【19】逸れた道と喧嘩
浜辺で待機している一同は、瞼の裏に眩しい光を感じて目覚めた。就寝前は激しい雨が降っていた。いまは灼熱の太陽が砂浜を照りつけている。
あまりの暑さに顔を歪めて背を起こした斗真が、放置した幼虫に目をやった。やはり、海に沈めたときと同様に、幼虫は透明の膜に守られていた。
斗真は立ち上がり、手のひらに幼虫を載せて観察した。幼虫を覆っている膜の内部は、生命を維持するために適した温度や湿度に保たれているのだろう。
実験に使う目的で強引に土から掘り起こされた幼虫とっては熱砂の上はかなり厳しい環境だ。長時間放置しておけば、いずれ死に至る。
きのう類が注目した貝殻は、ここにも落ちている。貝殻はなんらかの理由で死んだ貝。だが、十三人が貝を殺そうとしても殺せない。
「自然の摂理で死んだ生き物」貝殻に視線を下ろした。「俺たちがこの島の生体の命を奪おうとしても、不思議な力に守られている」
綾香が、斗真の手のひらで蠢く幼虫を見ながら言った。
「あたしたちは、この島にとって部外者。島に時間は流れていても、あたしたちの体に時間は流れていない。部外者のあたしたちに、島の生き物の生死は制御できないんだろうね」
「だから狩りすらできないんだろうな」と言った斗真は首を傾げた。「でもさぁ、食糧があって身の安全が確保できれば、俺たちは永遠の十七歳。だったら、不老不死だよな? だって歳をとらないんだから。じっさいどうなんだろう?」
翔太が言った。
「だから俺はいろんな意味を含めて、自分たちの肉体に起きた変化を知りたいんだ」
ため息をついた斗真は腰を上げて、歩を進めた。
「けどさ、お前みたいに無茶してもその答えは謎だ」
翔太は訊く。
「どこに行くの?」
斗真は、手のひらで蠢く幼虫に視線を下ろした。
「こいつを元の場所に戻してくる」
綾香が言った。
「だったらあたしも行く」
翔太も一同に言った。
「俺も行ってくる」
道子が翔太に言った。
「また無茶しないでよ」
翔太は返事した。
「わかってるよ」
浜辺からジャングルへ歩を進めた三人は、茂みへ足を踏み入れた。斗真は、幼虫を掘り起こした場所に屈んだ。そして、大地の窪に幼虫を戻した。すると、幼虫を覆っていた膜が消えた。
「本来なら幼虫はこの土の下で蛹になる時を待った。綾香じゃないけど、俺たちに島の生き物の生死は制御できない」
綾香は言った。
「まるで、生命を脅かすあたしたちの存在を阻止しているみたい」
斗真は、大地に落ちた虫の死骸に目をやった。狩りができなければ、食糧の調達は不可能。空腹も耐え難い。自分たちが不思議な力に守られていないとすれば、全員が飢餓状態に陥る前に早くこの島から脱出しなくては新学期どころではない。
「腹減ったな……」斗真は空を見上げた。「ゲートはいつ見えるんだろう?」
綾香と翔太も空を見上げた。そして綾香が言った。
「太陽とも月ともちがう金色の光。見えるのは太陽だけ……」
翔太は水平線に目を転じた。悠然と空を飛ぶ鳥が見える。そして青い海がどこまでも続く。
「海の向こうにも光なんか見えない」
「なぁ……」斗真は訝し気な表情を浮かべた。「死神の目的はなんなんだ? 俺たちに何をさせたい?」
「さあな」翔太は首を傾げた。「飢餓状態の俺たちが互いの肉を貪り喰う悪趣味すぎるデスゲームでも見たいんじゃないの?」
斗真は言った。
「やっぱりそれを考えちゃうよな」
「だけど……本当にあたしたちが想像するような、えぐいラストなんだろうか……」明彦が考えていた疑問を綾香も感じていた。「カラクリを解く鍵は真実……そして現実を見る。何が真実で何が現実なんだろう?」
類たちは、旅客機の墜落現場に辿り着くまでにカラクリの答えを導き出せるのだろうか―――
・・・・・・・
そのころ、鬱蒼としたジャングルの奥地を歩く類たち三人は、自然が作り出した木々の天蓋の下を歩いていた。樹木の葉のおかげで強い日差しは遮られているが、相変わらず気温が高い。
三人は、額から噴き出す汗を拭った。死神の島にしては爽やかな鳥の囀りが聞こえた。周囲の光景も、テレビで観る南国の無人島と同じように見える。そして、広い空も現実世界と同じだ。
類は試しに大地を這う昆虫を踏んでみた。結果はいつも同じ。平然と大地を這い続けている。
なんらかの不思議な力が島の生体の命を守っている。小夜子も、島の生体は不思議な力に守られているようだったと言っていた。十三人は小夜子と同じ島で同じ体験をしている。しかし、漂流物が落ちていたとはひとことも言っていなかった。
(だったら波打ち際に放置されていた鍋とコップはいったい……現在と三十年前とではちがうのか? 何度考えても不思議だ。なぜ、漂流物が落ちているのか? 何かの拍子に現実世界から、こちら側の世界に流れ着いたのか? やっぱり……綾香が言うように、海の向こうにもゲートがあるのだろうか……)
考えを巡らせて歩く類が立ち止まると、ふたりも立ち止まった。相変わらず緑色一色の景色が周囲を取り囲んでいる。この先も高木が続いており、下草や低木が少ない。そのため歩くには最適だが、もうそろそろ足場の悪い大地に出てもよいころだ。
(へんだ……)
三人は焦りの表情を浮かべた。そのとき、どこからともなく腐敗臭を感じた。鼻を刺すような臭いに顔を歪めた直後、蠅が自分たちの目の前を通過していった。
(臭いの元はどこからだろう?)
鼻先に神経を集中させて、周囲の臭いを嗅ぎながら歩を進めてみると、少し先に大量の蠅が群がっている光景が見えた。そちらへ歩を進めた三人は、恐る恐る木々のあいだを覗き込んでみた。すると、仰向けで横たわる斃死(へいし)した猿が横たわっていたのだ。
腐敗した猿の腹部は裂けており、肋骨が昆虫の六脚のように開き切っていた。内部には液状化した内臓が見える。強烈な腐敗臭を発する蠅の巣窟と化した猿の死体に吐き気を催した三人は、すぐさまその場から立ち去った。
樹木に両手をついて息を整えた類は、嘔吐しそうになった。
「くっせぇし、気持ちわりぃ」
純希が屈んで胸をさすった。
「ひどい臭いだ。ゲロしそう」
明彦が厳しい現実を言った。
「墜落現場はこんなもんじゃない。腐敗した人間の死体だらけだ」
類は重苦しいため息をついた。
「わかってるよ、そんなこと言われなくたって」
純希は不安げな表情を浮かべて、ふたりに訊いた。
「あのさぁ……超心配になること言っていい? 浜辺に向かう途中で猿の死体なんかなかったよな? 俺たち、もしかしたら道に迷ってないだろうか……」
明彦も言う。
「俺もなんとなくそんな気がする……」
類の顔が青褪めていく。
「遭難だよな……」
純希は明彦に訊く。
「ヤバいよな?」
明彦は真剣な面持ちで言った。
「ヤバいだろうな……」
類が前方を指さした。
「もう少し進んでみよう。もしかしたら、わずかに道を逸れてしまっただけかもしれない」
不安な純希は進みたくない。
「いや、俺はいったん浜辺に引き返したほうがいいと思う。まっすぐ後ろを歩けばいいだけだ」
明彦が純希に言った。
「そう単純じゃない」
純希は言う。
「でも、いまなら引き返せる」
現実世界とは異なり、救助は望めない。類は前進しようとした。
「とりあえず歩こう」
純希が類に辛辣な言葉を吐いた。
「ちょっと待てよ、進んでどうするんだよ? 頭の中は理沙だけなんだし、ますます迷うだけじゃん。もっとしっかりしてくれないと困るんだけど」
類は、突然言われた嫌味に憤然とした。
「どういう意味だよ?」
純希は語気を強めて言った。
「どうもこうも、そういう意味だよ」
険悪な雰囲気。喧嘩は避けたい。明彦がふたりのあいだに割って入る。
「無駄な言い争いは体力を消耗させるだけだ。そんなくだらないことに体力を使うくらいなら、この状況を乗り切るために使おう」
「先生みたいな口調で言うのやめてくれない?」明彦に言ってから、純希は不満を口にした。「校内でもお前は倉庫の中にこもりっきり。みんな真剣に話し合っているのに、まるで他人ごとじゃん」
類は言い返した。
「理沙だって仲間だ! 俺たちを待ってるのにかわいそうだ!」
口うるさい明彦が類に注意するのではないか、と結菜は考えていた。しかし、短気な一面を持つ純希が、明彦よりも先に類に言った。
「現実世界に戻ったら思う存分イチャつけばいい! いまはカラクリに全神経を集中させるべきだって俺は言ってるんだ!」
「ふたりとも熱くなるなって」明彦はふたりの口喧嘩を止めようとした。「純希も落ち着け」
純希が明彦に訊く。
「お前だってそう思ってるんだろ?」
類が明彦に言った。
「明彦まで俺を責めるのかよ?」
明彦は類に言った。
「責める責めないの問題じゃない」
類は憤然とする。
「だったらなんなんだよ?」
真剣な面持ちの明彦は、冷静な口調で類に言い聞かせようとした。
「たしかに理沙はひとりで頑張ってくれてると思う。だけど、それとこれは別。カップルとして仲良くするのは一時的に我慢してもらわないとね。
俺も結菜とはあの夜だけだ。もちろん、人生初の彼女なんだし手ぐらい繋ぎたい気持ちはある。でもそれは、翔太や道子、そして光流や恵も同じだ。
現実世界に戻ったら、何もかもがいつもどおりなんだ。早く理沙に逢いたいなら、カラクリを解くことに集中するべきだ。全員が一丸となって頑張らないとゲートに辿り着けない」
ゲートを通るためにはカラクリを解く。それが必須。だからこそ、みんな真剣だ。それをわかっているものの、いつも以上に理沙が恋しくなってしまう。不思議なくらい魅かれてしまう。
「理沙が綺麗なんだ……」うつむいた類は言う。「すごく……綺麗なんだ……」
「は?」純希は顔をしかめる。「明彦が説明してもまだわからないの?」
明彦も呆れた表情を浮かべた。
「理沙は世界一の美人だって、学校でものろけ話を聞かされているから知ってる。だからあえて、こんな場所で聞きたくないかな。俺らが言いたいのはカラクリに集中してほしい、それだけだ」
「わかってるよ。俺だってわかってる、そんなことくらい」うつむいたまま類は言った。「カラクリについて考えようとする以上に、理沙のことで頭がいっぱいになっちゃうんだ。日がたつにつれて、理沙への想いが強くなる」
明彦は言った。
「目の前にいるのに触れられない。だから余計に恋しくなる。その気持ちは理解できるけど」
苛立った純希は、明彦の言葉の途中で命令口調で言った。
「何度も同じことを言わせるなよ。現実世界に戻ったら朝から晩までイチャつけ。ここでは我慢しろ」
類は声を荒立てた。
「わかってるよ、そんなこと!」
言い返そうとした純希の代わりに、堪忍袋の緒が切れた明彦が声を張り上げた。
「わかってない! 一生この島にいたいのかよ!」
ふだん怒らない明彦の怒号が周囲に響き渡る。驚いた類は身を強張らせた。
そのあと、反省しながら考える。
もっとしっかりしないとだめだ……疲れてくると心まで脆弱になるものなのかもしれない……。
ふたりが怒るのも当然だ。学校でみんなの前に一度も顔を出さなかったのは、理沙とのやりとりに夢中になってしまったからだ。
現実世界に戻れば、穏やかな日常生活が待っている。この島にいるかぎり理沙に逢えない。理沙を抱きしめるためにも、ふたりが言うように、カラクリに全神経を集中させるべきなんだ。それに、このツアーにみんなを誘ったのは自分なんだ。
「ごめんな……ふたりとも」反省した類は素直に謝った。「本当に情けなくてごめん」
明彦は類に確認した。
「集中できるよな?」
すまない気持ちでいっぱいになった類はうなずいた。
「うん。俺、どうかしてた」
明彦は口元に笑みを浮かべた。
「わかってくれたならそれでいいんだよ」
純希もきつく言いすぎたと反省して、類に謝った。
「俺もごめんな」
類は言った。
「いいんだ、俺が悪いんだし」
喧嘩寸前のところで一件落着した。しかし、自分たちが置かれている状況は一件落着しそうにない。どこを見ても同じような樹木が茂る迷路のようなジャングルでの遭難は命取りになる。
昨夜、あれだけ慎重に進もうと話し合ったのに……。
ため息をついた明彦は、大地に腰を下ろした。
「少し座って冷静に考えたい。純希が言うように浜辺に引き返すべきなのか、類が言うように先に進んでみるべきなのか……」
類と純希も大地に腰を下ろした。そのあと、純希が明彦に言った。
「だけど、お前言ったじゃん。方向感覚を失ったから浜辺に戻るのも単純じゃないんだろ?」
明彦は純希に訊いてみる。
「言ったけど……じっさいどっちがいいんだろう?」
純希にもわからないので自分の意見を言った。
「いまなら引き返せそうだし、俺としては浜辺に戻ったほうがいいと思うけど」
純希に訊いてみたものの、考えがまとまらない。
「どうしたらいいんだろう……」
気持ちを切り替えた類が言った。
「道を逸れてしまったのがわずかなら、墜落現場に辿り着けるはずだよ」
純希は言う。
「ジャングルナビがあれば一発なんだけどね」
明彦は純希に言う。
「ないものを言われても虚しくなるだけだ。せめて俺たちがいる位置さえわかったらいいのに」
純希は明彦に言った。
「それこそジャングルナビ」
純希の言葉に納得する明彦。
「だよな」
類が言った。
「俺は進みたい。しばらく歩いてみて辿り着けない場合は引き返そう。みんなが待っている位置に戻れる保証はないけど、浜辺のどこかになら出られるだろ?」
明彦は考える。
「だけど、このジャングルを行き来するのにも、俺たちの体力が持つかどうかが問題だ。やっぱり、おとなしく浜辺に戻ったほうがいいのかも……」
類は明彦に言った。
「浜辺に引き返しても墜落現場に答えがあるんだ。またジャングルを歩く羽目になる。そうなれば二度手間だし、それこそ体力的につらい」
小夜子たちは、確実な答えを求めて軽飛行機の墜落現場に戻った。ゲートを通るためには、必ず旅客機の墜落現場に戻らなくてはならない。
前方を見渡した明彦は言った。
「不安だけど、試しに進んでみようか。無理なら引き返せばいいんだし」
進んでみて無理なら引き返す。それなら少し歩いてみよう。不安だった純希も同意した。
「猿の死体は見たくないから避けようぜ」
明彦も猿の死体は見たくない。
「もちろんだよ」
類は一歩足を踏み出した。
「じゃあ行こう」
三人は、猿の死体が横たわる場所を避けて歩を進めた。だが、死体は見えなくても耐え難い腐敗臭が漂っている。嗅覚が感知したにおい分子は電気信号に変換されて、脳に情報が送られる。においを嗅いだだけで目にした光景が鮮明に甦るのは、脳に情報が記憶されてしまったからだ。だからだろう……思い出したくもない猿の死体が頭に浮かんでしまうのは。
こんな場所で遭難して、あの猿のようになりたくない。
あの猿はどうして死んだんだろう?
狩りすらできない島にいる自分たち。この島の生き物を殺めようとしても、不思議な力が十三人を阻止する。なぜ自分たちだけが生き残り、ほかの乗客は死んでしまったのか……。
十三人を島に送り込んだのは、ツアー会社に扮した死神。すべてを仕組んだのが死神なら、翔太が考えたようにみんなゲームの駒だったのだろうか……。生き残った自分たちと、死んでしまった乗客とのちがいはいったいなんなのか……。
考えを巡らせる類は、魔鏡の世界で死神と化した小夜子が、人間の生き死になどすぐにわかる、と言っていたのを思い出す。
「あのさ……生存者と死者のちがいについてふと思ったんだけど……」
明彦が訊く。
「何か閃いたの?」
類は言った。
「俺たちが生き残った理由はゲームの駒だったからだって、翔太が言ってたじゃん。あれ、まんざらじゃないかも……」
明彦は首を傾げる。
「どういう意味?」
類は説明する。
「ゲームを仕組んだのは死神なんだ。だったら、全人類がいつどこで何時何分に死ぬのか把握してて当たり前だよな? だって死を司る神なんだから。
ゲームを進行させるために必要な駒が俺たち十三人なら、ほかの乗客は……言葉が悪いかもしれないけど……捨て駒だったんだ」
純希には意味がわからない。
「わるい、俺には話が見えないんだけど……」
はっとした明彦は、類が何を言おうとしているのか理解できた。
「俺たちが最後の乗客で、彼らはすでに座っていた。初めから死人が乗っていたわけじゃない。あの日、あの時間帯、つまり、墜落時に死ぬ運命のひとたちがすでに乗せられていたんだ。
モニターツアーに登録した類は、ゲームを進行させる駒。やつらの目的は、その駒に脱出ゲームをさせることだった、それを言いたんだよな?」
「うん」類はうなずく。「死者と生存者には複雑なちがいがあるはずだって、ずっとそればかりを考えていたけど、じっさいは翔太の考えが正解だったんだ……」
単純すぎる―――
島のカラクリが複雑なのに対して、翔太の意見はあまりにも単純だったため、全員が気にも留めていなかった。
「もっと真剣に翔太の話を聞くべきだった」明彦は反省する。「あいつ最後までゲームの駒に拘っていたのに、適当にあしらうべきじゃなかった」
ようやく純希にも理解できた。
「なるほどな。俺たちは難しく考えすぎていたってことか」
類は言った。
「脱出ゲームをさせる目的で機体に乗せられた俺たちは守られていた。だから生きていられた。ほかの乗客は、明彦が言ったように、さまざまな事情であの時間帯に死ぬ運命のひとたちだったんだ」
純希は慄然とした。
「どっちにしても死ぬ運命……」
類は言う。
「ゲームを進行させていく駒の俺たちは、まだ死ぬ運命じゃない。だけど、死ぬ運命だったひとが、あの墜落の衝撃から逃れられたら、それこそ奇跡だ。人間には決められた運命があるのかもしれない……。俺たちには抗えない絶対的な運命ってやつが……」
明彦は言う。
「島の生き物の命を奪えないのは、それらがまだ死ぬ運命じゃないからだ。その命を脅かそうとする島の部外者の俺たちを阻止するために不思議な力が働く。そして彼らは、自然の摂理の中で生きて死ぬんだ」
類は言った。
「俺たちも飛行機が墜落する瞬間まで、その不思議な力に守られていた。だけどいまは、守られている気がしない」
明彦は言う。
「俺たちを守っていた不思議な力は、墜落後に解除されたはずだ。もし、いまでも守られているなら、空腹すら感じないはずだ」
純希は深刻な面持ちで呟く。
「つまり俺たちは不死身じゃない……」
「小夜子の時代も、いまも、それは変わらない」類は息を呑んだ。「致死量に達する血液が体内から失われた場合……俺たちは終わりだ……」
明彦も息を呑む。
「翔太が欲しかった正確な答えが出たな」
俺たち十三人は不死身じゃない―――
そして、全員がゲームの駒だった―――
墜落時のみ不思議な力に守られ、不死身になっていた。頭さえ無事なら徘徊できるわけではない。十三人の肉体は、現実世界の生身の人間と同じだ。
だが、現実世界との決定的なちがいは、食糧と身の安全さえ確保できれば、永遠に十七歳でいられることだ。
旅客機が墜落してから二日目の朝、スマートフォンの画面に表示された出航日のままの日付を見てからずっと……なぜ十七歳のまま年齢が止まってしまったのか、と疑問を感じつつも深く考えたくなかった。
考えたくない理由……それすら考えたくない……。
どうしてか心が拒む……。
ポケットからスマートフォンを取り出した類は、日付に視線を下ろした。自分たちの肉体は永遠に八月一日の繰り返し。食糧が確保できて、大事に至る怪我さえしなければ、不老不死のようなものだ。
しかし、ここには空腹を満たせる食糧がない。それこそ死体を喰うしかないのだろうか……互いの肉を喰らうだなんて考えたくもない。
あの腐った猿の死体を食えってか? 冗談はよせ。
島の滞在日数が長引けばどうしたらいい? たぶん……いや、このままだと長引くだろう。カラクリの答えがまったく掴めていないのだから。
食糧はどうしたらいい?
熟れて木から落ちた果実を食べるか、それとも旅客機の墜落現場のように倒木から採った果実を食べるか……それしか飢えを凌ぐ方法はないのだろうか?
折れた樹木……。
なぜ……墜落現場に根を下ろしていた椰子の木は、倒木になってしまったのか……。旅客機が墜落した衝撃で倒木になったとすれば、この島の生体は守られていないことになる。
二日目の朝に旅客機の墜落現場付近で落雷があった。本来なら落雷によって倒木になる運命だった樹木は、死神の都合で予定が早まり倒木になった? なんのために? 俺たちに椰子の実を収獲させるため? 生温いRPGじゃあるまいし、そんなわけない。
本当に謎だらけだ。俺たちの肉体が八月一日の繰り返しなら、この島のカラクリもなぜという疑問の無限ループ。
どうすればいいのか……。
頭を使うたびに腹が減る。歩くたびに腹が減る。糖分でも摂取したらいいアイデアが浮かぶだろうか。死神の気まぐれでもいいから、都合よく椰子の実でも落ちてないだろうか。
「腹減ったな……」考えごとをしていた類が言った。「チョコレートでも食うか」
明彦が賛成する。
「そうだな。雨が降らないうちに」
純希が嫌だと言わんばかりの表情を浮かべる。
「やつを食うときがきたか」
明彦が純希に言う。
「いまの俺たちにとってチョコレートは貴重だ。浜辺でも言ったけど薬だと思って食べたほうがいい」
純希は重苦しいため息をつく。
「くっそ不味いんだよなぁ」
類は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「だったら発酵が進んだ猿でも食べる? チョコレートが苦手なお前にあげるよ」
純希は顔を強張らせた。
「いらねぇ……」
明彦は思わず笑う。
「納豆を上回る発酵食品だ。体にいいかも。待っててやるから食べてこいよ」
純希は嫌々ながら言う。
「喜んでチョコレートを食べるよ」
類は背中から下ろしたリュックサックの中からチョコレートを取り出して、明彦と純希にふたつずつ渡した。
「チョコレートクリームみたいになっちゃってるけど味は変わらない」
腐敗した猿を食べる気になどなれないが、嫌いな食べ物に変わりはないので、純希はため息をついた。
「浜辺で食ったから知ってるよ」
明彦は、アルミ箔に付着した溶けたチョコレートを舐めた。
「パンに塗ったら美味しいと思う」
類も言った。
「パンかぁ、いいね。お腹いっぱい食べたい」
純希は言った。
「チョコレートを塗ったパン意外な」
類は、ふたたびスマートフォンの画面に視線を下ろした。
<圏外 8月1日 火曜日 15:33>
ポケットにスマートフォンを収めた類を見て純希は言った。
「何回見ても日付は出航日のままだ。もし死んだら十七歳からリセットされないのかな?」
類は純希に言った。
「そんなことができたら、小夜子は鏡の世界に幽閉されてないよ」
明彦は類に訊く。
「なぁ、小夜子はサバイバル生活をともにした誰かを殺したんだよな?」
「うん」類は答える。「ほかに誰を殺すんだよ、それしか考えられないじゃん」
「だよな」明彦は質問を続けた。「ところで、小夜子ってどんな雰囲気の子だったの?」
純希も言った。
「それ、俺も知りたい」
類は見たとおりに答えた。
「おとなしそうで綺麗な顔立ちの子だった。殺人を犯すようなヤバい女には見えなかったよ」
純希は言った。
「おとなしいひとほど逆上すると怖いってよく言うけど……」
明彦も言う。
「まぁ、ひとは見かけによらないし」
類は言った。
「かもしれないけど……考えれば考えるほど奇妙なんだよな。小夜子がひとを殺したとは思えないんだ。でも……殺したから死神になったわけだし、鏡の世界に幽閉された。もし、殺人を犯したとすれば、いったい何があったのか……」
純希は類に訊く。
「殺人を犯すってことは、何かとんでもない理由があったはずだ。本当に何も教えてくれなかったの?」
類は言った。
「うん。もっといろいろ訊きたかったけど、その前に死神になっちゃったから」
明彦は疑問を言った。
「類の話から推測すると、このゲームのエンディングは、無事にカラクリを解いてゲートを通り抜けるか、それとも理性を失って殺人を犯した者が鏡の世界に幽閉されるか、そのどっちかってことだろ? 俺さぁ、不思議なんだよ。殺人を犯したあと、どうしてゲームを仕掛けた死神になってしまうんだろう?」
純希は、冗談交じりに言った。
「死神増殖ゲームだったりして」
明彦は、純希の冗談に呆れる。
「そんなわけないじゃん」
「ちょっと言ってみただけ」
類は、死神に化した小夜子が言った言葉を思い出す。
「そういえば……死神であるのと同時に地縛霊だって言ってたな」
明彦は訊く。
「地縛霊? どういう意味?」
それは訊かれてもわからない。
「さぁ……」
「殺人を犯せば魂そのものが鏡の世界に閉じ込められてしまう。肉体と魂が永久に分離してしまえば、いずれ肉体は滅び、魂だけが鏡の世界に残る。つまり、思い出深い場所に取り憑く幽霊みたいな存在になるってことだよな? その幽霊がひとを呪い殺せば、地縛霊であり死神みたいなものだろうけど……」明彦は首を傾げる。「どうなんだろう?」
純希は言う。
「地縛霊って、その土地から逃れられない悪霊ってやつ?」
明彦は純希に返事する。
「悪霊だろうなぁ」
類はため息をつく。
「俺たちって、つい数日前まで怪談話にも興味なかったじゃん。どうやって考えればいいのか正直困るよな。まるで超常現象推理ツアーだよ」
純希は空を見上げた。
「超常現象推理ツアーねぇ……」
明彦も空を見上げる。
「マジで超常現象推理ツアーだよな」
類も空を見上げた。頭上を覆う樹木の葉の合間から見えるのは燦々と輝く太陽だけ。ゲートらしき金色の光はどこにもない。
「カラクリを解くどころか、どうしてっていう疑問ばかりが頭に浮かぶ」
純希は意見した。
「そうだな、疑問だらけだ。だけど、ツアー会社が小夜子の時代と同じだったんだ。つまり、俺らの状況に変化が起きたわけだから、浜辺でも謎を列挙してみたけど、めげずにもう一回やってみようぜ」
うなずく類。
「そうするか」
空を見つめていた明彦も純希の考えに賛成して、初めから順序立ててみた。
「まずは、類が登録したモニターツアーの運営者、『ネバーランド 海外』は死神で、三十年前に行方不明になった小夜子と繋がっている。
そして小夜子が三十年前に迷い込んだ異世界の無人島に、ゲームの駒である俺たち十三人が乗った飛行機が墜落した。この島では不思議なことに、眠れば意識が校内の鏡の世界に移動する」
純希が挙げる。
「島の生体は不思議な力に守られているから殺せない。俺たちも、身の安全と食糧を確保できれば永遠の十七歳」
続いて類が挙げる。
「カラクリを解く鍵は、真実を知り現実を受け入れること。その答えが墜落現場にある」
明彦が類に質問する。
「何が真実で何が現実? 俺の問いかけの意味がわかるか?」
類は明彦に言った。
「俺に訊かれてもわかるわけないじゃん。小夜子は何も教えてくれなかったんだから」
「いや、俺が訊きたいのはそういうことじゃないんだ」
「じゃあ何を訊きたいんだよ?」
「俺たち十三人が乗った飛行機は墜落して、島での生活を余儀なくされた。これは紛れもない現実だ。墜落現場には多くの死者が眠る。大破した飛行機を見るのも、死者を見るのも現実だ。そしていまこの瞬間も現実。夢を見ているわけじゃない」
「真実の中に現実がある」首を傾げた。「現在そのものが現実じゃないってこと?」
「それはないだろう」
「いまが現実じゃないなら、俺らはどこを歩いてる? 妄想の中にでもいるのか?」純希が自分の頬を軽く叩いた。「痛い。しっかりと現実だ」
三人は考え込む。
小夜子は何を言いたかったのか。
カラクリの答えは、ひとりひとりが理解しないと意味がない。
カラクリの正確な答えは墜落現場にある。それなのに墜落現場で答えを説明されても、小夜子には理解できなかった。
殺人を犯せば鏡の世界に幽閉される―――
類は言った。
「もしかしたら殺人を犯したやつに、カラクリの答えを説明したとしても理解できないのかもしれない……」
明彦は疑問を言う。
「だけどさぁ、アメリカ人の誰かが小夜子に殺されているなら、自分の仲間を殺したやつにカラクリの答えを教えようとするかな? ふつうは恨むはずだ。俺だったら友達を殺されたら絶対に許さない。三十年前、小夜子とアメリカ人とのあいだに何があったのか詳しく知りたいよ」
類は言う。
「そりゃ俺だって知りたいよ。それがわからないから頭を悩ませてるじゃん」
純希の顔が青褪める。
「ひょっとして、小夜子は島で殺人を犯したわけじゃなくて、サイパンに旅立つ前にすでに身近な誰かを殺していたっていうオチじゃないよな?」
明彦は首を傾げる。
「だから小夜子は意図的に駒にされたって? それはないだろ?」
考えをまとめようと思って始めた謎の列挙。しかし、反対に混乱が増す。類は頭を掻き毟った。
「あー、もうやだ! 考えたってわかんないものは、わからない! 墜落現場に戻ったら何か閃くだろ! もしかしたら墜落現場でいきなりゲートが見えるかもしれないじゃん! ピカーって煌々と光り輝くゲートが!」
「そんな簡単にいくわけないだろ」明彦は自棄を起こした類に言う。「墜落現場に到着するまでに少しでも考えておかないと、それこそ答えを見つけ出せそうにないよ」
「そんなこと言ったってわからないものはわからない! どうにかなる! なんとかなる!」
純希が軽く笑った。
「久しぶりに出たな。お前の得意の口癖が」
呆れる明彦。
「こんなときにそれ? 駄々をこねる子供と一緒じゃん」
「どうせ俺は子供だよ」楽観的な性格の類らしいことを言う。「だって、考え込んでも答えが出ないんだから、答えそのものがある墜落現場に戻って考えるしかないじゃん。カラクリを理解してなくても何か閃くだろう。それで、答えが見つかる!」
旅客機の墜落現場で何かを見落としていたとしても、現段階でそれを発見できる自信がない。だからこそ到着するまでに答えが欲しい。不安げな表情で明彦は呟いた。
「なんとかなるねぇ……。なんとかしないとヤバいよなぁ……」
類は明彦に笑みを向けた。
「そうそう、その調子だ。呪文のように唱えとけ」
明彦はため息をついた。
「大丈夫かな……」
もしかしたらカラクリの答えがわからなくても、何か発見できるかもしれない。ポジティブ思考の純希は前向きに考えた。
「なんとなるよな。大丈夫だ」
類は笑みを浮かべた。
「うん、大丈夫。その言葉を言うと不思議となんとかなるんだよ」
ふたりとは対照的な明彦は真顔で考える。
(本当になんとかなればいいけど。必死に考えても、‟なぜ” と ‟どうして” の繰り返しだ)
「とにかく墜落現場を目指そうぜ」と言った類は、ポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認した。現在、十六時二十分。約束の時間を二十分過ぎていた。遊びの待ち合わせなら二十分程度の遅刻は日常茶飯事。しかし、この状況での遅刻はみんなが心配する。「その辺で眠ろう」
ここ一帯は足場がよく、珍しく雨も降っていない。楽に倉庫に意識を移動できそうだ。一本の樹木を囲むようにして大地に腰を下ろした三人は、目を瞑った。
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