第2話 純白の鳥が舞い降りた
ふと目を開ける。照り付ける太陽が目に入った。
遮るものもなく、太陽は容赦なく俺を焼いている。
時折吹く風が、俺の目の前を通り過ぎて行った。
――生きて……る?
ゆっくりと身を起こす。
辺りを見渡すと、そこは河川敷だった。
体が濡れているわけではない。ただここに横たわっていたようだ。
――ここは……
三途の川ではなさそうだ。
辺りを見回すと、見覚えのある光景だった。
何度かハーディ隊を衛星軌道まで打ち上げてくれたタミン基地の近くを流れる、ブコ河。
河の向こう岸には、森が広がっている。
河のこちら側には、平野部が広がっていて、遠くにタミン基地が見えた。
「どうしてだ?」
『死神』と戦った場所は、向こう岸の十キロは森の奥へと進んだところのはずだ。
しかも。
俺は『死神』の鉤爪によって、腹に穴を開けられ、死んだはずじゃなかったのか?
慌ててお腹を見る。装甲服には、確かに三つの穴が開いていた。
装甲の上からお腹を触ってみる。痛みは感じない。
脱いで確かめようとして、思いとどまった。
付近に奴がいるかもしれない。こんな目につく河川敷でヌードを披露するほど俺は馬鹿ではない。
とりあえず起き上がる。お腹の穴以外に、目立った損傷はない。
堤防の方へと歩こうとして、着ていた装甲服『
――身体にダメージが残っているのだろうか。
まだ新米を卒業したばっかりだとは言っても、これまで随分と厳しい訓練を積んできた。武器満載の装甲服を着たまま数十キロ歩くことさえ朝飯前だった。
――はずなんだがな。
もう武器もないというのにこうも重たく感じるのは、気が付かないところを負傷しているからかもしれない。
装甲服のモーターを起動させようと試みたが、全く動きそうになかった。
ゴーグルディスプレイもブラックアウトの状態だ。
仕方なく俺は堤防を上り、後背面に身を伏せると、ヘルメットに手を掛け頭から抜いた。
と、何かが束になってヘルメットの中からこぼれ落ちる。
それを手に取って、よく見てみる。
少し毛先が痛んでいる栗色の長い髪だった。
慌てて髪を触ってみる。俺の頭から生えていた。
俺の髪は、こんなに長くないはずなんだが……
それに……俺の髪の毛は黒だ。こんな色じゃない……
「な、なんだこれは」
思わず出た声に、俺はさらに驚いた。
「な、なんだ、これは……」
やや甲高い、女の声だった。
――何が、起こっている?
少し茫然とした後、俺は身の危険も顧みず、また河へと走って戻る。
川縁まで行って、水面をのぞき込んだ。
――こいつは、誰だ?
水面に映ったのは、俺の全く知らない、女の顔だった。
しばらく、その女の顔と見つめ合う。
ゆっくりと右手を顔にやると、水の向こうにいる女は左手を顔に当てた。
俺は、それが『俺の顔』であることを認識する。
――どういうことだ。
俺は腹側にあった装甲服のジョイントに手を掛ける。
少しためらった後、ひねった。しかし回らない。
力が入らない。いや、前ほど腕に力がないのだ。
悪態をつきつつも、もう一度勢いをつけてひねる。
今度は外れた。
もはや重りでしかない装甲服の上半身を、身をよじりながら脱ぐ。
ブレストプレートのような装甲服の上半身部分が、鈍い音を立てて地面に落ちた。
茶色いアンダーウェアの下では、二つのやや小さめの盛り上がりが自らの存在をアピールしている。
俺はさらにアンダーウェアも脱いだ。
小麦色の肌と二つの乳房、そしてその頂上にはピンク色のニプル。
もう一度俺は川面を覗く。
上半身裸の、女がいた。
「何をしてるんだい?」
いきなり背後から声を掛けられた。
驚いて声のした方に振り返る。
真っ白な青年が、土手に腰かけてこちらを見ていた。
歳は二十歳前だろうか。
慌てて腰のウェポンパックから武器を手に取ろうとしたが、もう武器は一つも残っていない。
「誰だ!」
俺の口から出た声は、悲しいくらいに甲高く、軽いものだった。
「そんなに警戒しないで。驚かせてごめんよ」
「ここで何をしている!」
「暑かったからね。水浴びだよ」
白いシャツは前がはだけていて、濡れた白い肌が
少し長めのばらついた髪の毛も、息を飲むくらいに白く、スパンコールを散らしたように
心臓が少し跳ね上がったような感覚と共に、顔が熱くなるのを感じる。
――な、なぜ恥ずかしがる必要があるんだ……
「ここは今、戦闘区域だぞ。退避勧告があっただろう。こんなところで水浴びとか、頭おかしいのか? お前」
「ははは、威勢のいいお嬢さんだね。でも、キミも水浴びをしてたんじゃないのかい? そんなあられもない姿じゃ、目のやり場に困るよ」
「オレは、おと……」
言いかけて、自分が上半身裸だったことに気付き、俺は無意識に胸のふくらみを両腕で隠した。
――何で隠してるんだろ、俺。
しかし、この状況で自分が男だと言ったところで、何になるというのだろうか。
俺は、左腕で胸を隠しながら、脱ぎ捨てていたアンダーウェアを右手で拾うと、青年に背を向けてそれを着直した。
そしてもう一度、白い青年の方へと振り返る。
「ちょ、ちょっと装備の確認をしていただけだ。お前と一緒にするな。ここは戦闘区域だぞ」
一般人が立ち入っていいエリアではない。
しかし、目の前にいる青年は、どう見ても丸腰の一般人だった。
戦闘が始まったらどうするつもりだ。
「ははは、それは失礼したね。『お前』じゃなくて、ルースと呼んでくれないかな。ちなみに、もうここは戦闘区域じゃなくなったよ」
青年は自己紹介したが、その後の言葉の不可解さに、青年の名前はどうでもよくなってしまった。
「そんなことがあるか! さっきまでオレはあそこで戦闘を」
そこで俺は言葉を切った。目の前の青年が何者かはまだ分かっていないのに、ペラペラしゃべるのは得策ではない。
落ち着け。
俺はそう自分に言い聞かせたが、青年はそんな俺の様子を気にすることもなく、さらっと俺の知らない事実を口にした。
「軍の連中はタミン基地を放棄して、どこかへ撤退していったよ」
「……は? お前、何言ってるんだ?」
「何と言っても、言葉通りだよ」
不思議そうな顔で俺を見る青年。嘘をついているようには見えなかった……
「タミン基地はこのエリアの司令部だぞ。ここを放棄して、どこに行くんだよ」
「それはボクも知らないよ」
青年は両腕を広げて、お手上げというジェスチャーをした。
「お前の言うことが本当かどうか、確かめてくる」
青年が何者なのか気にはなったが、今はもうそれどころではない。
歩き出そうとしたが装甲服が重い。仕方なく下半身も装甲服を脱いだ。
ごめんな、『
俺は土手の茂みに、装甲服の上下ともを隠す。
ルースと名乗った青年は、その一部始終を興味深そうに眺めていた。
「盗るなよ。スパイ罪で憲兵に突き出すからな」
「しないよ」
青年は苦笑いしながら右手を左右に振った。
※ ※
救援要請に応えての大気圏降下。そして敵との交戦。
作戦は失敗したとはいえ、そこから帰還したのであれば、なんらかの労いがあって当然と考えるのはおかしいことだったのだろうか。
しかし、
いや、そもそも、人間がいなかった。
「どういうことだ……」
人っ子一人いない、もぬけの殻になった基地で、俺は呆然と立ち尽くした。
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