その拾伍:瞳の硝子がひび割れる音
「♪真夜中に天井を、とおして星を見る……」
廃工場の中は、今や異空間と化していた。
「♪星はわたしの瞳の、レンズに降りてくる……」
景色は息をつく間もなく移り変わる。散らばった砂の上を
「その歌も聞き飽きました。そろそろ答え合わせしましょうか。私に追随できるほどの世界観の改変、これは貴女も
「そ、そうです。“見る”だけで効果を及ぼす、最速最強の
相手が腕を振り上げる間に、
極まった
特に、
互いが互いの領域を支配し己の世界観を押し付け合うその戦いは、盤面が無限に広がる
今や砂嵐が吹き荒れ水銀が滴る廃工場は、彼女ら二人の世界観で埋め尽くされていた。
「見たものを砂にする
「ああ、ああ、素敵です、禍翅音様! そんなことまでお分かりになるだなんて、私、嬉しくて、そんなに禍翅音様に気にかけていただいていられるのが楽しくて、ああ、頬が
久留美が高揚を見せた瞬間、彼女の
一体を丸ごと吹き飛ばし単なる砂漠を作り上げ、禍翅音の身体ごと
足元が砂で埋め尽くされ、頭上に満天の夜空が描かれた光景は、彼女の強固な世界観の表れだった。
しかしその夜空に亀裂が入り、星々を叩き壊して禍翅音が再び現れる。
『禍翅音理論:
厳密には彼女たちの闘いは千日手の様相ではない。
禍翅音が押し負け、領域を全て久留美に奪われた状態から、負けを認めずに仕切り直し、という展開に至ったのはこれで十二度目だ。
絶対に自分の負けを認めない紫宮禍翅音。そんな禍翅音を幾度となく叩き伏せ幸福を迫る零明久留美。
不毛な
「ああ、諦めを知らない勇敢なところも素敵です、けれど、けれど私の『
「──
「えっ、どうしてわかるんですか? はい、確かにこの
「……へえ」
禍翅音は彼女に言い知れぬ疑念を抱いていた。
七か月前、
既存の常識からは逸脱する存在であるような。
「『
「ああ、そんなに熾烈に、私を求められても、困ります、けど、禍翅音様がそうと言うなら、私、」
「そうではなく」
両腕を
「まだ分かって頂けないんですか? 私の
「心底気持ち悪いので名前を呼ぶの止めてください。貴女と私、これが初対面のはずですけど。その好意だか執着だか分からない唐突な
「あ、ああ、そうでした! すみません、私ばかり独り善がりになって。わ、私と禍翅音様の馴れ初め、いくらでも聞かせて差し上げますね!」
「いや別に聞きたくはないです」
「実は私、もうすぐ死ぬんです。生まれた時からの持病で身体が弱くて。医者は早々に匙を投げて家族も私を見捨てて世の中に絶望していた時、
「聞きたくないってば!」
禍翅音は苛立ちを込めた視線で久留美の眼を貫く。
直接瞳をぶつけ合い制圧を狙う起死回生の一手。この状態へと相成ったなら、後に残るは
久留美の紅色の瞳から水銀の涙が零れる。禍翅音の星空の瞳から光が消えて乾いてひび割れていく。
数秒の視線の交差、頬を朱に染めながらも眼を見開いて禍翅音へ迫る久留美。
果たして攻防を制したのは零明久留美だった。禍翅音の瞳はくしゃりと縮んで、
「嗚呼、ああ、そんな、もったいない、禍翅音様の夜空に瞬く星のような瞳! けれどああ、あんなに情熱的な目と目の語り合いをしてくださるなんて、私、そんな、嬉しくて、病みつきで、もう、
「な、るほど……風化、劣化……全て衰えて、砂の粒に……。ようやっと分かりました。なるほど、確かに私のために
「
水銀を涙で洗い落としながら感激する久留美と、両眼を抑えて
それは二人の力の差を──決して埋められぬ致命的な相性の差を表していた。
禍翅音が有する世界観は不変。
対する久留美の世界観は風化──即ち、変化である。
禍翅音と久留美の世界観は、水と油のように相容れぬ存在だった。
「わ、私、私、好きなものを傷つけずにいられないんです。何だっていつかは壊れて無くなるだろうけど、でも、私の好きなものより、私の方がきっと早く死んでしまうから。だから、好きなものが壊れた姿を見ないまま死んじゃうのが悔しくて、たまらなくて、だからものが壊れる姿を見るのが好きで」
「
「だから、私、わくわく、したんです。不変がどうこうっていう貴女を、台無しにしたら、どんな風になるんだろうって」
団子虫のように蹲る禍翅音を、久留美は嗜虐の瞳で見つめていた。
地を這う虫を見つめるような、巣から落ちた鳥の雛を見つめるような、容易く命を奪える可哀想な生き物に対して浴びせるような視線。
「だ、だって、壊れないとか変わらないなんてありえないじゃないですか。そんな紛い物に
「趣味が……悪いですね。人の事は言えませんけど。私の不細工な顔を見るためだけに、随分勉強したようですけど」
「だって、
久留美は凛として言い放った。
先ほどまでのような戸惑った
「水銀を不老不死の妙薬として含んだ始皇帝も所詮は死に、賢者の石なんてものも実在しなかった。水銀が永遠の象徴なんてことはありません。ただ腐らなくて乾かなくて固まらないだけ。蒸発はするし溶けて消える。前提の時点で貴女の不変には
「
「──そうですよ。そうですよ! それの何が悪いんですか、私は何時心臓が止まって死ぬかもしれないのに、貴女は根拠もなく永遠だの不変だのって!
「それは……すみませんねえ。泣かせ甲斐が無くて」
「だから──、私は無造作に禍翅音様の願いを踏み、
久留美は禍翅音を蹴りつける。
細く白い裸足は絹のように柔らかく非力で、禍翅音の身を傷つけるには到底至らなかったが、それでも久留美は禍翅音を蹴り続けた。
「私は、全ては衰え滅び去るという、れっきとした事実で禍翅音様の不変を否定します」
その顔には瞳から零れ落ちた水銀の跡。
目尻から滴る鈍い灰色は、消えない涙跡として彼女の頬に残っている。
「だって、私ももうじき死ぬんだから。何であれ劣化し、やがては腐って消える。それを何よりもよく知ってるのは私なんだから! だから、私は夢絵空事を言ってるような馬鹿な人を
「──ですから」
不意に、禍翅音が口を開く。
瞬間、久留美の
思いきり蹴り上げようと足を延ばしていた久留美は、関節の固定に伴ってバランスを崩し倒れこむ。
伏した頭をぶつけた先は砂のベッド──ではなく、硬く容赦のない
「私、一方的な
「いっ……たぁいぃぃ……!! な、あんでえ……眼はだめになったのにい……!」
「ごめんなさいね。私、眼も良いですけど耳と頭も良いんです。しかとこの耳で診るなり視るなりさせて頂きました」
『禍翅音理論:
響く足音と打撃の精度から久留美の脚を診察し、その衝撃で擦れ合う足元の砂粒を視察して、それぞれに
「足元とかその他諸々がお留守でしたね。勝って兜の緒を締めよとか習いませんでした? ああ習わなかったんですね。その様子だと学校で勉強とかしてないでしょうし」
「そ、そんなことっ」
額の血を袖で拭いながら久留美は起き上がり──そして愕然とした。
乾ききって朽ち果てたはずの禍翅音の瞳が、爛々と
「嘘でしょ」
「本当です。私は一度も負けてませんよ? 増長して色々吐いてくれるかなーと思ったので、適度に油断しておきました。嫉妬と
「な、なんで!? 貴女の、禍翅音様の世界観は否定したはずなのにっ」
「だって貴女の世界観、単なる事実の羅列じゃないですか」
形あるものはいずれ滅びる。地球でさえも数億年後には太陽に飲み込まれ、宇宙もいつかは縮小して消え去るか、際限なく広がり続けて破裂すると言われている。
未来永劫存在し続けるものなど何一つとしてない──それは誰もが知っている当たり前の事実だ。
「なら、貴女が信じているのは自分ではなく、世の中の法則です」
「自分、では、ない?」
「
「な、何ですかそれ! 禍翅音様だって、後世に残った逸話なんかが元ネタじゃっ」
「ええ。逸話は空想の
「お、オカルトマニアの言い分じゃないですか!?」
「そういうことです♪」
「こ、子供の妄想と同レベル──」
「そういうことです! 講義終了!」
禍翅音は久留美の瞳を覗き込み、彼女の紅の瞳を
久留美の
「常識と言う眼鏡で私達の世界は測れはしない──所詮世の中なんて、私を信じる私の敵ではありません」
激痛に身を捩って泣き叫ぶ久留美に目もくれず、禍翅音は虚空の敵を想像した。
何故このような刺客を送り込んできたのか。如何にして久留美に能力を与えたのか。禍翅音が夏我美に疑念を抱くように、夏我美もまた禍翅音を排除したがっているのだろうか。
そもそも、ここに刺客がいるはずはなかったのだが。
「本当に
誰かに言い聞かせるかのように、禍翅音は空虚に独り言ちる。
二人の激戦が終わりを告げたことで、工場内の景色も元に戻っていた。
砂と成って崩れ落ちた壁面、水銀と化して零れ落ちた天井──
外に目を向けると、そこには誰もいなかった。ここへ連れてきた
「ああ、イレギュラーは有りましたけど。どうやら首尾よく目標は達成できたみたいですね」
未だ絶叫を続ける久留美を背負い、帰路に付きながら禍翅音は呟く。
まるで先の闘争など何一つ無かったかのように。
「私がお膳立てできるのはここまで。後はお二人次第ですよ──可夢偉様」
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禍「というわけであとがきスバル。本日のゲストは満を持して加賀利様です、どうぞ~♪」
加「待って私なんか行方知れずになってますけど大丈夫ですかこれ!?」
禍「大丈夫です。ここに出たってことはまだ生きてます。ふぁいと、おーですよっ」
加「何の保証にもならないっ!」
禍「まあ何はともあれ無駄なYES/NO枕回を挟んでいよいよ! あとがきデビューですが今の気分はどうですか? ワクワクですか? ウキウキですか?」
加「いやこんなん書いてる暇あったら本編進めてください」
禍「禍翅音ビーム!」
加「眼からビーム!?」
禍「これはあとがきだからできる荒唐無稽で特に本編に実装もない単純な暴力攻撃です。以後不真面目な事を言うたびにこの手の制裁が実行されますよ♪」
加「どういう訳で!?」
禍「まあ今回の本編の内容はどうでもいいので次回がどうなるかが今から楽しみって感じですね! 可夢偉様と加賀利様、二人が相対していたはずなのにいつの間にか消えてしまうだなんて……愛の逃避行!? とかそんな感じの駆け落ち題名が付いちゃったりして、わくわくうきうき」
加「ワクワクウキウキしてるの禍翅音さんじゃないですか。どこの誰かも知らない男の人に付いていくほど非常識じゃありませんよ私」
禍「そうやって油断してるのが一番危ないんです。おのぼりさんのまま池袋西口の夜を散歩しちゃうくらい危ない──待って? 今その手の詐欺に引っかかって泣きながら花芽智様に電話しちゃう現パロ平和時空の姉妹モノを幻視しました。ちょっと待機していてください」
加「現パロもなにも元から舞台は現代でしょ! 他人で遊ぶの止めて下さいよ、自分が使われたら怒るくせにー」
禍「他人の不幸は蜜の味と言うじゃないですか!」
加「言い切ったなこの人」
禍「いやーあの久留美さんも加賀利様辺りに執着してたら美味しく頂けたんですけど。なんでよりにもよって私の方向いてきたんでしょうね。私は破滅を見るために人に干渉するのは好きでも、勝手にくっつきに来て自滅する人は嫌いなんですけど」
加「知りませんよそんなの。天罰かなんかじゃないですか?」
禍「……私は加賀利様がそんな今どきのドライな女学生っぽい感性を持ってるくせしてあんなに
加「えー? あれは……風神様の力をお借りしてるだけなので、特別な要因はありませんよ」
禍「あっこの娘素で風神が存在して自分に力を貸してくれると思ってる!? 恐ろしい子……!」
加「ここ毎回こんな話するんですか?」
禍「禍翅音ビーム!」
加「また眼からビーム!?」
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