第1章 マイホーム新生活
夏の暑さが頂点を超えた、8月の終わり頃。
都心から離れたベッドタウンの一角に、引っ越し業者の物と思わしきトラックが3台、路面駐車していた。
未だしぶとく鳴き喚く蝉達の声を聞きながら、青い制服を着た男達が大なり小なりの荷物を抱え、トラックの荷台とすぐ傍の家の中とを往復している。
庭付き一戸建ての、白い壁の家だった。
新築ではない何年かの経過を感じさせるその家は、しかし新しく塗られた白壁を誇らしげに輝かせ、太陽光を跳ね返している。
新しい住人を受け入れるための化粧直しを済ませ、御壁当人はご満悦な様子だが、反射される夏の日差しは作業する者達にとっては優しくない物だった。
汗水垂らし自らの職務を全うする人々の中に混じって、デニムコーデに身を包んだ一人の女性が立っていた。
七三に分かれた短めの茶髪から続く額に、他の作業員達と同じように汗しているその女性は、運ばれてくる荷物を確かめながら指示を出している。
よく通り張りのある彼女の声に鼓舞されるようにして、作業員達の足取りは軽く止め処なく動き続ける。
「奥さん。これはどちらに?」
「それは……嫁入り道具に貰った化粧台ね。高い奴。2階の和室に運んでくれる?」
「わかりました」
「重いだろうけど頑張って!」
「はい!」
指示を受け、二人掛かりで大物を運び込む作業員を見送ってから、女性は庭の方へと視線を向けた。
前の住人がよく世話をしてくれていたのだろう、手入れの行き届いた庭の真ん中で、一人の男がぼんやりと突っ立って空を眺めていた。
「アナター!」
「……うん?」
女性に声を掛けられて、男が振り返る。
すらりと伸びた長身のその男は、カジュアルな装いと細い体のラインとが相まってモデルのようで、わずかな動きでも絵になった。
その所作に女性がうっとりとしている間に男は歩み寄り、傍まで来たところで口を開く。
「どうかしたかい?」
「そろそろお昼だし、業者さん達にも休んでもらってご飯にしようって思うのだけど、いいわよね?」
「ああ、構わないよ」
「分かったわ。伝えてくる」
「うん」
手短に用件を伝え、了承を得て、女性は再び作業員達の方へと向き直る。
続けて女性の声が辺りに響く様を見届けてから、男はこれから自分達が住む家の壁を見上げた。
白く高い2階建ての威容を受けて彼が思うのは、自らのこれまでについてだった。
(…………俺は、大きな流れの中にいる)
親の意向を受けて小学校を受験し、中学校を受験し、高校を受験し、大学を受験した。
指示されるままに塾へと通い、習い事を行い、部活動に精を出した。
足の長さを活かして陸上部に所属していた時は、有名な長距離走の大会で入賞を果たすほどの実力を示したりもした。
大学に入ると同時に陸上は辞めてしまったが、いい思い出だと彼は思っている。
大学に入学してからは先ほどの女性、藤本ヨシ子(旧姓:松田)が真和を導く船頭に加わった。
大学の後輩だった彼女とは友人に誘われて出向いた合コンで知り合い、そこから猛プッシュを受けて付き合うこととなり、大学卒業後、就職し仕事が安定したところで結婚した。
ヨシ子は我が強く直情的な性格ではあるが、その高い行動力と社交性に、真和は心から尊敬の念を抱いていた。
そして何よりも、彼女が何事に対しても自分で決め、ぐいぐいと引っ張ってくれる意志の強さに、主体性を持たない真和は大いに助けられているのだった。
30を過ぎ、よく聞きよく従う真和は上司の覚えも良く、課長の座にまで上り詰めた。
やりくり上手のヨシ子の腕もあり貯金も十分に貯まったところで、今日のマイホーム購入へと舵が切られた。
選ばれたこの家は築10年以上の中古品だったが、立地がよく、作りも木造建築の家の中でかなりの高品質だったのもあり、一目惚れしたヨシ子の鶴の一声で購入が決まる。
土地は借地らしく地主とあれこれ話す必要があったのだが、そうした煩わしい問題は情熱を燃やすヨシ子がトントン拍子に話を進め解決してくれた。
あとは荷物を運び込み、本格的な新生活が始まるというところまで来たのが、今日という日である。
「アナター!」
今住まいのマンションで作って来た弁当を高く掲げて、ヨシ子が真和を呼ぶ。
彼女の満面の笑みからはこれからの晴れやかな人生を思わせられ、青空と相まって美しく輝く様は、傍に立つ若い男達を魅了していた。
「ああ、俺。ああいう奥さんと結婚したいなぁ」
「旦那さんマジで羨ましいよな」
「ちょっと、聞こえてるわよ!」
そんな男達の呟きが耳に入り照れ笑いを浮かべるヨシ子。
微笑みに包まれるその空間に、真和も足を踏み入れていく。
「旦那さん。素敵なお嫁さんを大事にな!」
「午後からもよろしくお願いします!」
からかいながらすれ違っていく作業員達に軽く頭を下げて、真和は己の妻、ヨシ子と向き合う。
「さ、せっかくだし縁側に腰かけて食べましょう?」
「うん。それにしても、ヨシ子はすごいな」
「あら、惚れ直した?」
「はは」
これまでの人生で何度繰り返したか分からないお決まりのやり取りを今日も重ね、二人は並んで歩き出す。
そこには誰の目に見ても仲睦まじい、若い夫婦の姿があるのだった。
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