第25話 一つになれない二人

 一体、どれくらいの時間そうしていたのだろうか。

 それはほんの一瞬だったかもしれないし、もしかしたら永遠の時間が過ぎたのかもしれない。

 ふと肩の感触が無くなったのに気づき、ツバキは横を向いた。長く伸びたストレートの髪の向こう側から、ユウのサファイアンブルーの瞳が上目遣いにツバキを見ている。

 その視線がどこか信じられなくて、ツバキはしばらくその状態でユウと見つめ合っていた。


「何故……ここにおるのだ、ツバキ」


 不意にユウがそうつぶやく。

 なぜ自分がここにいるのか――状況からすれば、そう尋ねるのが普通なのではないか。そう思ったツバキは、嬉しさも忘れて、思わず吹き出してしまった。


「それは、オレが聞きたいよ、ユウ。意識が戻ったんだね」


 正気に戻ったと言うべきだっただろうか。虚ろな目をしていたユウの瞳が、今はしっかりとツバキを見据えている。

 ただ、その視線にどこか、恥ずかしさが含まれていることに、ツバキは気が付いた。


「ふむ、ここは……ミドルスフィアか」


 周囲を見回したユウは、うっそうと茂る林と、その隙間から差し込んでいる太陽の光を目にして、そう言葉を漏らす。

 驚いた風ではないが、それはどんな状況に置かれてもユウが気にしていないから。ツバキにはそう見えた。


「そうだよ。でも、なぜミドルスフィアに?」


 ツバキがそう尋ねると、ユウはまたツバキの方を向く。しかし今度は少し眉を顰めていた。

 しばらくの沈黙、そして「『死神』はいづこに」とつぶやく。


「ルースは、ここにはいないよ。今はルナーにいると思う」


 ツバキがそう答えると、ユウの表情から硬さが消えた。そしてツバキから視線を外し、今度は「『死神』は、なぜ我を撃たなんだ」とつぶやく。


「オレが、止めた」

「我を助けたのか」

「ああ」

何故なにゆえ

「何でだろうね。でも、こうしてまた会えて、うれしいよ」

「我は、あのナイトランダーの、そしてツバキの敵ぞ」


 顔は前に向けたまま、視線だけをツバキに向けたユウに、ツバキはゆっくりと首を左右に振った。


「ユウはユウだ。でもどうして君が、あんな機動兵器に」


 ユウが再び視線を前に向ける。


「それが我の存在理由ゆえ」

「そんな理由、捨ててしまえばいい」


 思わず飛び出したツバキの言葉に、ユウが驚いたようにツバキを見つめる。


「オレと」「それはできぬ」


 続けて出てきたツバキの言葉を、ユウは強い口調で遮った。しかし、その口調とは裏腹に、表情は悲し気で……ルナーでは見たことがなかった、ユウの表情。


 そんなユウに対し、更に何かを言おうとして、ツバキは言葉を飲みこんだ。


――オレと一緒にいればいい。


 言おうとしていた言葉、なんて無責任なものだろうか。ユウを連れてどうするつもりなんだ? 自分の手でユウを護れるのか? 自分の身すら、自分で護ることが難しい状況なのに。


 ユウの瞳を見つめながら、ツバキは自問自答を繰り返す。

 そんなツバキの脳裏に、ルースの姿が浮かんだ。しかしその姿は、ツバキに優しく接していたものではなく、超人――ナイトランダーとしての、冷たい瞳でユウを見つめていたルースだった。


 今のツバキは、どれだけ反発したところで、ルースの手の中で暴れるだけの小鳥でしかないのだ。


「ツバキはまるで男子おのこのようぞ。なのになぜ、女子おなごの姿をしておる」


 見つめ合いながらも口をつぐんでしまったツバキに、ユウがふとそう声を掛ける。


「それは、えっと……」


 突然のことに、ツバキはあたふたとしてしまった。本当のことを言うべきかどうか。しかし全てを話したところで、ユウが理解してくれるかどうか。


「よい。ツバキは、ツバキぞ」


 しかしユウは、自分が発した疑問を、自分で打ち消した。ツバキが言ったのと同じように。その言葉に、ツバキはふっと表情を緩めた。


「そうだね」


 二人の視線が合う。そして、どちらからともなく顔が近づくと、ツバキとユウの唇が触れるか触れないかの距離になった。

 ユウの吐息を感じる。ルースとは違う、甘く、どこか官能的な匂い。

 しかしユウはそのまま動かずに待っていた。唇が触れ合わないまま、一秒、また一秒、時間が過ぎていく。

 と、ツバキが、ユウの唇に自分の唇を重ねた。


 風の音が聞こえる。鳥の声、そして虫の声も。


 唇と唇が触れ合っているだけなのに、なぜもう離れたくないと思うのだろう。このまま、ずっとこうして……

 しかしそんなツバキの願いは、ユウの動きで中断されてしまった。少し顔を引いたユウが、ツバキの目を上目遣いに見つめている。

 顔が、真っ赤に染まっていた。

 薄紅色の唇が、恥ずかし気に動く。


「わ、我と、その、せ、接吻をして、ツバキは嬉しいのか?」


 その唇から発せられた言葉の、予想外の内容に、ツバキは一瞬呆気にとられた後、噴き出し、そして笑った。


「な、何が然程さほどに可笑しい」

「だって、それを、した後で聞く?」

「べ、別に、我はそのようなこと、しようとは……」

「しちゃ、ダメだった?」


 ツバキがそう尋ねた途端、ユウは目線だけを左に向けて、困ったような表情を見せた。少しだけ逡巡した後、ぽつりとつぶやく。


「ツバキがしたいというのなら、もっと、しても、よいぞ」


 遠い昔、どこかで聞いたような、言葉。

 ツバキがユウの頬に手を添える。少し汗ばんだ額にユウの長く美しい黒髪が張りついている。ツバキに応えるようにユウが手を伸ばし、ツバキの頬にそっと触れた。

 ユウのサファイアンブルーの瞳が再びツバキを捉えると、ツバキはまたユウの唇に自分の唇を重ねた。

 しかし今度は、唇同士が触れるだけではない。ツバキの舌がユウの唇に触れると、それを待っていたかのように、ユウが固く閉じていた唇をそっと開いた。

 お互いの舌が絡み合う。ユウの手が抱えるようにツバキの頭に回され、ツバキを引き込んでいく。ツバキは手でそっとユウの胸に触れた。


 薄いタイツ越しに、ユウの豊かな乳房の柔らかいが弾力のある感触が伝わってくる。ユウが軽い吐息を吐いた。ツバキの手の動きが少しずつ強くなると、それに呼応するかのようにユウの口から軽い声が漏れた。

 

 湧き上がる想いが限界を超え、ツバキがユウを強く抱きしめる。


――ユウと一つになりたい。


 そのままユウの体を頼りなく覆っているタイツを脱がそうとして、ツバキはある決定的なことに気が付いた。

 どれほど狂おしく二人がお互いを求めていても、一つになりたいと願っていても、その方法が無いことに。


 ユウと一つになる方法が無いのだ。その方法は、ルースに奪われてしまっていた。


「ツバキ?」


 ユウが、ツバキの腕の中で少し荒い息をしながらも、動きを止めた小麦色の肌の少女に声を掛ける。

 潤んだ青い瞳。ツバキがユウを求めるのと同じように、ツバキを求めるユウの瞳。


 そこに、ルースの冷たく光る紅い瞳が重なる。


――ルースは、ユウを知っている。


 ツバキの心の中に、一つの確信が生まれた。

 だから、それに抗おう。ルースの思い通りにはさせない。


「ユウ、好きだ。キミを愛してる」


 なぜ? それがツバキの存在理由のように思えたから。


「我も、そなたを愛しておる。ツバキ」


 まだ出会って間もないはずなのに、ユウはそれが当たり前であるかのように、そう答えた。


 もっと、もっとユウと繋がりたい。またツバキがユウの唇に近づき、それにユウが応えようとしたその時、一つの声が上がった。


「いたぞ!」


 驚いて、洞の外に顔を向ける。少し離れた場所に三人、その真ん中にゲレオ・サガンが立っていた。

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