【17】リーフレット

 目覚めたのは夜明け前。鍋の中には雨水が溜まっていた。この謎もカラクリが解け次第、解決する。どれだけ考えてもいまの自分たちにはわからないことだらけだ。だからこそ、旅客機の墜落現場に戻り、謎の解明に挑む。


 天気が穏やかなうちに出発したい三人は、ミーティングを手短に済ませた。その内容は至ってシンプル。正午と十六時と二十一時に必ず眠り、倉庫で落ち合う。どんな些細なことも逐一報告し合うこと。それらを決まりにして、三人は濡れたジーンズとスニーカー足をとおした。


 トランクス一枚のほうが快適だが、生体が完全に守られている保証はない。足元の植物に潜む得体の知れない虫に刺されたときのことを考えると恐怖だ。それに、時間を確認するスマートフォンを収めるためのポケットも必要だ。よって、三人はジーンズとスニーカーに足をとおすことにしたのだ。


 その後、全員でココナッツジュースを分け合って飲んだ類は、オレンジジュースとお茶とチョコレートを収めたリュックサックを背負った。浜辺で待機する一同には鍋に溜まった雨水があるので、長距離を歩かねばならない三人が残りの飲料を持つことで意見が一致した。


 出発する準備は整った。二時間ほど歩けば軽飛行機の墜落現場に辿り着ける。ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出した類は時間を確認した。


 <8月1日 火曜日 5:40>


 類はふたたびジーンズのポケットにスマートフォンを収めた。その後、一同に見送られて、明彦と純希とともに浜辺から鬱蒼としたジャングルへ歩を進めた。


 すぐさま、視界を埋め尽くすほど鬱蒼とした植物が茂る大地が広がった。一歩足を踏み出すたびに、スニーカーの中敷きから雨水が上がって気持ち悪い。


 だが、それにも増して不快なのが、脚にまとわりつく湿ったジーンズだ。類は蒸れて痒くなる尻を掻いた。続いてふたりも同じ動作をとる。


 「尻が痒い」純希が言った。「なんか棲んでそう」


 明彦が言った。

 「現実世界に戻るころには汗疹(あせも)だらけの尻だな、きっと」

 

 純希は言った。

 「まぁ、濡れたスニーカーもジーンズも、そのうち慣れるだろ。どうせ、ずっとずぶ濡れだ」


 「風呂に入りたい」類の目の中に汗が入った。「いって……」


 類の後ろを歩く明彦が心配した。

 「どうかしたのか?」


 類は明彦に返事した。

 「なんでもない。大丈夫だ」


 明彦は言った。

 「そっか、それならいいけど」


 類は汗を拭った。ジャングルを歩くたびに感じてきた刺激的な痛みに慣れることはない。


 出発前に一同とともにココナッツジュースを飲んだ。水分を補給してもすぐに汗になり、体外へ排出されてしまう体質だ。“類は汗っかきだから” と、幼いころから夏の水分補給はこまめにするように母親に言われてきた。


 炎天の中を長時間に渡り歩けば、より多くの汗が流れ、体内から水分が失われる。新陳代謝がよすぎるのも善し悪しだと思いながら、汗で湿った前髪をかきあげて空を見上げた。


 雲の切れ間から柔らかな光が射している。


 太陽とも月ともちがう金色の光が見えたなら、どのような光景が空に広がるのだろうか。苦労と努力の末に見るゲートの光は特別で綺麗なはずだ。


 早く理沙を安心させてあげたい―――


 類は前方に視線を戻した。似たような植物は見飽きた。頻繁に降る雨にも嫌気が差す。


 ここが東京の空なら、一日中、晴れているだろう。しかし、この島では旅客機が墜落した初日のように、晴天が続く日は珍しいようだ。あれから毎日のように、雨が降ったり止んだりを繰り返している。


 きょうもまた遅かれ早かれずぶ濡れだ。それならいまのうちに水分補給をしておきたい。雨風に打たれながら飲むのは好きではない。


 だが、その前に時間を確認したいので、ポケットからスマートフォンを取り出して、画面表示を見た。


 <8月1日 火曜日 6:30>


 時間を確認した類は、ポケットにスマートフォンを収めた。

 「ティータイムにしねぇ?」

 

 「賛成。いまなら不味そうな生温いオレンジジュースでも飲めそうだ」純希が冗談を言う。「そうだ、レンジでチンしてがっつり熱くしたら、意外とうまかったりして」


 明彦が得意の薀蓄(うんちく)を言った。

 「ちなみにホットオレンジジュースは風邪にいいらしい」


 初耳だ。純希は驚く。

 「マジで?」


 類は訊く。

 「何それ? おばあちゃんの知恵袋?」


 「べつにおばあちゃんとか年配者から聞いたわけじゃないけど」明彦は教えた。「なんでも体を温める作用があるそうだよ」


 顔を強張らせた類と純希。


 類が言った。

 「これ以上、温まりたくないんですけど。どちらかといえば体を冷やす作用のある飲み物が欲しいかな。お前、わざと俺たちを不快にさせてるだろ?」


 「そんなことないよ」と返事した明彦も、ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認した。ここから一時間ほど歩けば、軽飛行機の墜落現場に到着する。ツアー会社のリーフレットを収めた小型金庫が気になるので先を急ぎたい。


 類も目的地に早く行きたい。

 「歩きながら飲もう」


 明彦は返事する。

 「そうだな」


 純希は言った。

 「不味そうなオレンジジュースからさっさと飲んじゃおうぜ」


 リュックサックを背中から下ろした類は、「生温いけど風邪予防になるかもよ」と冗談を言いながらオレンジジュースを取り出し、ふたたびリュックサックを背負った。ペットボトルのキャップを開栓し、オレンジジュースを三分の一飲んだ。いつも冷やして飲むオレンジジュースが生温い。


 「これ、熱くしても美味しくないと思う。将来医者になる男が推奨するナチュラルな風邪薬は微妙だ」後方を歩く明彦にペットボトルを渡す。「ほら、飲んでみろよ」


 ペットボトルを受け取った明彦は、オレンジジュースを口に含んだ。決まりきった感想を言ってからペットボトルを純希に渡した。

 「うん……。ふつうに氷が欲しいかな」


 喉が渇いていた純希はペットボトルを受け取り、オレンジジュースを飲み込んだ。生温いと余計に甘く感じる。

 「たしかに氷が欲しいね」


 三人はオレンジジュースを飲み干した。空になったペットボトルを持っていた明彦が訊いた。

 「これ、どうする? 何かに使えそうじゃない?」


 類は言った。

 「水筒の代わりになるよな」


 純希は言った。

 「ペットボトルだけ置いといても、翌朝には雨風で倒れてるだろうし、雨水を溜めるために必要な器がないと難しいと思うよ」


 明彦は純希に言った。

 「ペットボトルの下を土に埋めて固定したらいいんじゃない?」


 「よこせ」純希は明彦からペットボトルを奪い取り、躊躇わずに後方に放り投げた。「飲み口が小さいのにうまくいくとは思えない。ゴミ!」


 「あーあ、捨てちゃった」明彦は、後方の大地に転がるペットボトルを見て言った。「アイデアひとつで役に立ったかもしれないのに」


 純希は言った。

 「どうせ役に立たないよ。試したいなら、お茶があるからそれでやってみろよ」


 明彦は言った。

 「そうするよ」


 純希が放り投げたのは、飲み干して空になったペットボトルだ。だが……どういうわけか……飲み口からオレンジ色の液体が流れ出ていたのだ。それは紛れもなくオレンジジュース。


 自分で放り投げたペットボトルが気になった純希は、何気なく後方に顔を向けた。ちょうどそのとき、オレンジジュースが大地に染み渡り、ペットボトルが空になった。


 「やっぱり、取りに行くのは面倒だ」


 三人は雑談しながらしばらく歩を進めた。次第に、周囲に根を下ろす高木の数が減っていくと、低木や下草などの植物が足元を覆った。このまままっすぐ進めば、もうすぐ軽飛行機の墜落現場だ。


 探し物をするなら、豪雨よりも暑さを我慢したほうがましだ。このままの天気が続いてほしいと思った直後、急に空が曇り出し、雨を伴う突風が吹き始めた。


 このタイミングで降るとは……最悪だ。

 

 「異世界スコール大歓迎」そう思うしかないので純希は言った。「おかげで頭がクールダウンしたよ」


 降ってほしくなかったのにどうして降るんだよ、と本音を叫びたい類は “ヤケクソ” だ。

 「ほんと、頭がすっきり爽快だ。不思議と異世界スコールが好きになってきた」空を見上げた。「愛してるよ」


 明彦は真剣な面持ちで言った。

 「楽観的なのはいいけど、この土砂降りの中、大破した機体から小型金庫を見つけ出すって大変だよ」


 類は明彦に言った。

 「降ってきちゃったんだから、そんなこと言ったってしかたないじゃん。結菜が言ったように楽しんでやろうぜ」


 明彦は口元に笑みを浮かべた。やはり、完全にポジティブにはなれない。

 「お前らの性格が羨ましいよ」


 雨風に負けじと歩を進め続ける三人の前方に、軽飛行機の上部が見え始めた。歩行速度を上げた類にふたりもついていく。早歩きをしたのち、軽飛行機まで辿り着いた。改めて内部を覗いてみると、すべてが赤褐色だ。


 本当に血痕なのだろうか?


 軽飛行機が墜落したのは三十年前だ。長年にわたり雨風にさらされ蓄積された汚れが血痕に見えていただけなのではないだろうか?


 もし……これが血痕だとしたら、どう考えても操縦士のみの血ではない……。


 「なぁ……」明彦も、類と同じことを考えていた。「全部が血だったらみんな死んでるよ。俺たちは墜落した飛行機の中で血塗れの死体を見てきた。だから戦慄の記憶と重なって、血に見えただけだったのかも……」


 下草の葉を捲り上げた類は、髑髏を見る。

 「操縦士だけが死んだと小夜子に聞かされたときは、機内についた赤褐色の汚れが、ひとりの人間から噴き出した血だと思って鳥肌が立った。でも、冷静に見てみると長年の汚れに見えなくもない」


 純希は、擦り切れた座席をまじまじと見る。

 「つまり、三十年分の汚れってことか……」


 明彦は髑髏に違和感を覚えた。

 「あれ? なんかへんだ……」


 類は、屈み込んで髑髏を見つめる明彦に声をかけた。

 「どうかしたのか?」


 モンゴロイドとコーカソイドの頭蓋骨には、歴然としたちがいがある。将来は医者志望とはいえ、まだ高校生だ。なので人体模型や図鑑を見て勉強したから知っているという範囲だ。


 明彦は髑髏を持ち上げ、後頭部を観察し始めた。コーカソイドは後頭部に張りと奥行きがある。一方、モンゴロイドは骨格の横幅はあるが、後頭部に張りも奥行きもない。観察し終えた明彦は類に訊く。


 「同乗した四人は西洋人なんだよな? 操縦士はどうなんだ?」


 類は答える。

 「ふつうに現地のひとだと思うよ」


 「日系じゃなくて?」


 「ちがうと思うけど。どうしたんだよ、急に」


 「この頭蓋骨……コーカソイドじゃないんだ……」


 「モンゴロイドってこと?」


 「ああ。操縦士がコーカソイドなら、たぶん……この頭蓋骨は小夜子のだ」


 「マジかよ……」


 純希も戸惑う。

 「ちょっと待ってくれよ……。どういうことだ?」


 類は慄然としながら言った。

 「そうか……操縦士の体は跡形もなく野生動物に喰われたんだ。そしてカラクリが解けずに殺人まで犯した小夜子は、ここで眠りに落ちて鏡の世界に幽閉された。そのあと、肉体と精神が分離した状態で野生動物に喰われて死んだ。それしか考えられないよ」


 純希は言った。

 「なるほどな。死ぬ者と生きる者とのちがい。やっぱり……生体は守られているようで守られていないのか?」


 明彦はふたりに言った。

 「とはいえ……島の生体はまちがいなく守られている。だから小夜子のことも含めて、現段階ですべてを決めつけるのは早いと思う。もっと別の何かが出てくるかもしれないからね」


 純希が明彦に言う。

 「だけど、小夜子の髑髏がここにあるっていうことは、そういうことなんじゃないのか?」


 明彦は言った。

 「いま言っただろ? すべてを決めつけるのは早い。もっと慎重に考えたいんだ」


 純希は口元に笑みを浮かべた。

 「慎重にね、お前らしいよ」


 類は、悲しみの表情を浮かべていた。魔鏡の世界から学校の家庭科室へ引き戻される直前に、死神屋敷に訪れた若者ふたりは殺される。永遠に殺戮を繰り返す魔物になってしまった小夜子。


 「小夜子を救ってあげたい」自分たちと同じ状況に置かれて死んでしまった小夜子に同情する。「魂だけでもなんとかならないのかな?」


 純希は言った。

 「俺たちが無事にゲートを通り抜けて元の世界に戻ったら、その方法を探してみよう」


 明彦は拒否する。

 「わるいけど俺はもう関わりたくない。小夜子は殺人を犯したんだ。どんな理由があったとしても、絶対に許されることじゃない」


 たしかに明彦の言うとおりだ。だけれど、じっさいに小夜子と会話した類には、殺人を犯すような女の子に見えなかった。

 「かもしれないけど……」


 明彦は言った。

 「いまはやるべきことに集中しよう。探すものを探さないと」


 類はうつむいて返事した。

 「そうだな……」


 三人は、まず初めに機内を確認しようとした。軽飛行機を発見したときは、探し物をする予定はなかった。そのため、血に染まっていると思い込んでいた機内に侵入しようとはしなかった。しかし、類が小夜子に遭遇したことで状況が一変した。


 機内への侵入は、乗降口が大破しているので容易い。だが、不安要素がふたつ。機体の底が墜落の衝撃により湾曲していること、そして、いまにも崩れ落ちそうな老朽化した天井だ。機内に足を踏み入れた瞬間、体重によって機体が崩れてしまう危険性がある。なので、三人の中で最も体重が軽い純希が機内を確かめることになった。


 類が純希に言った。

 「気をつけろよ」


 明彦も純希に言った。

 「慎重にな」


 「うん」ふたりに返事した純希は、大地に落ちた乗降口の扉に視線を下ろした。「それにしてもこの機体の状態でよく生きてたよな」


 類は言った。

 「それが明彦が言った、生き残った者と死んだ者とのちがいってやつだろ? 俺たちも、この機体に乗っていた生存者と同じだ」


 明彦は類の言葉にうなずく。

 「そういうこと」


 純希は機内の操縦席に侵入した。古びた鉄の床の軋む音が足の裏に伝う。慎重に足場を選びながら、フロントガラスに目をやった。蜘蛛の巣が張っているかのような罅が入っており、墜落時の衝撃の強さを感じた。こんどはフロントガラスから操縦席へと視線を移して、周囲を見回し、左右の座席のあいだから身を乗り出して、後方の座席や床もくまなく確認した。しかし小型金庫はない。


 乗降口は大破している。墜落時に機体が激しく揺れたさい、小型金庫が外に放り出されたのではないだろうか? と考えた純希はふたたび大地に降り立った。


 「どこにもない。軽飛行機の周囲を探そうぜ」


 類が返事した。

 「そうするか」


 明彦が言った。

 「重たいかもしれないけど、扉の下とか翼の下も確認してみよう」


 雨はまだ上がりそうにない。薄紫色の空を駆ける稲光と激しい轟音が響く。類はずぶ濡れの顔を明彦に向けた。

 「お前が言ったとおり、雨の中、小さいものを見つけ出すって一苦労だな」


 「だから言っただろ? でも、愚痴ってもしかたない」明彦は、折れた翼の下に手を入れた。「始めよう」


 類と純希も翼の下に手を入れた。三人は「せーの!」と、かけ声を出して、翼を持ち上げようとした。だが、想像以上の重量に驚く。


 ポルトランドセメントを背負って歩くような力仕事が日常的な土木作業員なら、一度で持ち上げられるだろう。椰子の実を解体するだけでも腕が疲れてしまう三人にはつらい。それでもこの鉄の塊を持ち上げて大地を確認しなくては、くまなく探したとは言えない。


 類がふたりに言った。

 「もう一回やるぞ!」


 「せーの!」と、ふたたび気合を入れた三人は渾身の力を振り絞った。そのとき、翼と地面とのあいだに隙間ができたので、勢いよく持ち上げた。


 類が明彦に声を張った。

 「俺たちが支えてる! 早く下を確認しろ!」


 純希の腕が小刻みに震える。

 「くっそ重い!」


 明彦は合図を出す。

 「翼から手を放すぞ!」


 ずっしりとした翼の重量が類と純希の腕にのしかかる。明彦は、大地に視線を這わせた。小型金庫はどこにも見当たらない。


 「駄目だ、ない!」


 明彦が翼から離れると、ふたりは腕の力を抜いた。重たい金属製の翼が大地に落されると、泥水の飛沫が上がった。


 類が息を切らしながら言った。

 「扉の下も確認しないと」


 三人は休むことなく、錆びた扉に歩を進ませた。類と純希が扉を持ち上げると、明彦は大地を確認した。やはり、ここにも小型金庫はなかった。


 三十年前に放置された遺留品を探そうだなんて無謀な試みだったのだろうか……と考えながらも諦めたわけではない。もう少し粘りたい。姿勢を低くした三人は、大地に視線を這わせて小型金庫を探す。


 足下を覆う植物の下も確認する。葉を捲る手は、錆と泥に塗れている。この先も気が遠くなるほど、緑色の大地が延々と続く。


 (どの辺りまで探したらいいのか……平地だけでいいのだろうか?)


 背を起こした類は、急勾配に目をやった。

 「向こう側も見てくる」


 純希が類に言った。

 「俺らはこの一帯を探す。雨水で斜面が滑りやすくなってるから気をつけるんだぞ」


 類はうなずいた。

 「わかってる。じゃあ、行ってくる」


 由香里を抱えたまま滑り落ちたのだ。危険だとわかっている。周囲に根を下ろす植物を掴んで慎重に足を踏み出した。急勾配の大地を確認し始めた、そのとき、ふと転倒時を思い出した。


 あのとき、後頭部に強い衝撃を感じたあと意識が落ちた。あれは大地の質感ではなく、もっと硬かったような気がする……。


 類は急勾配から平地に戻り、転倒した位置を確認してみた。

 (石だったかもしれないけど……もしかしたら……)


 何をしているのだろう? と、類を見て同じことを考えた明彦と純希は首を傾げた。


 明彦が類に訊いた。

 「どうしたんだよ?」


 類は答えた。

 「由香里と一緒にここを滑り落ちたとき、何かに頭をぶつけて気絶したんだ」


 目を見開いた明彦は訊く。

 「それって小型金庫かもしれないってこと?」


 類は首を横に振る。

 「わからない。だから確かめてみたいんだ」


 純希が明彦に言った。

 「俺たちも一緒に見てみようぜ」


 「そうだな」


 ふたりも類に駆け寄り、急勾配を探すことにした。足元が滑りやすいので、周囲の植物を掴んでバランスを取りながら下っていく。そのさい大地も確認した。すると、土の中に半分埋もれている古びた小型金庫を類が発見した。


 「あった! あったぞ!」


 明彦と純希は、類に目をやった。そして、緊張を孕んだ面持ちの明彦が言った。

 「すごい……本当に見つかるなんて信じられないよ」


 せっかちな純希は、類を急かす。

 「早く中身を見てみようぜ」


 類は返事する。

 「わかってる」


 類は小型金庫を掘り起こし、取っ手を握って引き上げた。外観は錆びている。中身は大丈夫なのだろうか、と心配しながら急勾配を上った。


 息を切らして平地に戻った三人は、折れた翼に歩み寄った。大地に茂った植物が邪魔をしない翼の上に小型金庫を置いた。


 明彦が言った。

 「錆がひどい。もしかしたら簡単に開かないかもしれない」


 類が言った。

 「だったら飛行機のオーバーヘッドビンみたいに叩いてみる?」


 純希が類に訊く。

 「何それ?」


 類は純希に教えた。

 「墜落の衝撃で固く閉じたオーバーヘッドビンの扉を開けようとしたんだけど、開かなかったから叩いてみたんだ。そしたら簡単に開いたんだよね」


 電化製品の調子が悪くなると祖父ちゃんがよくやる、とふだんなら冗談を言うところだが、そんな気分にはなれなかった。真顔の純希は「俺が開けてみるよ」とふたりに言ってから、小型金庫の蓋を開けようとした。だが、まるで鍵でもかかっているかのように開かない。


 明彦が言った。

 「やっぱり駄目か」


 類も言う。

 「無理っぽいな」


 純希は、もう一度、開けようとした。だが開かない。諦めてふたりに訊いた。

 「ビクともしない。どうする?」


 類は言った。

 「無理矢理にでも」


 純希は類に訊く。

 「無理矢理ってどうやって? それこそ叩いてみたって無駄だと思うけど」

 

 類は言う。

 「叩かないよ」

 

 純希は不思議そうな表情を浮かべた。

 「じゃあどうするんだよ?」


 「俺たちはリーフレットさえ確認できたらそれでいいんだ。つまり、金庫をぶっ壊せばいいってこと」類は金庫を持ち上げ、注意を促す。「危ないから離れてろ」


 ふたりは後ろに下がった。純希は明彦に顔を向けた。

 「あいつどうするつもりなんだ?」


 明彦は首を傾げる。

 「さぁ?」


 類は、持ち上げた小型金庫を翼に向かっておもいっきり叩き落した。その衝撃で錆びついた蓋がはずれて、内部に収められていた遺留品が周囲に散乱した。

 「やった! 開いたってゆうか、ぶっ壊れただろ?」


 「さすがは類、強引だね」純希が言った。「早速、リーフレットを探そうか」


 大地に屈んだ明彦が一枚の写真を拾い上げた。そこには仲睦まじそうな六十代前半の西洋人の男女が映っていた。

 「この男のひと操縦士だな」


 類が写真を見る。

 「たぶん、そうだと思う」


 純希は言った。

 「写真はいいから目当てのものを探そう」


 不慮の死を遂げたひとの生前の写真。胸を締めつけられる思いがした純希は、写真は見ずにリーフレットを探した。


 明彦も手にしていた写真を翼の上に置いて、類とともに一歩踏み出した。


 そのとき、青褪めた顔の純希が、「見ろよ……」とふたりに右腕を突き出した。


 純希が手にしていたのは、『NEVER LAND』と文字がプリントアウトされたリーフレットだったのだ。


 驚いたふたりは純希に近寄った。純希の手からリーフレットを取った類は、表紙に掲載されている写真を見た。


 先端を切り取った椰子の実に二本のストローが挿されており、それを美味しそうに飲むカップルが映っていた。


 インターネット広告で見た『ネバーランド 海外』のホームページの画像とよく似ている。


 類はリーフレットを開いてみた。そこに掲載されていた写真も、ホームページに載っていた画像とよく似ていた。


 「なんだか『ネバーランド 海外』のホームページをそのまま切り取って貼り付けたみたいだ。ちがいは日本語か英語か、それだけだ」


 明彦が言った。

 「常夏の島のツアーは、カップルや新婚向けのプランも多い。だから掲載されている写真が似ていたとしても不思議じゃない。だけど……ツアー会社の名前が同じって……」


 純希が言った。

 「これがふつうにサイパンで見つけたとしたら、たまたま同じ名前のツアー会社だった、それで話は済むけだろうけど、この状況からして疑う余地はない」


 類は声を震わせた。

 「小夜子と俺たちは同じツアー会社によって、この島に滞在する羽目になったってことか……」


 純希は息を呑んだ。

 「それも死神が運営する最悪のツアー会社だ」


 明彦は確信した。

 「ツアーに参加していた四人以外に小夜子が助かっている。ということは……やっぱり生きる者と死ぬ者のちがいがどこかにあるはずだ。俺の考えはまちがえていなかった」


 類は明彦に訊く。

 「そのちがいを突き止められたら、俺たちが助かった理由もわかるってことだよな?」


 明彦はうなずく。

 「ああ……たぶんな……」


 類は明彦の肩を軽く叩いた。

 「期待してるぜ、なんでも博士」


 純希も明彦に言った。

 「俺も期待してる」


 いつもなら期待されてもプレッシャーになるだけだ。けれどもいまは、そのプレッシャーが必要なときなのかもしれない。それはやる気の起爆剤になるはずだからだ。明彦は、口元に笑みを浮かべて返事した。


 「頑張るよ」


 ようやく三十年前と現在が繋がった―――


 ツアー会社『ネバーランド』によって、旅客機の墜落というかたちでこの島に送り込まれたのだ、と推理した。このことを浜辺で待つ一同にも伝えなくてはならない。


 類はジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認する。約束の正午まであと一時間。


 雨が降っていようといまいと、下草や低木などの植物に覆われたここでは、腰を下ろすのも難しい。探し物は見つかったのだ。ここに留まる必要はない。


 類は言った。

 「行こう」


 純希が返事した。

 「そうだな」


 明彦は、類が持っているリーフレットに目をやった。

 「それ、どうするの?」

 

 類はリーフレットを持つ指先を緩めた。大地に落ちたリーフレットの上に激しい雨が降り注ぐ。

 

 自分たちは知りたかった情報を手に入れたのだ。不要なリーフレットなど持っていたくない。


 多くの死を招いた旅客機墜落事故。いったいなんの目的で罪もないひとびとの命を奪ったのか。これが死神の賭けごとだったとしたら……遊戯だったとしたら……。


 憤りを感じた類は、握り拳をつくった。

 (なぜこんな目に遭わなきゃいけなかったんだ……)


 現実世界の鏡の前で待っていた愛するひと。自分にも愛する理沙がいる。どれだけ逢いたかっただろうか……小夜子の気持ちが痛いほど理解できた。だからこそ切なくて涙が込み上げた。


 髑髏に近づいた類は、屈んで髑髏に話しかけるように言った。

 「小夜子……お前のこと救ってやれそうにない。ごめんな」


 純希は類の肩に手を乗せた。

 「行こうぜ」


 どんな理由があるにせよ殺人は許されない、と言い切った明彦は唇を結んだ。

 「…………」


 小夜子の髑髏に触れた類は、「さよなら、小夜子……」と別れを告げてから立ち上がり、ふたりに顔を向けた。「前に進もう」


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