第4話 境界の河を渡って
「全く、無謀なことをするね」
建物の陰、壁際、用水路の土手、色々な場所を通りながら、ようやく基地から少し離れた林の中へと駆け込んだ。
やや大きな樹木の根元に二人して伏せる。
しばらく静かにしていたが、何か追手がかかっている様子は無さそうだ。
「ちょっとここで様子を見よう」
ルースはそう言うと、座るように態勢を変え、木にもたれた。
「助けてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
恩着せがましい様子は微塵もない。まるで道を譲った時のような返事だった。
「この状況でこういうのも何なんだけど、お前は一体何者なんだ?」
河川敷で別れた後、ルースは俺を付けてきたのだろう。
それだけでも十分怪しかった。
しかし、助けてくれたという事実に変わりはない。俺を害しようという意図があるのなら、そんなことはしないだろう。
「ボクもあの男たちと同じディスポーザーだよ。ただし、インディーズだけどね」
インディーズとは、どこの組織にも属していない連中のことだ。組織の支援を受けない分、活動に不利は生じるが、実入りは全て自分のものになるし、何と言ってもルールに縛られることがない。
インディーズのディスポーザーもそれなりにいるようだった。
そういえば河川敷ではそれどころではなかったため、ルースの顔をよく見ていなかった。
改めて彼の顔を見る。
真っ白なセミロングの髪が額を隠すように流れ耳にかかる。
凛々しい眉毛と形のいい鼻筋とは対照的に、目は優し気な様子で軽くカーブを描く。
俺を見つめる紅い瞳が、とても印象的だった。
肌も髪と同様、不思議なくらいに白い。
薄い唇はほんのりピンクに色づいていた。
カッコよさと可愛らしさが混在する中性的な顔だな。
「どうしたの?」
ルースと目を合わせているのに気が付き、俺は慌てて視線を外す。
今度は、ルースの何も着ていない上半身が目に入り、顔を横に向けた。
「な、なんでもない」
心臓の鼓動が早く打つのを感じる。
意識をルース以外に向けるために、改めて基地で起こったことを思い出してみた。
なぜ、タミン基地は放棄されたのか。
そしてなぜ、ディスポーザーがタミン基地にいたのか。
気になることはたくさんあった。考えるべきこともたくさんありそうだった。
しかし、どうしても男たちに襲われた時のことが頭に浮かんでしまう。
あの時、俺は命の危険よりも、自分の貞操の危機のほうをより強く感じてしまった。
羞恥心ではない。
そう、まさにレイプされる恐怖……
俺は、胸の二つのふくらみを自分の手で確かめた後、身震いをした。
いろいろルースに聞きたいことはある。
ルースは何かを知っているようだったが、しかし、俺は深く尋ねることをためらった。
自分が軍から何も知らされていなかったということをルースに隠したかったからだ。
結局、暗くなるまで俺とルースはその場に居続けた。
夜になると、辺りは真っ暗になった。
基地の方を見ても、ライトの一つも見えない。
「本当に、タミン基地は放棄されたのか……」
「ユーメダもね」
「そんな馬鹿な……オレたちは、タミンとユーメダからの救援要請を受けて降りてきたんだぞ」
「でも、事実は事実だ」
否定しえない事実。
それが意味するところを、俺はやっと冷静に考えることができた。
『死神』の戦闘力を、もし上の連中が事前に知っていたとしたら、どうするだろうか?
もしかして、基地の連中は、敵の正体を知っていた?
ルースが立ち上がる。
「どの道もうここは戦闘区域じゃないよ。辺りにも人はいないようだし、動こうか。それともどこか行く当てはあるのかい?」
勿論なかった。
かなり遠くの方に灯りが見える。
「あそこに誰かいるのか?」
「ちょっと分からないな。近づかない方がいいと思うよ」
「そうか……」
ここに隠れている間、俺はこれまでのことをいろいろ思い返してはみたが、これからのことを考えるのを忘れていた。
タミンとユーメダという二つの基地が本当に放棄されたのなら、ここから次に近い基地は、東のニヤゴか西のクーレだ。共にここから百キロ以上離れている。
歩いていけるような距離ではなかった。
タミンとユーメダは、この地にあるシャトル打ち上げセンターの管理と防衛も行っている。周辺には軍と行政府関係の人間しか住んでいない。その連中がいなくなったのなら、この周辺に人がいる可能性はほとんどなかった。
誰かに助けを求めることも無理そうだ……
それにしても。
『死神』はセンターを狙ってここに降りてきたのか?
いや、そもそも奴はあれからどうしたのだろう。
戦闘の気配は、もうこの辺りにはない。
どこかへ移動したのかもしれないな。
「ボクと一緒に来るかい?」
深刻な表情で考えていた俺を見かねたのか、ルースが声を掛けてきた。
「一緒に来るって、どこへ?」
「もちろんボクの家だよ。移動式だから『翼』って呼んでるけどね」
「移動式? 飛行艇か何かか?」
「ちょっと違うけど、まあそれに近いかも」
ルースの言葉のイメージは俺には全くわかなかったが、このままここにいる訳にもいかない。
俺は仕方なくルースについていくことにした。
そもそも衛星軌道上の生活が普通だった俺にとって、地上は不案内なのだ。明るいならまだしも、暗い中では自分がどこにいるのかもわからなかった。
と、程なく河に出る。
「おい、これブコ河じゃないのか?」
「そうだよ」
「河の向こうには奴がいるかもしれないのに、何を暢気に」
「奴? 奴って誰だい?」
そう訊かれて俺は言葉に詰まったが、よく考えてみれば、もう隠すのも意味がないような気もした。
「今朝、惑星外からこの
「そう、か……それは大変だったね。んー、でもボクは河の向こうから来たし、その戦闘は知らないな」
そう言うとルースは、河にかかる橋を渡り始めた。
仕方なく俺も後に続く。
それから三十分近く歩くことになった。
月明かりだけの真っ暗な世界なのに、ルースは迷う様子もなく前へと進み続ける。
途中、ルースが俺を気遣ってか、手を握ってきた。
どうしようかと思ったが、結局俺はそれを振りほどこうとはせずに、大人しく手を握られるまま歩き続けた。
「ま、まだなのか?」
どこをどう歩いたのかもう分からなくなった俺は、不安に駆られてルースにそう訊いた。
随分と暗い林の中に分け入ってからしばらく経っていた。
ふとルースが立ち止まる。
何かあるのかと思い目を凝らしてみたが、暗がりでよく見えなかった。
「着いたよ」
ルースはそう言うと、暗がりの先で何か操作をしている。
と、蒸気が吐き出されるような音と何かが動く音がして、その後、光が灯った。
光の中に、何か大きな乗り物の、まるで列車のデッキのような空間が現れた。
「これが家? 移動式とか言ってたよな。かなり大きいぞ。本当に飛行艇なのか?」
「ソロのディスポーザーはいろいろ大変なんだよ」
ルースはそう言って、ふふふと笑う。
そして入り口に立つと「どうぞ」と中に招き入れる仕草をした。
俺は躊躇した。まあ、そりゃそうだろう。
それをルースが感じたようだ。
「怖い……かな?」
内部からの光が逆光になって、ルースの表情はよく見えない。
いや、見えたとしても、何を考えているのかは分からなかっただろう。
俺はルースに会ってからここまでの彼の行動をもう一度思い出してみた。
俺に何かするのであれば、もうとっくにやってるさ。
「いや、大丈夫」
俺は灯りが漏れる入口へと近づいた。
ルースが左手を差し出す。
「ようこそ、ボクの『翼』へ。歓迎するよ」
俺は少しの間考えた後、ルースの手を取った。
彼は俺に微笑みかけると、俺の手を引いて中へと入った。
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