第11話 プラヴァシーとしての過去
「シャワー終わったの?」
寝室に戻ってきたツバキの気配を感じ、ルースはベッドメイクの手を止めることなくそう声を掛けた。
そして、ツバキの方へ顔を向ける。そこでルースはふと手を止めた。
ネグリジェ姿、まだ湿り気を帯びた栗毛色の髪、そしてその隙間からのぞくマリンブルーの瞳……ツバキの視線が真っ直ぐにルースを見つめている。
「どうしたの?」
「なあ、ルース」
ツバキがゆっくりとルースの方へと近づく。そして、ルースの目の前で立ち止まった。
「ルースはオレのこと、オレが生まれるもっと前から知ってる、と言ってたよな」
「うん、そうだよ」
「この身体の持ち主のこと、オレが生まれる前のこと、全部聞かせてくれ」
ルースの表情が、一瞬凍り付く。すぐに、少し困った表情に変わったのだが、ツバキはそれを「ずるい」と感じた。
「無理……と言ったら、納得してくれるかな」
「いや、無理だ」
ツバキが即座に答える。ルースは困った表情のままベッドに腰かけると、その横をツバキに示した。ツバキは黙ってルースの隣に座る。
「ツバキには、プラヴァシーとはどういう存在なのか、詳しく話してなかったね」
「ああ、何となくごたごたしてたからな」
そう、ツバキがルースに殺されてから、まだそんなに経ってはいない。にもかかわらず、ツバキにはもうそれが遠い昔のように感じられた。
また……あの時抱いた『感情』が薄れているのを自覚してしまう。
「プラヴァシーというのはね、ナイトランダーのパートナーなんだけど、単に相性がいいだとか、能力を補うとか、それだけじゃないんだ。特別な『縁』で結ばれた存在でね」
「縁?」
「うん。ボクたちは悠久の時を生きる、というのは知ってるよね」
「ああ……不老不死なのか?」
「実際、ボクたちにも分からないんだ。いつか寿命が来るのか、それとも永遠に生き続けるのか。一つ言えることは、僕たちはもう数千年以上、この世界に存在している、ということかな」
「す、数千年?」
「うん」
不老不死の超能力者……まさに超人だと、ツバキは改めてルースを不思議な気持ちで見つめる。
ただ目の前のルースは、二十歳にも到達していない青年にしか見えない。
「じゃあ、星間戦争が始まるよりももっと前のことも知っているということか?」
「そうだね。人間が地球上で大きな戦争をしていた時代も、AIが人間社会を支配してそれを止めさせた時代も、そしてAIによる支配が無くなった後、人間が太陽系へ進出していき、再び大きな戦争を始めた時代も、全て知ってる、かな」
ナイトランダーがまさに「伝説の超人たち」であることは知っていた。しかし、それはあくまで知識の中の存在でしかない。目の前の青年がそうであるとは、ツバキはいまだに信じられないでいる。
「でも、プラヴァシーは人間だろ? ずっと一緒にはいられない」
ツバキもいつかは死ぬのだ。それが戦場であろうと、病院のベッドの上であろうと。
「ボクたちはDNAを操作することができる。人間の寿命を延ばすことができるし、見目を『若返り』させることもできるんだよ」
「なっ……じゃあ、プラヴァシーも死なないのか?」
「ううん、若いままにしておけるのはあくまで見目だけ、だね。人間の脳の老化を止めることは、ボクたちでもできないんだ」
そっか、とツバキは少しがっかりしたものの、考えてみればツバキは生まれてまだ二十数年しか経っていない。自分がそんな『延命』をされたことは……そこでツバキは、自分の今の身体がナイトランダーのその能力の仕業だったことを思い出した。
「じゃあ、プラヴァシーが死んだら、どうなるんだ?」
「『生まれ変わり』を探しに行くんだよ。ナイトランダーがね。人間は、悠久の時間を生まれ変わり続けている。だから、自分のプラヴァシーの生まれ変わりを探すんだ」
「なるほど、そういうことか」
なるほど、とは言ったものの、ツバキには実感がわかない。でもルースがそう言うのならそうなのだろうと、自分を納得させる。
「でも、人間の方には、記憶がないだろ。オレはルースのこと、覚えてなかったぞ。どうやって探すんだよ。見たらわかるのか?」
「ほんとはね、覚えているはずなんだ」
そこでルースは少し顔を伏せ、上目遣いにツバキを見た。
「プラヴァシーがね、ナイトランダーのことを」
「生まれる前のことを覚えてるってのか?」
その瞳は複雑な色を宿している。嬉しさ、悲しさ、嘆き……
「そう……遥か昔に、ボクたちと特別に『盟約』を結んだ人間がいる。人間が太陽系に出ていく前の時代のことだよ。それがプラヴァシーなんだ。その盟約ゆえに、その人間は生まれ変わっても、いわば前世の記憶を持ち続けることができる。その記憶に導かれ、また二人が出会う。それがね、ナイトランダーとプラヴァシーの『縁』なんだ」
「オレも、か?」
「うん。だからツバキはボクにとって『特別』なんだよ。ツバキでないとダメな理由、ということだね」
「でも、人間って、そんな都合よく同じ人間に生まれ変わるのか? 女に生まれることもあるだろう」
「勿論いろいろだよ。だから出会った時に、以前の姿のDNAに書き換える、というのが普通かな」
ツバキは自分の身体を見てみる。胸に手を当て、「じゃあこの身体が、元々のオレなのか?」とルースに尋ねた。そこでルースはすまなそうな顔を見せる。
「いや、それはあの時の『緊急事態』のせい、なんだ。まだ『プラヴァシー』という呼び方も無かったはるか昔の、ある一時だけキミがそうであった女性だよ」
「あ、そんなこと言ってたな……その時にはもう、ルースとオレは『盟約』で結ばれてたのか?」
「うん」
「……その盟約って、どんな関係なんだ?」
「どんなっていうと?」
「例えば、オレとルースの間に、何かの利害関係があったとか。友情があったとか。何もないのに『盟約』なんて結ぶのか?」
「えっ……あ、ああ、そ、そうだね。ナイトランダーとプラヴァシーの関係は、まあ、色々、かな?」
なぜかルースの言葉が、たどたどしいものに変わる。
「だからオレとルースの関係はどうなんだよ」
ルースは、はぐらかそうとしたのかもしれない。しかしツバキの追い打ちに、ルースの視線が泳ぎ始めた。
「えっと、た、多分……『愛』だと、思う」
随分と自信なさげな言葉だったが、しかしツバキにとっては衝撃を与えるに十分なものだった。
「ちょっと待て待て。ルースの話だと、オレは元々から『男性』だったように思えたんだけど」
「そ、そうだね」
「オレが『男性』だった時に、ルースと盟約を結んだ?」
「そうだよ」
ツバキは眉をひそめて……少し考えた。
「もしかして、オレ、そういう趣味だったのか?」
そして恐る恐る聞いてみる。
「そういう?」
「いや、否定するわけじゃないんだけどな。その、ほら、ルースは女性っぽく見えるけど、やっぱりその、男同士なわけで……」
「あ、ああ。そ、そうだね。ま、まあ、そう、かな」
ルースの答えは随分と曖昧なものであったが、ツバキはその衝撃ゆえに、ルースの曖昧さを流してしまった。
「プラヴァシーとしてのオレはどんな姿なんだ?」
「アジア系の顔をした、優しそうな男性……正直、ツバキの元の姿とそっくりだよ」
「そうなのか? じゃあ、この身体、元に戻してくれよ。できるんだろ?」
ツバキの言葉に、ルースは眉を眉間に寄せた。しばらくツバキを見つめ、そして視線を外した。
「ごめん、できないんだ。二度目の『書き換え』は脳に深刻なダメージを与えてしまう」
申し訳なさそうなルースの声。
「そうなのか……でもオレはルースのことを覚えていない。はるか昔はおろか、『前世』なんてものすら、覚えてないぞ」
そのツバキの言葉に、ルースの表情が一気に固まった。
「それは……」
ルースが言いよどむ。視線をツバキから外すと、まるで顔を見られたくないかのように横を向いてしまった。
そんなルースを、ツバキはじっと見続けていた。促すことはしない。ただ、ルースが答えるのをじっと待っている。
「ナイトランダーによって命を奪われたプラヴァシーは、記憶を失うみたいなんだ」
観念したように、ルースがぽつりとつぶやいた。
「じゃあ、昔のオレはナイトランダーの誰かに殺されたってことなのか」
「う、うん……」
「誰に」
必然的にそう聞いたツバキを、ルースが横目で見る。
「それは、言えない『掟』なんだ」
「そうか、なら、オレとルースが盟約を結んだ時のことを教えてくれ」
「それも、言えないんだ」
様子をうかがうというような目ではなかった。なんだろう、まるで射るような、そんな印象。反論を許さない、瞳。
ツバキはまた「ずるい」と感じた。
その感情が伝わったのだろうか、ルースはツバキから視線を逸らした。
なら……オレはもっとずるいことをしよう。
ツバキが自分のネグリジェに手を掛ける。両肩にかかる紐を外すと、それがストンと下に落ちた。
その音に、ルースの視線がツバキへと戻る。そのルースの視線の先には、生まれたままの姿でツバキが立っていた。水をはじくような小麦色の素肌。しかし恥ずかしい部分は、無意識に手で隠してしまっている。
「誰に殺されたのか。どうやってルースのプラヴァシーになったのか、そして昔のオレが、誰と会い、何をしていたのか。全て聞かせてくれたら、オレを、好きにして……いい」
そのツバキの言葉を聞いたルースの瞳に、一瞬、欲望の色が浮かぶのをツバキは見逃さなかった。これまで見たことのなかった、ルースの『人間的』な反応。しかしルースは、直ぐに顔をそむける。
顔から火が出るほど恥ずかしかったが、覚悟を決めてこの部屋に入ってきた分、今はルースに対する後ろめたさはなくなっている。実際、ルースがそうしたいというのなら、そうされてもいいと思っていた。
ツバキは初めて、ルースに対して自分が優位になったような気がした。
「ちょっと、ツバキ、何を……」
「か、身体じゃだめなら、ルースがオレにして欲しいこと、全部して」
「待って」
全てを言う前に、ルースがツバキを止めた。ルースの手が震えている。
「昔のツバキがどんなことをしていたかは、本当に教えることができないんだ」
ルースは思わず、『本当』のことを口にした。
「じゃあ、誰に殺されたかは、教えられるんだな。それはオレの行動じゃない」
「教えられない、よ」
「そこまで言うなら、オレはティシュトリアを降りる」
「ツバキ……」
「掟なら仕方ないと思う。でも、隠し事するなら、ルースを信じられない」
ルースがその紅い瞳をツバキに向ける。慈悲を乞う、そんな色も、ツバキの目を見た瞬間、絶望に変わっていた。
自分が本気であること……ルースにそれが伝わったようだ。
ルースが視線を落とす。二度、三度、その白いまつ毛が目を上下すると、ルースは上目遣いにツバキを見た。
そこにあった恐怖……この『超人』が感じる恐怖とは、いったいどういうものなのだろう。
その疑問に答えるように、ルースがゆっくりと口を開いた。
「キミの命を奪ったのは……ボク、なんだ」
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