第三章

Will in Emerald

第30話 ヴィナスの二人

 惑星ヴィナスは、かつては濃厚なメタンガスに覆われていたという。それを惑星マルスへと運搬し、氷彗星をヴィナスへとぶつけることで、この星は人類が居住な環境へと改造された。

 そのヴィナスの北半球にある大陸を中心としているのがイシュタール行政府である。

 行政府のある建物の近くにある緑地公園で、一人の男が何やら子供くらいの大きさの機械人形をいじっている。


「何をしておるのだ、タロウ」


 その男の後ろから、声がかかった。高く透き通った女性の声。しかし相手を切り裂くような力がこもっている。肩までの長さの金髪を揺らし凛と立つ姿は、二十歳前後にも見えるが、男装とも言える白い軍服と相まって、その声に相応しい鋭さに満ちていた。


「見たらわかるだろ」


 対して、タロウと呼ばれた男の声は、どこか気が抜けているようだ。少し長く伸ばした髪をオールバックに後ろでくくっている。歳は三十代半ばだろうか。


「見てわからぬから、聞いておる」


 女性は無表情で、事も無げにそう言い放つ。


「『ぱぺっと君二八号』の調整だよ」

「そのようなこと、見ればわかる」

「あのな、ソフィーア」


 立ち上がり、タロウは不満を体いっぱいで表すために、両手を腰に当てた。

 視線の先の女性に「あのな」呼ばわりする人間は、宇宙広しといえども、このタロウただ一人である。しかしソフィーアと呼ばれた女性に、その言葉を気にする様子はない。


「私が聞いておるのは、なぜそんなことをしているのかだ」


 察しろ――ソフィーアの言葉に込められた言外の威圧に、タロウは肩をすくめてみせると、また『人形』の調整に戻る。


「ソフィーアに勝つために決まってるだろ。前回はもう少しだったのに」

「無駄なことを」

「はっ。最初は、負けっぱなしだったくせによく言うよ」


 一旦手を止め、タロウはソフィーアに、口の端を片方だけ上げてにやついてみせた。それを見たソフィーアが初めて表情を変える――汚らわしいものを見るように。


「そんなことをしている暇はない。エイジアで内乱が起こったそうだ」


 さっさと用意を始めろ――ソフィーアは言外にそう言っている。しかしタロウは、興味を示すことなく、また自分の作業へと戻った。


「内政には干渉しないんじゃなかったのか?」


 手を動かしながら、少し離れたところにいるソフィーアの気配に向けてそう尋ねる。


「それは建前に過ぎぬ。運命の糸車は人間の知らぬところで勝手にぐるぐると回っておるのだ」


 両腕を組み、ソフィーアがヴィナスの空を見上げた。メタンガスに包まれていた時は大気さえも赤く染まっていたようだが、今はミドルスフィアとほぼ同じ、青い空が広がっている。


「人間ねえ。俺は人間なのか、ソフィーア」

「当たり前だろう」

「あんたたち『ナイトランダー』は、人間が文明を持つ以前にこの世界に現れ、そして今もなお存在する不老不死の生命体、なんだろ。それも確かに謎だが、俺たちプラヴァシーってのも、もっと謎な存在だ。物心ついた頃に、自分がプラヴァシーだという意識だけが生まれる。記憶がないにもかかわらず、な。そんなもの、『人間』と言えるのか」


 タロウが手を止めた。かがんだまま、ソフィーアへと顔を向ける。


「考えても答えが出ぬものを考える。お前の悪い癖だ」


 顔は空へと向けたまま、視線だけでタロウ見て、ソフィーアは鼻でふっと笑った。

 タロウが、聞こえるように「けっ」と吐き捨てる。


「答えがあるかどうかも分からない。だから考えるんだよ。だって不思議じゃないか? 俺たちは死んでもなお『プラヴァシーだ』という自覚だけを持ち続けて生まれ変わる。でも」


 タロウが突然立ち上がり、空を、いやさらにその向こうの、宇宙空間を隔てた先にいるであろう二人の人物に視線を向けた。


「プラヴァシーの中には、例外的に記憶を持ち続けている者がいる。ヤナ・ガルトマーンのプラヴァシー、アイサ。そして、ルシニア・メガラインのプラヴァシー、コノエ。この二人は、の記憶を持ったままだって言うじゃないか。なんで俺にはそれがないんだ? 全くもって不公平だ」


 しかめっ面を作った後、タロウが肩を一つすくめてみせる。


「お前の知識は古いな。ルシニアは今、『ルース』と名乗っている。連れているプラヴァシーは『ツバキ・キサラギ』という少女なのだそうだ」

「そんなこたあ知ってるさ。ナイトランダーとプラヴァシーが再会すれば、ナイトランダーはDNAを操作し、プラヴァシーを『本来の』姿に戻す。なのになぜルシニアはそれをしない?」

「さあな」

「何でも、『ツバキ・キサラギ』は記憶を失ってるって話だぜ。何があったんだろうなあ」


 タロウは少し楽しそうに、くくっという笑い声をあげた。

 公園には人影は見えない。行政府の目の前の緑地公園になど、誰も好んで来ようとは思わないらしい。


「それは初耳だな。誰から聞いたのだ、そのような話」

「プラヴァシーにはプラヴァシーの情報網ってのがあるんだよ。さて、ソフィーア。ぱぺっと君二八号の相手をしてもらおうか」


 いつの間にか『機械人形』の調整は終わっていたようだ。タロウがその背中をいじり出す。


「お前は私の話を聴いていたのか? 出撃だ。さっさと支度しろ」

「レディ、ゴー!」


 タロウは有無を言わせず、機械人形のスイッチを入れた。その瞬間、まるで魂を吹き込まれたかのように、それが動き出し、軽いステップを踏みながらソフィーアへと襲い掛かる。手に持った棒状の武器を振り、フェイントを一つ挟んだ後、目にもとまらぬ速さでソフィーアへと棒を振り下ろした。


 シャンという音。スパンコールのような粉が飛び散る。そして振り降ろされた棒がソフィーアの眼前で止まった。次の瞬間、機械人形の頭部が軽い爆発を起こす。


「うわっ、ME変換を使うなんてずるいぞ」


 タロウは血相を変え、地面へと投げ出された機械人形へと駆け寄った。アイゴーグルだけがついていたのっぺりとした頭部が横へと転がり、機械の胴体と「おさらば」状態になっている。


「なんてかわいそうなことを」

「私はお前の玩具でも実験相手でもない。その木偶を使い物にしたいのなら、あらゆる攻撃に対応できるようにすることだ。さあ、行くぞ」


 ソフィーアは、羽織っていたムーンストーン色のマントを一つはたくと、タロウの傍を通り過ぎ、公園の出口へと向かう。

 タロウは『ぱぺっと君』から火が出ていないことを確認した後、置いてあった大きなリュックに頭と胴体を押し込み、あらゆる毒言を吐きながら、ソフィーアの後を追った。

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