【16】初体験とカップル成立
海が凪ぐ―――
何度か雨が降った。日没後も曇りだろうと思っていた。だが、漆黒の夜空に温もりを与える満月が眩い光を放ち、閃々たる星々がその周囲を囲んだ。
洋服を脱ぐことに恥じらいと躊躇いを感じていた女子が定位置にしていた場所に、一同の賑やかな声が響く。十代らしい騒ぎから抜け出した明彦と結菜が、その砂浜に腰を下ろしていた。今夜の結菜の表情はどこか色っぽく、少女から大人になろうとしているようだ。
「女の子はメイクと髪型ひとつで可愛くなれる。だからあたしは美容師になって、たくさんの女の子を綺麗にしてあげたいの」
「いい夢だと思うよ」一呼吸置いて気持ちを伝えた。「俺も将来のために頑張らないと。新学期が始まったら受験勉強で忙しくなるけど、好きな気持ちは変わらないから」
中学生のころに経験した苦い失恋を思い出した結菜は、双眸に涙が滲んだ。そのあとすぐに胸が熱くなった。“そのままの結菜でいい” と、明彦が言ってくれた最高の言葉のおかげで、つらい過去をようやく乗り越えることができたのだから。
「中学時代のあたしに言ってあげたい。ありのままを受け入れてくれる彼氏ができるから安心してもいいよって」
いつになく積極的な結菜からの告白に胸が高鳴った。好きな異性から想いを告げられる……いじめを受けて死にたいと思っていたあのころからは考えられないことだ。生きていてよかった。明彦はつらい過去を思い返したあと、いまの幸せを噛み締める。
「俺も中学生の自分に言ってやりたい。可愛い彼女ができるから諦めずに持ちこたえろって」
明彦は結菜の指先を握り、自分に引き寄せた。ふたりの体が近づき、肌と肌が密着する。速い鼓動を刻む互いの心臓がひとつになったかのように感じた。
上目遣いで明彦を見つめる結菜の表情は、十代の可愛らしさを残しつつも艶めかしさが勝る。小悪魔のような仕草と、潤んだ瞳に吸い込まれそうだ。
あとはこのまま―――官能の世界に身を委ねればいい―――
ずっと想いを寄せ合ってきたふたり。同じ恐怖を体験して、みんなと力を合わせて過ごすことで、以前にも増して仲が深まった。
それなら―――心だけではなく、体の距離も縮めたい―――
明彦は結菜を引き寄せ、愛しい唇に自分の唇を押し当てた。高温多湿の外気よりも、結菜の唇のほうが熱くて……しっとりと濡れていた。
互いに初めてのキス。明彦は女の子の柔らかな唇に感動を覚えた。それは思春期の男子の大半がいだく性的興奮。
そして、初めてに対する特別な想いをいだく結菜は、すべてを明彦に捧げる覚悟を決めていた。迷いはない。
腰を上げたふたりは、砂浜から海へと歩を進めた。穏やかな波を感じながら、抱きしめ合い、感情を確かめ合う。
人間は日々進歩していく。ふたりはまだ十七歳。成長過程の中で別々の道を歩むことになるかしれない。しかし、いまこの瞬間に嘘偽りはない。心にあるのは真実の愛だけ。
だからこそ互いに強く思う―――ひとつになりたい―――
ふたりはふたたび深く唇を交わして、身も心も焦がすような熱い恋と肉体の快楽を求めて、大人の恋への扉を開けた。
煌びやかな月明かりが溶け込んだ紺碧の海の中で身を合わせる。どんな場所よりもロマンチックに思えた。遠くで聞こえる一同の笑い声も些細なものだ。愛に酔いしれるふたりに特別な時間が流れる。
だが、浜辺で遊ぶ類たちにとっては、慣れることのない野宿の夜。散歩してくると言い残して帰ってこない明彦と結菜を心配した類は、周囲を見回した。
「あいつら遅くない?」
綾香が類の前に出た。
「ほ、ほら、あれだよ」
「あれってなんだよ?」
「ふたりともいいかんじだから」
「それは知ってるよ。俺が訊きたいのはどこに行ったのかってこと」
「たぶん、うちらがいた場所」
「心配だから見てくる。何かあってからじゃ遅いから」
一同は慌てて類の行く手を遮る。事前の打ち合わせもなしに気持ち悪いくらいに息が揃っている。これは重大な何かを隠しているにちがいない、とかんちがいした類は、一同を押し退けて前進しようとした。
「お前ら、俺に隠れて内緒話しただろ?」
綾香は慌てた。
「子供みたいなこと言わないの」
「どけよ。ふたりを見てくる」
「ちょっと待ってよ」
由香里が両腕を前に突き出し、類の体を押し返した。
「行っちゃ駄目! ふたりの邪魔をしないで!」
類は由香里に訊く。
「ふたりの邪魔ってなんだよ?」
経験豊富な健が、類の耳元で教えた。
「鈍いやつだなぁ。脱チェリー中ってことだよ」
類は驚きのあまり声を張り上げた。
「えぇ! マジかよ!」
由香里は健の腕を肘でつつく。
「もうちょっとロマンチックに言ってよね」
健は、童貞にさよならをする男子の気持ちを教えた。
「だってそうじゃんか。それに脱チェリーって、男からしてみればロマンチックなんてもんじゃない。人生最大、感動の瞬間だ」
類は驚きが止まらない。
「すごい急展開じゃん!」
「しー」健は、自分の唇に人差し指を添えた。「静かに。あいつらに聞こえたらムードが台無し」
類は明彦が羨ましい。鏡を割ったところで理沙に触れることすらできないのだ。
「だって超びっくり。俺なんか理沙と鏡の世界でしか逢えないのに」
少女趣味な由香里が言う。
「逢いたくても逢えない切ない気持ち。なんていうか遠距離恋愛みたいなかんじだよね。あたしは好きだよ、そうゆうの」
類は子供のように唇を尖らせた。
「なんだよ、ひとの気も知らないで」
純希が言う。
「いいじゃん、鏡の世界でもなんでも、彼女がいるんだから。独り身の俺なんて、鏡があってもなくても孤独だぜ」
斗真が純希に言う。
「新学期を迎えたら彼女でもつくるか」
楽しいことが大好きな純希は、嬉しそうに言った。
「他校の友達にセッティングしてもらって合コンはどうよ?」
斗真は言った。
「いいねぇ、賛成」
「そうゆうことなら俺も手伝うよ。お前らのキューピット役になってやる」と、笑ながら純希と斗真に言った類は、 “軽いノリ” で翔太と道子に訊いてみた。「お前らはつきあわないのかよ?」
翔太が道子に想い寄せていることは、みんな知っている。類は、告白できずじまいの翔太に勇気を与えたつもりだ。けれどもふたりは、すでにつきあっている。翔太は、照れ笑いしながら道子の手を握った。その光景を見て、一斉に驚きの声を上げた一同は、道子と綾香の喧嘩の仲直りを思い出した。あのとき翔太から道子に告白したのか、と理解した。
類は唇の端に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なになに? そうゆうこと?」
純希は僻む。
「なんだよ。独り者の仲間だと思ってたのに」
翔太は自慢気に言った。
「新学期を迎えて落ち着いたころに言おうと思ったんだけどね」
嬉しそうに道子に歩み寄った恵が言った。
「ラブラブじゃん」
(翔太に興味がないって言ったのは愛情の裏返しってことか)
道子は笑みを浮かべてうなずいた。
「まぁね」
斗真が翔太に言った。
「悔しいけど、おめでとう!」
翔太は嬉しそうに言う。
「斗真と純希も早く脱独り者できるといいね」
斗真は言い返す。
「なんだよ、超上から目線でイラッとする。絶対にいい女見つけてやる」
健が光流と恵に目をやった。
「このさいお前らもつきあっちゃえば?」
類は光流に言う。
「そうしちゃえよ」
突然、話を振られた光流と恵は驚いた。そして、光流が恵にさりげなく告白した。
「つきあっちゃう?」
この島から脱出したあと、つきあいたいと考えていたふたり。新聞記者になるのが夢の光流と、アナウンサーになりたい恵。報道関係に進みたいふたりはとても気が合う。
友達から恋人へ―――それはふたりにとって、ごく自然な流れ。ずっと両想いだった。恵は微笑みながら返事した。
「そうしようか?」
こんなかたちで恋人同士になるとは思わなかった。予想外の恋の進展で交際が少し早まった。光流は嬉しそうな笑みを浮かべて恵の手を握った。
しばし見つめ合うふたりに健は言った。
「カップル成立だね」
恵は健に言った。
「休日はデートもしてたし、あたしたちはつきあってるようなものだったから」
健は祝福する。
「ラブラブなアピールごちそうさま」
羨ましいそうに由香里が言う。
「いいなぁ、あたしも彼氏が欲しい」
純希が由香里を誘う。
「じゃあ一緒に合コンしようぜ」
由香里は満面の笑みを浮かべてはしゃいだ。
「やったー! 賛成! 新学期そうそう合コン! 超楽しみ!」
美紅も慌てて手を挙げた。
「あたしも参加する!」
由香里は純希に注文した。
「イケメン紹介してよね」
純希は首を傾げた。
「俺様よりイケメンっていないんじゃね?」
由香里は言う。
「レベル低すぎ」
純希は言い返した。
「それ、どういう意味だよ」
一同は高らかに笑った。仲間内から三組のカップルが誕生して、心が温かくなった。どこまでも広がる夜空に、明るい笑い声がこだました。
謎のヒントすら掴めていない。謎解きを楽しむと決めたとしても現状は最悪だ。この島も最悪。
けれども―――一同にとって最高の青春が確かにここにあった―――
斗真が腕時計に視線を下ろした。
「十時半だぜ。理沙が待ってるよ」
「ヤバい、もうそんな時間なのかよ。倉庫に行かないと」類は、明彦と結菜がいる場所に目をやった。「あいつらはあとで来るだろうから、俺たちは先に行って待ってよう」
斗真もうなずく。
「そうだな」
純希がふと疑問を言う。
「どうしていつも自分たちの教室の前で目覚めるんだろう? 倉庫で目が覚めればいいのに」
類は純希に言った。
「意識を集中させれば、自分たちが望む場所で目覚められるかもしれない。残念ながら校内にかぎるけど」
純希は言った。
「試してみない?」
綾香が砂浜に横になった。
「それ、あたしも試してみたい」
一同も砂浜に横になり、類が言った。
「さっそく試してみよう」
意識を集中させるだけの簡単な試みだ。家庭科室の姿見を割ったときのように、予期せぬ事態に陥る可能性はないだろう。一斉に目を瞑り、意識を集中させた。
瞬時に外気のちがいを感じて目を開けると、思ったとおり倉庫の鏡の前だった。スマートフォンの画面の光を照らして、こちらを覗き込むようにして座っている理沙の姿が鏡に映っていた。
類は到着を知らせた。
《遅れてごめん》
「遅い」と、まるでデートに遅刻した類を軽く叱るかのように理沙は言った。
浜辺ではカップルが誕生した。そして、鏡の世界では類と理沙がカップルだ。今夜は昨夜とは異なり、理沙への報告はない。旅客機の墜落現場に戻ることについては、類から理沙に説明するだろう。あすから忙しくなるので、いまだけでも類と理沙をふたりきりにしてあげたい。
翔太が類に言った。
「俺らも自由にやってるから、類は理沙と楽しめよ」
「ありがとう」
類が翔太に礼を言った直後、明彦と結菜が倉庫に現れた。ふたりもここに意識を集中させて眠りに就いたのだろう。いままで体を重ね合わせていたふたりだが、カップルらしさはいっさい見せなかった。理由は、気を引き締めてカラクリに挑みたいからだ。難しい問題に直面するたびに、みんなに頼られる明彦。自分が中心になって島のカラクリを解かなくては、とプレッシャーを感じていた。
「ごめん、待った?」
「いや、ぜんぜん。俺たちもいま到着したばかりだよ」純希は、明彦と結菜に何も訊かずに、類と理沙に目をやった。「いまはあいつらをふたりっきりにしてあげよう」
類の元気の源は理沙だ。明彦は笑顔でうなずいた。
「うん。俺たちは廊下に出て、あしたからの打ち合わせをしよう」
純希は類に言った。
「お前は理沙と仲良くしてろ。だけど、あしたからカラクリに集中してもらうからな。今夜は特別だ」
類は純希に返事する。
「わかってる」
一同が廊下に出ると、類は鏡に息を吐きかけて文字を書いた。
《ふたりきり》
「みんなは?」
《廊下》
「あたしも鏡の世界に行きたい。類やみんなに逢いたいの」
不謹慎だが理沙を巻き込まなくてよかった、それが不幸中の幸いだと思っていた。類は話を逸らした。
《すぐに帰るから》
「うん。でも超心配だよ」
理沙に触れたい。類は、鏡に映る理沙の顔をそっと撫でた。理沙の姿は見えても、体温は感じられない。現実世界で理沙を抱きしめたい。理沙が愛おしい。
《大丈夫だ》
悪戯っぽい笑みを浮かべて、類の口癖を言った。
「なんとかなる、でしょ?」
《うん なんとかる》と返事を書いて、あすからの予定を理沙に打ち明けた。《早朝から墜落現場に戻る》
「どうして? ジャングルで迷ったらどうするの? 危険すぎる」
現実世界に戻るために必要なことなのだ。
《心配いらないよ》
家庭科室の姿見を割った直後、類が消えた。無事に戻ってきた類を励ましたかった理沙は、鏡の世界で何があったのかをあえて訊かなかった。
危険を覚悟して事故現場に戻るのは “それなりに理由” があるからだ。それは訊かなくてもわかる。だけれど、いまは類の彼女として “それなりの理由” が知りたい。
「家庭科室の鏡の中で何が起きたの? それが関係してるんでしょ?」
鏡の世界では理沙がいなければ、ドアすら開けられない自分たち。現実世界だろうと異世界だろうと、理沙とは一心同体なのだ。心配をかけたくないから黙っていた。しかし、それでは余計に心配をかけてしまうことになる。
類は説明した。
《あのとき おれの体は 魔鏡に移動した》
予想外の返事に目を見開いた。
「魔鏡って、死神屋敷の?」
《うん》
「どうして魔鏡なんかに……」
《わからない》鏡に息を吐きかけて説明を書き続ける。《そこで行方不明になっていた少女に会った 彼女からいろんな話を聞かされた》
「行方不明の少女って……まさか……だって、その子が行方不明になったのは三十年前だよ」
《でも 彼女とおれたちの状況が同じなんだ》
「うそでしょ?」
《しかも 彼女がいた島とおれたちがいる島も同じだった》
「そんな……」驚愕した理沙は、旅客機の墜落現場には島と現実世界を繋ぐ出入り口があるのだろう、と話を理解したので訊いてみた。「『ネバーランド 海外』との関係は?」
リーフレットを収めた小型金庫さえ発見できれば、はっきりするはずだ。見つかる可能性がわずかでもあるなら、それに賭けたい。
鏡に息を吐きかけて返事を書く。
《いまはわからない》
現実世界と異世界。この隔ては愛では乗り越えられない。類たちを心配しても、現実世界にいる自分にはどうすることもできない。
「あたしと類を繋ぐ唯一の場所はここだけ。墜落現場に戻る途中も必ずここに来て」
《あたりまえじゃん》
類は鏡に息を吐きかけて手のひらを押し当てた。現実世界の鏡に類の手形が映し出されると、理沙はそこに自分の手のひらを重ねた。そして、鏡にそっとキスをした。こんどは類が、その愛しい唇に自分の唇を押し当てた。
類が鏡から唇を離すと、理沙も鏡から唇を離した。幾度となく唇を重ねてきたふたり。理沙から類が見えなくても、キスの感覚は唇が覚えている。
理沙には、鏡の向こうに類がいるとわかっている。だが、鏡には自分の姿しか映っていない。ひとりぼっちの暗い室内に座っているのと同じ。
寂しそうな表情を浮かべて鏡を見つめている理沙の気持ちを明るくしたかった類は、笑みを浮かべながら鏡に息を吐きかけて文字を書いた。
《翔太と道子 光流と恵 明彦と結菜がつきあった》
「ほんと?」目をぱちくりさせた理沙は、思わず歓喜の声を上げた。女子はいつでも恋愛の話が好き。「いいかんじだったもんね。いつも思ってたの、どうしてつきあわないんだろうって」
《告るタイミングってやつじゃない?》
「新学期が楽しみだね」
《うん》
真剣な面持ちで類に言った。
「一緒に新学期を迎えようね」
《もちろん》
「約束だよ」
ふたりはもう一度キスを交わした―――
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