その拾壱:無謬の決意は悪意を穿ち

 すでに時刻は零時を回り、車通りもめっきり減った真夜中。

 私達は24時間営業のファミレスに入り込んで、情報の交換と今後の方針について相談することにした。

 スープとコーヒーだけを頼んで居座る私達を気にも留めず、店員は周囲の清掃を行っている。

 もとより深夜のファミレスにやって来る住人なんて、終電を逃して一夜の宿を求める労働者か暇を持て余した学生たちだけ。

 そんな世間の爪弾き者達を観察するほど、彼らは暇ではないし無遠慮でもない。

 その他人行儀な距離感が、かえって今の私には心地よかった。

 それとは対照的に、目の前に座っている相手はやたら親身な様子で接してくるのだが。


「なるほどなるほど。行方不明になってしまったお姉さんとお父さん──花芽智かがち様と神愚羅かぐら様を探したいという訳ですね。嗚呼、それは素敵です。家族愛! 私その手の感情も大好きです。丁度妹様の年頃ですと反抗期かそれを終えた頃合いでしょうけど、その素直になり切れない気持ちと子にどう接するべきか悩む親のすれ違いそれもまた非常に見どころのある──あっすみません、失言でしたね」


 目の前の女性──紫宮しのみや禍翅音かばねは合点がいった様子で頷いた。

 明かりの下で見る彼女の姿はその背の高さも相まって一見大人びていたが、両手で持ち上げたカップから冷ましたコーヒーをちびちびすする姿はあっさりその幻想を打ち砕いた。

 彼女は美人と形容して差し支えない容姿をしているものの、その挙動は意外に子供っぽい。

 身振り手振りで感情を表し瞳の色をくるくると変えて思いの丈を伝える彼女は、目も眩む美人の横顔からは想像できないほどに情緒豊かだった。

 一方でそのちぐはぐな態度が彼女の親しみやすさをかもし出しているのも確かだ。彼女をことで気分良く振る舞えるような、無意識の傲慢を引き出す空気。

 甘え上手とでも言うのだろうか。初見のミステリアスな佇まいと現在の可愛らしい仕草から繰り出されるギャップは、まさに相手を骨抜きにする小悪魔の仕草だった。なんつーか、あざとい。

 加賀利わたしさとい方ではない。洞察力など精々人並み程度である。にも拘わらず禍翅音の気質を容易に見抜くことができたのは、ひとえに彼女への警戒心故だろう。


「禍翅音さんって普段からそんな感じなんですか?」


「ああ、申し訳ありません、普段からこのような感じです。熱意が入ると頭と口が止まらない性質たちでして。あ、まだ何か飲みます? 奢りますよ年長者ですし」


「いいです」


「そうですか。ええ、事情はおよそ分かりました。でも、さすがに無茶が過ぎますよ。こんな夜中に出歩いて誰に会うつもりだったんです?」


「それは……誰かに」


 一先ひとま天津星アマツボシ関係者との接触を第一にしていた私にとって、禍翅音との出会いは幸運だった。

 本部が新宿の地下にあるという話は聞いていたので、そのあたりで張り込みでもしていれば顔見知りには出会えるだろう。そう考えていた矢先の邂逅かいこうである。

 残暑の暑さや初秋の風に晒される間もなく目的を達成できたのは僥倖ぎょうこうと言えるだろう。

 何しろ私といえば未だ学生服に身を包んだままで、薄着も上着もろくすっぽ用意していない。

 着替える時間も惜しいと即刻家を出た私は、最低限の下着と肌着以外は使いまわしの効く制服のみしか持っていないのだった。

 さすがに短慮すぎたかもしれない。ちょっと反省しよう。よし、反省終わり。

 それはさておいて、目の前の相手は信用ならない。

 白樺しらかば花芽智かがちを知る超越者アウター、紫宮禍翅音。天津星アマツボシの関係者には違いあるまいが、肝心の素性が未だに見えてこないのだ。


「結論から言えば、貴女の家族はお二人とも未だ行方知れずのままです。半年前のあの日、禍津星マガツボシの幹部と激突して周囲一帯を壊滅せしめた後、二人は忽然こつぜんと姿を消しました。捜索活動は続けられていますが、残念ながら今の所実を結んではいませんね」


「そう、ですか。じゃあ、二人が見つかるまで天津星アマツボシに臨時で雇って頂く事ってできますか? 二人の無事が確認できないと、心配でご飯も喉を通らないので──」


「回りくどい言い方をしなくて結構ですよ♪」


「──禍翅音さんじゃなくて、天津星アマツボシのもっと偉い人に会いたいんですけど」


 こちらが警戒を露わにすると、禍翅音は見え透いた泣き真似をして見せた。

 その軽薄な仕草から、彼女の思考を読み取れない。

 彼女が夜中を出歩いていた理由、私に接触を持ち掛けた理由、そして私に親身に接する理由。それらは全ては一向に釈然しゃくぜんとしないままだ。

 巡回任務をしていたから、行方不明になっていた白樺花芽智の親族だから、花芽智が消えたに責任は自分にもあるから──なんて説明はいくらでも付けることができる。

 けれど、それはすべて取り繕った虚構に過ぎない。

 そして、そう見抜かれることを予想しながらも、隠し通すような素振りすら見せようとしない──そんな侮りを、彼女の態度からは感じられるのだ。


「しくしく。信用の無さに私泣いてしまいます。断っておきますが、私はまだ事実しか言っていませんよ。お二人の安否が分からないのは本当ですし、個人的に貴女を心配しているのも本心です」


「それはどうも」


 まだって何だよ。

 私のそっけない返事を聞くと、禍翅音は息を吐いて背筋を伸ばした。右側で纏めたサイドテールの髪がはらりと揺れる。

 アンニュイな表情はうっかりすると恋に落ちてしまいそうなほどに比率が整っている。一瞬だけ窓の外を見たその瞳は、紺色ディープブルーに輝いていた。


「今の天津星アマツボシはかなりデリケートな状態です。トップである神愚羅かぐら様がいなくなったこと、超越者アウターの存在が暴露されたこと。それに伴って超越者アウター犯罪も増加しましたし、一般市民やマスメディアからは再三のを受けています。内外からの重圧は数知れず、あらゆる対応は後手後手に回っている状態です」


「で、しょうね」


 至極当然ながら。

 最近のメディアは超越者アウターへの糾弾きゅうだんで一色に染まっていた。

 今まで超越者アウターの存在を隠蔽いんぺいしていた政府への不信感も留まるところを知らず、支持率は下がっていくばかり。

 ネット上でも陰謀論が絶えず巻き起こり、過去の未解決事件および災害の犯人にことごと超越者アウター説が持ち上がっているような不謹慎な有様だ。情報封鎖になど到底手が回らない。

 そもそも、超越者アウターという存在への理解すら及んでいない現状である。恐ろしい力を持ち、容易たやすく人をあやめる怪物──多くの市民は超越者アウターにそんなイメージを抱いている。あながち間違っているとは言えないのが難しいところだ。


「人手は到底足りません。とはいえ、民間からの志願者をこれ幸いと受け入れられるだけの余裕もありません。適性検査だのメンタルチェックだの面倒な手続きは多々必要になりますし、教育や研修の機会を作ることも難しい状態です。素人同然の命を預かることなんて到底できないくらいに切羽詰まっている……と言えば、一先ひとま天津星アマツボシ側の面倒は分かりますね」


「……それはほんとに面倒ですね」


「ええ。面倒はありますし、何より現状で天津星アマツボシに協力するという事は、超越者アウターとしての身分をさらけ出すという事です。今や我々は一挙一動を善良な市民に見張られている状態ですから、隠し通すのは無理でしょうね。即写真撮影からの個人情報特定、間もなく拡散されて玩具クソコラ扱いされますよ。若人バカッターの有様は記憶に新しいでしょ」


「そんな大袈裟な」


「大袈裟が起こり得るんですー。常に新宿に張り込みしてる暇人とか平気でいますからね現代。私も顔写真が出回ってプライバシーを赤裸々に暴かれた挙句出会い系サイトにさらっと登録されてたりLINEになりきりチャH垢とかができてたりしました。いつの間にか成り済ましネットアイドルとかまで出てきてたし、それが何やら新機軸で人気を博して私×成り済まし私の疑似同一PC本とかまで企画されてるとこまであったりしてああああ虫唾が走る」


「ご、ご愁傷様です」


 世の中には変な人がいるんだなあ。そんなありきたりな感想しか言えない自分をちょっと冷血かもと思う。実際、道徳の授業で受けさせられたネットマナー講習の実例を目の当たりにしてもあまり現実感がないのだけど。後半何言ってるかさっぱり分からないし。

 禍翅音はひとしきり喚き終えると、両の肘をテーブルに乗せ、左右の手で作った橋にあごを乗せた。

 丁度私と目線が平行になる位置。それは対話の姿勢か、或いは。


「というわけで天津星アマツボシに入るのはオススメしませんし、自分一人で捜索するのも止しなさいな。平穏な日常へと戻りたいなら今が引き返し時ですよ。ただでさえ怪しい人物は囲んで棒で叩かれる現代、夏休みでもないのに学生の一人旅とかしてたら正義に燃える一般市民の格好の獲物ですよ」


「その程度は承知の上です。既に学校に休暇連絡をしてしまった後ですし。世間体がどうかは知りませんけど、私は今何よりも花芽智と、お父さんの実状を明らかにしたい」


「ああ、かたくなですね。私そういう強固な意志は大好きです。しかし、決意と言葉は人を容易に奮い立たせますが、決して現実に作用するものではありません。天津星アマツボシがまともに機能していない今、超越者アウターの皆様の安全に関しては自助努力をして頂くほかありませんので。超越者アウターが一人で出歩くことは、本当の意味での孤立を意味します。それこそ異端者をはじき出す社会秩序によってね。奇異と疑念の視線は容易く人を殺します。“村八分”はやがて死に至る病そのものなのですよ」


「そんな私刑リンチが今の日本で起こり得るとでも?」


「起こり得ますよ。それが自分に害なす存在であれば、誰もが排除したがるものです。禍津星マガツボシの声明は過去の災厄を否応なしに想起させるものでした。それこそ日本に住まう者であれば誰もが実感を伴う災厄。超越者アウターは己の生活を浸食する脅威として人々の心に刻まれてしまったのです。それ故に俗世は超越者アウターの排除に余念がありません」


「…………」


「自ら素性を暴露した超越者アウターもそれなりに報告されています。進退窮まって発狂したか、一か八の共生を望んだのかは定かではありませんが、その結果が良い方向へ進んだ例はこの半年未だ聞いた事がありませんね。現代は根深い差別いじめの歴史を再演しています。禍津星あれの目的は定かではありませんが、超越者アウターの撲滅を目的としているのなら、それはこの上ない成果を上げていると言えるでしょう──はっきり言えば、貴女の家族がどこかに落ち延びていたとして、無事生き永らえているとは思えない」


「怒りますよ」


「どうぞ。私情は至上、なれども無常は無情。人は簡単に折れるものです。現代は我々にとって逆風です。国家権力ですら勢威を失いかけている状態では、貴女の蛮勇は自殺にも等しい。それは神愚羅様や花芽智様の思う所ではないはずです。それに、私にとってもお二人は因縁浅からぬ方々でした。その家族である貴女には、できれば平穏な日々を暮らして欲しい」


 ──やはり。どこかひっかかる。

 まるで私と天津星アマツボシを引き離したがっているような。

 私の気勢を削ぐためだけに説教をしているような。

 どうして、どこからこんな流れになっている?

 母が子を諭すような口調で彼女は話続けている。その内容はどこまでいっても真摯な助言、そして大人が語る残酷な現実だ。

 けれど、この忠告を字面通り飲み込むのは危険だと直感が囁いている。

 知られたくないような秘密を曝け出すことで同情と共感を誘い、尤もらしい事実と正論を並べ立ててそれとなく思考を誘導する──これは詐欺の常套句ではないか。

 親切心や老婆心から来る通告ではない。何かしらの裏がある、気がする。

 頭が痛くなってきた。

 彼女がコーヒーを啜る音さえ耳に障る。

 私の視線はずっと手元を映しているはずなのに、何故か不定期に揺れている。

 相手がこちらを言いくるめようとしている意図はわかる。しかしその真意を探ることができない。

 元来頭を使うのは性分ではない。思惑を巡らせる根拠にも乏しい。彼女の言動全てに裏があるようにすら思えてくる。

 今はただ一つ。

 彼女の言動に身を委ねるのは危険だ、という予感だけがあった。

 父と姉の生をおとしめ、超越者アウターの尊厳を否定するこの女だけは。

 ならば、今の私は。

 彼女を決して赦してはならない。

 そうだ。これは、この形は、私なりの闘争だ。




「禍翅音さんは。今をやり過ごして待ち続ければ、私達が当たり前に暮らせる時代が来ると思っているんですか?」


 出し抜けに声を張る。

 唐突な大声に驚いた店員がこちらを見るが、すぐに目を逸らして奥へと引っ込んだ。

 目の前に座っている禍翅音は、黄色イエローの目を丸くしてこちらを見つめている。


「貴女の言い分では、私に──超越者アウターに忍耐を強いているように聞こえます。雑踏に紛れて生きる個々の人に対してはそれは最適解かもしれませんが、それで我々の冬の時代が終わるとは到底思えません」


「では──どうすればよいのでしょう? 我々は無実だとでも、また電波に乗せて訴えますか?」


「それを語るのは超越者アウター《わたしたち》じゃない。無辜の市民達であるべきです」


 禍翅音の目が驚愕に見開く。

 その瞳は、光のない黒曜の色をしていた。

 腰元の刀『光忠みつただ』に手をかける。ちゃき、と刃物が鳴る音が人気の少ないレストランに響いた。


「歪められたレッテルが人を貶めるのなら、正当な評価と承認こそがそれに対抗する術であるはずです。問うべきは形の無い幻想イメージではなくただ存在するだけの事実しんじつ。疑わしき有罪ではなく潔白の無罪。そしてその事実しんじつを証明するのは我々超越者アウターであってはならない」


「主観ではなく客観的な事実のみで超越者アウターの正当性を主張と? 誰が? 誰に? 理想論ですね」


「そのための天津星アマツボシであり、私達です。私達は不当に虐げられる者ではなく世界を恐怖に陥れる者でもない、得体の知れぬ異人ではないと知らしめる」


「如何やって?」


「無論、あまねく個人の世界観にんしきの塗り替え──権力と地位の獲得、自我の証明と承認、そして信頼と理解の累積! 事は単純だわ、我々は情に左右される人間であると世間様に知らしめ、別個の民として容認される──ただ、それだけ!」


 確信を得た。

 それはこの二十年、父が、姉が、そして遍く全ての超越者アウター達がずっと目指してきた融和への道。

 禍津星マガツボシが弄び、天津星アマツボシが育んだ理想の果て。そして今なお世界中が求めて止まない物語。

 万人が夢見る平和への道は、きっと単純な願いでできていた。

 けれどその終端は限りなく遠く、目を凝らしても遥か彼方にしか見えない。

 だからそれは不可侵で不可能で、誰もが諦めざるを得なかった道程にほかならず。

 そんな夢物語が叶うだなんて、誰も信じていなかったのだ。

 今は、まだ。

 だから、私は。




「ばかばかしい」


 絞り出すようにか細い声。

 それが聞こえた瞬間、世界の形が揺らぎだした。テーブルが波打ち、椅子が飛び跳ね、照明が夜空の色を映し出す。

 レストランの様相は曖昧になり、無機質な電灯の明かりと月の微笑みが私の頬を照らしだす。

 紫宮禍翅音の顔が崩れ、恐怖と嘲笑の形に歪んでいく。その瞳は漆黒のままこちらを睨み続けていた。


「ああ、戯言ざれごと綺麗事きれいごと! 神愚羅様といい花芽智様といい、どうして白樺の連中はそんな出来もしない将来を語るのかしら! 怖気が走るわ虫唾が走るわ、良い子ぶっちゃってばかみたい!」


「馬鹿で結構! そうやって他人をずっと馬鹿にし続けてるくらいならその方がマシよ!」


 きっ、と音が響きそうなほどに鋭い目じりが私を指す。

 憎悪に塗れた瞳。左右に吊り上がった口、その隙間から見えるは生え揃った牙。

 怒りという単語を擬人化すればそれはきっとこんな顔をしているのだろうというような憤怒の形相。

 恥も外聞もかなぐり捨て、ただ怒るためだけに怒る。そんな意志が眼前の人型からは迸っていた。


「憐れむな、私を見るな、手を差し出すな! いずれ貴女もその手を折られ、足蹴にされる時が来るのよ!」


「だからどうした! 私はそんなことで踏みとどまってる暇なんてないの!」


「ああああもう嫌もう耐えられない、そんな無意味な虚勢を張って! 気持ち悪いわ気色悪いわ、貴女なんて野垂れ死んじゃえばいいのに!!」


「お前は天津星アマツボシの人間じゃあない! 消えろ、まやかし!」


 『光忠みつただ』を振りぬく。

 目の前の紫宮禍翅音は胴を分断され、絶叫と共に血を噴き出した。

 けれどその血が私を濡らすことはなく、未だ定まらぬままの地面へ吸い込まれていく。

 地を踏みしめて目を凝らす。再度刀を振り払うと、まぼろしはあやまたず切り裂かれた。

 レストランの様相も、紫宮禍翅音も、今では残滓すら残っていない。

 私の周囲を取り囲むのは、吹き荒ぶ風と輝く街並み。

 見知らぬうちにどこかマンションの屋上へと立っていた私は、刀を脇に構えて敵を見据えた。

 ミニスカートの侍女メイド服に身を包んだ幼い印象の少女。うっすらとした口紅とマスカラを施した睫毛が背伸びした子供の印象を与えている。薄い茶色の頭髪は幻影の紫宮禍翅音と同じ右側にサイドテールで纏まっていた。

 胸元の顔写真付き名刺には『立花たちばな千津留ちづる』の文字列。濁り切った黒曜の瞳は、こちらをじっと睨んでいる。

 彼女、立花たちばな千津留ちづるこそ先ほどまで私を幻の世界に取り込み玩弄がんろうした超越者アウター。その本体に違いあるまい。


「変てこな催眠ヒュプノ。貴女、禍津星マガツボシの人で合ってるよね? どういうつもりだか知らないけど、やたら不安を煽ってきてムカついたから斬るわ」


「うるさいうるさいっ、あんたなんか私たちの苦労の十分の一も知らないくせに!」


「知らないわよ当たり前でしょ貴女が教えてくれないんだから」


「そーいうデリカシーないとこがムカつくのよあんたら一族はああああっ!!」


 それが闘いの幕開けとなった。

 千津留は、どこからか取り出した苦無くない投擲とうてきする。

 すかさず身をひるがえしてかわし、二投目が来る前に距離を詰める。千津留もまた地を蹴って距離を取るが、その程度の小細工は私には通用しない。


「『颪鎌風おろしかまかぜ!』


 脇に構えたままの刀から、鎌鼬かまいたちが飛び出した。

 無音無動作で現れる鎌鼬かまいたちは、風を切り裂く不意打ちの妙技。

 面食らった千津留は両手に構えた苦無くない鎌鼬かまいたちを弾くが、いなしきれずに体勢を崩し尻もちで倒れこむ。

 雌雄は決した。実践ではこちらに分がある。至近距離まで近づいた私は、怯えの色を魅せる千津留目掛けて刀を振り下ろし袈裟斬りに挑んだ。


 その時、腹に衝撃が走った。

 前触れの無い攻撃。失態だった、眼前の相手ばかりに気を配って他の可能性を考慮していない!

 頭を丸めて腹のあたりを見ると、私の腹を貫いている何者かの姿が目に映る。

 手刀が私の腹──へそのあたりにめり込んでいる。その腕に赤い液体を滴らせていた。

 だめだ。まずい。


「ぐ──『飛廉天飄風ひれんてんひょうふう』!」


 手にした刀から暴風を発して宙を舞う。

 強引に解き放った傷跡からは鮮血が流れるが、なんとか離脱には成功したようだ。

 精彩を欠いた風の勢いによって、私はフェンスに強かに打ち付けられた。傷口が開く感覚がした。痛い。本当に痛い。抑えた手が異様に暖かい血の感触に包まれる。気分が悪い。

 痛みをこらえて視線を起こす。何処からか現れた第三者は少しの間私を見ていたが、すぐに背を向けて千津留の方へ歩きだした。

 白いYシャツと黒いズボンを履いたクールビズなスーツ姿の男だった。人の良さそうな穏やかな風貌をだが、その瞳は黒く濁っている。千津留の黒曜の瞳よりなお深い、奈落のような暗黒の瞳。寒気がした。彼は内心に一体何を抱えているのだろう。


「だめだよ、千津留さん。君は殴る蹴るは苦手なんだから、ピンチになったらすぐ僕に任せて。君を守ってあげられるのは僕だけなんだ」


飛尾樹ひびきさんは過保護なの! 私一人で大丈夫なんだから、余計なことしないでよ!」


「嫌だよ。君が怪我でもしたら僕は悲しくて眠れもしない」


 私を放って痴話喧嘩を始めている……ように見える二人を他所に、現状を確かめる。

 幸いにも傷口は浅い。多少目の前がぼやけて見えるが、しっかりものは考えられるし立ち上がることもできる。手刀の攻撃は致命傷に至らなかったようだ。それより、フェンスにぶつかった衝撃で血を多く流してしまった方が良くない、気がする。

 刀を握る手に力を込める。突然現れた男、飛尾樹ひびきの能力は未知数だ。さっきは不意打ちで圧倒できたものの、千津留とて木偶の坊ではない。このまま戦うのは避けるべきか。でも、逃げたとして、どこに逃げればよいのだろう? 頼れる人もいないのに──。

 そうと考えている間に、飛尾樹がくるりとこちらに向き直った。時間切れだ。


「まさか君みたいな子供が千津留さんを傷つけるなんて。悲しいよ。子供を手にかけるのはいつだって悲しい。でも僕は千津留さんのために力を振るうよ。千津留さんに降りかかる火の粉は、僕が全部払ってあげる」


 何こいつキモい。

 千津留と似た色合いの茶髪を撫で上げて歩き出す飛尾樹ひびきは、再び指を揃えて手刀を象った。

 もう一度あれを喰らったらまずい。根拠はないが、彼の腕はそう思えるだけの不穏な気配を纏っていた。


「ヒビキさん、とか言いましたっけ。貴方たちどういう関係で、どういう立ち位置なんです? やっぱり禍津星マガツボシの方の人?」


「言わないよ。というか言う意味ある? 君は明日の朝日を見る前に死ぬんだから」


「あっそう!」


 姿勢を落とし、伊勢津彦神風いせつひこのかみかぜの体勢を取った。

 伊勢津彦神風いせつひこのかみかぜは、分身を残して発動する超高速移動ソニックブーム。二人の目をかく乱している間に、間一髪で逃げ切れるか。

 間に合わせの一手を実行い映そうとした瞬間、不意に身体が揺らぐ。踏み込んだはずの脚がもつれて転んでいた。足元が覚束おぼつかなくなっている。つい今しがたまでは立ち上がって構えを取るだけの体力があったはずなのに、何故? まさか、彼の超越能アウトレンジ

 その発想に至って間もなく、飛尾樹ひびきの手刀が目の前まで迫る。

 思考を巡らせる。再度の飛廉天飄風ひれんてんひょうふうを放とうとするが、刀を握る手さえ萎えて力を込められない。『天満流風伯術てんまんりゅうふうはくじゅつ』は獲物に神気を宿らせて己がものとする超越能、刀に意識を向けて居なければ秘術の類は使えない。天才の加賀利でも突然良いアイデアを閃かない。かわせない。現実は非情である。このまま二撃目を貰って、どうしようもなく敗北する──。




「『グリズリー・テンプル』ァ!!!」


 そう悲壮な覚悟を決めた瞬間に、そのは現れた。

 空から降りてきた巨大な拳は、飛尾樹ひびきを叩き潰して屋上の床を陥没させ、そのまま下の階まで彼を突き落とした。

 我が目を疑う。見ると、千津留もまた目を見開き驚いていた。腹の傷がじくじくと痛む。夢ではない。

 突然の乱入者──手? は暫くその場に留まっていたが、やがて撃ち抜いた穴だけを残してゆらりと消える。

 その直後に、上空から響いてくる声。覇気を保った男の大きな声だった。


「いやいやはやはや! 先の演説は響いたぜェーーー……一言一句まで、ばっちり聞き届けたぜ。そうだ、それでいい。“オレ”たちぁそれでイイ!!」


 貯水槽の上に何者かが立っていた。

 その男はひとっ飛びで私の前まで降り立つと、ギザギザの歯を見せびらかすように獰猛な笑みを見せた。


「……どちらさまです?」


 紫色の派手なスーツと四肢柄のネクタイを身に着けた、いかにも成り上がりのチンピラ然とした恰好。

 四角形スクエアの銀縁眼鏡をかけて、オールバックの黒髪を撫で上げたガラの悪そうそのな男は、今の私にとっての救世主だった。


「なァに、通りすがりの──イカしたオニイサンよゥ!!」




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禍「偽物です! 偽物です! 肖像権の侵害です! むきー! です!」

可「むきーじゃねえようるせえな。はいあとがきスバルのコーナーです」

禍「いつまであとがきコーナーに居座ってるんですか? そろそろ脱出して本編に出ようという気概がない?」

可「いいじゃん別に。楽なんだよ注釈の世界から好き勝手言うの」

禍「言う事二転三転してません?」

可「いいじゃん別に。楽なんだよ整合性とかなんも考えないで適当話すの」

禍「生き方が適当すぎません? いくら本編で出番がないからって」

可「お前もないじゃん。ないよな? あの偽物実は本当の紫宮禍翅音でしたみたいなことなったら笑うぞ」

禍「ありませんよそんなこと。私あんな社会派な話しませんもの」

可「そうなんだおじさん」

禍「しくしく。信用がないので悲しくて泣いてしまいます」

可「だってお前何でも出来そうだもん……増えるし……」

禍「何でもはできませんよ。できることだけ」

可「いつにも増して言葉選びが適当すぎるだろ、何でこんなことになってんの?」

禍「適当に書いたら疲れちゃったのでこちらでは完全に気を抜くことにしました。二部?っぽい展開になったことでなぜなにスバルのコーナーもまた何かできそうですけど、まあ今回はおやすみです」

可「怠惰だなあ」

禍「ちなみに現状ですけど、私の偽物が喋ったことはまあ誇張こそあれ概ね事実ですよ。世紀末ですねえ」

可「いやー割と平和じゃない? デビルマンとか考えると」

禍「創作物の描写を現状と比較するのは不毛ですよ!」

可「ええ……お前がそれ言う……?」

禍「私は二次元と三次元の区別がばっちりついてますから」

可「ええ……お前がそれ言う……?」

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