第3話 黒髪のミラージュ
ティシュトリアが係留されているドックへと戻る道は、ルースから持たされた携帯端末に表示されている。ツバキはそれを見ながら、おぼつかない足取りで歩いていた。人とぶつからないよう、ショッピングモールの通路の中央を歩いているが、行きかう人の数は少なくないので、端末を見ながらすたすたと歩くことは難しかった。
ツバキはルナーに入港したときのことを思い出してみる。
中立の地であるルナーは、中立であるからこそ入管のセキュリティ・チェックが厳しい。しかし、ルースはほとんどチェックのない顔パスであったし、ツバキすらも簡単な顔認証登録のみでルナーに入ることができていた。
ティシュトリアを降りた後、支援コンピューターの修理についてルースは作業員の一人と話をしていたが、ルースとは顔見知りの様だった。
「まるでルナーは、ナイトランダーの拠点みたいだな」
ツバキは、とても『拠点』には見えない、にぎやかなショッピングモールを改めて見回しながら、そう独り言をつぶやいた。
ナイトランダーがルナーに集まって会議を行うというのは初耳だった。どうもナイトランダーにとってルナーとは特別な地であるようだ。
ルナー当局がナイトランダーに対して少なからぬ特権を与えている。少なくともそのことは事実に違いなかった。
入管でどのように登録されたのかは確認しなかったのだが、ツバキの登録情報には『ルースのプラヴァシー』とでもタグが付いているに違いない。それによってどういう影響があるのかは、ツバキには不明だった。
しかし考えてみれば、ツバキの新しい体はこれまで、どの星のどの行政組織のデータベースにも情報が載っていない、まさにアンノウンだったのだ。
「この体にも、新しいアイデンティティーが与えられたわけか」
これからさらに、様々なアイデンティティーがこの体に与えられていくのだろう。しかし、それが増えれば増えるほど、アイランズの軍人だった『元の自分』がどんどんと消えていくような気がする。そう考えると、ツバキはブルーにならざるを得なかった。
「早く……早く真実にたどり着かないと」
ツバキの知りたいこと。それは、あの出撃の際に、ハーディ隊に『敵』の情報が知らされなかったのは、単なるミスなのか仕組まれたことなのか。仕組まれたのならなぜなのか。そして……
「誰に、ハーディ隊全滅の責任を取らせるのか。でも、結局誰の責任でもなかったら、オレはどうするんだ?」
ツバキはそう小さくつぶやくと、軽く唇を噛んだ。
自分は、ルース以外の誰かに責任を押し付けたいだけではないのか。やはり討つべき敵は……そんな思いがツバキの頭に繰り返し浮かんでくる。
ツバキは軽く頭を振ると、端末が指し示す道を急ぎ足で進んだ。
※ ※ ※
「おかしいな……」
商業区域を抜けて、ようやく宇宙ドックへの通路に来たので、そこから駆け足でティシュトリアへと急いだのだが、ドックへ来てみて初めて、自分が道を間違えたことに気が付いた。
そこにあるはずのティシュトリアが無く、何も係留されていない空のドックが目の前にあったからだ。
「ここは、別のドックか」
慌てて携帯端末を見ると、確かに、それが指し示すルートから外れていた。
「どこでまちがったんだろ」
軍にいた時はゴーグル型ディスプレイを使っていただけに、手に持っていた端末を見ながら歩くのはかなり面倒くさい。通路に入って大丈夫だと思い、ルートを確認しないまま走ったのが間違いだったようだ。
ルースと一緒にドックを出た時のことを思い出してみる。
「あそこか」
行くときに右に曲がった場所があったが、さっきそこで右に曲がってしまったようだ。逆順に戻るのだから、そこで左に曲がらなければならなかったのだ。
かつて参加した作戦中には、こんなミスはしなかった。ツバキは自分の行動に首をひねりながらも来た道を戻ろうとして、ふと何もないドックに一人たたずむ女性に気が付いた。
一体何をしているのだろうか。
女性は何もないドックを見つめている。ツバキからはその女性の左半身が見えていた。裾の長い薄桜色のワンピースが、無機的なドックの中で、有機的な存在感を放っている。
と、女性が急にツバキの方を向く。二十メートルは離れているであろうこの距離でも、ツバキにはその女性の顔がはっきりと見えた。
黒く長いストレートの髪は、綺麗に手入れがされているのだろうか、艶やかに流れている。色白の顔にはコーカソイドの特徴が現れていた。
その髪の奥からのぞくサファイアンブルーの瞳……虚ろに揺れて、まるで深海のようだ……
急に胸の奥底が異様に騒めくのを感じ、ツバキは慌てて左胸を押さえた。手を通して伝わる心臓の拍動が、どんどんと速くなっていく。
「な、なんだ……」
自分の記憶の中から、彼女が何者なのかを一生懸命探してみたが、その答えが見つからない。
このまま時が経てば、二人の間に何の接触もないまま、この邂逅は終わりを告げるだろう。
それが何か取り返しのつかないことになるのではないか。ツバキの無意識がそう叫び続けていた。
「あ、あの」
意を決して声を掛けようとしたその時、後ろからツバキを呼ぶ声が聞こえた。
「ツバキ!」
ハッとして声の方へと振り返ると、ひどく慌てた表情のルースがドックの入り口に立っている。
「ルース、どうしたんだ?」
「どうしたもなにも、どうしてこんなところにいるんだよ!」
そう言われてツバキは、自分が道を間違えたままだったことを思い出した。
「ご、ごめん。道を間違えてしまって」
その言い訳には応えず、ルースはツバキを強い力で抱きしめた。
「お、おい、ルース」
「よかった……何かあったのかと思ったよ」
気安く触るなと言いかけて、その言葉を飲み込む。
「ごめん、心配させるつもりは無かったんだけど」
「いや、良いんだ、無事なら。ボクはまたキミを……」
「また?」
「あ、いや、何でもないよ。ティシュトリアに戻ろう。ルナーを出るよ」
「あ、ああ」
ルースが何を言いかけたのか、ツバキには分からなかった。しかしそれ以上に気になること……ツバキはもう一度、あの女性がいた方向を見たが、そこにはもう誰の姿も無かった。
「どうしたの?」
ルースが訝し気に尋ねる。「何でもない」と首を振ると、ツバキは感情を悟られないように、ルースの手を握った。
「ル、ルース。こ、ここは何だ?」
「ここ? ここもモーターカヴァリエのドックだよ」
「でも、何もないぞ。今はナイトランダー全員がここにいるんじゃないのか? なぜ空のドックがあるんだ?」
行方不明になっていたツバキを確保して安心したのか、ルースの表情からは焦りの色が消えていた。その代わり、やれやれといった様子で、質問に答える。
「ここはね、十二番目のモーターカヴァリエの為のドックなんだよ。でも、当の人物はナイトランダーになる気が無くてね、空席になってる」
「へえ」
そう返事をしながらも、ツバキは幻のように消えてしまった女性のことを思い起こしていた。
※ ※
「何をしていた」
通路を歩く女性の前に、黒づくめの男が立ち塞がる。
「ドックの見学」
少し低い、ぶっきらぼうな物言いで女性がつぶやいた。
「ここはお前の機体用のドックじゃない。勝手にうろうろするな」
横柄な男の言葉には、彼女は何の反応も見せない。その虚ろな瞳は、目の前の男とは少しずれた場所に向いていた。
「ったく、気味の悪い奴だ」
男はそう毒づくと、「来い」と一言言って、先を歩き始めた。
※ ※
「で、どこにいくんだ?」
ティシュトリアに戻ると、ルースはすぐにコックピットへと向かった。ルースの後についてコックピットに入り後部座席に座ると、ツバキはヘッドギアを付けながら前部座席に座るルースに尋ねる。
「セレス、だよ」
「セレス?」
「そう。マルスの外側にある小惑星帯の中の準惑星、だね」
「ああ。って、そんなところまで何しに?」
「そこがボクたちの新しい『家』だよ」
ツバキは、自分の知識の中にある準惑星セレスについての情報を、一生懸命に思い出してみた。
「……セレスに、宇宙港なんてあったか? 居住区は? 人なんか住んでるのか?」
矢継ぎ早に疑問を投げつけてみたが、ルースは優しく、しかし一言だけで応じた。
「行けば分かるよ」
「また、その『はぐらかし』かよ」
少しずつ慣れてきたとはいえ、ルースは肝心なことになると『はぐらかす』物言いをする。最初、それがツバキに対する後ろめたさから来るものかと思っていたのだが、どうもそれが単なる癖でしかないということがツバキにもやっと分かってきた。
「どうせ行くんだから、言葉で説明するより、見たほうが早いし、ね」
そういうと、ルースはコンソールパネルを操作し始める。
「ね、じゃなくてだな」
「モーター、起動するよ」
「ったく、強引だな」
とりあえずそう文句を言ってみたものの、ツバキは仕方なく目を瞑って、ティシュトリアの重力制御システムにアクセスした。
脳裏に浮かぶ一角獣のイメージ。
「重力制御システム、起動。システムグリーン」
「モーター起動!」
ルースの声と共に、ティシュトリアのモーターが駆動音を奏で始めた。ルナーの重力はミドルスフィアよりも遥かに小さい。ミドルスフィアを出るときよりは、重力制御にさほどの労力は必要なかった。
「もしかして、また次元ドライブするのか?」
動き始めたティシュトリアの振動を感じながら、ツバキが不安そうにルースに尋ねる。
「もちろん、だね。飛んでいくとなると、三か月くらいかかってしまうよ」
「まあ、そうだよな」
「直ぐに慣れるから」
ルースの言葉は、全く慰めにもならない。ツバキは一つ、ため息をついた。
ルナーのドックのドーム状の覆いがゆっくりと開き、宇宙空間が見え始める。それが十分開いたところで、ティシュトリアは機首を宇宙空間に向けると、前進を始めた。
ドックで初めてティシュトリアの全容を目にしたのだが、一体何に使うのかよく分からない突き出た衝角が、まるで脳裏に浮かんだ一角獣の角のように見えた。
今、周囲の様子を映し出している全天球モニターにも、そのティシュトリアの角が見えている。
「あの角は、何のためにあるんだ?」
「角? ああ、衝角のことかな。見ての通り、ラムアタックに使うんだよ」
ルースが真面目な声で返事をする。
「いや、見ての通りって、これで体当たりをするのか? そんなことしたらオレたちは……」
「ははは、冗談だよ。あれはバスターカノンだね」
ティシュトリアは徐々にスピードを上げていく。もうドックからは完全に出ており、ルナーの無機質な地表が眼下に見えていた。
「驚かせるなよ」
「ごめんごめん。ルナーから離れたところで、次元ドライブに入るよ」
「あー、思い出しただけで気持ち悪い」
「重力制御を支援コンピュータに任せて、ベッドに横になっておくかい?」
本当に心配そうにするルースの口調に、ツバキは笑いながら応じる。
「冗談だよ。大丈夫だ」
正直そうしたかったのだが、ツバキは思わず強がりを言ってしまう。そんなツバキに向けて、ルースはふふふと軽く笑った。
※ 20200403 改稿
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