第24話 肩の上の質量

「キャプテン、あれは」


 トラックを運転している若い男が、道端に止めてあるエアバイクを遠目に認め、声をあげた。


「ありゃ、あのお嬢ちゃんが乗ってたバイクじゃねぇか」

「こんなところで何してるっすかね」


「さあな」と助手席の大男が軽く答えたが、真ん中に座っていた少女がそれに反応してぽつりとつぶやく。


「いるのかも」


 キャプテンと呼ばれている大男が、怪訝な表情で少女の方を見た。しかし、真っ直ぐ前を向く彼女の表情に、何か特別な感情が浮かんでいるわけではない。


「何がだ」


 少女の言わんとしていることが分からず、キャプテンがそう尋ねる。すると少女は、その眠そうな瞳をキャプテンの方へと向けた。


「探し物」


 なぜそう思うのか、それを聞いたところでこのキリカと言う少女が答えないことをキャプテンは知っている。しかしそれは、キリカが単に思い付きで言っているからではなく、それが只人が理解できる範囲を超えているから……キャプテンは、そうであるとも分かっていた。


「車を止めろ、トーマ」


 キャプテンの太く鋭い声が飛ぶ。運転席の若者が、トラックのブレーキを力いっぱいに踏むと、三人の身体が同時に前のめりになった。


「な、なんすか」

「様子を見てくる。二人はこのまま、ブツを届けに行ってくれ」

「キャプテン一人でっすか? 危ないっすよ、キリカさんに行ってもらったほうが」

「今はブツを届ける方が大切だ。タミンもユーメダもまだ閉鎖中だが、調査に入った憲兵隊がまだ残ってるかもしれん。傍を通るんだ、気を付けろ。俺に何かあったらコールを入れるが、来られないようなら俺を見捨てても構わん」


 キャプテンのその言葉に、キリカは無言でうなずいた。


「ちょっと、キャプテン」

「トーマ、なんでもかんでもキリカにさせようとするな。てめぇでできることは、てめぇでしろ」


 そう言うとキャプテンは、ドアを開けてトラックを降りる。そのまま「行ってくる」という言葉を残し、振り向きもせず林の中へと入っていった。


※ ※


 なぜユウがこんなところにいるのか。ツバキにはもうどうでもいいことだった。そんなことよりも……

 座席にぐったりと体を預けているユウは、目を閉じたまま、苦しそうに呼吸をしている。ヘルメットは自分で脱いだのだろうか、床に落ちていた。しかし、スペーススーツを脱ぐことは出来なかったようだ。

 電源と繋がっているのならば、生命維持装置が働いているだろうが、コックピット内の電気は全て落ちてしまっている。

 ツバキはユウの体を包み込んでいるスペーススーツのファスナーを下ろし、ユウをその束縛から解放した。その瞬間ユウの身体から、彼女の髪の毛が放つ柑橘系の香りとは違う、女性の汗の匂いが立ち上る。その匂いに、ツバキは自分の鼓動が速くなるのを感じた。


 軽く頭を振る。ユウは、もしかしたら脱水症状を起こしているのかもしれない。

 ユウはスペーススーツの下に、上下のタイツを着ていた。スーツを脱がした後、ツバキはリュックから水の入ったボトルを取り出す。それをユウの口に持っていくが、飲んでくれなさそうだった。

 水を口に含むと、ツバキはユウの唇へと自分の口を近づける。

 そこでふと、躊躇う。ツバキは、心臓の鼓動がどんどん速まっているのを自覚し、息の触れ合う距離のまま固まってしまった。


 しかし、そんなツバキを再び動かしたのは、ユウの荒い息遣いだった。ツバキは、目をつむると、そのままユウと唇を合わせる。口の中の水が、ユウの喉へと入っていった。

 水が無くなったところで、ゆっくりと目を開けてみる。そこにあったのは、ツバキを見つめるサファイアンブルーの瞳だった。


※ ※


 俺の腕の中で、一人の女性が荒い息をしている。汗ばんだ額にその長く美しい黒髪を張りつかせたまま手を伸ばし、俺の頬にそっと触れた。深い青に輝くその瞳が、俺の目をじっと見つめている。


「約束違えても、いつまでも、どこまでも、そなたを追いかけるぞ」


 そう言って少し物憂げな表情を浮かべる。


「もし離れ離れになっても、いつまでも、どこまでも、君を探し続けるよ」


 俺がそう答えると、女性は軽く微笑みを返す。そしてもう一言だけつぶやいた。


「な忘れそ」


※ ※


 脳裏ではじけたフラッシュバック。ツバキが我に返ると、ユウの瞳が依然として目の前にあったが、その焦点は合っておらず、どこか宙空を見つめているようだった。

 ユウの頬に手で触れる。


「それが、遠い昔に君と交わした約束だったように思う」


 もう一度ユウに水を飲ませる。少し呼吸が落ち着いたところで、ツバキはこの狭苦しいコックピットからユウを連れ出した。

 目を開いてはいるが、反応はほとんど無い。それでもツバキは覚束無い足取りのユウに肩を貸しながら、落ち着けるような涼しい場所を探し、やっとのことで見つけた林の中の小さな洞の中に二人して腰かけた。


「大丈夫?」


 そう声を掛けたのだが、ユウはやはり返事をしない。長い黒髪はルナーで会った時と変わっていなかったが、あの時に見たどこか不機嫌でそれでいて強い意志を持った瞳は、今は虚ろな色で染められていた。


 この状態で動き回れば見つかる危険が高そうだ。しかしここも単に、段になった場所が奥に向けて少し空洞になっている程度の場所であり、少し陰にはなっているが、果たして見つからずにディスポーザーたちをやり過ごせるかどうか、ツバキにはあまり自信がなかった。


 初夏の林の中は、様々な鳥がその支配権を争うように、鋭い声や甲高い声を上げている。湿り気を帯びた洞の壁にもたれたユウの黒髪に、ツバキは手を伸ばした。


「君は、オレを追いかけてきてくれたのかい? ユウがあの機動兵器に乗ってたなんて、今でも信じられないよ」


 ルースはそのことに気が付いていたのだろうか。その疑問をツバキは「いや」と自分で否定する。


――それならばルースは、ルナーで会った時にもっと別のアクションをユウに対してしたはずだ。ルースのあの態度は、俺の記憶の中のユウに対してのものに違いない。


 ユウと並んで、洞の壁にもたれる。さてこれからどうしたものかと考えたところで、ツバキは左肩に体温と、そして確かな質量を感じた。


 ユウがツバキの肩に頭を置いていた。ツバキを見るわけではない。虚ろなユウの様子はさっきと変わってはいない。しかし、ただこうしているだけで、ツバキの心の中には幸せと言う名の感情が広がっていく。

 ツバキも、頬をユウの頭にのせた。柑橘の香りに混ざる汗の匂い。それが、彼女が確かに生きているという証のように思える。


 このままずっとこうしていたい。


 そんな思いに、ツバキは目を閉じる。しかし、そうするとすぐ瞼の裏に、ユウの着ていたスーツ、あのモジュール式の脱出装置、そして内部のコックピットが浮かんだ。

 一体ユウの乗っていた機動兵器は、どの組織が作ったものなのだろう。ツバキはそれらの形状に見覚えが無かった。どこかの組織なりが秘密裏に作ったもの……

 アイランズだろうか。しかし、そもそもモーターカヴァリエの製造は、ルナーで行われているということだけが知られているだけで、詳しい製造場所、技術、過程、その全ては極秘である。アイランズがその技術を持っているとは思えなかった。

 ユウはルナーにいた。ルナーが作らせたと見るべきなのだろうが、それならばティシュトリアを襲撃する理由が分からない。


 アイランズがユウを探しているのだとすれば、それは領域内に進入した未確認物体の捜査ということになるだろうが、ならば軍を出すはずだ。なぜディスポーザーに探させている?


 分からないことだらけだった。アイランズ軍が探しているというのなら、ツバキはユウを『探索者』のもとに連れて行ったかもしれない。

 しかしそうでないことにどこか引っかかりを感じ、ツバキはそうしようとは思わなかった。


 ツバキの脳裏にふと、ルースの姿が思い浮ぶ。ツバキは軽く頭を振って、そのイメージを自分の脳裏から追い出した。


 

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