決戦の地は血でぬれない

 「デパートデート、パないね!!」

 翌日土曜日の午前一〇時、私たちはデパートの前に立っていた。比較的温暖な外気と、それとは別種の冷ややかな空気を感じつつ入口に足を踏み入れると、照明が発する明かりが眩しくて一瞬気圧される。オシャレな内装の店が並び、全体的に垢抜けた雰囲気が建物内に充満していた。デパートというよりはショッピングセンターな気もするが、細かい違いは分からないのでとりあえずデパートで。

 暖房が効いて暑いぐらいになった室内を歩き回りつつ首を左右に振るも、視界における人口密度は高くない。一年前に来たときは朝からもっと賑わっていた気がするのだが、これも時代の流れだろうか。

 「それで、どうしようか?」

 隣を歩くユキが、羽織っていた上着を脱ぎながら訪ねてくる。お互い特別やりたいことがあるわけではないが、当てもなく練り歩くというのも退屈だ。

 うーんと悩みながら歩いていると、エレベーターの近くに館内マップを見つける。立ち止まり、とりあえずどういう店があるのかを確認することにした。

 「映画でも見る?」

 最上階に用意されたシアターに目が留まったので、何気なく提案してみる。去年来た時は一緒に何故かポケモンの映画を見たのだ。

 「映画かぁ、悪くはないけどねえ…」

 歯切れは悪く、返事は芳しくない。まあユキの理屈で言えばそうなのかもしれない。

 今はもう、恋人同士なわけだし。

 「それじゃあどうしようか?無難に服でも見ますかね」

 他にパッと思いつくところがないので、女子二人の買い物として当たり障りのない場所をチョイスする。一人であれば本屋に直行なわけだが、あれはソロだからこそ許される所業だろう。連れがいる時ぐらいは自重したい。

 「まあそうなるかな。とりあえずお昼ぐらいまでウィンドウショッピングして、午後の予定はアイス食べながら立てるとしよう!」

 ユキは二階のフードコートを左手で指差し、それからその指を動かしてエレベーターのボタンを押す。一連の何気ない挙動にやけに魅入られたので少し思案して、それからやっと理由に思い至る。

 今は私たち、恋人同士なのだ。

 そう意識すると、途端に血圧が上がった気がした。身体中を熱が巡るのを自覚し、汗腺が開くのを体感する。多分今、顔は紅い。

 羞恥心と欲望の葛藤、ハリネズミのジレンマを味わいながら、私は手を伸ばした。右手を、左手に重ねる。

 「…………………」

 手が触れ合ってもユキは何も言わなかった。そして私も何も言えなかった。理由も言い訳も、心の中でだけ縮小を繰りかえすので音はない。ただ暖房が室温を上げる音だけを鼓膜が捉え、脳が認知する。

 「………あっ…」

 握り返された。エレベーターの開閉音と同時に、手と手が繋がる。いわゆる恋人繋ぎではない、オーソドックスな握り方だ。そこに少しだけ不満を覚えたのは、私のエゴなのだろうか。

 名前など大切じゃないと嘯きながら、私は関係やら様式やらにはこだわるらしい。自分勝手だなと、乗り込みながらそう思う。

 エレベーターの中ではユキと顔を合わせられず、上へ上へと昇っていくのをランプの明かりを見ながら確認して時間を潰す。エレベーターの駆動音は独特だ。静かな閉鎖空間に響く微かな機械音。人工的な奏が、ありもしない音さえも幻聴させる。

 だから、こんな声が聞こえたのも、あるいは幻聴なのかもしれない。

 「………可愛い…」

 幻聴だと、信じたい。

 そうでなければ、私は今日一日多分身が持たない。

 目的の店がある階に到着し、ウォンという短い音と共にドアが開く。目の前には、同年代と思しき人が数名散見されて、一瞬手を離すかどうか迷った。自分から握っておいて何だが、可能な限り厄介ごとは避けたい。そう思って右手を少しだけ揺らし、確認を取る。

 回答は、無言で固く握られる手の感触と僅かな痛みだった。その態度がどうにも愛おしい。いつもチグハグな表現だが、根にあるものはきっと昔から変わらない。あの恋愛相談だって、そういう類のものだったわけだし。

 心の底の情動が、私の口をついて出る。



 「……可愛い」

 待ち合わせ場所にやってきた雪香を見て、思わず声が漏れた。気づいてから慌てて口元を抑える。雪香の顔をチラッと窺うも特に変化はない。どうやら聞こえていなかったらしい。そのことに安堵しつつ、再び全身を見回してみる。以前から素材は良いと思っていたが、今日は一段と、格別に整っている気がする。

 きっと、ここにいない誰かを想いながらの準備だったのだろう。そのことにほんの少し申し訳なさを覚える。どうしたって役不足だ。

 「…待った?」

 「別に、本読んでたから」

 私は右手に持っていた文庫本をバッグに収め、問題はないと言外に告げた。待ったかどうかの回答にはなってない。

 「あれ、読書家だったっけ?」

 「そこまででもない。待ち時間にスマホいじるよりは、って感じかな」

 だからむしろ読書はそこまで好きではない。読書に親しむと、私は待つのばかりが上手くなりそうだ。

 「そっか。…まあいいや。それじゃあ早速行こう!」

 雪香は特に気にすることもなくデパートの入口へと歩を進める。別に広げるような話ではないので私もそれに倣って同じように足を動かした。二人分の足音が、館内に吸い込まれていく。

 デパートの中は程よく冷房が効いていて、冷気を帯びた空気が肌を撫でるのが心地いい。出来たばかりのデパートだからか、空調は完備されていらしかった。肌の上をなぞるように伝う汗が冷感を助長し、少し鳥肌が立つ。

 「それで、今日はどういうプランなの?私は一切考えてないけど」

 疑似デートをしたいと言ったのは雪香だ。彼氏役が求められているとはいえ、流石にこれは範疇外だろう。そもそも私は普段こういう場所に来ないのでよく分からない。デパートとショッピングセンターの違いも曖昧だし。

 「今日はとりあえず映画を見ようと思ってるよ。その後の予定はアイスでも食べながら話し合うつもり。どっか行きたいお店ある?」

 「特に回りたいお店はないけど……何故映画?定番と言えば定番な気もするけど…」

 予定に異論も異存もないが、映画というのは少し気になる点だった。そんなに映画好きだった印象はないんだけど。

 「あぁ、それはね……」

 私の指摘に雪香は何故か顔を赤く染める。惚気かと一瞬身構えるも、答えは少し違った。

 「映画って、少なくとも二時間は無条件で好きな人の隣にいられるから…。無理に会話しなくてもいいし、付き合う前のコミュニケーションツールとして万能というか……」

 そこまで言ってから、雪香は恥ずかしさが臨界点に達したのか顔を両手で隠す。ものすごく不純な動機による映画鑑賞だった。全映画ファンに謝れ。というかまずは私に謝れ。

 その話を聞いた後、私は彼氏役として一体何をすればいいというのだ。正直皆目見当もつかない。むしろもう帰りたい。

 雪香は依然身悶えしながら足を動かす。恋に悩む思春期女子高生という背景知識があるなら「愛嬌」の一言で済ませられるが、事情を知らない人から見たら完全に奇行だ。連れとして、流石にこれは収めるべきだろう。彼氏役として、可能な限りスマートに。そのために私にできることは、一歩雪香より先に進むこと、そしてそれから、

 「ほらっ、前見て歩きなさいっ!」

 私は顔を覆う雪香の左手を右手で掴み、そのまま半ば強引に引っ張った。「あっ!ちょ!」とか後ろから聞こえたが構わず無視する。

 そのまま無言で引っ張って、上の階に備え付けられた映画館まで行くためにエスカレーターに乗る。私は雪香よりも一段上に立ち、前を見続けた。謎の緊張感が走っていて、おかげで迂闊な発言が出来ない。

 私は落ち着くために一息吐き、それから右手の力を緩めた。これ以上手を繋ぐ理由も道理もない。手を繋いでいたいわけでもない。そう思って、繋がりを外そうとする。

 しかしそれは叶わなかった。離れようとした私の手を、雪香の左手が捕まえたからだ。手の平が、確かな意思を感じる。

 不思議に思って見下ろすと、上目遣いでこちらを見ていた雪香と目が合った。目と顎を動かして「この手は何かね?」と問うてみると、視線だけで返答された。

 「……疑似デートなら、手を握るぐらい普通じゃないでしょうか……」

 察するにこんなところだろうか。やや弱々しい目力なのは、全体的に照れが混じっているのだろう。私とやる意味はあるかと内心思いつつ、今日ぐらいは付き合ってやろうと思い直した。私は彼女の一日彼氏なわけだし。

 それに、今の雪香はものすごく……

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