誰よりも魔女らしい魔女

雲が隠していた青い空が、雲の切れ目から顔を覗かせた。

雨が上がったばかりの道は、ぬかるんでいて滑りやすくなっている。シオンを乗せたテオは、足元を気にしてゆっくりと歩いていた。


「雨、意外と早く上がったね。」


「そうだな。」


シオンが空を見上げていると、風が吹いてシオンの帽子を持っていってしまった。


「あっ!帽子!」


「おい!暴れるな!」


シオンがすぐに手を伸ばすが、帽子はシオンの手をひらりと躱した。


「もう!」


シオンはテオの背中から飛び降りようとしたが、いつの間にか道の先に立っていたシオンと同じ位の黒い日傘をさした少女が、シオンの帽子を持っていた。


「この帽子は、貴女の物かしら?」


「あ、ありがとう。」


背中から降りて少女に近付くと、少女の体の異変に気が付いた。

シオンと同じ銀色の髪を持ち、その頭の上には狼のような耳があり、小さな体に纏った黒いドレスの腰の辺りから、尻尾が生えていた。


「あら?そんなに獣人が珍しいかしら?」


日傘から覗いた深紅の瞳に、シオンのたじろぐ姿が映っていた。


「獣人には初めて会うからね。」


シオンは少女から帽子を受け取ると、なるべく目が合わない様に、帽子を目深に被った。


「それにしても、いつからそこに居たの?」


シオンが突然姿を現した少女に問いかけると、少女はくすくすと笑って、シオンの問いかけには答えなかった。

代わりに、傘を閉じて地面に突き立てた少女は、ドレスの裾を持ち、頭を下げた。顔を上げた少女は、絵に書いたような笑みを浮かべて、シオンとの距離を詰めた。

そして、耳元で小さな声で囁いた。


「魔女の肉って、美味しいのよ?」


背中に悪寒が走る。シオンは反射的に少女との距離を取った。

自分では気が付いていないが、右手は銃を抜こうとしている。


「あら、危ない人ね。」


突然、シオンの右手に何かが当たったような衝撃が走った。しかし、右手には何の跡も残っていない。

だが、右のホルスターに収めていた銃が無くなっていた。


「無い...」


「探しているのはこれかしら?」


少女はシオンのホルスターに収められていた銃を持っていた。それも、1歩も動かずにシオンから盗みとっていた。


「...何者なの?」


「私?私は白銀の国のリザリオよ。これは、友好の証。」


リザリオと名乗った少女は、シオンに銃を返した。

銃を受け取ろうとするシオンの手は震えている。


「あら?何に怯えているの?」


「な、何でもないよ。」


シオンは左手で震える右手を押さえ込もうとするが、震えは止まらなかった。


「シオン、大丈夫か?」


「テオ...耳を貸して。」


シオンはテオの耳元で、リザリオに聞こえないように話し始めた。


「リザリオは魔女。それも、各国から指名手配される程の凶悪な魔女だよ。」


「何故、そんな魔女がここに居るんだ?」


「分からない...とにかく、穏便に済ませよう。」


シオンは笑みを浮かべるリザリオを見て、覚悟を決めた。大きく息を吸って、深く息を吐く。震えの治まった手で銃を受け取り、ホルスターに戻した。


「これで私と貴女は親愛なる友人よ。」


クスリとリザリオが笑う。まるで、喉元に鋭い刃を突きつけられた時のような恐怖が、シオンを支配する。


「うん...」


「それにしても、こんな所で同じ魔女と会えるなんて、不運な事があって良かったわ。」


「不運な事?」


「えぇ、それはもう...とても不運な事だったわ。」


「それは...どんな事だったの?」


リザリオは溜息をつき、話し始めた。


「昨日の事よ。私は人間の街に宿を探しに行ったのだけれど...街に入ると剣を向けられたのよ?だから...」


リザリオは振り返り、歩きながら地面に刺した日傘を抜きながら開くと、日傘で出来た影の中で微笑んだ。


「その街の子供を、1人残らず殺したのよ。その時のあの人間達の顔...貴女にも見せてあげたかったわ。」


「どうして子供を...」


「子は親を愛してる。でも、親が子を愛する程では無いからよ。」


「それは違う。」


「そうかもしれないわ。それなら、親と離れ離れになった子供が可哀想だから、親も子供と同じ場所に送らないといけないわね。」


リザリオは傘をくるくると回しながら微笑んでいる。しかし、シオンにはその表情が見えなかった。

日傘で出来た光をも遮る影によって、リザリオの顔は隠されていた。


「ねぇ、シオンだったかしら?貴女も私と一緒に来ない?」


「...私は」


シオンは言葉に詰まっていた。もし返答を間違えれば、命を落としかねない状況での判断は困難を極めた。


「...私は行かない。」


「そう...残念ね。」


リザリオはシオンに近付くと、ゆっくりとシオンに向けて手を伸ばした。

シオンの頬に触れると、体の震えが止まらなくなった。


「貴女と私は、気が合いそうなのに。気付かない、知らないとは言わせないわ。貴女の体に染み付いた血の臭い。誤魔化せないわよ。」


シオンは咄嗟にリザリオを突き飛ばした。思わずとってしまった行動に、自分自身でも驚いていた。

リザリオは体勢を崩すも、背後に突如として現れた真っ黒なテオと同じほどの大きさの狼がリザリオを支えた。


「ありがとう、ロン。」


リザリオが礼を言うと、ロンと呼ばれた狼はリザリオの足元に映し出された影の中に潜っていった。


「か、影の中に...」


「ふふ、私は私だけの魔法を持っているのよ。それが、影を操る事のできる魔法。」


リザリオの手が、シオンの足元に向けられる。瞬時にテオがシオンの前に立つと、テオは目の前に立つ魔女を睨みつけた。


「噛み付けるなら、噛み付いてもいいわよ。」


「...」


「テオ、駄目。」


シオンが止めると、テオは1歩も動かなかった。

しかし、シオンはテオの異変には気付けなかった。


「貴女のお友達、苦しそうよ?」


リザリオに言われて、ようやく気が付くことが出来た。

テオは動かなかった訳では無い。1歩も、ほんの少しも体を動かす事が出来なかった。


「リザリオ!テオに何をしたの!?」


「動きを止めただけよ。全身の動きを止めたから、息も止まってるみたいね。」


「リザリオ...お願い。テオを苦しめないで。」


シオンはリザリオに向けて頭を下げた。小さな溜め息が聞こえた直後、テオは呼吸ができるようになった。


「悪いけど、貴女と少しだけ話がしたいの。だから、そのお友達には少し黙っててもらうわ。」


「...テオ...」


シオンは動かないテオの体を撫で、テオの前に出た。


「私から何を聞きたいの?」


「貴女は、何か隠していない?」


「...何も隠してない。」


「それなら、別の質問に変えるわ。貴女は、魔女?それとも人間?」


「...魔女。でも、人間でもある。」


「中途半端な生物は、何もかも中途半端なのよ?魔女を捨て切れない人間さん。」


リザリオはシオンの影を踏み付ける程の近さまで、距離を詰めてくる。


「私は、人間も嫌いだけど、中途半端な生物が1番嫌いなのよ。」


リザリオは初めて怒りの表情を見せた。その眼はまるで、獣のように鋭く、心までも見透かされているような気がする。

しかし、シオンは相当な頑固者だった。


「私は中途半端だけど、それでも良い。誰かに言われて自分を変えるほど、私の意志は弱くない。」


「...ふふ、見直したわ。」


「私からも質問させて。貴女は...何者なの?」


「そうね...私は──」


動けなくなってから、どれ程の時間が経ったのだろうか。何も見えず、何も感じず、何も聞こえない。体の少しも動かすことが出来ない。

今までにこれ程不安な事はあっただろうか?

あるとすれば、1年前のシオンが居なくなった時くらいか。


「テオ、ただいま。」


シオンがテオの頭を撫でると、テオの体はリザリオの魔法から解放された。


「シオン...奴はどこだ!?」


解放された喜びも束の間、動きを止めたリザリオを探して見渡す。しかし、リザリオの姿は何処にも無かった。


「リザリオなら行ったよ。テオによろしくだって。」


「あの胸糞悪い魔女め...次に会ったら首を噛みちぎってやる...」


「...あの魔女とは、またどこかで会いそうだね。」


シオンはテオを宥めながら背中に乗った。

ぬかるんだ道も乾き始め、雨が降っていた事が嘘のような快晴になっていた。


「それで、俺が止められている間、何か話していたのか?」


「少しね。」


「何を話してたんだ?」


「お互いが何者か確認しただけ。」


「何者か?どういう事だ?」


「人間か魔女か聞かれたの。私はどっちでもある。でもリザリオは違った。」


シオンはリザリオの言葉を思い出していた。


「私からも質問させて。貴女は...何者なの?」


「そうね。私は...魔女よ。それ以外の何者でもなく。生まれた時から魔女でしかない。」


「貴女は獣人。それは変えられない事実でしょ?」


「えぇ、貴女の言う通り、私は獣人よ。でも、私は魔女として生まれたから、獣人ではなく魔女として生きるの。だから、私は自由でいられるのよ。」


リザリオの言葉を聞いて、彼女の生き方を理解した。


「おい、シオン。リザリオの何が違ったんだ?」


「...彼女は、誰よりも魔女らしい魔女だっただけ。」


「...どういう事だ?」


「自分の為に、自由の為に生きているって事。だから、リザリオを縛る物は何も無い。種族も、法律も、常識さえも、リザリオに対しては何の意味もなさないの。」


「...気に食わない。それが魔女らしいと言うのなら、魔女は全ての敵だ。」


「そうだよ。魔女は本来全ての敵になりうるの。でも、生き残るために、人の為に動いてる。それを誰もが忘れた時、全ての魔女はリザリオのようになるかもね。」


「そうなったとしても、お前だけは奴のようになるなよ。」


「そうだね...うん。」


シオンは小さく頷くと、テオの背中に寝転んだ。

高い空に手を伸ばして出来た影を見て、魔女の顔が思い浮かぶ。少し考えた後、シオンは手を下ろして影を視界から消した。


「影と光は表裏一体。一歩踏み外せば、誰しも影に落ちてしまうわ。貴女は、どちらに落ちるのかしら?」


突然聞こえたリザリオの声は、テオには聞こえていないようだった。辺りを見渡し、リザリオが居ないことを確認すると、シオンは逃げるように目を瞑った。

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