第6話 鼓動が聞こえる
バスルームで着替えを終え寝室に戻ると、ルースは「おやすみ」と言って寝室を出て行こうとした。
「ルース、寝る場所はあるのか?」
「ん? 今日は椅子で寝るから大丈夫だよ」
そう言ってルースは俺に微笑んだ。
今日は、か……
俺は、明日からどうすればいいのだろう。
部隊は全滅した。俺が操縦していた空挺戦車ももう無い。
俺たちを回収するはずの基地は放棄されていて、俺を再び衛星軌道まで打ち上げてくれるはずだったシャトルも、飛ぶことは無いだろう。
「ルース……」
「何?」
「オレは、明日からどうすればいい?」
例え百キロ離れたニヤゴ基地にたどり着けたとしても、受け入れられる保証はどこにもない。今の俺を元の俺だと証明してくれるものは何もないのだから。
「キミはどうしたいんだい?」
「……分からない」
「そう……じゃあボクと、一緒に来るかい?」
一緒にと言われても、もう一緒にいるのだから、ルースの言葉が何を意味するのか、いまいちピンとこない。
「一緒に来るって、どこに? ここじゃないのか?」
「ボクと、この先ずっと一緒にいないかってことだよ」
言葉の意味を考えるのに少し頭が空回りをしていた。
プ、プロポーズか?
ちょっと待て、心の準備が……
いやいや、そうじゃない。落ち着け、俺は男だ。
……そ、そうか、一緒にディスポーザーをやるということか。
俺はルースがあの男たちに言っていたことを思い出した。
「も、もしかして、男娼を?」
ディスポーザーと言うつもりだったが、気になっていた言葉が思わず口をつく。
「ははは、あれは嘘だよ」
ルースは右手を自分の顔の前で左右に振って否定した。
「そ、そっか……」
俺は安堵の表情を隠しもしなかった。
ルースは笑いながら、ごめんごめんと俺をなだめる。
「昼間の男たちは、どこが雇った連中か分かるか?」
「彼らはシューピン商会の連中だろう。エイジアが雇ったのさ」
エイジア?
エイジアはユーラシア大陸の東半分を支配する軍閥だが、このアイランズ自治区はエイジアの一員のはずで、いわば『味方』に当たる。
「なぜエイジアがアイランズの基地を『後始末』する? おかしいじゃないか」
「ボクにも分からないよ。色々、政治的事情があるんじゃないかな」
一般兵卒だった俺には、複雑な政治情勢の裏側は知らされてはいない。しかし、不可解にもほどがあった。
「ごめん、変なこと言っちゃったね。忘れてくれるかな? 今日は疲れただろう、ゆっくり休むといい」
結局、ルースの申し出が何を意味していたのか、分からずじまいだった。
ふとルースが最後に言った言葉が頭の中でリフレインされる。
何処かで聞いたような言葉。でも思い出せなかった。
「ル、ルースも、ここで寝るといい。オレに遠慮しなくていい。気にしないから。椅子じゃゆっくり眠れないだろ」
俺はしどろもどろになりながら、出て行こうとするルースを引き留めた。
……俺は何をやってるのだろう。
俺は、体は女だが心は男で、目の前の青年ももちろん男なのだ。
落ち着いていればいいものを、なぜこんなに冷静になれないのだろう。
ルースは、その優しげな紅い瞳で俺を見つめていた。
その瞳には、俺のことがどう見えているのだろう。
「じゃあ、ボクもここで寝させてもらおうかな。正直、椅子で寝るのは体が痛くってね」
そういってルースは笑ったが、この場があまり深刻にならないようにする彼の配慮だということが、俺にも分かった。
「お、おう。オレも迷惑を掛けるのは嫌だから」
ただ、あまりルースの配慮も効果は上がらなかったようで、それから寝るまではなんとなくぎこちない時間が過ぎて行ってしまった。
寝支度が出来上がると、ルースもシャワーを浴びると言ってバスルームへと消えて行った。
俺はベッドに横になると、ルースが用意してくれた薄手のブランケットを頭から被る。
俺が男だと知ったら、ルースはどうするだろう。
ルースが俺に優しくしてくれるのは、俺が『女』だからじゃないだろうか。
ふとそんな考えが頭に浮かぶと、急に自分の体が女であることを意識するようになった。
もしかして、迫られるってことは無いよな?
同じ部屋に寝るよう促したのは俺自身であり、逆の立場で考えたら、どう見ても誘っているようにしか思えない。
なぜ俺は彼を引き留めてしまったのだろう。
もし彼に迫られたら……
その場面を想像しかけて、俺は頭を振った。
こんなバカげた想像をしてしまうのも、今の俺の体のせいかもしれない。
衛星軌道上から降下してきたのはつい二日前のことだ。
俺は改めて、ここまでのことを思い起こしてみた。
隊長、みんな……俺だけが生き残ってしまった。任務も遂行できないままに。
『死神』はあれからどうしたのだろう。
俺が知る限り、これがハーディ隊初の任務失敗だった。
そして、これが最後の失敗になった。
……いや、俺はまだ生きている。体は変わっても、心は残っている。
……そうだろうか?
『死神』を探し出し、万が一にも倒せたとして、誰にどう報告するというんだ?
『死神』に倒されて、気が付いたら女になってました。
誰が信じるんだよ……
まとまらない頭が憂鬱になって、俺はため息をついた。
「眠れないかい?」
急に声を掛けられたので、ブランケットの中で少し体が跳ねた。
シャワーを浴び終えたルースが、ちょうど寝室に入って来たらしく、俺のため息を聞いたみたいだ。
「んー、ちょっと」
そう言って俺は体を起こした。
ルースはセミロングの白い髪の毛を、バスタオルで拭いていた。
しかし、それ以外は何も身に着けていない。
透き通るような白い肌は、シャワーのせいか少し赤みを帯びていた。
体はそれほど筋肉質ではなかったが、全体的に引き締まっていて、その中性的な顔とは裏腹に、ああ男なんだなと感じる。
自然と目が下腹部に向いたが、目にしたそれは意外に大きかった。
ルースの動きが止まる。
視線を上げると、バスタオルの間から、ルースの左眼が俺を見ていた。
ふと俺は既視感を感じる。
しかしそれは、ルースの小さな悲鳴にかき消された。
「うわぁっ、ご、ごめん」
ルースは慌ててバスルームの方へ引っ込むと、顔だけをのぞかせる。
「着替えをとってもいいかな?」
ルースは収納ケースの方を指さす。
彼が何を恥ずかしがったのかに気が付いた。
そして俺も顔が熱くなる。
「ご、ごめん、ど、どうぞ」
俺は再び横になってブランケットを被った。
物音と布がすれる音がしばらく続き、その後収納ケースが閉じられる音がした。
「お、お待たせ。もういいよ」
彼がそう声を掛けても、俺はどうしていいか分からない。
見てしまった彼のモノが、頭から離れなかった。
何となく返事をしたまま、ブランケットの中に安住の地を求める。
彼の動く音が聞こえた。
その音はゆっくりとこちらに近づき、横で止まる。
彼の気配がさらに近づくと、俺の心臓の鼓動は聞こえる位に激しくなっていった。
身を固くする。
しかし、彼は「おやすみ」とだけ囁くと、そのまま離れてしまった。
反対側のベッドから物音が聞こえたが、それもやがてしなくなる。
全身の力が抜けた。
それと共に、強烈な自分への嫌悪感が押し寄せる。
彼が近づいた時、俺は……いやいやいやいやいや、俺は何を考えてるんだ。
疲れているはずなのに、暫くの間、眠ることができなかった。
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