第6話 スクードゲイル事変

<マルス・ラグランジュ2 次元ゲートにて>


 重力均衡点である『ラグランジュ点』は、各惑星に五つずつ存在している。次元ドライブのゲートが設置されているのはその内のいくつかなのだが、マルスのゲートは惑星に近い二点にのみ設置されていた。


 この日は、ゲート防御用の要塞から出撃したフリゲート艦『スクードゲイル』が、ゲート周辺の哨戒に当たっていた。

 『スクードゲイル』は全長四〇メートルほどの紡錘型で、ナイトランダーたちが乗るモーターカヴァリエよりもはるかに小さい。艦長と乗組員の十名ほどで運用されているものだ。


『アラート、アラート、ドライブアウト』

「ラジャー」


 ゲートから宇宙船が出てくるという警告が、要塞から『スクードゲイル』にもたらされる。


「水素運搬船か」


 ゲートから出てくる予定の宇宙船の情報が、スクリーンに表示されている。このゲートを往来する船のほとんどは、木星で採取される資源用水素の運搬を目的としていた。


「あれ? 変ですよ」


 火器管制担当のアボットが声を上げる。


「どうした?」

「所属がエイジアになってます」

「エイジア? 何でまたエイジアの船がここから出てくるんだ」

「さあ」


 どことなく間の抜けたアボットの返事に、艦長のルーデンスはこめかみを指で押さえた。

 エイジアの運搬船なら、直接ミドルスフィアのゲートに行けばいいものを、なぜここに出てくるのか。


「先日の事件があったばかりだ。何かあったら大事になる。後退するぞ」

「イエス・サー」


 ルーデンスは、ゲートから離れるように指示を出した。


※ ※


 様々な計器が放つ光点だけが暗がりの中に浮かんでいる。その中に、ヘルメットとパイロットスーツ姿の人間が一人、コックピットに座っていた。

 ヘルメットの中で、静かな呼吸音が響いている。


 渇く……


 言いようもない喉の渇き。それは緊張によるものでも、この閉鎖的空間からくる圧迫感によるものでもない。


 聞こえてくる呼吸音は、何のため?


 ただ生きることを目的に、供給される空気を吸い込み、吐き出している。

 自分が何のために酸素を肺の中に入れ、その代わりに二酸化炭素を吐き出しているのか。

 それが分からなくなっていた。


『ドライブアウトまで、後三十秒』


 ハスキーな女の声が無機的にヘルメットの中に響いた。


「了」


 パイロットが発した声は、それ以上に無機的な若い女のもの。

 ヘルメットのバイザーに様々な情報が映し出されたが、彼女はその煩わしさに目を閉じた。


 小麦色の肌をした、栗色の髪の少女。

 生気あふれる表情と、機敏な動き。


 あの、空虚なドックで見た、すべてが自分と正反対の存在である少女の姿が、瞼の裏に浮かんでくる。


 この女のせい……


 考えるだけで、彼女の喉の渇きは一層ひどいものになっていった。


 今まで感じたことのなかった感情。それが何かは分からない。

 一体何に渇いているのか。液体では癒すことのできない、喉の渇き。


 この掻き毟る程の喉の渇きを生み出しているのは……あの少女……


 なぜ?


『呼吸、乱れ。心拍上昇。緊張か』


 思考が、ヘルメットに響く声に中断された。


「平気」

『後十秒。対象設定。用意』


 彼女が右手でいくつかの操作を行っていく。


「安全装置解除、射撃準備完了」

『五、四、三……』


 どうすれば……この渇きは収まるの?


『二、一』


 答えのないまま、彼女は右手の親指に力を込めた。


「発射」


※ ※


 目の前のゲートから、運搬船のシャトルの頭が顔を出す。運搬船は牽引するシャトルに水素を積むタンクが幾つか連なる形をしているが、全長が一キロメートルを超えるものも珍しくない。


 シャトルがゲートを抜け、さらに一つ目のタンクがゲートを抜けてくる。しかし、ルーデンスが予想していたのとは異なり、運搬船はタンク一つだけで終わっていた。


「ん? 一つだけか」


 ルーデンスはスクリーンを見ながら思わずそうつぶやいたが、それが彼の最期の言葉となってしまった。

 そのタンクが光ったかと思うと、『スクードゲイル』はレーザーに艦体を貫かれ、爆散した。


※ ※

<ティシュトリア内>


 すぐ隣から、軽い寝息が聞こえてくる。


 少し長いキスの後、ルースは自分のベッドに戻ろうとしたのだが、ツバキは思わずそれを止めてしまったのだ。

 ツバキの執拗なまでの「寝るだけだぞ、一緒に寝るだけだぞ」という言葉にも、ルースは嬉しそうに微笑んでいたが、本当に何もせずに眠ってしまったルースを見て、ツバキは少し複雑な気持ちになる。


 振り向くと、ルースの細く白い首が見える。ふとその首に向けてツバキは両手を伸ばした。そして首に手を掛ける。


 ルースに動く気配はなかった。


 ルースの体から、木の香りが漂ってくる。それが香水なのか、それともルースが持つ体臭なのか、ツバキには分からない。

 少し考えた後、ツバキはルースの体に自分の顔を近づけ、軽く息を吸い込んでから、ゆっくりと目を閉じた。


 と、突然、部屋の中に軽い調子の電子音が鳴り響く。


「なんだ?」


 驚いて身を起こしたツバキ。辺りを見渡し、そして寝ていると思っていたルースが身を起こしているのに驚いた。


「お……起きてたのか?」


 そう聞いたツバキにニコリと笑顔を返すと、ルースは入り口横の壁に設置されていたモニターを見た。


「通信だね」


 ルースが「オンスクリーン」と言うと、モニターに一人の女性が映し出される。ダークグレーの髪と肌、随分と特徴的な女性だった。


『ルース、大変よ』


 回線がつながるや否や、その女性は名前も名乗らずに話し始めたのだが、ルースの横にいるツバキを見て、言葉を途中で止める。そして怪訝な顔をした。


『ちょっと、それ、どういうこと』


 モニター越しに見えるその女性の鋭い眼光が、ツバキに向けられている。


「あ、いや、少しがあってね」

『ふうん』


――これは、だれなんだろう。


 その眼光の鋭さのわりに、とげは感じない。しかし自分に向けられる視線の中にある何かを量りかねて、ツバキはふとルースを見た。


「で、何かあったのかな」

『L2で戦闘よ。救援要請が出てるわ』


 モニターの女性の表情が険しいものに変わる。


『エーリュシオンを出すけど、間に合うかどうか』

「相手は?」


 モニターの向こうの女性は、何かを操作しながら受け答えをしている。ツバキにも、それが発進準備であることが分かった。


――エーリュシオン……マルスのモーターカヴァリエだ。


 ツバキにはその名に聞き覚えがあった。


――この人も、ナイトランダーなんだ。


『カヴァリエ“もどき”らしいわ。アスクリス軍のクリーガ1機とシュッツェ2機が向かったけど』

「もどき?」


 ルースが不思議そうに聞き返す。


『バスターカノンを撃ってきたらしいわ。シュッツェ1機が吹き飛んだそうよ』

「誰かのモーターカヴァリエじゃないのかい?」

『それが、所属不明機アンノウンらしいのよ』

「まずいの?」

『早く行かないと全滅だわね。悪いけど、”会合”は中止よ』


 そこでまた、モニターの向こうの女性は、身体を動かしていくつかの操作を行いだした。


「フィス、ティシュトリアを出すよ」

『ちょ、ちょっと。アナタ、マルスの守護じゃないでしょ』

「支援するよ。ツバキ、コックピットに行こう」


 ルースはベッドから降りると、ツバキの手を取った。


『ルース、面倒になるから止めなさい』

「地上にいるなら、そっちは発進にまだ時間かかるよね。ティシュトリアの方が早い」

『それは……そうだけど』

「先に行ってるよ」

『救出だけでいいのよ。相手が何かよく分からないんだから、アタシが行くまで無理しないで』

「分かってる」


 ルースはツバキを連れてコックピットへと走り出した。


「ツバキ、すまない、戦闘になるかも」

「それはいいけど……オレで大丈夫なのか?」


 ツバキも元軍人である。戦闘に恐怖はないが、ティシュトリアでの戦闘はほぼ初めてであるため、不安は大きい。


「重力制御はいらないから、ツバキがすることはないよ。索敵モニターを見ておいて」


 コックピットに駆け込むと、ルースが手際よく発進準備をこなす。


「いきなり『跳ぶ』から、気を付けてね」

「跳ぶって……ドライブするのか?」

「そう」

「ちょ、ちょっと待て」


 ツバキもあわててヘッドギアをつけ、身体をシートに固定した。


「行くよ」

「こ、心の準備が」

「後でやってくれないかな」

「それは準備とは……」


 ツバキの抗議は叶わなかった。突然、浮遊感が押し寄せる。

 次元ドライブに入ったティシュトリアが、マルスの宙域から消えた。

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