第4話 十代のプレジデント
<エイジア中央行政府にて>
「シルチス、討つべし!」
カーキ色の軍服を着た二メートルを超える大男が、立ち上がった状態で、拳を握りしめながら力強くそう主張する。歳は四十過ぎだろうか、それでもこの部屋にいる他の者よりは一回り以上は若い。上座に座る一人の少年を除いて、ではあるが。
「停戦協定を破り、あろうことか民間の船を沈めるとは言語道断。犠牲になった百人もの船員の為にも、ここはシルチスに対して厳しい制裁が必要かと、総裁閣下」
大男の視線の先では、憂い顔の少年が会議場の大きな机の上の一点を見つめていた。
まだ十代半ば過ぎにしか見えない少年は、他の者と同じようにカーキ色の軍服を身に着けていたが、少なからず『着せられている』感が強く、体に馴染んでいるようには到底見えなかった。
「ウェイ少将。星間輸送船襲撃事件がシルチス行政府によるものであることは、確かなのですか」
澄んだ声で、その少年が大男に尋ねる。
「ただ今調査中ですが、間もなく首謀者が明らかになるかと。しかし、シルチスの仕業以外には考えられませぬ」
大男は力強い声でそう言い切ったが、そこへ別の人物が異議を唱えた。
「何事も決めつけるのはよろしくない。事は重大だ。下手をすればミドルスフィアとマルスの全面戦争にもなりかねん。もっと慎重になってもよかろう。先ずはシルチス行政府の回答を待って、その対応を見てから方針を決めても遅くはあるまい」
小柄で、薄くなった髪だけでなく、口ひげも顎ひげもすっかり白くなっている。しかし、この『御前会議』の場にいる資格を持つ者らしく、芯の通った重たい声には威圧感があった。
「シャルーフ中将、そのような生ぬるいことを言ってきたから、シルチスを付け上がらせたのでしょう!」
しかしウェイは、もう七十歳に手が届くであろう重鎮のシャルーフに対しても、物怖じすることなく反論する。少しヒートアップし過ぎている感のあるウェイに対し、落ち着くようにと別の声がかかった。
「落ち着きたまえ、ウェイ少将。中将の意見ももっともなものだ。ここはお二方の意見を取り入れ、シルチス行政府の回答を待ちつつ、軍事作戦の準備を進めることにしてはいかがですかな、総裁閣下」
五十前後のやや痩せてはいるが骨太の体つきをした声の主は、鋭い眼光で少年に尋ねる。いや、その場の誰しもが、その言葉が『お伺いを立てる』ようなものではなく、単に形式的な了承を要求しているに過ぎないことを知っていた。
これまでの『御前会議』では、これで話が終わっていた。しかし、今回はそうではなかった。
「ワン・シーピン大将。それでは戦争の準備をしているのと変わりないではないですか。悪戯にシルチス行政府を刺激してどうするつもりなのですか?」
少年の思いがけない反論に、ワンは思わず眉をひそめ、シャルーフとウェイは目を開いて驚き、そして唯一全く言葉を発することなく座っていたヤナ・ガルトマーンは少し目を細めた。
「ガルトマーン、貴方の意見を聞かせてください。この事件は本当にシルチスの仕業なのですか?」
少年は、背筋を伸ばして席についたままこの会議中ほとんど動かずにいた初老の男に、しっかりとした口調で尋ねる。ガルトマーンがルナーから戻ったのはついさっきのことだったが、休むこともせず、この会議に顧問として出席していた。彼は、少年の眼をじっと見ると、おもむろに口を開く。
「トゥールン・ツェリン総裁閣下、私はその現場にいたわけでも、現場の検分をしたわけでもありません。確かな情報が無い以上、断定できることは無い、とだけ申し上げておきます」
重厚な声が部屋に響いたが、その内容はトゥールン・ツェリンと呼ばれた少年の期待に沿うものではなかったため、少年は少し落胆した表情を見せた。
「ただし」
しかし、ガルトマーンの発言はそれだけでは終わらなかった。
「少なくとも私が見るに、マルスのナイトランダーである二人、ピアース・グンターとフィス・ディ・ランは、今回の事件の原因を知らないように見受けられましたな」
「そ、そうか」
その言葉に、ツェリンの表情が少し明るくなった。
「ワン大将。今はまだシルチスの起こした事件だと断言はできません。貴方の意見もわかりますが、軍事作戦の準備を進めるのはやめて欲しいのです。これは私からのお願いです」
ツェリンはワンの眼を見据えながら、強い意志をもってそう『お願い』をした。ワンは、しばらく目を閉じた後、再び目を開けてツェリンに答えた。
「総裁閣下がそうお望みならば、それに反対する理由はありません。ただし、回答期限を設けていただけますかな?」
「期限?」
「そう、一週間。それを過ぎてもシルチス行政府から回答が無い場合、戦争の準備を始めます。それでよろしいですな、ツェリン総裁閣下」
「わかりました。そうしてください」
その言葉をもって、ようやくエイジアの中央行政府で行われていた会議が終わった。
※ ※
薄暗い一室。二人の男が話をしている。
「誰かが小僧に入れ知恵でもしたのか」
「ガルトマーンでは?」
「いや、奴は違う」
「その辺りの情報は入ってきておりません」
「そうか……しかし奴の存在が小僧の支えになっていることに変わりはない。この間のことといい、全く厄介なものだ。とりあえず、シルチスからの『攻撃』については、予定通り進めろ」
「分かりました」
「『計画』の方も進んでいるのか?」
「パイロットの調整は無事に終わりました。現在、ルナーからここへ移動中です」
「ふむ」
痩せ気味の男……ワン・シーピンは、データの載った紙を見て少し眉をひそめた。
「こんな子供……それも、女か」
「『モーターディエス』の操縦には、それなりの『適性』が必要なのです」
「ここまで科学技術が発達してもなお、『特別』が必要なのか」
「はい」
「ふむ……他にいなかったのか?」
「人工頭脳『ウィル』が、候補者から選んだ人物です」
その答えに、ワンは舌打ちをした。
「何を考えているのか……マシンの方は?」
「次のテストで、実戦への投入が可能になるかと」
「急げ、人工頭脳でも、特別な人間でも、なんでも利用すればいい」
「……はっ」
「いつまでも奴らに『神』面されていてはかなわんからな」
※ ※
<マルス連邦評議会にて>
会議用のやや大きな四角いテーブルに、四辺に二人ずつ、合計八人の人物が座っている。
「エイジア行政府が、改めて謝罪と真相解明の要求をしてきた。本当に、こちらがやったことではないのだな、ベンフィカ首相」
念を押すように、向かいに座る男にそう聞いたのは、マルスにある行政府の一つ、アスクリスの首相を務めるアルグレン・ヴェスタールだった。眼鏡の奥に光る目線は鋭く、見るものを凍り付かせる。『アイスマン』と呼ばれる四十半ばの男だが、若くして首相を任されるだけあって、その行政能力は一流だ。
「そんなことはありません。今事を構えても、不利なのは我々です。なぜわざわざ口実を与えるようなことをする必要があるというのですか」
はっきりとした声で答えたのは、シルチスの首相、キャサリン・ベンフィカだ。ややふっくらした五十代の女性で、人の良さそうな外見とは裏腹に、気の強さはマルス中で知らぬ者はいない。それゆえ、ヴェスタールと衝突することも珍しくなかった。
シルチス、アスクリス、そしてフォボス・ディモスの三行政府は、マルス連邦として定期的に評議会を開いている。しかし今回は、非公式の緊急会合だった。
エイジアの要求にどう応じるか。それはシルチスだけでなく、マルス全体の問題なのだ。
「そうであるなら、我々としてはエイジアの要求を拒否するだけでいい。下手に動けば、反対に彼らに付け入る隙を与えてしまう」
「じゃが、このまま知らぬ存ぜぬだけで通しても、奴ら、色々難癖をつけて結局は武力に訴えてくるんじゃなかろうかの」
年老いた小柄な老人が少し甲高い声で口を開く。顔に沢山のしわが刻まれ、髪はすでに無かったが、白くなった眉と顎髭は随分と長く伸びていた。
「長老、それは考えられませんな。彼らとて馬鹿ではない。そのような益のないことをするとは、とても」
アルグレン “アイスマン” ヴェスタールは、その老人の疑問に即座に答える。長老と呼ばれた老人、マルス連邦評議会の議長であるコール・ゼンターガスは、ふむと一言つぶやくと、腕を組んで悩み始めた。
ヴェスタールは、エイジアによる軍事力行使は無いと踏んでいる。しかしゼンターガスはその考えに賛同しかねているのだ。
「ちょっといいかしら」
突然、それまで黙って話し合いの様子を見ていた二人のうちの一人が、手をあげる。その場にいる人間の視線が、その声の主の方向へと一斉に集まった。
ゆっくりと立ち上がった女性は、少し人間離れしたダークグレーの肌と髪、そして白い服のコントラストが印象的だった。ぴったりとフィットするように作られた白いアオザイは、体のラインを必要以上に強調していて、大胆なスリットによりなびくスカートが、この議場におよそ場違いな華やかさをもたらしていた。
「なんじゃね、フィス・ディ・ランよ」
ゼンターガスが発言するよう促すと、フィスは心持ち顔をあげ、議場の人々を見下ろし口を開いた。
「この事件が、例えばエイジアの陰謀として、その目的が分からないわ。何のために?」
「マルスとミドルスフィアの間には常に経済的問題が横たわっている。木星の水素資源についての争いも然り。あの手この手で揺さぶりをかけてきても、不思議ではない」
ヴェスタールが不快な表情を隠しもせず、鋭い目つきでフィスを睨みながら答える。
「そうかしら」
「何が言いたいのだ?」
「例えば、エイジアがしかけた陰謀ではない、ということは?」
「では、我々の仕業だと言いたいのですか!」
フィスの言葉に、むっとした表情でベンフィカが反論の声を荒らげた。
「そうは言ってないわよ。首謀者は当事者とは限らないということよ」
「じゃがな、フィスよ。確かな証拠が無くてはそんなもの憶測に過ぎんて。大体、エイジアでないなら誰がこんな事件を起こすんじゃ」
ゼンターガスは、フィスの発言で荒れそうになっているこの場を、落ち着かせようとしている。それがこのような会議におけるこの老人の一番の役目だった。
「可能性の問題よ。調査をするにしても、さまざまな可能性を考えておかないと、大事なことを見落としてしまうわ」
「しかし、その調査をするしても、肝心の星間輸送船はすでにエイジアが回収してしまっている。無理なことが分かっていて我々に真相究明を要求してきているのだ。エイジアの魂胆が、我々から譲歩を引き出そうとしていることであるのは明らかではないか? 一番可能性が高いのは、木星の水素利権だ」
ヴェスタールは、眼鏡の位置を右手で直しながら、フィスに異を唱えた。
「それにしては随分と危険な『言いがかり』だわね。下手したら戦争よ。そんな危険な賭けをしてくるかしら」
「では、エイジア以外の誰がこんな陰謀を企てたというのかね」
「こう考えるのはどうかしら。戦争を起こすこと自体が目的、なのだとしたら」
「エイジア単独相手なら、我々のほうが戦力に勝る。戦争となればエイジアにとってもダメージが大きいだろう。戦争自体が目的とは、それこそ馬鹿げているではないか」
政治のイロハも知らない。そう馬鹿にしたかのように、ヴェスタールはフィスを冷ややかな目で見つめた。
「だから、エイジア行政府の仕組んだことじゃないって言ってるのよ」
冷たい視線ならフィスも負けてはいない。フィスとヴェスタールはにらみ合いへと突入した。フィスはアスクリス所属のナイトランダーではあるが、その首相であるはずのヴェスタールとは全く気が合わなかった。そして、それは誰もが認めているものの、口には出さない『公然の秘密』なのだ。
「それなんだが、ちょっといいだろうか」
フィスの横で、らしくない様子で黙っていたグンターがとうとう口を開いた。彼は自主自律のナイトランダーでありながら、シルチス軍の軍服を着ている。
「グンター。貴方まで、正体も分からぬような者の仕業だというのか」
「いや、そうではない。軍閥というのは、軍が動いてこそ成り立つものだ。行政府ではなく、エイジア軍閥が独自に動いている可能性がある。政治よりも優先するものがあるということだよ、ヴェスタール殿」
生粋の政治家であるヴェスタールにとって、軍事とは外交の手段であり目的ではない。戦闘行為そのものを目的とした行動というものは、ヴェスタールには想像できなかった。
「全く、軍人というものは非合理の極みだな。しかし、貴方の意見も考慮に入れるとしよう。ここはひとまず相手の要求を拒否しつつ、様子を見る。何もなければよし。相手が軍を動かしてくるようなら、こちらもそれ相応の対応をする。引き続き、あらゆる手段を使って情報を集めよう。それでよろしいかな」
そうまとめたヴェスタールの言葉に異論は出ない。積極的な結論が出ないまま、話し合いは終わった。
※ ※
「誰の仕業かしらね」
「新しく就任したエイジアの総裁は、平和主義者だとは聞いているが、まだ若すぎる。軍を掌握しきれていないのかもしれないな」
「裏で何かが動いてる……ということかしら」
「何をしてくるかわかったものではない。備えが必要だ」
「あの堅物、後で慌てても知らないわよ」
「ヴェスタールもベンフィカも優秀な政治家だ。ああは言ってても、やることはきっちりやるさ」
グンターの言葉に、フィスはふんと鼻を鳴らして、横を向いた。
「戦争になるかしら」
「多分な」
「あーあ、もう少しバカンス気分を味わいたかったわ」
「どこか行ったのか?」
「気分の問題よ、気分の」
そういうとフィスは、グンターを横目で見る。
「アナタの方こそ、ちゃんとジェルトリュードの相手をしてあげてる?」
「ん? ああ、まあ、いろいろと」
「ホントかしら。プラヴァシーのケアも、ナイトランダーの大切な仕事よ」
「プラヴァシーのいない君にはわからないかもしれんが、俺はジェルトリュードをそういう風には……」
グンターはややムキになってフィスに言い返したが、フィスの眼にどこか寂し気な色があるのを見て、言葉の途中でトーンダウンした。
「すまない。そんなつもりで言ったんじゃ」
「別に気にしてないわよ。これが私の体だもの。プラヴァシーが要らない分、自由にさせてもらってるから」
二人の会話はそこで終わる。フィスはあらぬ方向を向いたままグンターに手を振ると、「お先に」と言って宙に溶けるように消えてしまった。
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