第29話 新たなる契約

 カンベ宇宙港からシャトルでルナーへと飛ぶ。重力制御の技術がある現代では、ルナーまで二日とかからない。

 窓に映る青い星が少しずつ小さくなっていき、ツバキが深い眠りから覚めた頃には、ルナーの方が大きく見えるようになっていた。


 ディアナ宇宙港に降り立つと、寄り道をすることなくリニアでディアナ市の東エリアへと向かう。軍港に入る時に生体認証が行われたが、何も言われることなく通された。


 登録されているデータには、《ツバキ・キサラギ》と書いてある……てっきりそう思っていた。この小麦色の肌をした少女の体には、ツバキという《タグ》が付いているものだと。

 でも、そうではなかった。

 そのことを考えた時、ツバキの心の中に、奇妙な感情が込み上げてくる。それが怒りかと言えばそうではない。ルースが自分に隠し事をしていたということは、『やはり』としか思わないからだ。

 ツバキ一人で行動しなければ、知りようもないことだった。ルースが一体何をしたいのか。ツバキには、正直それを理解することができない。

 悲しみというのも違うだろう。どこか冷めた感情……自分も、ルースに隠し事をしていたのだ。


 そう、お互い様。

 だから――オレのやりたいようにやらせてもらう。


 いくつかの検問を抜けて、モーターカヴァリエ専用11番ドックへと入る。そこに、ティシュトリアが泊まっていた。

 翼のような構造物は、今は閉じられていて、全体的に細い。前方へと突き出す『角』――バスターカノンが異様な存在感を見せていた。

 機内への入り口からタラップが伸びている。そう、誰かを待っているかのように。タラップを上がり、扉に手のひらをかざす。空気の抜けるような音とともに、扉が開いた。

 中に入り、寝室のドアの前で一瞬躊躇する。


 なぜ? そんな必要はない。やましいことなど、無いのだから。


 ドアに触れると、横にスライドする。少し重たい空気が、部屋の中から漏れ出した。その中に混じるペトリコールの香り。中を覗き込む。

 ルースがいた。

 この間までツバキが寝ていた方のベッドの上に座り、頭から毛布をかぶっている。その毛布の下から、明らかに寝不足だと分かる紅い眼がツバキを見上げた。


「ツバキ……」


 そして、うわ言のようにそうつぶやく。ほんの僅か、希望の表情がルースの顔に縋る様に浮かんだ。

 しかし、その名前をルースが口にしたことに、ツバキは少し憤りを感じ、ルースを冷ややかな視線で見下ろした。

 

「コノエ、じゃないのか?」


 その瞬間、ルースの顔から希望が消える。


「オレは『ツバキ』じゃないんだろ。なあ、ルース。いや」


 ルースへと一歩近づく。


「ルシニア」


 ルースの表情が、穏やかなものに変わった。


「聞いたんだね、色々」

「それを分かってて、オレをミドルスフィアに送り出した……いや、自分の口から言いたくないことを、誰かに言ってもらおうとして、だな」


 ツバキの言葉に、ルースはただ軽く笑う。ツバキから視線を外し、ベッドの上で足を抱えた。


「ヤナ・ガルトマーンに会った。彼と一緒にいたアイサという女の子と、後、キリカというナイトランダー」

「そう」

「みんな、『コノエ』という人物を知っていたよ。知らないのは、オレだけだった」

「そう」

「特にアイサ……随分、恨まれてるな、オレ」

「思い出したのかい」


 ツバキの足元を見ながら、ルースが問いかける。


「いや、断片しか」

「断片?」

「ああ。時々、頭の中にフラッシュバックが起こる。多分、『コノエ』の記憶なんだろう。コノエは、ヤナという人物と戦い、そして」


 一呼吸置く。しかしルースの仕草に変化はない。

 ルースはすべてを知っている。ツバキはそれを悟った。


「アイサと彼を引き離した。彼らは愛し合ってたのに」

「あれは、そうするしか仕方なかったんだ。キミが悪かったんじゃない。それにもう、彼らは一緒にいる」

「失われた時間は取り戻せない」

「仕方なかったんだよ。ムイアンを消すためには」


 側はそれで済むだろう。しかし、側はそれでは済まさない。

 でも――その決断はツバキ、いや『コノエ』がしたもののようだ。『ルシニア』のせいじゃない。

 それをオレが背負わなければならない。ツバキはふっと息を吐いた。


「オレが『コノエ』だって認めたな、ルース」


 ルースは一瞬ハッとした表情を見せ、そして目を閉じて笑った。


「別に、隠しても仕方がないし」

「ユウからオレを隠したかったからか? それとも、オレからユウを隠そうとしたのか?」


 その言葉には、ルースは反応も返事もしなかった。


「やっぱり、知ってたんだろ。ユウのこと。遥か昔ってやつから」

「彼女のことは話したくない。ツバキが自分で思い出すと良い」

「そんなに仲が悪かったのか?」


 しかしルースは、横を向いてしまった。

 ツバキはしゃがんで、ルースを正面に見る。ルースが横目でツバキを見た。


「ルースは、オレと一緒にムイアンと戦ったんだよな?」


 ツバキの問いかけに、ルースが無言でうなずく。


「ユウとオレは愛し合ってた。それは思い出した。でもフラッシュバックに、ルースが出てこない。もしかしたら夢の中に出てきたのかもしれないけど、覚えてないんだ。本当にオレたち」


 ツバキは、少しの変化も見逃さないでおこうとして、ルースの紅い瞳の奥を覗き込んだ。


「愛し合ってたのか? ルースは前に、オレたちの関係が『愛』だって言ってたよな?」


 ルースの目の色が変わった。焦り、必死さ、そしてすがり。


「もちろんだよ」

「でもオレはユウと」

「ボ、ボクとも、そういう仲だったんだ」

「ルース、本当は女なんだろ」


 そして、喜び。


「ボ、ボクは……」

「オレを女に変えて、自分は男になって、そこまでしてオレとユウの仲を引き裂きたいのか?」


 そして、狂気が現れた。

 ルースが見せる初めての表情。口元は笑みで歪んではいるが、目は何かを訴えるように一杯に見開かれている。ルースがツバキの両肩を掴んだ。


「反対だ、反対なんだよ! キミが生まれ変わるたびに、あの女がキミを追いかけてくるのさ。キミとボクの仲を割くためにね!」

「ルースは人間じゃない。ナイトランダーだ。でも、ユウは人間だろ?」

「そうだよ。そうだよ。人間の分際で、キミをボクから奪おうとする。ボクのプラヴァシーであるはずのキミを、ボクから!」


 ツバキの肩に、ルースの爪が食い込む。その痛みが、どこかルースの悲鳴にも思えた。


「でもルース。オレとユウの愛は変わらない。女同士になっても」


 ツバキの、冷ややかな目も変わらない。その目を睨み、唇をかみしめると、ルースはツバキの肩から手を離し、横を向いた。


「忌々しいね。ほんとに」


 ルースが横目でツバキを睨む。

 その声調、以前のツバキなら背中に冷たいものが走るのを感じたかもしれない。でも今はそうでは無い。

 それを確かめると、ツバキはルースの匂いを深く肺に吸い込んだ。


「ミドルスフィアでの戦闘のことは、大体分かった。あの戦闘を仕組んで、ハーディ隊を全滅に追い込んだ奴らがいる。それが多分エイジアの連中だろうって。目的は分からなかったけどな。だから、ハーディ隊長たちについてはもう、『死神』を恨んではいない」


 ルースが唇を噛むのを止める。その唇は少し赤くにじんでいた。


「だから?」

「ルース、オレを受け入れろ。オレの全てを。ユウも含めて、全てを」

「残酷だね、キミは。人間の皮を被った『悪魔』だよ。いつも、そう言うんだ。何百年も前から、ずっと」

「そうすればルースの、いやルシニアの全てを受け入れてやる。手を貸してくれ。ユウを、エイジアから取り戻したい」

「全くキミは、記憶を失っても全然変わらないね。本当に、ずるくて残酷だよ。ボクの心を知ってて、弄ぶ。あの時も」

「あの時?」


 しかしルースは、その問いかけには答えない。ツバキの方へと手を伸ばすと、首に手を掛けた。


「時々、どうしようもない程にキミを壊したくなるんだ」


 ルースの手に力は込められていない。ルースの紅い瞳に、ベレー帽をかぶった少女の顔が映っていた。


「これまで何回、オレを壊したんだ?」


 ツバキの言葉に、ルースの口角が軽く上がる。


「もう、数えきれないほど。だってキミを、愛しているから」


 そしてゆっくりと、ツバキに唇を寄せた。


「ボクのこと、愛してる?」

「ああ、愛してる」

「本当にずるいね、キミは」


 ルースがツバキの唇に自分の唇を重ねると、血の味がツバキの口の中に広がる。


「いいよ、キミの全てを受け入れよう。昔そうだったように」


 そう言うとルースは、ツバキをベッドに横たえた。


「でも、キミはボクのものだ。それは変わらない。永遠に、ね」


※ ※


 目が覚めた。今が朝なのか夜なのか、ツバキには分からない。しかし、自分が一糸纏わぬ姿でいることは、掛けられていたブランケットを取らなくても分かった。


 初めて、ルースを受け入れた――それが夢ではないことは、下腹部に残る違和感が教えてくれる。

 昨日まで着ていた服は、ルースが洗ってくれたのだろう。ベッドの傍には見当たらない。ツバキは気怠そうにベッドから立ち上がり、クローゼットを開けた。

 そこから手に取ったのは、レースのドレス。白と青。ルースがルナーで買ってくれたドレスだった。


 着替え終わると、ルースを探してコックピットへと向かう。扉が開くと、前部座席にルースの頭が見えた。息を飲むくらいに白い髪。しかし、長かった髪は、首元で切りそろえられていた。

 その髪の持ち主が振り返る。ツバキを見ると、戸惑いの表情を少し赤らめて、再び前を向いた。


「そ、そのドレスを、着たんだね」

「ああ。似合ってないか」

「ううん、似合ってるよ」

「髪、切ったのか?」

「うん、そう、かな」


 髪型を変えたことにどんな意味があるのか、それはツバキには分らなかった。が、その前下がりの白いボブヘアを見ると、不思議と心がざわついた。その理由も、分からないが。

 ルースはいくつかの計器をチェックしていた。ツバキも後部座席に座り、計器のチェックを始める。


「これからミドルスフィアに行くんだよな」

「いいや、どこにも行かないよ」

「ルース、ユウを取り返すの、手伝ってくれるんじゃないのかよ。話が」

「ツバキ、まさかボクたちだけでエイジアに乗り込むわけにはいかないだろう。フィスもグンターも、今は動けないんだ」

「じゃあ、どうするんだよ」


 ツバキの不満げな言葉に、ルースは漸くツバキの方へと顔を向けた。


「待つんだよ。もうすぐ、始まる」


 指でツバキの鼻に触れる。そしてルースは、悪戯っぽく笑った。


―― Violet for Wanderer『了』――

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