第42話 対峙

 トゥールンは、フジカをその腕から解放すると、ゆっくりと歩み寄るヤナ・ガルトマーンにむけて照れた様子で微笑んだ。


「メイドと朝の散歩をしています。でも、恥ずかしいところを見られてしまいましたね」


 ヤナが立ち止まる。


「早く屋敷にお戻りください。この私がお供いたします」

「今日は休日です。散歩もさせてはもらえないのですか」


 トゥールンの抗議に、ヤナはトゥールンからフジカへと視線を移したが、フジカがヤナに向ける警戒を含んだ冷やかな目は、トゥールンからは見えていない。


「ご存じ、ありませんか」

「何をですか?」


 ヤナの問いかけに、トゥールンが不思議そうに問い返す。ヤナが小さく「ふむ」と呟いた。 


「アイランズのニッポンエリアでクーデターが発生いたしました。軍が出動しております」


 ヤナの言葉に、トゥールンが眉を顰める。


「いつ、ですか」

「今日の未明でございます」

「聞いてない」


 一瞬、その一瞬だけ、トゥールンの語気が荒くなった。 


「クーデターはアイランズ自治軍の一部隊がテロ組織と共同して起こしたようです。独立を宣言し、そして閣下を――新政府の『元首』にすると言っております」


 しばらくの沈黙。それを破ったのは、トゥールンの深い、しかしどこか軽やかなため息であった。


「なるほど、そういうことでしたか。全てが、繋がりました。貴方は軍に言われ私を捕らえにきたのですね」

「『捕らえに』ではございません。早くお戻りになり、閣下の身の潔白を証明なさりなさい。今ならまだ」

「私は戻りません。フジカと共にいます」


 ずっと変わらずにいたヤナの表情が、初めて動く。


「閣下。そのフジカという娘、何者かご存じなのですか」

「身寄りのない、私の屋敷に住み込みで働いてくれているメイドの一人です」


 そのトゥールンの言葉が終わるのを待たずして、ヤナが上げた人差し指の先から、エネルギーの波動がフジカに向けて放たれる。

 正確にフジカの眉間へと飛んだ波動は、しかしフジカの目の前で再び元の塵の塊へと戻り宙へと霧散した。


「それは人ではございません。人にあらざるものが、アイランズ独立戦線とつながり、閣下を陥れようとしている」


 ヤナの言葉にも、トゥールンは驚きの代わりに微笑を返す。


「ええ、気づいています。でも、それが何だというのです、ガルトマーン」


 その微笑に、ヤナが顔をこわばらせた。


「閣下はその者に騙されておいでです。私がここで成敗しましょう」

「話を聞いてください、ガルトマーン」

「事が終われば、お聞きします」


 ヤナの纏う雰囲気が瞬時にして変わる。並の者ではその恐怖に耐え切れないであろう圧力にも、だがフジカは軽く笑って見せた。


「そう簡単に、このフジカを倒せるのですか、ヤナ・ガルトマーン」

「お前が逃げるのなら無理だろう。しかし留まるというのなら、人をかどわかすことに特化したその肉体では、私には勝てまい」


 ランダー同士の戦いでは、ランダーが持つ特殊能力のほとんどは意味をなさない。結局のところ勝敗は肉体の性能の差で決まることになる。ヤナの言う通り、まともに戦ってはフジカに勝ち目はない。


 しかしフジカの顔から笑みが消えることはない。


「逃げるというのなら、追いはしない。総裁閣下は散歩にお出かけなさっていた。それでよい。さあ、どうする」

「じゃあ、こうしましょう」


 宙に溶けるようにフジカの姿が消える。次の瞬間、フジカはヤナの背後に現れ、その首元へと蹴りを伸ばした。

 鈍い音がして、フジカの足がヤナの首元にめり込む。


「軽いな」


 ヤナがその衝撃をものともせずにフジカの服装――およそ動き回るには邪魔でしかないメイド服のスカートをつかみ、引き寄せる。

 だがそれは空蝉のように、メイド服だけがヤナの手の中に残った。


 その中身――上下の下着だけの姿となったフジカが再びヤナの顔前に表れ、目を狙って足のつま先を伸ばす。それをヤナは額の上部で受け止め、その足をつかむと、地面に向けて投げ捨てた。


「っつ!!」


 次元シフトも間に合わず、フジカがまともに地面へとたたきつけられる。追撃を入れようとしたヤナの前に、しかしトゥールンが立ちふさがった。

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