【1】プロローグ

 遡ること半年前―――


 『抽選一組様限定! 夢のサイパンへ六泊七日の旅 無料でサイパンに行けるモニターツアー募集中』というびっくりするようなインターネット広告を目にした。


 ツアー会社名は『ネバーランド 海外』―――

 

 創業したばかりの超格安海外ツアー会社で、今回に限り、無料モニターツアーを開催していた。それも飛行機の予約や旅先のホテルや送迎まで無料で手配してくれるなんとも太っ腹なツアーだ。添乗員もいないし、旅先のプランも決められていない。ほとんど個人旅行みたいなものだから、現地を案内してくれる添乗員がいないと不安だというひとにとっては、不向きなモニターツアーかもしれない。だけど、自由気ままに歩くのが好きな俺にとっては最高だ。それに登録も当選後の手順もすごく簡単。サイパンから帰国した翌日にツアー会社からアンケートが送信される。それに答えて返信するだけという、めんどくさがり屋の俺でも興味をそそられる手軽さだ。


 一度は行ってみたい常夏のリゾート地サイパンに無料で行ける。わくわくが止まらなかった。記載事項にじっくり目を通してみると、一組最大十三名様までというから、さらに驚きだった。誰とでもざっくばらんにつきあえる俺は友達も多い。十三名一組なら友達全員を誘える。


 だけど……わくわくする気持ちの一方で……うますぎるような気もした。


 だって、うまい話には裏があるってよく言うし……。


 無料ですべて手配してくれる……確かにありがたいが……超おんぼろホテルだったらどうする? と、登録するのを少しだけ躊躇った。でもホテルがおんぼろだろうとなんだろうと、あくまで抽選一組様限定。抽選千名様でさえ当選したこともなく、どうせ当たるわけないんだ、と軽い気持ちでモニター登録してみたんだ。


 その後、数ヶ月間、サイト側からメールすらなかった。だからいつもどおり落選したと思い込んでいた。それが登録してから半年近く経過したいまごろになって、 “当選おめでとうございます” と運営者からのメールを受信した。まさか当選するとは思っていなかっただけに嬉しさもひとしおだった。


 サイパンツアーが無料で楽しめるチャンスなんて滅多にあるもんじゃないし、おんぼろホテル覚悟で友達を十二人誘って行くことにした。


 出航日は八月一日、ちょうど夏休み中だ。来年は忙しくなるだろうから、思い出づくりは高二のいましかない。


 友達がみんな独り者ということもあって、隣のクラスにいる俺の彼女、菅井理沙をあえて誘わなかった。それに、理沙とはふたりきりで行きたいから。


 だけど理沙はかなりご立腹。ずっとふて腐れ気味。でも俺は彼女にベタ惚れだから、そのふてった表情も可愛くて好き。


 理沙は小学校五年生のころ、俺が住む東京都渋谷区に引越してきた。理沙をひとめ見た瞬間、恋に落ちてしまった俺は、両想いを目指して毎日送り迎えしたものだ。その甲斐(かい)あって中学二年生の春から交際が始まった。


 初めてエッチしたのが十六歳になった夏。去年のふたりの誕生日だ。俺たちは誕生日まで一緒。子供のころから絶対に運命だって確信していた。


 そしてきょうも、大好きな理沙が俺の部屋のベッドに腰を下ろしている。幸福感に満たされている俺は超ご機嫌だ。だけど理沙はご機嫌斜め。不満げに頬を膨らませている。早く機嫌を直してほしい。


 「フグみたいだぞ」と冗談を言いながら、俺は理沙の柔らかな頬を突いた。


 「フグじゃないもん」


 「そう怒るなよ。きょうは七月三十一日、俺たちの誕生日じゃんか」


 「だって……」長い睫に縁どられた澄んだ瞳で俺を見つめてきた。「あたしのこと誘ってくれなかった。一緒に行きたかったのに」


 上目遣いの表情は可愛いけど……その言葉を何回聞かされただろうか……。

 「あいつら全員独り者だし俺たちだけわるいじゃん。それに海外旅行なら、ふたりっきりのほうがいい。卒業後にゆっくり行こうよ」


 「まだ先じゃん。あたしも行きたかったぁ。いいなぁ、綾香が羨ましい」


 「ふたりだけのほうがエッチもいっぱいできると思うけど」


 軽く俺の肩を叩いた。

 「バカ」


 理沙が羨ましがる、黒縁眼鏡に前髪パッツンボブの嘉川綾香は、幼稚園のころからのつきあい。とはいえ、異性として意識したことは一度もない。美人だけど無駄にまっすぐな前髪が微妙なところ。それからつねに学級委員長で仕切るのが好き。弁護士になりたいというだけあって口うるさいし気が強い。将来は、かかあ天下まちがいなしだ。


 「あいつとは腐れ縁」


 「でも、いつもなんだかんだ言って仲良しでしょ?  幼馴染だし。サイパンも一緒だし」


 サイパン……まだ言うか。

 「お前だって俺と幼馴染じゃん。なんだよ? やきもち?」


 「妬いてないもん」


 「妬いてないってことにしておくよ」


 子供のようにちょっぴり唇を尖らせたやきもちやきの理沙は、トートバッグの中からDIESELとブランド名がプリントされたショップ袋を取り出し、俺に差し出してきた。DIESELは俺が好きなイタリアのプレミアムカジュアルブランドだ。かっこいいけど高級だから頻繁には購入できない。だからすごく嬉しいプレゼントだ。


 「はい、お誕生日おめでとう」


 「ありがとう」とお礼を言って受け取った俺は、プレゼントのラッピングペーパーをいますぐ開封したい気持ちを抑えて、デスクの下に隠しておいたショップ袋を取り出した。「はい、これは俺からのプレゼントだよ」


 「うわぁ! スタージュエリー!」


 理沙は、ショップ袋の側面にプリントされたブランド名を見て歓喜の声を上げた。学生の俺にとっては予算をオーバーしたけど、頑張ってアルバイトしたお金を貯めて購入したんだ。理沙の喜ぶ顔を見ていると、こっちまで嬉しくなる。頑張ってよかった。


 「理沙も十七歳の誕生日おめでとう」と、俺はプレゼントを差し出した。


 俺からプレゼントを受け取った理沙は微笑んでくれた。

 「ありがとう」


 「開けてみて」


 ショップ袋の中から白いリボンがかけられたジュエリーケースを取り出した理沙は、すぐさまジュエリーケースの蓋をあけた。小さなダイヤモンドが散りばめられたシンプルなデザインの指輪は、理沙が好きなローズゴールドだ。だから絶対に喜んでくれるはず。俺は理沙の反応に期待する。


 「綺麗! 超可愛い」と、キラキラと輝く指輪を手にした理沙は思ったとおり喜んでくれた。


 「理沙に似合うと思って、それにしたんだ」


 「本当にありがとう。こんなに素敵な指輪を見たのは初めてだよ」と、可愛らしいお礼を言われて、俺の顔が自然とほころんだ。本当に理沙が好きだ。心から愛してる。


 今年の誕生日プレゼントに気合を入れた理由は、大好きな理沙を喜ばせたいから。それからもうひとつ、どうしても伝えたいことがあったからだ。


 俺は理沙の手から指輪を取り、左手の薬指にとおしてあげた。そのあと真剣な面持ちで話を切り出した。


 「なぁ、理沙。高校卒業後、俺は夢を叶えるために進学する。ひとり暮らしするから一緒に暮らそうよ。もちろん理沙の両親にもちゃんと承諾を得て」


 子供のころからゲームクリエータになるのが俺の夢。楽しいゲームを世に送り出したいと、何度も将来を語ってきた。


 いつも俺を応援してくれる理沙は即答してくれた。

 「うん」


 三人姉弟の長女の理沙には弟がふたりいる。理沙本人も大学に進学したい気持ちはあった。それでも家庭の経済事情で卒業後は社会人になる決意をした。


 しっかり者で家族想いの優しい理沙を一生守ってあげたい―――


 俺は、いまから真剣な想いを理沙に伝える。


 「俺が社会人になったら結婚してほしい。子供のころから理沙を嫁にもらうって決めてたんだ。勝手かもしれないけど」照れ笑いした。「本気で決めてた」


 突然のプロポーズ。甘い胸の高鳴りを感じた理沙は目に涙を浮かべて、俺に抱きついてきた。

 「大好き。あたしも類と結婚したいって、ずっと思っていたよ」


 同じ気持ちでいてくれたんだって、すごく嬉しかった。

 「婚約指輪のつもりで買ったんだ。いまは小さいダイヤモンドが精いっぱいだけど、社会人になってボーナスを貰ったら、超デカいのをプレゼントするよ」


 微笑みながら言ってくれた。

 「ありがとう。ふたりでならどんなことでも乗り越えていけるよね?」


 「もちろん。何があっても、なんとかなるって、いつも言ってるじゃん」


 「だね、なんとかなるよね」


 “なんとかなる” はポジティブな俺の口癖だ。理沙は俺の口癖が好き。落ち込みやすい性格だから、本当になんとかなってしまう魔法みたいな言葉に思えると、以前、嬉しくなるようなことを言われた。


 「そうだよ、人生なんとかなる。絶対に幸せにするから」


 「絶対に幸せにしてよね」笑みを浮かべてから、真剣な面持ちで言ってくれた。「あたし、類に出逢えてよかった。類に愛されてよかったよ」


 世界一可愛くて愛しく思えた。

 「理沙……」


 理沙の柔らかな唇に、俺は自分の唇をそっと押し当てた。ゆっくりとキスをしたあと、首筋に唇を這わせながら、白いワンピースのジッパーを下ろし、淡いピンク色のブラジャーのホックをはずした。


 華奢な理沙を抱き寄せながら、ベッドに横たわり、滑らかな柔肌を愛撫する。


 俺は理沙以外の女を知らないし、理沙も俺以外の男を知らない。


 一生、理沙だけでいい―――ベッドの中で指を絡ませながら思った。


 好きな女の子とひとつになるって最高に気持ちいい。そして最高に幸せだ。


 「愛してるよ、理沙」


 「あたしも、愛してる」



 大人たちが十七歳の俺に恋愛について質問する――― 


 十七歳の子供に男女の愛がわかるの? って。


 だから俺は答える。


 わかるよって。


 だって、大人じゃないけど、子供じゃないから。


 そして俺は、ずっと愛してるって理沙に言う。



 大人たちが十七歳の俺に友情について質問する―――


 十七歳の子供に真の友情がわかるの? って。


 だから俺は答える。


 わかるよって。


 だって、大人じゃないけど、子供じゃないから。


 そして俺は、ずっと一緒だって十二人の友達に言う。


 永遠の愛と友情。


 俺たちは互いに強い絆で結ばれているんだ。


 十七歳の絆って、大人の想像を遥かに超えるほど強いものだから―――

 

 「ねえ、類。もう一度、キスして」


 「うん」


 熟した果実のように甘くて瑞々しい理沙の唇を優しく食むように、深く―――深く―――キスをした。


 唇を交わし、身体(からだ)を重ね合わせながら、俺たちは互いの感情を確信する。


 この幸せが永遠のものだと―――


 そして―――この愛が永遠のものだと―――



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