第7話 仮面の告白

 何となく目が覚めた。頭は重い。体を起こす。


 非常灯が付いているだけで、部屋の中は暗い。

 自分がいるところが、基地の宿舎でも、航宙護衛艦の休憩室でも、ましてや河川敷でもなく、ルースの家のベッドだったことに、俺はホッとした。


 乾かし切れていなかった髪の毛が、踊るように飛び跳ねている。

 手櫛で少しだけ髪をすいてみた。

 女性はこれを毎日手入れするのかと思うと、身だしなみを整えている女性が如何に普段見えない努力をしているのか、身にしみて感じる。


 切った方が楽だろうな。


 そう思いながら隣に目をやった。

 薄明りの中、少し膨らんだブランケットが軽くゆっくりと上下に動いている。


 俺はベッドから降りると、寝ているルースの方へと音を立てないように近づいた。

 薄明りの中でも、ルースの寝顔が見える。

 俺はベッドの傍に膝立ちすると、そっと手を伸ばし、ルースの髪の毛に触れた。


 と、そこでルースが眼を開けた。

 咄嗟に手を引っ込める。

 こちらを向いたルースと目が合った。


「やあ、おはよう。もう起きたのかい?」


 眠そうに微笑みながら、ルースはまるで俺がいるのが当然のように、そう挨拶した。


 締め付けられるような胸の痛みと、燃えるような顔の熱さを感じて、俺は自分の寝ていたベッドに慌てて戻ると、またブランケットを被った。


 彼がベッドから起きる音が聞こえる。

 そのまま彼の気配が、こちらへと近づいてきた。


「どうしたの?」

「ど、どうもしない。おはよう」


 少し上ずった声で、俺はそうぶっきらぼうに答えた。

 彼が腰かけたのだろうか、ベッドの脇がへこむのを感じる。


 なぜ俺はあんな行動をしてしまったのだろう。


 起きてすぐ、彼の顔を見に行った自分の行動が、自分でも理解できなかった。

 彼は俺の行動をどう思っただろうか。


「ねえ」

「な、何だ?」

「顔、見せてくれないかな?」


 彼のその言葉に、俺は胸の苦しみを感じる。

 彼が見たいのは、俺の『仮面』なのだ。


 でも、ルースはここまで優しくしてくれた。会ったこともないこの『仮面』の持ち主も、ルースにその顔を見せてもいいと思うはずだ。


 俺はそう自分に言い聞かせると、この『仮面』の持ち主に代わってブランケットをゆっくりと下げ、顔を出した。

 ルースがゆっくりと手を伸ばしてくる。そして頬に触れた。


 『仮面』であるはずなのに、少し冷たい彼の手を感じる。


 彼の顔が、ゆっくりと俺に近づく。俺を見つめる彼の視線が悲しかった。

 さらに近づく。彼の吐息を感じた。

 そして唇が触れ合おうとしたその時、俺は彼を両手で止めた。


「ご、ごめん、できない」


 俺は彼から視線を外した。彼の眼を見るのが怖かった。


「助けてくれてありがとう。ルースがいなかったら、無事ではいられなかった。感謝してる。でも、キスはできない」


 彼は今どんな顔をしているのだろう。

 単に朝の挨拶のキスだったのかもしれないのに、俺は力いっぱい拒否してしまった。


「ボクのこと、嫌いかな?」


 彼の声には、少しの不安が混じっている。

 混じっていたものが嘲笑でなかったことに、少し安堵した。


「嫌いじゃ、ない」


 そういうと彼の気配から少し不安が消え、ほっとしたものに変わる。


「ごめんね。いきなりすぎた、かな」

「そ、そんなことも、ない」


 俺がそう言うと、彼は少しだけ黙っていた。


「じゃ、じゃあ、ボクのこと、好きかな?」


 俺の手を取り、彼は期待に満ちた声で俺にそう尋ねる。


 それに答えようとして、そこで気付いた。

 彼の問いに答えることは、俺のこれからのアイデンティティを決めることになる、ということを。


 男として、軍人であり続けるのか?

 ならばノーと答えよう。

 しかし、そのアイデンティティを受け入れてくれる存在は、もうこの世のどこにもいないに違いない。


 じゃあ、女として生きていくのか?


 俺は改めて彼を見た。

 彼の瞳は、真っすぐ俺に向けられている。


 この青年は、なぜ、そんな瞳で俺を見るのだろう。


「ルースは、オレのこと好きなのか?」

「もちろん好きだよ。キミが、好きなんだ」


 迷いなくそう告げるルース。

 心臓の鼓動が一つ、大きく打つ。 

 そして、これまでの人生で感じたことのないような種類の悲しみが、俺を押しつぶすように押し寄せてきた。


 女性に告白したことはなかったが、されたことは何度もあった。


 高校は普通科だった。優男の風貌をしていた俺は、女性には人気が高かった。常に傍には恋人がいたが、しかし、俺はそんな自分が嫌だった。

 本当にその女性を好きかどうかも分からないまま、断るのも悪いと思って付き合っていたからだ。

 女性にしてみれば、俺はきわめて不誠実な男だったに違いない。


 だから俺は、軍学校に入ったのだ。


 四年間の学習と訓練を経て、俺は空挺部隊に配属された。適性検査で、重力制御システム操作に適性が認められたからだ。

 自分の進む道を自分で決めるために軍に入ったにもかかわらず、結局は自分の意志とは無関係に配属先が決められたことに、俺は笑うしかなかった。

 ただ、結果的にそれは良かったと思う。


 あの、『死神』との戦闘までは。

 

 あの戦闘で、二十四年という短いとはいえ、人生の中で俺が築いてきたものがすべて壊されてしまった。

 そう、あの戦闘で俺の命も本当は終わっていたのだ。


 ならば、ここから新しい人生を初めてもいい。

 そうも思う。

 ただ、そのスタートにするには、ルースの告白はあまりに悲しすぎるものだった。


 なぜなら、彼の告白は、俺に向けられたものではないのだから。

 俺ではない、この『仮面』の持ち主であっただろう誰かに向けられたものなのだから。


「なぜ? なぜ会って間もないのに、オレのことが好きなんだ?」

「好きになるのに、理由はいらない、かな?」


 優し気に微笑む彼の顔を見て、俺は心を決めた。


「オレも……オレも、ルースが、好きだ」

「ほんとに?」


 なぜそんなに嬉しそうな顔をするのだろう。

 俺は今から、その笑顔を壊そうとしているのに。


「ああ……でも、だから、これ以上、ルースを騙すのが耐えられない」

「騙す? 何を?」


 一瞬明るくなった表情が、不可思議な表情へと変わる。


 少年の様で、時に大人の様で、神秘的であったり、頼もしげに見えたり。

 そんな、捉えどころのない彼の表情は、見ていて飽きなかった。


 俺は、彼のことを本当に好きになってしまったのだ。

 今までの人生で一度もなかったこと。

 まさか、その相手が女性ではなく、男性だとは想像だにしなかったが。


 でも、だから、もうこれ以上、自分が『偽り』であることに耐えられなかった。


「ルース。オレは……オレは……」


 彼から視線を外す。

 彼の顔をこれ以上見続ける勇気は、無かった。


「男なんだ」


 男だった時とは比べ物にならないほどの高い声で、俺はそうルースに告げた。


 この声も、俺のものではないのだと思うと、全てが偽りにしか思えない。

 だから言ってしまった。もう、後には戻れない。


「体は女だけど、中身は男なんだ。な、何を言ってるのか分からないかもしれないけど、オレは元々……」


 ルースは、どんな表情をして俺の言葉を聞いているのだろうか……


 しかし、俺の告白を聞いたルースは、ただ一言だけつぶやいた。


「知ってるよ」


 そして沈黙が流れる。


 俺はルースの顔を見た。その顔にはさっきと変わらず、気を抜くと溺れてしまいそうなほど魅力的な、穏やかな微笑みがたたえられていた。


「あ、いや、ちゃんと聞こえたか? オレは男で……」

「知ってる。キミが男だってこと、知ってるよ」


 ルースが何を言っているのかわからない。


「ど、どういうこと……」

「キミが元々男性で、今は女性の体になってるってこと、ボクは知ってるんだよ」

「な、なぜ……」

「だって、キミを助けたのは」


 そこでルースは言葉を切る。

 俺を見つめる目が、少し悲しげに曇った。


「ボク、だから」

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