第10話 悠久のトライアングル
「ルース……」
ホワイトブラウスとリネンキュロットを身に着けた姿。ルースが外出に選んでいたのは随分と女性的な服装だった。少しボーイッシュな格好をしたツバキに合わせるようにしたのだろう。そこにナイトランダーの証であるムーンストーン色のマントを羽織っている。
そのルースの目が、どこかショックを受けたような色を帯びてツバキを見ていた。
二人で何をしていたわけでも無い。そのはずだった。ユウが何をしたかったのか、それはツバキには分からなかったが。
ただ、唇が触れ合うほどの距離、その距離にいたことをルースに見られたのだ。
「ルース、こ、この人は」
ユウは女性であり、ツバキも『女性』である。公園にいた人ならば、ただ単に、随分と仲の良い二人の少女……そう見えただろう。
しかし、ルースは知っているのだ。ツバキが『男性』であることを。
「たまたま知り合って、少し話を……」
ルースが、まるで氷の刃のような目を、ユウに向けた。
そこでツバキは、ふと気付く。
ルースは……ツバキがこの女性と一緒にいたことを怒っているのではない。あの一瞬、ツバキはユウにその身を委ねようとし、そしてそれを、ルースは見たのだ。
ルースはそれを不愉快に感じている……
さらにツバキは何かを言おうとしたが、ルースの視線の鋭さに、それ以上言葉が口からでない。
つと、ユウがベンチから立ち上がる。その横顔は、さっきまでの様子と変わらず不機嫌なままであったが、その視線ははっきりとルースを捉えている。
ユウとルース。二人はしばらくの間、視線をぶつけあっていた。
公園にいる人たちの声だけが辺りに響いている。
「ツバキ、今日は楽しかったぞ」
それを破るようなユウの言葉。そして、ストローハットを深くかぶり直すと、
「また、会おうぞ」
と言い残し、ユウはセントラルパークの出口に向かって歩き始めた。ルースは、立ち去る彼女の後姿をじっと見つめている。
「ルース、怒ってるのか?」
ユウの姿が見えなくなった後も視線を動かそうとしないルースに、ツバキは恐る恐るそう尋ねた。
ようやくツバキに視線を向けたルースの目からは、ユウを見つめていた鋭さも、その視線の中にあったぞっとするような冷たさも消えていて、あのいつもの優しい微笑みに戻っている。
「怒ってないよ。なぜ?」
そう言うとルースは、ツバキの方へと右手を差し出す。ツバキはゆっくりとその手を取り、そしてユウの気配が未だ残るベンチから立ち上がった。
※ ※
「一体どこへ行っていた」
黙っていれば一般市民と変わらない姿……ジャケットと紺色のパンツ姿の男二人が、通りを歩いていたユウの左右に現れる。
「公園」
「勝手な真似をするな」
そう釘を刺す男の言葉に、ユウは沈黙で応えた。どこからともなく、白いエアカーが現れる。男たちに促され、ユウは車へと乗り込んだ。
加速する車の窓から外を見る。
「あれが、ナイトランダー……」
ほとんど聞こえないような声でそうつぶやくと、ユウは車の窓ガラスを指でなぞった。
「ツバキ……」
※ ※
必要なものの買い出し、そして食事。ツバキはその後、ルースと一緒にディアナ市の中をうろうろしていた。
並んで歩いていると、どちらが女性なのか分からなくなるくらい、ルースは魅力的だ。しかし今となっては、反対にそれがツバキの後ろめたさを加速させていた。
「フレンチなんて久しぶりだったなあ。ツバキは食べたことあった?」
「い、いや、無い、かな」
「気に入ってくれたかい?」
「あ、ああ。とても」
せっかくということで、ティシュトリアでは食べられないような食事を食べたのだが、ツバキはその味をあまり覚えていなかった。
別に何もやましいことをしたわけではない。そうは思うものの、あれ以降もルースの様子に変わったところがないことが、反対にツバキをどんどんと不安にさせていく。
全ての用事を終えティシュトリアに戻る頃には、ツバキはうつむき加減で自ら体をルースに寄せるように歩いていた。
ティシュトリアに戻り、寝室に落ち着く。そこでルースが「ねえ、ツバキ」と言った言葉が、これまでと違う色を帯びているように感じ、ツバキはびくっと肩を震わせた。
「な、何?」と、慌てて返事をするツバキ。ルースは何か言葉を飲み込むと、「シャワー、先に入っておいで。今なら使い放題だから」と言って、ツバキをバスルームへと追い立てた。
ルースは、何か別のことを言おうとしていた。しかし、それを聞くのは怖かった。
一体なぜ、こんな気持ちになるのだろう……ミラーに映る自分の裸を見ることによって自分が女性であることを確認しても、ルースに対する言いようのない後ろめたさが、抑えられない。
偶然知り合った女性。もちろん、ドックにいたということを考えると、何かありそうな女性ではあった。しかし、それだけでは説明できない感情をユウに感じるのだ。それが、ルースへの後ろめたさの原因になっている。
ツバキは鏡の向こうにいるはずだった『男の自分』に問いかけてみる。
お前は、ユウを知っているのか?
いや、『男の自分』には彼女を見た記憶はないはずだ。にもかかわらず、あの時感じた懐かしさは何だったのだろう……
そこでツバキは思い当たった。『男の自分』よりも更に昔の『自分』を知っている人物に。
ルース……ルースは、それを知っている……
ルースはツバキを探していたと言っていた。ツバキがルースの『プラヴァシー』だから。
プラヴァシーって、何なのだろう……
これまでのルースの話を思い出してみる。よく考えてみると、ナイトランダーにとっての『単なるパートナー』という軽いものではなさそうだった。
シャワーの栓を閉める。
ツバキは、これまで聞こうとは思わなかったプラヴァシーのこと、そして『自分』のことを、ルースに聞くことにした。
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