そして物語は舞台を変える
「やっぱり、優ちゃんのこと好きだよ」
唐突に、ユキが告げる。月明りと街灯に照らされた駅までの道を二人並んで歩いていた時だった。前後に脈絡はない。本当に唐突に、「好き」の二文字が会話に躍り出た。不思議ちゃんではなくなったが、電波な部分は鳴りを潜めない。むしろ悪化している気がする。主に私の心労的な意味で。
「…リアクションに困る……」
素直に心情を吐露すると、ユキは何故か満面の笑みを浮かべていた。これもきっと、分かり得ないところなんだろう。
顔が火照るのを自覚し、冷たい空気を求めて空を仰ぐ。今日は月が綺麗だ。十日夜の月とか十三夜月とか細かい分類は知らないけど、それが綺麗だってことは分かる。名前はそこまで重要ではないのだ、きっと。
ユキと呼び始めたのは付き合い始めてからだ。それまではずっとお互い名前で呼び合っていたから、初々しさが欲しいというのが理由だった。結果として、どちらの方が親しい仲に見えるかは知らない。ただ言えるのは、それで私たちの間の何かが変わった気はしないということだけだ。
隣のユキをチラッと覗き見る。いつの間にか、目線は少し釣り合わなくなっていた。去年までは同じくらいの背格好だったのに。コイツ、まさかまだ成長期なのか。
変わらないものと、変わりゆくもの。
世の中には結局のところ、その二つしかない。そして大半は、後者の枠に収まっている。
例えばそれは……
「ねえ、明日一緒に買い物行かない?!」
そこまで考えていたら、ユキのはしゃぐ声が聞こえた。反応して首を向けると、キラキラとした瞳が眼前に迫る。近い。……照れる。
「ほらっ、そろそろクリスマスでしょ!去年は何も出来なかったから、今年こそは一緒に何かしようよ!」
ユキが食い気味に言葉を続ける。興奮しているのか高揚しているのか知らないが、少々前のめりが過ぎる。躱すように上体を後方に反らせ、圧迫を避ける。それから言葉の意味するところを考える。
買い物。休日の土曜日に買い物ということは隣町のデパートが目的地だろうか。そしてそこにカップルが二人きりで遊びに行く。
……デートだな、これ。
そう考えると俄然行きたくなる。なりはするのだが、でもなあ、明日はなあ。
「あっ、もしかして明日はお義母さんと過ごす先約が入ってたりする?」
うーんと回答を渋る私の様子を見て、ユキが身を引きながら察したように確認してくる。私は身体を起こしてからそれに無言で頷き、その予想が正解であることを認める。
ユキは私の家族関係を知っている。別に殊更隠すつもりもないが、変に教えて適当なことを吹聴されるのも嫌なので基本的には話していない。同級生で教えたのはユキだけだ。
今どき父親の再婚なんて、そう珍しい話でもないとは思うけど。
新しい母は良い人だ。だが弁護士故に多忙な日々を過ごしており、私と過ごせる時間はそう多くない。たまに休日、数時間顔を合わせてお喋り出来るくらいだ。すごく盛り上がるわけではないが、お互いがお互いを理解しようとしている。居心地は、そう悪くない。
「そっか。じゃあ無理強いは出来ないか」
ユキが一歩引いた態度を見せる。少し寂しそうに見えたのは、きっと私の色眼鏡じゃない。私もまた少し残念な気持ちを胸に抱えながら、それでも義母と過ごす約束を優先することに揺らぎはなかった。歩み寄ろうとする母を拒めるほど、今の私は強くない。
「それじゃあ何時にしようか?明後日の日曜日でもいいけど」
私が負担に感じないようにするためか、彼女はすぐに代案の提案をしてくれる。そんな彼女の心遣いが嬉しかった。親切とか配慮とか、そういう名前が付く行為には及ばないのかもしれないけど、その優しさは胸に沁みる。
「私も日曜日問題ないよ。でも確か今週の日曜日は…」
「…あぁ、確か家族向けのイベントがあったね。……つまり人がたくさんいるのかぁ…」
ユキは人混みが苦手だ。人酔いするほどではないけど気分が悪くなるそうで。夏祭りで偉い目にあったのを今でも覚えている。
しかしそうなるとどうするか。そもそも一日遊ぶ計画でないのなら都合はつけられるのだが、折角のデートだったらなあ。
悶々と悩んでいると、ポケットの中でスマホが震えた。振動に反応して起動してみると、新着メッセージが一件。着信相手は噂の母親だった。アプリを起動して文面を見ると、簡素な一文が事務的口調で送られてきていた。
「明日用事出来た 申し訳ない 母より」
「だから、明日デパートに行こう!!」
カミングアウトから数秒、未だ機能停止の状態である私の身体を雪香の声が震わせる。そうだ、音とは空気の振動であり、それはつまりどんな言葉でも身体を揺らすことはできるということだ。だから多分本当にすごいのは心を震わせる言葉なんだろう。…一体私は何を言っているんだ。
下らない思考を通して回路は復旧、オールグリーンには少し遠いが問題なく活動を再開する。視界が明るく開けた気がした。
とはいえ、会話の流れは全く把握出来ていない。おかしい。雪香の言葉の流れがまるで掴めない。一つ一つの理論理屈を丁寧に処理していく必要があるな、これは。
「……まずあんた、好きな人が出来たの?」
「正確には少し違う!好きかもしれない人が出来たの!!」
何故か雪香は少し勝ち誇った顔をしていた。分からない。でも今はその疑問の解消よりも大切なモノが目の前に積まれている。
「……その違いは一旦置いておくとして、それと買い物にどういう繋がりがあるの?」
何故買い物に行くのか、それが問題だ。因果関係があまりに不透明なので暗中模索の五里霧中。誤用の指摘は御用じゃない。
そんな言葉遊びに脳内で興じながら依然立ち上がったままの雪香を見上げる。目が合うと気恥しくなったのか、雪香は顔を俯けていそいそと腰を下ろした。名前に似つかわしくない顔色をしていて、少し不安になる。
「…私、誰かを好きになったこととかないからさ、今抱えてるこの気持ちが本当に恋愛感情なのかが正直分からないの」
雪香が顔を俯けたまま気持ちを吐露する。その声音は弱々しく、か細く、カバーガラスのような脆さを感じさせる。私もまた恋などとは縁遠い身なので分からないが、あるいはこれが正常な反応なのかもしれない。いずれにせよ、こんな雪香は見たことがなかったので対応に困った。口が中途半端にしか開かず、漏れ出る声は意味を為さない。
「だからその…疑似デートじゃないけどさ、一度そういうのを意識しながら買い物に行ってみたいの。……駄目かな?」
昨日と、今朝と、つい数分前までと違う雪香。その違いに困惑しながらも、ようやく頭の中で一つの論理が纏まる。散らばった要素が集い、一つの前提を中心として物語が編まれてゆく。それの完成と共に、胸の中にストンと落ちるモノとわだかまるモノが一つずつ。
雪香は私に一日彼氏を依頼している。
そして私は彼女に彼氏役を依頼されている。
そうなるかという納得と、それでいいのかという疑問。確かに両立する心の機微だが、今の私には後者の割合が少し大きすぎる。
「駄目ってことはないけどさあ…」
部活関連ということは、相手はあの男子だろう。ちゃんと憶えていないが、掲示板に成績上位者として名前が張られていた気がする。いずれにせよ、相手は同じ学校の生徒だろう。
自慢じゃないが私はボーイッシュ女子ではない。外見だけでなく、内面もそこまで男らしくない。一人っ子で仲のいい男子友達もいないので、そこまで男の感覚には詳しくない。つまり、ないない尽くしだ。彼氏役としては不十分じゃなかろうか。
「駄目じゃないなら行こう!お願い!アイス奢るからさー」
ねだる様に、縋る様に頭を下げて頼む雪香を見て、なるほど確かに一大事だと改めて思う。そして失礼ながら同時に、これが本当の一大事かあと少し呆れ気味に思ってしまった。
私の電波な友人は、どうやら健全で健康な少女だったらしい。特殊でも特別でも異常でもなく、どこまでも伸びやかに普通な少女。
それは良いものだと思う反面、それは良いものなのかと思う。ひねくれ者の精神が芽を出し、いちいち細かくケチをつけようとする。
そんな邪な内面を認識しつつ、けれども私は思うのだ。
誰かを愛することは、きっと良いことだ。親を見ていれば、それぐらいは理解できる。
雪香は言った、胸に抱くものが恋愛感情なのか分からないと。そして少なからず、自身のそれに動揺しているらしいのも伝わる。
友人のために一肌脱ぐことは、悪いことではないはずだ。幸い今週はお義母さんとのお茶会もないわけだし、折角空いた休日を有意義に使うとしよう。
窓の外、落ち始めた夕日の茜色、グラウンドから聞こえる運動部の掛け声、青春の匂い。日々の事象と経験は連なって、繋がって、連綿と紡がれて彩られる。その足跡が、日常だ。
だけどたまには、そういう世界から離れてみるのも悪くない気がする。それが友人のためとなれば、なおのこと。
そう考えていると、回路の中に不純物発見。下らない思いつきで、だからこそ面白い。
どうやら私の癖が治るのは、まだまだ先になりそうだ。
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