Violet for Wanderer

第20話 それぞれの思惑

中央アジア、タシケントにあるエイジア中央行政府の一室。


「これはどういうことだ、ナプザック博士」


 険しい顔をした男――ワン・シーピンが、右手の人差し指を一定間隔で机に打ち付けていた。


「きわめて有用な戦闘データが得られました」

「そのことではない!」


 コンッという強い音がして、ワンの手の動きが止まる。


「……戦闘時の損傷の影響により、大気圏突入の際、帰還装置にトラブルが発生したようです。予定地のタクラマカン砂漠をはずれ、別の場所に不時着してしまい、現在パイロットが行方不明になっております」


 ワンの正面では、白衣を着た老人が額の汗をハンカチで拭っていた。


「ニッポン島に降りたそうだな。また面倒なところに」

「申し訳ございません」

「アイランズ自治政府にはこちらで処理すると伝えたが、先日の一件もあって、協力は最小限のものしかできないと言ってきおった」

「はい……」


 老人の汗は、拭いても拭いてもなくならないようだ。


「基地を二つも封鎖したあげく、ターゲットは生死不明、カヴァリエも破壊できず、反乱分子も取り逃がしている。それでさらに今回のこととなると、少し失態が過ぎるのではないかな、博士」

「申し訳ございません」

「必ずこちらで回収しろ。ガルトマーンにも手伝わせる」

「……大丈夫で、ございますか」

「奴は、『こちら側』ではないが、『あちら側』でもない。使えるものは使う。ただし、最悪の場合、パイロットを『消す』ことになるが、よいな」

「……承知いたしました」

「下がれ」

「はい」


 白衣の老人は、ワン・シーピンに向けて一礼をすると、部屋を出た。


「ウィル、ユウの場所はつかめておるのか」

『データ送受信機が壊れている。追えたのは途中までだ』

「計画が少し強引過ぎだ」

『何事にも不測の事態は起こりうる』

「失っては元も子もない。アレは作るにも育てるにも、時間がかかるのだぞ」

『アクシデントはそれをリカバーすればいい。今更、後戻りはできないだろう? 博士』


 頭の中に響くハスキーな声に向けて、ナプザックは聞こえるように舌打ちをした。


※ ※


「お帰りなさい、ヤナ」


 郊外と思しき場所、少し大きめの屋敷の玄関に入ったヤナ・ガルトマーンを、ブラウスとスカート、そして頭にベールを着けた少女が出迎えた。浅黒い肌にやや赤みがかった黒い髪。くっきりとラインの入った二重の目の奥にあるオリーブグリーンの瞳が、屋敷の主を探して宙を泳ぐ。


「ただいま、アイサ。視覚補助ゴーグルはどうした」

「何だか邪魔だったから、外したの」

「それでは、何も見えないだろう」


 ヤナは、アイサと呼ばれた少女に近寄ると、その頬に手を添える。少女はその手に自分の頬を預けるようなしぐさを見せた後、ヤナに抱き着いた。


「目に見えるものだけが全てじゃないよ、ヤナ。反対に、見えないからこそ強く感じるものもあるよ。例えば、ヤナの匂いとか」


 そう言うと少女は、男の胸に顔をうずめる。


「そうか」


 ヤナは厚い瞼に覆われた目を細めて、少女――アイサ・レヘルの頭を撫でた。


「出かけなければいけない。用意をしなさい」

「どこに?」

「ニッポンだ」

「ほんと? 何十年ぶりかな!」


 嬉しそうに、その見えない目でヤナを見上げた少女は、しかし、どうみても十代の後半にしか見えない。


「観光で行くのではないよ」

「いいよ。ヤナと行くなら、どこでも楽しいから」

「やれやれ。出立前に、ツェリン総裁閣下のところへご挨拶に行く。粗相のないように」

「はぁい」


 アイサは、甘えるような声で返事をすると、その場で軽くステップを踏んだ。


※ ※


 エイジア軍閥、ツェリン家私邸、トゥールン・ツェリンの寝室。


「よく来てくれました、ガルトマーン。こんな姿であなたに会うことをお許しください」


 ベッドに上半身を起こした寝間着姿で、エイジア軍閥総裁、トゥールン・ツェリンは寝室に通された二人の客人、ヤナ・ガルトマーンとアイサ・レヘルに向けて謝罪の言葉を口にした。横には、彼の世話をするメイドの少女が一人控えている。


「もったいないお言葉。お身体の調子がすぐれないと聞いておりましたら、お伺いするのを遠慮しましたものを」

「いえいえ、貴方に会えば体調などすぐに良くなります。アイサも、よく来てくれましたね」


 見た目はアイサ・レヘルとそう変わらない年齢の少年は、しかしその口調と振る舞いにはどこか大人びたところがあり、それが彼に背負わされた責任の重さを物語っている。立場が人を育てるのか。


「トゥールン様、お元気そうで何よりです」


 本当は彼よりもかなり年上のはずのアイサが、子供のようなあどけない笑顔と声でベッドにいる少年にそう挨拶を返した。


「アイサ」


 彼女の天真爛漫な振る舞いに、ヤナが鋭い口調でたしなめる。


「ははは、アイサにはかないませんね。こうでもしないと、あの窮屈な場所から逃げ出せない立場……というのも不自由なものです」


 しかし少年は、笑いながらあっさりと自らの仮病を白状してしまった。


「ご無礼をいたしました、閣下」

「ヤナは真面目過ぎるのよ」

「アイサ」

「いいのですよ、ガルトマーン」


 今度は少年が、ヤナ・ガルトマーンをたしなめる。


「それでこそアイサなのですから」


 そう言って少年がほほ笑むと、アイサは、少年の表情が見えていないはずにもかかわらず、それに天使のような微笑みで応じた。


「ニッポンへ、行くそうですね」

「はい、軍からの要請がございました」

「そうですか。内容は?」

「ご存じありませんか」

「私は、行政の長……名ばかりですが。軍に所属している身ではありません」


 少年の表情が少し陰る。そこに今のエイジアの実際の権力構造が透けて見えた。


「申し訳ございません。機密ですので」


 ヤナはそう言って、ベッドの傍に控えているメイドに視線を向ける。長い黒髪をツインテールにくくり、頭にホワイトブリムを付けた、まだ十代半ばにも満たない子供……しかし、ヤナが向けた鋭い視線に、彼女は怯える様子も見せずに軽く微笑みを返した。


「ただ、閣下のお立場に影響があるような任務ではないかと。それに実際のところ、私も彼らの目的を測りかねております」

「貴方がそう言うのなら、仕方ありませんね」


 余り気落ちした様子もなくトゥールンが答える。そこでその話は切り上げられた。

 その後トゥールンは、どちらかと言うとアイサを相手に、しばしの談笑を楽しんだのだった。


「では、行ってまいります」


 話が一段落したところで、ヤナは出立の挨拶をした。トゥールンは「お気をつけて」と返し、傍にいたメイドにヤナとアイサを玄関まで見送るよう言いつける。

 メイドは二人を寝室の外へと連れ出した。


「なぜここにいる、フジカ・ファーシア。いつからだ」


 寝室を出てしばらく廊下を歩いたところで、ヤナは先導するメイドにそう声を掛ける。メイドが足を止め、ヤナの方へと振り返った。


「貴方にそれを教える必要はございません、ヤナ・ガルトマーン」


 表情はにこやか、言葉遣いは丁寧。しかし、含みのある毒を隠そうともしていない。


「何を企んでいる」

「何も。貴方と違って、私はツェリン家に雇われているだけですので」


 そう言うとメイドは、再び前を向き、ヤナたちを気にすることなく歩き始める。


「キリカはどうした」

「お姉さまはお姉さま、私は私です。双子と言っても、いつも一緒にいるわけではありませんので」


 もう振り返りもせずそう答えたメイド――フジカ・ファーシアは、ヤナたちを玄関まで連れて行くと、出ていくヤナたちに一礼し、すぐに扉を閉めてしまった。


「あの人、ナイトランダーね」


 アイサがヤナに問いかける。


「いや、その資格がありながら、モーターカヴァリエに乗ることを拒否した二人のうちの一人だ」

「そう……どこかで会った気がする」

「遥か昔、一度だけ」

「ふうん……あの人、キライ。ヤナを傷つける」


 アイサが、握っていたヤナの手に力を入れた。


「大丈夫だよ、アイサ」


 そう言いながらもヤナは、トゥールン・ツェリンのことを思い、一抹の不安を感じるのだった。

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