第7章 嵐の日


 ヨシ子の暴走と胸のうちを受け止めてから数日が経ち、真和の日常は再び落ち着きを取り戻していた。

 想いを吐き出しきったらしいヨシ子はあれからケロッとしたもので、むしろ以前よりももっと自分を好きになってもらおうといっそう努力するようになった。

 これまでは自分の手で真和を引っ張りどこそこへと連れ回すばかりだったが、真和に意見を求め、真和の意思が示されれば可能な限りそれに沿うような素振りも見せ始めた。


 妻としてより万能感を高めたヨシ子に対して、真和もまた反省を活かし、彼女のためになるように振舞い始めた。

 元より自分の意見よりも他者の意見を尊重していた彼だったが、ヨシ子との一件以来、意識して自分の意見も口にするように努めた。

 ただ引っ張り回されて楽をするのではなく、時に自らの思いを正しく伝え、相手に理解の取っ掛かりを与えることも必要なのだと、彼は先の一件から学んでいた。


「はい、アナタ。これお弁当ね」

「ありがとう。嬉しいよ」

「台風近づいてるから、傘を忘れないでね?」

「分かってるよ。今日はいつも以上に早く帰ってこれるように頑張る」

「ふふっ、無理しないでね?」


 以前よりも口数多く交わされる夫婦の会話は、二人の絆がより深くなったのを互いに疑わず。


「それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃい」

「行ってきます。っと、そうだ。一度庭を見てから行くよ。ちゃんと雨戸閉じられてるか確認する」

「本当? それじゃよろしくね」


 愛する妻に見送られ、真和は扉をくぐる。

 防犯防災意識も高いヨシ子により、すぐに鍵を掛けられる音を聞いてから、彼は家の周りをぐるりと一周した。


 台風17号は列島を縦断するコースを行くらしく、ここもその勢力圏内に入ることが確定していた。

 対策として昨晩のうちに雨戸を閉じてはいたが、万が一がないよう真和は念入りに確認し、一通り目を通す。

 さらには庭木や花壇も見て回る丁寧ぶりで、彼は敷地内の安全を確かめた。


「……ふぅ」


 すべてを見て回った真和は、知らず額に掻いていた汗を拭ってから、足早に会社へと向かうのだった。


 朝のニュースで流れた天気予報の通り、午後から町に台風が到来した。

 降り出しから雷を伴った強烈な風の雨に、真和の職場の窓からひっきりなしにドの音が響き渡る。


「わー、降り出したっすねー」

「うん」

「これ、電車止まるんじゃないっすかね……」

「おそらくは、な」


 真和の管理するチームデスクでは、集中力を失った部下が悲しげに窓の外を見つめ、真和に絡んできていた。


「いいんですかぁ? 藤本さん」

「?」

「いや、家に奥さん一人でしょ? 大丈夫かなぁって……」

「ああ……」

「まぁ、藤本さん家ならしっかり台風対策してそうっすし、心配してないかもですけど」

「いや、心配してるよ」

「おや珍しい。藤本さんが素直に奥さんへの気持ち口にしてらぁ」

「………」


 会話が途切れてしまったところで、ちょうどよく部屋の扉が開け放たれる。

 扉の向こうから、困った様子で部長が入ってきた。


「諸君、パソコンを切りなさい。本日の業務は今この時をもって終了とする」

「ええ!? やったぁ!」


 部長の宣言に色めき立つ部下を横目に、真和は指示に従いながら疑問の視線を向けた。

 それを受けた部長は頷きを返すと、指示の意図を伝える。


「この雷雨は長時間続く予定でな。万が一にもデータを失うわけにはいかないと、情報保全の観点から上が決定したんだ。だったらそもそも先読みして今日を休みにしろって話だと思うがね」

「まったくっすね」


 部長の口から語られた理由と皮肉にデスクの誰もが同意して、そして同時に納得する。

 とにもかくにも今日の仕事は終わったのだと、全員が理解した。


「よかったっすね、課長。これで……」


 部下が語り掛ける、その言葉よりも早くに、帰り支度を済ませた真和は動き出していた。

 風のようにデスクを後にする彼を見送った部下が、目をしばたたかせながら口を開く。


「課長って、ガチで足早かったんすね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る