第8話 アンノウンな感情
「ツバキ、ツバキ」
誰かが後ろから自分を呼んでいる。眠い目をこすりつつ、声の方へと振り返った。
そこに、左部分が壊れた仮面を被った女性が、左目から血を流しながら……
「うわぁ!」
まるで悪夢のような光景に、ツバキは勢いよく飛び起きた。
「ごめん、驚かせたかな?」
寝ぼけが一気に吹き飛んだ。そんなツバキの目の前には、エプロンをつけたルースが立っている。左の頬に、赤い液体を付けて。
「な、なんだ、ルースかよ。って、なんか顔についてるぞ」
そう言われてルースは、自分の頬についていたものを指で拭う。そのまま口へともっていった。
「ケチャップだね」
「……その恰好、何?」
「朝食を用意したんだ。簡単だけどね」
ルースはツバキにウィンクを一つ送ると、ワゴンを目の前へと移動させた。ワゴンの上には、トーストとオムレツをのせたお皿が置いてある。
「ルースが作ったのか?」
「作ったというほどのことはしてない、かな」
ルースは少しいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「へぇ、でもすごいじゃないか」
ルースの『家事』に感心しつつも、最初に見た『幻覚』を思い出してツバキは少し憂鬱になる。
「ここで食べるのか?」
「そうだね。今、宇宙空間にいるから、できるだけコックピットから離れないようにしないと」
そう言いながらルースは、用意してあった折り畳みテーブルを広げた。ポットに用意してあったコーヒーをカップに注ぐと、ルースがツバキの横に腰かける。
ネグリジェ姿のままの自分が、なんだか気恥ずかしくて、ツバキは胸元を整えた。
何気ないおしゃべりとともに朝食が終わる。するとルースは、ツバキにコックピットへ行くよう促した。
「何をするんだ?」
「もうデータが届いているだろうからね」
お皿の乗ったワゴンを後方デッキへと運んでいくルースを何となく見送ったのだが、ツバキにとってはそんなデータよりも、どの服を着るべきかのほうが頭を悩ます問題である。
「軍にいた頃は、そんなことを考えたことも無かったな」
ベッドの脇のクローゼットを開けると、ルナーで買ってもらった服がいくつも掛けられていた。宇宙空間では水は貴重であるため、頻繁に洗濯をするわけにはいかない。ある程度着続けて、宇宙港へ寄った時にまとめて洗うのが普通なのだ。
必然、昨日着ていたドレスを選ばざるを得なくなった。
「結局これが『戦闘服』か……」
ドレスを手に取り、鼻を近づけて少しにおってみる。
「ほんとにいい匂いなんかするのかよ」
ルースはそのようなことを言っていたが、言葉通りに受け取る気にはなれない。自分でも理由が分からないのだが、どうもルースと一緒にいると自分の体臭が気になって仕方がなかった。何もにおわないのだが。
「するよ」
いつの間にか部屋にいたルースが、ツバキの独り言に返事をする。あまりの恥ずかしさにどうしていいかわからず、とりあえずドレスを体の後ろに隠した。
「バ、バカ!」
自分でも、全くの理不尽な反応だとツバキは思ったのだが、ルースは肩をすくめながらも、それに微笑みで応えた。
※ ※
コックピットの全天球モニターの一部に、フィスから送られてきた戦闘データが表示されている。解析された3D画像と戦闘中の火器、バリア、装甲、そして機動データ。
ツバキの知っている航宙艦や機動兵器は、
「空挺機兵の知識は、ここじゃ全く役に立たないな」
「そんなこともない、かな」
気休めなのか本心なのか、よく分からない調子でルースが答える。
「で、何か分かったのか?」
「んー、少なくともモーターカヴァリエに近い性能であることは確かだね」
「モーターカヴァリエみたいな機動兵器くらい、他でも作れるんじゃないのか?」
「『みたいな』というなら可能だろうね。実際、マルスのクリーガやシュッツェは、モーターゲリエっていう機動兵器だよ」
「じゃあ、どこかの『新型』だろ」
ツバキはモニターを指差しながら、そう結論付けようとした。
「でも、どうしても真似できない性能があるんだよ」
「バスターカノンとME変換フィールド、そして次元ドライブ、だろ?」
「そうそう」
それらは、モーターカヴァリエが「戦場の支配者」と言われる要因である。確かに、それらがコピーできるのであれば、とっくの昔に様々な軍が生産をしているはずだろう。
「なんで真似できないんだ?」
「これらはそもそもナイトランダー個人の能力を増幅して使っているからだよ」
「なるほど……」
モーターカヴァリエには、能力の『増幅装置』が付いている。『普通の人間』が乗っても、それが使えるわけではない。
それをしれっと言うルースを、ツバキはまじまじと見つめた。
――ルースは、『人間』じゃないんだよな……
見た目だけでは、全く普通の人間である。振る舞いも、言葉も、そして唇の感触も。
「じゃ、じゃあ、あの
「それがね、ありえないからフィスも困っているみたい」
ルースはモニターを見つめながら、そこで少し黙ってしまった。
ふとツバキの脳裏に、ルナーで見た黒髪の女性が浮かぶ。まるで幻影のように消えてしまった彼女。モーターカヴァリエのドック、しかも「十二番目」にいたのだから、もしかしたら彼女はナイトランダーなのかもしれない。
「十二番目のナイトランダー、じゃないのか?」
恐る恐る聞いてみたツバキの言葉を、ルースが即座に否定した。
「『十二番目』も、『十三番目』も、今は
「知り合いなのか?」
「ナイトランダーは皆、知り合いだよ。一応ね」
結局ツバキは、ルナーで見た女性のことについては黙っておくことにした。
「どこかのモーターカヴァリエが姿を変えてってことはないのか?」
「それはないね。識別信号があるし、そもそもナイトランダーの『掟』に反する行為だよ。バレたら『永久追放』だね」
そう言ってルースは、右手で首を刈る仕草をした。
「そうか……まあ、少なくとも、モーターカヴァリエに近い性能を持つ兵器が登場したわけだろ?
「そうだね。またボクたちの前に現れるかも」
おどけた様子で、ルースがツバキの顔を覗き込む。
「脅かすなよ」
そういって顔をしかめたのだが、ルースは軽く微笑んだ。
「大丈夫、ツバキはボクが守るから」
そう言ってルースが、ツバキの顔にそっと手を伸ばす。手の感触が頬に伝わると、ツバキは、自分でもはっきりわかるほど顔が熱くなっていくのを感じた。
視線だけをルースから外す。
「べ、別に自分の身くらい、自分で守る」
自分に『男色』の趣味があるとは思わない。つまりこの感情は、ルース相手だからこそ湧いてくるものなのだ。だからこそ、ルース相手に体を熱くさせてしまう自分を、ツバキは許すことができないでいた。
いっそ、そういう趣味があったのなら、この感情の説明もついただろう。恋愛に身を溺れさせた情けない新米軍人で済んだ話だ。しかし、そうではないのだ……
ルースの顔がゆっくりと近づく。ツバキは一瞬躊躇したが、抗えない衝動に観念し、目をつむるとルースに自らの唇をゆだねた。
――オレは……どうしたいんだ?
※ ※
「また戻るのか?」
ルースが告げた次の目的地を聞いて、ツバキは複雑な声を上げた。
結局、更に一日、マルス宙域で滞在したのだが、マルスのナイトランダー二人――フィス・ディ・ランとピアース・グンター――と話をした後、ルースはルナーに戻ると言い出した。
「そうだよ」
「なんでだよ。せっかくマルスまで来たのに」
セレスへ向かうと聞いていた。その為にマルスで補給するはずだったのだ。
「状況が変わったから、ね」
「んー……」
「ゲート付近での戦闘、加えてシルチス行政府の航宙艦一隻とモーターゲリエ二機が破壊、一機が大破、だよ。もう、いつ戦争が始まってもおかしくないね。下手したらミドルスフィアとマルスの全面戦争だよ」
「あのアンノウンのせいだろ?」
「だからといって、ああそうですか、では終わらないよ」
エイジアとシルチス、お互いが相手のせいだと非難し合う……そうなっていることは想像に難くない。
「でも、ルースは何しに行くんだよ。エイジアとシルチスの間の話だろ?」
「偉いさん同士がね、ルナーで会談を行うことになったみたいだね。ただ今回、エーリュシオンはお留守番をするそうだよ」
「へえ……」
「グンターのフェンリルが護衛につくけど、ボクはそのお手伝いだね。後、ついでに『アンノウン』についての報告、かな」
「なんだかルースって、マルスのナイトランダーだな。セレスじゃなかったのかよ」
「ふふふ。まあ、色々と、ね」
更に色々ごねるツバキをなだめると、ルースはコックピットへと向かう。
「用意出来たら、コックピットに来てね」
「ルナーには降りるのか?」
「うん、そうなるね」
「そっか、分かった」
ルナーに降りるなら、あの女性にもう一度会えるかもしれない。
ツバキは、クローゼットに並ぶ服を見ながら、ルナーで見た『幻』を思い出していた。
※ ※
「やりすぎだ」
痩せ気味の男……ワン・シーピンは、不愉快さを隠すことなく、傍に控える白衣の小柄な老人に言葉をぶつけた。
「しかし、十分なデータも取れました。テストは成功です」
「相手にも知られた、ということだぞ」
「すべてを見せてはおりません」
「本当か? それに、パイロットに不安があると聞いたが」
「そのようなことは」
「ふん、まあよい。私はルナーに行ってくる」
「大将自ら、でございますか」
「まさかあの小僧を行かせるわけにもいかんだろう。面倒にはならんだろうな?」
「それは、大丈夫でございます」
「シルチスとの交渉、それが無事に済めば、次に移る。準備しておけ」
「はっ」
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