誰よりも必要とされている魔女と誰よりも...

晴れた道を歩いていると、心にも余裕が出来る。それは、旅をする上での油断を招く事になる。


「...失敗した。」


「雨の後は地図を見るべきだな。」


目の前に流れる川は、普段なら膝から下程度の水深で穏やかに流れている筈だが、短時間で多量に降った雨により、水深は深く、濁った水がかなりの勢いで流れている。

幾ら大狼のテオでも、濁流に飲み込まれれば、簡単に流されてしまうだろう。


「川幅と水深を考えると、橋を架ける程でも無いんだろうな。」


「何か足場になる物があっても、この川幅を渡せる物はそうそうないよね。」


シオンとテオは思わぬ場面で、自然の脅威に足止めを食らってしまった。


「回り道するか?」


「上流か、下流か...」


シオンはテオの背中から降りて、近くの地面を探すと、雑草の中に生えていた長い草を千切り、上に向けて投げた。


「何をした?」


「棒の代わりに草を投げて、先が向いた方に行く。」


「運任せか。考えるよりは早いな。」


草は地面に向けて落ちていく。ゆっくりと倒れた草は、下流の方を向いた。


「下流か。」


「道は無いから、足元に気をつけて進んで。」


「分かってる。早く乗れ。」


シオンはテオの背中に乗る。シオンが安定したのを確認してから、テオは歩き始めた。

暫く下流に向けて歩いていると、大きな馬車に出会った。馬車の周りには、弓や長銃を持った男達が座っていた。


「初めまして。川が穏やかになるのを待っているの?」


「そうだ。」


「キャラバンにして少ないけど、その馬車の中には何を積んでるの?」


「お前には関係無い。早く失せろ。それとも、俺達を追ってきたのか?」


男達は一斉に立ち上がり、シオンとテオを取り囲んだ。


「お前は厄介事ばかり引き当てるな。」


「本当に...嫌になる。」


シオンがテオの背中を叩くと、テオは目の前の男を突き飛ばし、勢い良く走り出した。

馬車の横を通り過ぎ用途した時、馬車の中に修道服を着た女が捕らえられている様子が、シオンの目に映ってしまった。


「テオ!人が捕まってる!」


「相手は銃を持っている!殺さずに助けられると思っているのか!?」


「出来る...信じて!」


テオは更に速度を上げて、大きく旋回する。その間にシオンは手の平に小さな赤い魔法陣を作り出した。


「必ず助けるから。『誰が為にアド・クエム』」


赤い光球が魔法陣の上に現れると、自らの胸に押し当てた。光球は体の中に入り、全身が火照り出す。

自分自身を強化する魔法は、周囲の時間が遅く感じる程、シオンを深く集中させた。


「テオ、限界は3分。それまでに馬車に辿り着いて。」


「おい、何をして...絶対に時間は守れよ。」


テオの言葉に頷き、上着の中に着けていたハーネスホルスターから自動式拳銃、ソシエを抜いた。

テオが男達の間合いに入ると、長銃の引き金が引かれた。


「シオン!」


テオがシオンに知らせたが、その必要は無かった。

既にソシエから銃弾が放たれていた。


「消えて。」


銃弾が光り輝くと、長銃から放たれた銃弾と共に消えた。

男達は驚きはするが、怯むことなく矢を放った。しかし、テオが難なく避け、長銃の次弾までに距離を詰めた。

シオンは左腿のナイフシースからナイフを抜くと、テオの左側に体を移動させた。


「行くぞ!」


テオが速度を緩めることなく、一人の男目掛けて体当たりをした。

すぐ左側にいた弓を持つ男も、シオンのナイフによる鋭い一閃が、左肩の腱を切り裂いた。


「そのまま向かって!」


再び銃口が向けられると、シオンは体勢を整え、銀色のケースを開けた。中から布で包まれた球状の薬を取り出すと、男達の足元に投げた。


「な、なんだ!?」


男達が慌てると同時に、薬の真下に小さな赤い魔法陣が展開される。基礎魔法のイグニだった。

燃え始めた薬は濃い煙を噴き出し、男達の視界を一瞬にして奪った。


「シオン、行け!」


テオはシオンを馬車の傍で降ろすと、濃煙の中に飛び込んで行った。

シオンもすぐに馬車の中へ入ったると、そこには修道女が居た。しかし、修道女を守るように、自動小銃を構えた男が待ち構えていた。


「防御魔法展開!」


シオンは一瞬の内に防御魔法を展開するが、射撃速度の早い自動小銃に対しては無意味だった。

それを理解していたシオンは、割れた瞬間にソシエの引き金を引いていた。

男は右肩を撃ち抜かれ、激痛により動けなくなっていた。


「はぁ...はぁ...」


しかし、シオンも無傷では無かった。腹部と左肩に銃弾を受けてしまった。運良く銃弾は貫通しており、主要臓器も避けている。


「今の銃声は...?」


修道女が声を出した。シオンは強化魔法により、痛みが緩和されているが、強化魔法が解ければシオンは激痛に襲われる。

既に3分を越えているが、魔法をかけたまま修道女を助けた。


「ありがとうございます...ありがとうございます...」


何度も頭を下げられるが、シオンは答える事が出来なかった。

頭を下げている様子はシオンの目には映らず、礼を言う声はシオンの耳には届いていない。

強化魔法の代償として体を強化出来るが、短時間に膨大な負荷が小さな体にかかり、視覚と聴覚を失ってしまった。


「こっちは大人しくさせた。お前は大丈夫...シオン!」


テオが馬車の中に乗り込み、シオンを支えた。

テオの白い毛は、シオンの鮮血により赤く染っていく。


「怪我を...私の為に...」


「あれ程時間を守れと...止めるべきだった...強化魔法なんて...」


後悔するテオを横目に、修道女がシオンに近づく。流れるような動作で、シオンの傷を確認すると、テオに微笑みかけた。


「この程度なら大丈夫ですよ。任せてください。」


「お前に何が...」


修道女はシオンを馬車の中に寝かせると、シオンの手を握った。

すると、シオンの体を挟むように、上下に魔法陣が展開された。数多の術式が組み込まれた魔法陣は、隙間すら見えない程だった。


「さぁ、目を開けてください。」


魔法陣が光り輝くと、シオンは眩しそうに目を開けた。


「うぅ...眩しい...」


「シオン!痛みは無いか!?」


「テオ...?あれ、さっき撃たれた筈...目も見える。テオの声も聞こえる...」


「シオン様。助けていただきありがとうございました。」


修道女は礼儀正しく頭を下げると、シオンは微笑んだ。


「良かった。貴女に何も無くて。それにしても...傷が塞がってるのは、貴女のおかげ?」


シオンは穴の空いた上着を脱いで、撃たれた場所を確認すると、傷跡を残さずに塞がっていた。


「はい。命の恩人を見捨てる訳にはいきませんので、勝手ながら魔法を使わせて頂きました。」


「...回復魔法?」


「よくご存知ですね。いえ、同じ魔女なら知っている方が多いのでしょうか?」


「貴女はもしかして...アルテ教会のハンナ?」


「その通りです。」


シオンは目を丸くして驚いていた。まさか目の前に、回復魔法を使える魔女の1人が居るとは思わなかったからだ。


「ど、どうして貴女が私の名前を知っているの?」


「お連れの方が名前を言っていたのを聞いていましたが、聖都に居た頃から知っていました。幼い魔女が強化魔法を覚えた事は、異例でしたからね。」


「シオンの使う強化魔法は、他の魔女は使えないのか?」


「そうですね...結論から言えば、使えません。しかし、使えないのは詩音さんの使う『誰が為にアド・クエム』だけです。」


「そんな話は、今まで1度も聞いたことは無かったな。」


「言う必要が無かったからね。」


シオンは穴の空いた服を魔法で修理すると、上着を羽織った。


「そうだ。貴女を捕まえた男達はどうするの?」


男たちをどうしようか考えていると、つい先程まで馬車の隅にうずくまっていた男が居なくなっていた事に気がついた。


「居ない...」


「さて、あの方達も怪我をしていましたね。」


ハンナが男たちを探して馬車の外に出ていくと、馬車の陰に隠れていた男達が現れ、自動小銃の銃口をハンナに向けた。

男はハンナに銃口を合わせた筈だが、そこにはハンナの姿は無かった。


「肩を怪我していますね。」


背後から声を掛けられた男は、驚いて逃げ出したが、突然目の前に現れたハンナに止められた。


「今、治します。」


男の右肩を前後で挟むように魔法陣が展開された。そして、綺麗に傷口が塞がれる。


「ば、馬鹿な女だ!」


男は痛みが無くなると、突然暴れだしたが、後から馬車から降りてきたシオンが背後から足を払い、腰の回転式拳銃を抜くと、倒れた男の胸に押し当てた。


「暴れないで。折角ハンナが治してくれたのに、また傷つきたくはないでしょ?」


男は無言で何度も頷いた。シオンは自動小銃を回収すると、男の胸から銃を離した。


「賊でもこんな武器が持てるんだ。」


あまり見ない自動小銃に興味を惹かれていると、ハンナはテオが気絶させた男達も治療していた。


「自分を捕らえた人を治療するのは、どんな気持ち?」


「何も感じません。私は目の前で苦しむ人を助けるだけです。」


治療を終えると、ハンナはシオンに頭を下げて、その場を立ち去ろうとした。


「どこに行くの?」


「今この瞬間にも、傷つき、苦しんでいる人達が居ます。私が立ち止まる訳にはいけません。」


「そう...もう少し話をしたかったけど...」


「ま、待ってくれ!」


シオンとハンナが別れの挨拶をしようとすると、男の1人が割って入ってきた。


「俺らの親父が死にそうなんだ!だからその魔女を拐った!頼む!拐った事は謝る!だから、親父を助けてくれ!」


「分かりました。そのような事情なら、すぐに行きましょう。」


ハンナは男の言葉を疑うことも無く、首を縦に振った。


「待て。その話を信じるには、信用が足りない。諦めろ。」


テオが男の前に立つと、牙を見せて脅した。しかし、男は引かなかった。


「お前には関係無い!」


「...お前と言う人間を試そう。」


テオはシオンの背後まで下がった。男はすぐにハンナの前で頭を何度も下げた。

ハンナは笑みを浮かべたまま、男の肩に手を乗せた。


「安心してください。救済は平等です。」


ハンナの笑みを見た男は、安心した表情を浮かべた。


「良かった...さぁ!早く行こう!乗ってくれ!」


男はハンナを馬車に案内すると、幕を降ろして中が見えないようにした。

他の男たちもぞろぞろと中に入っていき、ハンナに頭を下げた男は馬を操って進ませた。


「...追うよ。」


シオンは自動小銃をテオの荷物の中に入れると、背中に飛び乗った。

テオはすぐに馬車を追って走り出す。

馬車とは一定距離を保っているが、相変わらず中の様子は見る事が出来ない。


「気になるか?」


「うん。でも、テオは見えてないと思うけど、幕の間から長銃の銃口が見える。」


「1発なら避けられる。」


「撃たれないことを祈ってよ。」


シオンの祈りが届いたのか、馬車が停止するまで撃たれることはなかった。

男たちに囲まれたハンナが馬車から降りると、大きな屋敷に連れられていった。


「...奴らは本当に賊なのか?」


「さぁ...もしかしたら、凄い勘違いをしていたのかも。」


シオンとテオも着いていこうとするが、屋敷の扉の前で鎧を着た兵士に止められた。


「ハンナの連れだ。入れてくれ。」


「通っていいのは背中に乗っている魔女だけだ。狼、貴様は主を待て。」


「...だそうだ。行ってこい。」


「必ず戻るから、心配しないで。」


シオンはテオから降りると、銀色のケースを持って屋敷の中へ入っていった。

ハンナの後を追って行くと、大きな部屋へと辿り着いた。

部屋の中に入ると、年老いた細身の男がキングサイズベッドに横たわっていた。その傍に、ハンナは立っていた。


「ハンナ、その人は?」


「あの方達が親父と呼んでいたお方。エリアス国においては、貴族の階級の方ですね。」


「おお...魔女が2人も...息子達から話は聞いている。私の病を治してくれるのだろう...?」


「私は治せない。でも、ハンナなら治せる。」


「はい。お任せください。」


「ありがとう...ありがとう...」


何度も礼を言いながら、ハンナの手を弱々しく握った。ハンナは微笑むと、治療を始めた。

すぐに治療が終わると、今まで弱々しかった老人は、跳ねるように飛び起きた。


「おお!おお!まるで若かりし頃の体の様だ!アンタのお陰だ!」


老人はハンナの手を力強く握ると、頬を濡らしながら頭を深く下げた。


「そうだ!なぁ、エリアス国王に会わないか!アンタなら国王にも認められる筈だ!」


魔女が一国の王に認められると言うことは、その国公認の魔女になるという事。それ即ち、エリアス国内なら貴族と同等か、それ以上の地位を与えられる事だった。

しかし、ハンナは予想だにしない返答をした。


「いえ、私は普通でいなければいけません。この国の特別な存在になる訳にはいきません。まだ、私を待つ人々は、大勢居ますから。」


「そうか...なら、して欲しいことはあるか?何でも応えてやろう!」


「そうですね...この近くで医者のいない街はありますか?」


「ん?ここから南東に進んだ場所にある小さな街は、医者が居ない筈だが。」


「分かりました。ありがとうございます。」


「お、おい!まだ何も礼が出来ていない!」


「おかしな人ですね。ありがとうと言ってくれましたよね?では、失礼します。」


ハンナは笑顔を浮かべたまま、部屋を出ていった。


「...待って!」


シオンはすぐにハンナを追いかけた。ハンナに追いつくと、すぐに問い詰めた。


「どうして、何も受け取らないの?」


「受け取る必要はありません。あの方の笑顔を見ましたか?」


「見たけど...」


「それだけで十分なのですよ。」


シオンは絶句した。あまりにも人間離れした考えは、シオンには理解出来なかった。


「誰が為に...私は皆の為にですね。ふふふ。」


「はは...」


シオンは引きつった笑みを浮かべた。

ハンナと共に屋敷を出ると、退屈そうに兵士と話しているテオと合流した。


「やっと来たか。邪魔したな。」


「ふん。旅の幸運を祈る。」


テオは兵士に別れを告げ、シオンを背中に乗せた。


「ハンナはこれからどうするの?」


「あの方に教えていただいた街に行きます。シオン様は?」


「私は...気の向くままに行くよ。」


「そうですか。では、私とはここでお別れですね。」


「貴女の事は魔女として尊敬している。でも、人としては尊敬出来ない。もっと、自分の事を考えて。」


「考えています。それで、この生き方を選びました。」


「そう...じゃあ、また会えたらいいね。」


「そうですね。では...そう言えば、シオン様のお母様はお元気ですか?」


母の事を尋ねられると、シオンは黙り込んでしまった。代わりにテオが答えた。


「...死んだ。事故でな。」


「そうとは知らずに失礼しました。」


「き、気にしないで...じゃあ...」


シオンはテオの背中を叩いてテオを走らせた。

ハンナと別れてから、かなりの時間が経った。すでに日も沈み始めていたので、野宿をする事にした。

テントを張り、キャンプを建てると、ようやく落ち着くことが出来た。


「この連日で3人の魔女に会ったけど、皆凄いね。」


「お前が言うには、ノエルが誰よりも優しい魔女。リザリオが誰よりも魔女らしい魔女。ハンナは何だ?」


「誰よりも必要とされている魔女だね。」


「ふん...誰よりもか...それに比べてお前は...」


「私も誰よりも優れている所はあるよ。」


「何だ?」


「誰よりも自由な魔女。」


シオンは自信げに言ったが、テオはそれを鼻で笑った。

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