第36話 想定とは外れるべきもの

「まさか、このフジカに隠し事などございませんよ。なぜそう思われるのですか」


 隠し事――もちろんフジカには、トゥールンに隠していることが星の数ほどある。そもそも、『身元不明』のフジカがこの屋敷に雇われるようになったのも、『戦争孤児』を自称して面接を受けたフジカを見たトゥールンの鶴の一声で決まった様なものなのだ。


 この屋敷のメイドたちにはそのようなものが何人かいて、それは『慈善事業』の一環とされていた。


 手を握られたまま、フジカがトゥールンの瞳をじっと見つめ返す。


「女性は、嘘をつくときに相手の目をじっと見るという」

「『女性は』などというと、どこからかクレームが来てしまいますよ、御館様」


 真剣な眼差しのトゥールンに対し、フジカは茶化すように言ってみたものの、内心はこの場をどう収めるべきか選択を迫られている。


 アイランズでキャプテンたちが起こしている騒擾そうじょうは、まだ公にはなっていない。トゥールンがそれを知る機会はまだないはずなのだが、フジカはその確信が持てないでいる。


――ヤナ・ガルトマーンが知らせた?


 トゥールンがもう知っているのなら話は早い。軍がこの屋敷に来る前にここから脱出するよう説得できる。

 しかしまだ知らないのなら――下手にその話を出せば、『なぜフジカがアイランズで起こっている事件について知っているのか』を話さなければならなくなる。


 自分がランダーであり、かつアイランズ独立戦線と連絡を取り合っている『スパイ』であることを……


 それはできない。ランダーは政治に介入してはならない。事は、フジカ自身がアイランズでの事件を知らないという『建前』で進める必要があるのだ。もちろんそれは『建前』でかまわない。しかし建前を脱ぎ捨ててはならない。ランダーの『掟』に反するのだ。


「誤魔化しても無駄だよ。どうか、その秘密を私に話してほしい」


 朝の会話の後、何気なく散歩に誘い、いったんどこかに身を隠してもらう――そんなフジカの予定が狂ってしまっている。

 これ以上もたもたしていると、トゥールンが脱出する前に軍がこの屋敷に来てしまうだろう。アイランズでの独立戦争が勃発したとなれば、トゥールンは真っ先に拘束されるべき対象なのだから。


 フジカは片方の手を口元に当て少し困った表情をつくり、やや上目遣いに頬を染めてみせた後、こう切り出した。


「そ、そこまでおっしゃるのでしたら……じ、実はずっと、御館様を見た時からずっと、フジカは、御館様をお慕い申し上げておりました。も、もちろん、叶わぬ恋でございます。でも、もしよろしければ、今日だけでも、フジカと人のいないところで二人きり、過ごしていただけるのなら、フジカは幸せにございます……」


 そして目線をそらす。紫色のリボンを結んだ下向きのツインテールが彼女の心を映したかのように揺れた……


 心優しいトゥールンなら、その申し出を受け入れるだろう。もちろん、エイジアの総裁にして、かつては『皇族』であった家柄の末裔であるトゥールンと、どこの馬の骨ともわからぬメイドが結ばれることなどありはしない。これでトゥールンを外に連れ出せる。


 フジカ、あなた天才ね――フジカが自分で自分を褒めた言葉は、しかしトゥールンの弾んだ言葉にかき消された。


「ほ、本当かい、フジカ」


 そこには隠し切れないほどの嬉しさが込められている。

 視線を戻したフジカの目に映ったのは、いつもはどことなく影が差しているのに、今はなぜか満天の星空のように輝いているトゥールンの瞳だった。


「え、えっと、は、はい、本当でございます」


 思わず応じたフジカだったが、すぐに、踏んではいけない地雷を自分で踏みにいってしまったことに気が付いた。


「じ、実は、私もフジカのことを、好いている。今日、そのことを言おうと思っていた。私の、私の妻になって欲しい」

「へっ!? い、いや、あの、御館様」


 トゥールンがフジカの手を引っぱり、そのまま自分の腕の中に抱きしめる。


――まずい……まず過ぎる。


 全くの想定外の事態に、フジカはトゥールンの肩に顔を乗せたまま、脱線してしまった軌道をどう修正するべきかを考えていた。

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