよかったんだ。みんなが正気に戻ったらここにいよう」
「賛成」
「まずは、学校で明彦たちに現状を伝えないとね」
「でも倉庫はマズいだろ?」
「教室でいいんじゃない? あたしたちが倉庫にいなかったら、教室に確認しにくると思うの」
「そうだな、明彦なら機転が利くから大丈夫だな」
「純希だけだと心配だけどね」
「言えてる」
最高の隠れ場所を発見して安堵したふたりは、ゆっくりと歩を進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます