第21話 追憶の旅立ち
自然の風が頬を撫でている。それがツバキにはとても懐かしく感じられた。ティシュトリアはもちろん、ルナーにも人工の空気しかなく、風など感じることは無かったのだ。
一般用宇宙港であるカンベに降り立ち、自らの『実家』へと向かう。
ニッポンエリア第三管区の中でも最大の居住エリアの一つであるカンベ。ユーメダを中心とした軍事エリアに隣接しているのだが、考えてみればルースとの戦闘はここから目と鼻の先で起こったのだ。しかし、宇宙港からのリニア鉄道の中では、そのようなことを感じさせないほど、人々はいたって普通だった。
「隠そうと思えば、隠せる……か」
居住エリアは全て地下にある。数百年かけて、人類はそうしてきたのだ。いまや地上は、軍事基地や主要施設、エネルギープラント以外にはただ『自然』だけが広がっている。地下からみれば、地上はもう『どこか違う世界』なのかもしれない。
太陽から隠れて生きることが、人にとって幸せなことなのだろうか。
もちろん、光ファイバーとミラーを駆使し、地下空間にも『太陽光』が送り届けられている。地下でも太陽を感じることはできるのだ。しかし、何かが違う。
太陽の光が弱々しいものになっていたセレスの宙域に行ったからだろうか。以前は感じたことのない感覚に、ツバキは少し驚きを覚えていた。
かつて自分が住んでいた場所――六角形を形成するように立ち並ぶ地下マンション群の地上出入り口に一番近い駅で降りる。そこから地下へと行く高速エレベーターへと歩き、エレベーターに乗った。
地表をはぎ取り空から見下ろせば、たぶん蜂の巣のように見えるのだろう。若干の滑稽さを覚えながら、地下空間の一番底に到着したエレベーターを降り、実家のあるマンションへと向かう。
前まで来てマンションを見上げ、その中へと入ろうとしてツバキは足を止めた。
行ってどうするというのだ?
両親、そして兄。今会ったところで、ルースの言う通り、誰も自分が『ツバキ・キサラギ』であると分かる人はいないのだ。それを確認しに行くのか?
いや、とツバキはその考えを否定した。家族を見るというのは、自分にとって必要なことだろう。それに家族が軍から自分がどうなったと説明を受けているのか、それも知りたいと思った。
ツバキの友人、もしくは思い切って恋人とでも称して、家族に会えばいい。そう決心し、マンションのエントランスで部屋別のインターホンを押そうとして、ツバキは異変に気が付いた。
部屋番号の横にあるはずの『キサラギ』の表示が無かった。何も書いていない、つまり空室。何かの間違いではないかとインターホンを押してみたが、呼び出しの音が鳴らなかった。
管理室に行き情報を調べてさらに驚く。移転先の情報はおろか、入居者の履歴情報すら空白だった。訳も分からず、しかしどうすることもできず、ツバキはマンションを後にする。
なぜ……何が……
転居するという話は聞いていなかった。家族に何が起こったのか……分からない。確かに、ツバキはここで生まれ育ったのだ。それなのに。
一つだけ言えること。それは『ツバキ・キサラギとは何者だったのか』を語ってくれる存在がいなくなってしまったということだった。
「オレは……何者だ」
ツバキはまるで夢遊病者の様に歩き、無意識に高速エレベーターに乗り、地上へと上がる。建物を出ると、照り付ける太陽を見上げた。
あの時……ルースと戦った時には隠れていた太陽。装甲服のエネルギー切れを嘆き、見上げた黒い雨空。
あの場所へ……ハーディ隊が眠る場所へ、行こう。
ツバキは、利用可能な交通機関を探して、辺りを見回す。そこで、エアカー――浮上して走行する車――の傍にいた二人の人物に目が留まった。
がっしりとした体格で背筋を伸ばし、威厳のある姿を見せている初老の男と、孫娘にも見える少女。その少女は、風になびくブラウスとスカートには似つかわしくないように見える無機的な機械――視覚補助ゴーグルをつけている。
と、その二人、初老の男性と少女が同時にツバキの方を向いた。視線が合わさる。その瞬間ツバキの脳裏で、幾つものシーンがフラッシュバックのように爆発した。
※ ※
「『特別』が君だけだとは思わない方がいい」
「ヤナさん、待って下さい」
「お別れだ、コノエ君」
若い男性がまるで射貫くように、俺に人差し指を向ける。
※ ※
「ヤナさん、もうやめましょう!」
「断る! アイサも、他の子たちも、君には渡さない」
男性が、傍にいた少女を抱きしめた。そしてその少女にキスをすると、少女を突き放す。少女の叫び声。そして幾つもの光の帯が男性の身体を貫いた。
※ ※
「貴女には、ヤナさんを忘れてもらうことになります」
俺をにらむ少女の瞳。涙で濡れていても、その光は失われていない。
「アナタを、絶対、絶対、許さない」
「許してもらおうとは、思っていません」
その視線を受け止める。胸をえぐられるような感覚。しかし、逃げてはいけない。これが、『ムイアン』の計画を止める唯一の方法なのだから。
「アイサは……アイサは、絶対、ヤナのこと、忘れたりなんかしないんだから!」
※ ※
我に返った時、ツバキは頭を抱えて地面にしゃがみ込んでいた。顔を上げる。視線の先にいたはずの二人は、もういなかった。
脳裏に浮かんだ光景を、ツバキはゆっくりと思い出してみる。見たこともない男性と少女。エアカーの傍にいた二人とは姿が違う。
あの、少女の瞳……人はこれほどまでに、人に憎悪を向けることができるのか。自分に向けられたその瞳を思い返し、また激しい胸の痛みを感じた。
映画のワンシーンではない。空想の産物でも幻覚でもない。それを、胸の痛みが教えてくれた。
これは……この痛みは、『自分』の記憶だ。ただし、今の自分ではない『誰か』だった時の記憶。遥か昔の『自分』の記憶。忘れようとしても、決して忘れることのできなかった……いや、忘れてはいけないと思った胸の痛み。
ツバキはもう一度、手をかざして太陽を見上げた。
「そうである」と受け入れれば、全てを理解することができる。自分は、大切な何かを全て忘れてしまっているのだ。それを思い出すことができたなら、自分を取り戻すこともできるだろう。
なら、『思い出した』ことを全て自分の記憶として受け入れてみよう。そこから、『ツバキ』とは何者なのかが分かるかもしれない。
ツバキは、近くにあったオートショップへ入り、一人乗りのエアバイクを借りた。
※ ※
隣に座る少女が、ヤナ・ガルトマーンの手を握る。
「あの少女が誰なのか、分かったのか」
「うん……彼が誰で、アイサたちにかつて何をしたのか。忘れたふりをしたことはあっても、忘れたことなんか一度もなかったよ、ヤナ」
少女の手に力が込められた。
「彼にも彼なりの正義があったのだ」
ヤナがなだめるようにそう言っても、少女の手に込められた力は、緩むことはない。
「アイサにはアイサの、正義があるよ、ヤナ」
ゴーグル越しに初老の男を見つめる少女の目には、強い意志がたたえられていた。その目が、遠い昔に見たあの青年と同じ目――己の信じる道の為ならばどこまでも残酷になれる目にどこか似ていて、ヤナ・ガルトマーンは少し寂しげに微笑む。
「そうか」
そして前を向き、目を閉じた。
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