出来ること、奪うもの

翌朝、シオンは外から聞こえる騒がしい声で目を覚ました。


「...さわがしい...」


「起きたか。聞こえただけだが、傭兵の話をしているみたいだな。」


「そう...」


「顔を洗ってこい。少しは目が覚める。詳しい話はそれからだ。」


「うん...」


シオンは寝起きの重い足取りで、洗面所へ向かった。テオも体を起こし、部屋の窓から外を眺め、人々が話している事に聞き耳を立てた。


「...やはり傭兵の事か。それにしても、昨晩の事を誰もが知っているな。」


「てお...ふくをもってきて...」


「自分で...分かった、今持っていく。」


テオはシオンの服の入った荷物を咥え、洗面所へ持っていく。普段と代わり映えのしない服に着替えたシオンを見て、テオは疑問に思った。


「そんな男みたいな格好じゃなくて、もう少し洒落た服を着たらどうだ?お前も年頃の娘だ。気にはなるだろ?」


「ふぁ...気になるけど、攫われたく無いからね。洒落た服なんて着て、護衛もいなければ、野盗とか山賊、人攫いに目を付けられる。」


「確かにそうか。奴らは弱い物を好んで狙うからな。」


「だから、地味で男みたいな格好をしてるだけ。」


シオンは洗面所を出ると、脱ぎ捨てた服を荷物に詰め込み、銃とナイフを装備した。テオが取ってくれた上着を羽織ると、テオの背中に荷物を積み、部屋を出ていく。

1階からは、かなり騒がしい声が飛び交っていた。


「フランカに挨拶できるかな?」


「行けばわかるだろ。」


シオンとテオは階段を降りた。受付の周りには誰もおらず、フランカと旦那は、客に混じってテーブルを囲んで論争を繰り広げていた。


「忙しそうだね。」


「仕方ない。挨拶は諦めろ。」


シオンとテオが宿を出ようとすると、フランカが気付いて2人を止めた。


「おはよう!今日発つって話だけど、次はどこに行くんだい?」


「おはよう。まだ決めてないよ。」


「そうかい。なぁ、シオン、まだこの街は大丈夫なんだろうね?」


「...戦争の事?」


「そうさ。昨日、ヴェルト帝国に雇われた傭兵が、街中で爆弾を出したって話じゃないか。あんた達が居たから止められたって話も聞いたよ。」


「私が見てきた限りなら、まだ大丈夫。」


「まだ、大丈夫...そうさ。あたしの街はまだ大丈夫さ。」


「でも、確実に戦火は近付いてきてる。このまま数年間戦争を続けてれば、この街には昨日の傭兵みたいな者たちが現れる。」


「...戦争なんて無くなっちまえばいいのにね...」


「皆が、誰しもが、そう思ってくれるだけで、変わると思うよ。」


「そうだね...ははっ、何だか悪いね。出発の日に、こんなしみったれた話をしちまって。」


「気にしなくていいよ。それより、この街で1番の医者って知ってる?」


「医者?うーん...西にいる医者はかなり腕が立つと思うけど...」


「西...ありがとう。じゃあね。」


「あぁ!達者でね!」


2人は固い握手を交わすと、シオンは宿を出ていった。

西に居る医者の情報を得たシオンは、すぐにテオを走らせた。


「昨日よりも人が多いね。」


「道が広くても、人が多いと歩きにくいんだよ。」


テオは不満を漏らしながら、まるで草木を掻き分けながら進むように、無理矢理進んでいった。道行く人に白い目で見られるのは、テオではなく、背中に乗っているシオンだった。


「テオ...凄い見られてるんだけど...」


「お前は見られるのを気にするが、俺の気持ちを考えてみろ。はっきり言って拷問よりも苦痛だぞ?」


「...あとで水浴びしてね。」


「お前の足になってからろくな事が無い...静かな森が懐かしく感じる...」


顔も名前も知らない人が、常に身体に触れた状態で歩いているテオの機嫌が徐々に悪くなっていく。


「道を空けさせる魔法は無いのか?」


「そんな魔法は無い...我慢してよ。」


「何時になったらこの人混みが無くなるんだ!」


「やめて...みんな見てるから...」


シオンは人目を避けるように、帽子を深く被り直した。


「おい、医者はどこだ?」


テオはとうとう痺れを切らして、通行人の若い男に脅す様に話しかけた。若い男は、震えた声で医者の場所をテオに教えると、周囲の人を押し退けて走り去っていった。


「逃げるとは失礼な奴だ。」


「今のは私でも逃げるよ。」


テオは走り去った男の背中を暫く見てから、教えられた場所へ向かった。ようやく人混みを抜けて、広い通りに出た右手に、小さな診療所が建っていた。


「あれだ。」


「予想より小さいね。」


「ないよりはいいだろうな。」


シオンはテオから降りて、診療所の扉を叩いた。すると、中から白衣を着た初老の男が現れた。


「やぁ、お嬢ちゃんに大きな狼さん。体調が悪いのかい?」


「ううん。この街の薬が気になったから、訪ねてきたの。」


「薬?若いのに勉強熱心だね。医者を目指しているのかい?」


「そんな所かな。見てもいい?」


「いいよ。今は患者も居ないからね。でも、君は表でお留守番かな?」


テオの体の大きさを見て、医者はそう言った。テオは渋々診療所の前でシオンを待つ事にした。医者は診療所の奥へとシオンを招き入れた。確かにテオが入るにはかなり狭い診療所とは裏腹に、薬棚には豊富な薬が置いてあった。


「多いね。見たことが無いものもある。」


「どれ...知りたいのがあれば、教えてあげよう。」


「これは?」


半固形の白い薬が詰められた小瓶を手に取り、医者に見せる。


「火傷の薬だね。殺菌作用のあるニズの葉と、炎症を抑えるヒルナの果肉を潰して煮詰めたものだよ。」


「火傷なら、それだけだと効果が薄くないの?」


「よく知ってるね。でも、ちょっとした火傷くらいなら、この薬だけでも大丈夫だよ。」


「そうなんだ。あれは?」


火傷の薬と同じ様な、半固形の黄色い薬を指差した。


「あれは関節痛の塗り薬。鎮痛効果のあるゴーアの根と、トラウの種子をすり潰して煮詰めたもの。」


「トラウの種子を入れるのは、ゴーアの根の麻痺効果を弱めるため?」


「そうだけど、君は本当に良く知っているね。ゴーアの根はそれだけだと、全身が麻痺してしまう。だから、トラウの種子の抑制効果を使って弱めているんだ。」


「それなら、患者によって効果の強さを変えられるね。」


シオンは次々と医者に薬の説明を求めていく。火傷の薬から始まり、風邪や擦り傷、増強剤等の製法を教えて貰った。


「いやぁ、君の博識にも参ったね。長年医者をやっているけれど、自信をなくしてしまいそうだよ。」


「気にしないで、私が魔女だから薬に関しての知識があるだけ。」


「魔女?君がかい?」


「そう。」


「魔女なら回復魔法を使って、一瞬で傷を治すことが出来るんじゃないのかい?」


シオンは医者の言葉に、首を横に振った。


「私が使えるのは、治癒魔法。魔法を使った相手の治癒力を高めて、傷の回復を早める事は出来る。でも、限界もある。それに比べて回復魔法は一瞬で治せるけど、今この時代に5人でも使える人がいれば、いいほうだと思う。」


「5人...そんなに難しいものなのかい?」


「難しいよ。回復魔法の基礎となる魔法は、時間操作の魔法。時間操作なんて、魔力の消費も激しいから、使える人は殆どいないの。」


「魔女にも色々居るんだね。」


「本当に、色んな魔女がいるよ...」


「そうだ。君達は旅をしているんだろう?」


「してるけど...」


「この薬を持っていくといい。」


医者が渡してきたのは、黄色い錠剤だった。シオンも分からない薬は、ぎっしりと瓶に詰まっていた。


「それは気付け薬。行商人が愛用している物だよ。これから先、何があるか分からないからね。」


「気付け薬...使わない方が良いんだろうけど...ありがとう。」


シオンは薬を受け取ると、魔具の入った銀色のケースに仕舞った。


「あとは特に用も無いから、もう行くね。」


「そうかい...だいぶ、戦争も近くなってきているようだし、気をつけた方が良いよ。」


「戦争の渦中に行かなければ大丈夫だよ。」


「戦争は怖い物だからね。何があるかも分からない。今この瞬間、この街は攻め込まれて陥落してしまうかもしれない。外は更に危険だよ。戦争を餌にする賊も居るし、君みたいな旅人は兵士も脅威となる。」


「忠告ありがとう。でも、何でこの街の人達はそんなに戦争を気にしてるの?」


「300年前に、この街が最前線だった事は知っているかい?」


「それは兵士から聞いた。」


「なら話は早い。私も聞いただけさ。だが、聞いただけで、誰しもが300年前の悲劇を起こしたくないだけさ。」


医者は悲しい目をしながら話し始めた。


「300年前、私達は1人の魔女のお陰で戦争に勝利した。勝利した迄は良かった。だが、魔女はそこまで考えていなかったのだろう。」


「魔女が考えなかったこと?」


「そうだ。魔女の強力な魔法と引き換えに、2万の兵士の死体が戦場に残された。その光景は、実際に見なくても、頭の中に描かれていく。嫌でもわかるんだ。戦争とは、全てを奪う虚しいものなんだと。」


「戦争なら何回か見てきた。鉄と火薬、それから血と欲望の臭い。私は残酷な戦場を目の当たりにして、見てるだけしか出来なかった。」


「それでいい。それでいいんだよ。中にはその行為を悪だと言う人間もいる。だけど、たった1人に何が出来るのか。それを考えれば、何もしない事が最善の選択だよ。」


「貴方も、戦争が嫌いなの?」


その問いかけに、医者は笑みを浮かべた。


「嫌いだよ。大っ嫌いだ。でも、それよりも嫌いなのは、自分自身だよ。」


「...どうして?」


「戦争で傷ついた人を、誰が治すと思う?私だよ。医者である私が治療するんだ。薬もある。軽い怪我なら薬を使うだけでいい。どちらにしろ、私は戦争で儲けを得てしまう。嫌な人間の1人さ。」


医者は自らを笑った。しかし、その目は笑っておらず、どこか遠くを見つめていた。


「...そんなに自分が嫌なら、金を稼げばいい。それでもっと薬を作って、多くの人を治療して、1人でも多くの人を助ければいい。貴方にはそれができるはず。」


「お嬢ちゃん...まさか、まだ年端もいかないお嬢ちゃんに励まされるなんてな...おじさん、恥ずかしくなってきたよ。」


医者は多くの薬が並ぶ棚を見つめた。


「1人の人間が、どこまで出来るかな。」


「必死に努力した分だけ、実は実る。」


「そうだね...おじさん、もう先は短いけど、頑張ってみるよ。ありがとう、小さな魔女さん。」


「どういたしまして。最後に貴方の名前を教えてくれる?」


「お互いに名乗っていなかったね。でも、悪いけどおじさんは名乗らないよ。」


「どうして?」


「もし、お嬢ちゃんが大人になってこの街に立ち寄ったら、おじさんの名前が分かるかもね。」


「大きく出たね。期待してるよ。医者のおじさん。」


「旅の無事を祈ってるよ。」


シオンは医者に別れを告げると、診療所を出ていった。外に出ると、テオの周りには子供達が集まっていた。


「寄るな...おい!背中に勝手に乗るなと言っただろ!」


子供達はテオの言うことを聞かずに、背中に乗ったり、尻尾を引っ張ったりして遊んでいた。


「テオは人気だね。」


「見てないでコイツらを追い払え!」


「はいはい...皆、テオから離れてくれる?」


「やだ!」


子供達は声を合わせて拒否をした。しかし、シオンも退かなかった。


「早く退かないと、悪い魔女に食べられちゃうよ?」


「何処にいるんだよ!」


「魔女なんていないよ!」


「残念、目の前に居るよ。イグニ。」


シオンは手の平にイグニの魔方陣を作り出して、一瞬だけ炎を噴き出させた。


「うわぁあ!?」


「魔法だ!ほ、ほんとに魔女だ!」


「驚いた?じゃあ、テオから離れて...」


「もっと見せて!」


シオンは魔法を見せれば、怖がって離れると思っていたが、魔法を見せる行為は裏目に出てしまった。魔法に興味を持った子供達は、テオから離れてシオンを取り囲んだ。


「やっと離れたか。それにしてもお前は人気者だな。」


「た、助けたんだから、助けてよ!」


「悪いな。俺はお前みたいに魔法は使えないんだ。暫く相手でもすれば飽きるだろ。頑張れよ。」


テオは子供に取り囲まれたシオンを見て、笑いを堪えていた。


「て、テオ!あとでおぼえ...」


「もっとみせてよー!」


「わ、分かったから服を引っ張らないで!」


「クハハ!いい気味だ!」


テオの笑い声と、シオンの助けを求める声が通りに響いていた。

シオンが解放されたのは、1時間後だった。子供達は親に連れられて帰っていき、残されたシオンはへとへとに疲れていた。


「はぁ...疲れた。」


「ほら、背中に乗れ。もう昼も近い。」


シオンはテオの背中に乗ると、ぐったりと倒れ込んだ。


「おいおい、大丈夫か?」


「...ねぇ、テオ。もし、戦火がここまで来たら、あの子達も戦うのかな?」


「さぁな。その時にならないと分からないだろ。」


「...あの笑顔も奪われるのかな。」


シオンは医者の言葉を思い出しながら、去っていく子供たちの背中を見つめていた。


「ここは戦争に近い。だが、逃げないと言うことは、覚悟があるんだろう。お前が口を出すことじゃない。」


「...本当にそれでいいのかな。」


「お前は、救世主にでもなる気か?」


「違う、そんな事は...」


「なら関わらなくていい。自分の身の丈に合わない物を背負うくらいなら、初めから関わろうとするな。」


「...」


シオンはテオに言われると、拗ねたのか黙り込んでしまった。静かになったシオンを連れて、西の門から街を出ようとした。


「おい、外に出るぞ。」


「...」


「そろそろ機嫌を...」


「テオ、そのまま聞いて。」


シオンは小さな声で話し始めた。


「何だ...?」


「見られてる。」


「今更何を言ってる。俺らが目立つから見られてるだけだろ?」


「違う...そう言う感じじゃない。」


「...門を出たら走るぞ。」


シオンとテオは、門番の兵士に話をすると、街を出る許可が降りた。入る時は違い、簡単な手続きを済ませると、すぐに門の外へ案内された。


「では、旅の無事を祈ります。」


「ありが...」


「せめて天国に行ける事を祈ります。」


振り向いたシオンの首元を、兵士の振った剣が掠める。テオが走っていなければ、首が斬られていた。


「危なかったな。でも、どうしてお前を狙ったんだ?」


「昨日の傭兵を見たでしょ?エリアス国からヴェルト帝国に鞍替えした。そんな事があったから、魔女の私が、もしヴェルト帝国に協力したら面倒でしょ?だから、私を狙った。」


「そうか、300年前の魔女のせいで、魔女は誰しも力を持っていると思われているのか。」


「そう。私は魔女の中でも出来ることは少ないのにね。」


「無知は何をするか分からないな。だが、それにしてはお前にご執心のようだな。」


シオンが振り返ると、兵士達はまだ追いかけてきていた。バシアに乗っているので、追いつかれることは無いが、足跡を追跡されてしまう可能性があるので、シオンはケースの中から、青い粉末の入った小瓶を取り出した。


「何をする気だ?」


「ちょっと眠らせるだけ。」


シオンは瓶を後ろに投げると、腰の回転式拳銃を抜き、3発撃って瓶を割った。


「2発外したな。」


「テオが揺らさなければ、1発で当てられたよ。」


粉末が外気に触れると、青い煙が辺り一帯に広がり、近寄ったバシア達の意識が徐々に奪われていく。

しばらくして、追いかけてくる兵士は一人もいなくなっていた。


「よし、撒いたな。」


「まさか、私が狙われるなんて。」


「良かったな。お前が気になっていた戦争の片鱗に触れることが出来たぞ?」


「こんな形で触れたくなかった。あの街の人は優しいと思ってたのに、裏切られた感じがする。」


「裏切るも何も、奴らは戦争が起こらなければ、なんでもする人間だ。あれは、犠牲者が増えるな。」


「あの街の優しい心も奪ったんだ。戦争が人を変えるのは、本当だね。本当に...怖いよ。」


シオンはため息をつきながら、空を見上げた。


「次の街は、楽しい街がいいな。」


「お前なら何処でも楽しめると思っていたが、楽しめないこともあるんだな。」


「当たり前。テオは私をなんだと思ってるの?」


「無知な子供だ。」


「また子供扱いして...テオはその減らない口を閉じて、走ることに集中して!」


「そういう所だ...」


テオはシオンを乗せたまま、草原を走り抜けた。戦争から逃げる様に走り、行き先などは決めていなかった。しかし、1人と1匹は楽しそうに草原を走っていた。

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