その伍:久遠を映す万色のひとみ

 天より現れたのは、セーラー服のような衣装に身を包んだ謎の女、セーラーヴァニッシュ

 禍津星マガツボシ尖兵を名乗る彼女こそ、先の鋸鴉のこぎりがらすを用いた襲撃者に違いあるまい。

 その純白の衣装とは不釣り合いな漆黒の羽根を纏いながら、女は校舎内の中庭へ降り立った。

 屋上よりその様子を伺う花芽智かがち可夢偉かむいだったが、空中より更なる鋸鴉のこぎりがらすが飛来! 鴉は禍翅音かばねを滅多切りしながら、隊列を組んだまま二人へ突撃!

 点や線ではなく面にて迫り来る鴉を前に回避手段無きやと判断した花芽智は、脇差を投擲し天満自在天奉てんまんじざいてんほうにて難を逃れる!

 その着地点は女の眼前、中庭の最中! 空を飛び回る鋸鴉のこぎりがらすを相手に四方の開けた屋上はかえって不利と判断した二人は、相手の誘いへ相乗りした!


「で、えーと、なんつったっけ。セーラーヴァニッシュ? 禍津星マガツボシとやらの尖兵と来たか。グッドタイミングだな。丁度昨日お前らの話してたところだぜ」


まことか? 私は聞いていないが。奴はどういう相手なのだ」


「俺らに恨みを持ってる謎の集団の一人。以上。あ~、あと格好がイタい」


「承知。察するに返り討ちにすれば良いのだな」


 顔を見合わせ頷いた二人、直後花芽智が前へ踏み出し前後衛の型で臨戦態勢を取る!

 だが二人に必勝の策は在るのか!?

 先の鋸鴉のこぎりがらすの襲撃において、花芽智の火雷天迅雷からいてんじんらい以外の攻撃手段は一切合切効果を成さず!

 そして数多の鋸鴉のこぎりがらすはぶわりと二人の頭上へ広がり、虎視眈々こしたんたんと二人に狙いをつけているのだ!

 眼前にそびえるセーラーV、頬を吊り上げ腰をくねらせて大袈裟おおげさなポーズを取りながら大いに叫ぶ!


「え~っと、そっちの男の子がカムイ君。そっちのカッコイイ子がカガチちゃんね。二人の力はよ~っく知ってるわ、あの兄弟の頑張りのおかげで! だからこそ、わかるの! 貴方達の力では、私には絶対に勝てないんだからっ☆」


「待って俺はカッコよくないの?」


「だって貴方は衣装がダメダメ! 王子様には相応しくないもの!」


「タキシード仮面のどこが王子様だよコラ!!」


 Tシャツパーカー黒ジーンズというあっさりコーデの品陶可夢偉、確かにこの奇天烈きてれつな女と並べば圧倒的地味はまぬがれぬ!

 一方の花芽智はセーラーVの妄言に付き合う義理は無しとて、脇差を構え雷光を招来!

 天地を穿つ一筋の稲妻は、今一度の開戦の狼煙のろしとなった!


火雷天迅雷からいてんじんらい! その不可思議な使い魔もどきごと、全てを蹴散らして差し上げる!!」


 天より現れた稲妻によって雷の剣と化した火雷天からいてんの脇差! そのままえいやと刃を振るい、周囲の鋸鴉のこぎりがらすを無視し一直線にセーラーVを貫きにかかる!

 しかし無視し鴉は素早く舞い降りセーラーVの目前に参上! 身を横に傾け、円盤状ののこを敷き詰めて隙間なくセーラーVを覆い隠した鴉達は、見事雷を防ぎきる盤石ばんじゃくの防壁と化した!

 そして役目を終え地へ落下してゆくのこのカーテンの向こうからは、更に多くの鋸鴉のこぎりがらすが飛来してくるのだ!


「そ~れっ、行きなさい私の使い魔ナイトたち!」


「おのれ、際限キリ無しか!」


 花芽智は果敢に火雷天にて稲妻雷光エンチャントサンダー纏いし脇差を振るうが、その度鋸鴉ナイトが盾となり本体への決定打に至らず!

 然して花芽智が手間取っている間にどこからともなく鋸鴉ナイトの数は増え続けるのだ!

 無数に増える鋸鴉ナイトを前に防御に回らざるを得ないか花芽智! しかし、背後より放たれた風切音によって鋸鴉ナイト数体が姿を消し無力化された!


際限キリは無いが──ちょいとばかしの法則は見えたな」


 そう呟き援護に回るは品陶可夢偉!

 辺りの草木や土砂を針へ変え、本体への攻撃に参加している!

 いつの間にやら二人の上空に展開していた鋸鴉ナイトは全滅! 今や本体たるセーラーVの正面に寄り集まるもの以外の鋸鴉ナイトは、とうにその姿を消していた!


鋸鋸のこに鴉の羽根がついた下手物げてものね。 ワケわかんねーうえにめんどくせーが、生身があるなら対処は余裕ッチ」


 見れば周囲の壁及び樹木には身動きの取れぬ鴉達の群れ!

 突長針レイピアによって翼を貫かれ縫い付けられし鋸鴉ナイトである!

 鋸鴉ナイト共の翼を削ぎ落したところで先の屋上蹂躙じゅうりんのように駆け回るものと推測した可夢偉は、動きそのものを封じてしまうが得策と判断!

 質量を有する長針を用いて見事彼奴きゃつらを制するに至った!

 かくして無力化された鴉を他所に、可夢偉は煌めく雷光の合間を縫って本体へも針を投擲していく!

 なれども一向にその攻撃は届かず! 稲妻と針、その双方を防ぎ切るセーラーVの妙手とは!


「ちょっと~、しつこいわよ! こうなったら私も本気、出しちゃうんだから! 『ヴァニッシュ・スライスゥゥゥーーーーーーー・イィィィィン・フィニティ』!!」


 至極単純! 彼女は、己の手元より鋸鴉ナイトを生成しているのだ!

 生誕と同時に己の役目を理解した鴉は、その身を傾かせ盾となる!

 円盤状の盾と化したのこは、針を弾き雷光をせき止め本体への攻撃を全て防ぐのだ!

 一時でも攻撃を途絶えさせれば即攻撃に転ずる刃の盾! 花芽智・可夢偉はそうはさせじと絶え間なく攻撃を続ける!

 然してセーラーVもまたそれは承知と鋸鴉ナイトの生成は止めず、入れ食いの如くのこの残骸は積み重なっていく!

 かくして三人の闘争は膠着こうちゃく状態! 今や攻め時たる花芽智・可夢偉の猛撃は止まらず、セーラーVの防戦一方かと思われたが!


(ちょっとヤダなこの調子。刻一刻こっちが不利だわ。リソースが微妙になってきた)


 可夢偉、密やかに危惧! 針へと変化させるための材料が尽きかけているのだ!

 可夢偉周囲の草木はとうに消え果て、彼は地面を抉って針を生成するに至っていた!

 鋸鴉ナイトを縫い留めた事によって周囲の壁は今更使えず、さりとてこの場を離れ針確保に走れば花芽智一人できゅうするも必至!

 一方、二人同時に逃げれば今度はあちらが攻勢へ転ずる時! 無数に飛び交う鋸鴉ナイトによって追いつめられるもまた必至!

 然らば彼は掘削紛いに土を掘り抜き針へと変換させる他なし! 彼の足元の土塊、針へと変換された代償にて既に凹み削られ数段陥没!

 今や彼は時を稼ぎ相手の能力の本質を見極めるか、あわよくば救援の到着に賭ける他なくなっていた!!

 しかし身を屈め足元の土をすくうにつれ、彼の針投擲は間違いなくその速度を落とし始めている!

 何より腕が疲弊しているのだ! 限界は刻一刻と近づいている!


(やっばいな~今の俺めっちゃカッコ悪い。こんだけ中庭を荒らしたら後で倉光さんに怒られるし。服とかは出来るだけ使いたくねーが……しかし奴の鋸鴉ナイトってのを針に変換できないのは想定外だな。向こうだけリソース無限とかそんなんアリか?)


 彼の『ピン・ピック・ピストル・バルブ』は生身を針へとすることは出来ないが、死体であればそのかせは無し!

 稲妻に焼かれ残骸と化した鋸鴉ナイトの羽根を針の材料とする手を計画していた可夢偉、しかし何らかの要因によりその効力は見受けられず!

 無尽蔵に増えるセーラーVの鋸鴉ナイト焦燥しょうそうを感じざるを得ない! 今やそののこは乱雑に重なり小山を形成しているのだ!


「つーかなんだよネーミングセンス、『ヴァニッシュ・スライス・インフィニティ』って? マジにインフィニティな訳があるか、ふざけやがってふざけやがって」


 いまだ状況は千日手! しかし次なる手を思いつかなければやがてこちらが折れるは必至!

 打開策も浮かばず! 何しろ膨大な破壊力を有する敵能力の全貌は未だ計り知れぬ!


「あの鴉を奴が使役してンのは確かだが、そこに付け入る隙は無さそうか……使役テイム型の能力だとすりゃ手品の種は無ェしな……しかし鴉を生み出して使役してのこにまでする、能力が多すぎてちょいとズルいぜ──……」


 沈黙。


「……──そうか。能力が多いんだな? まさかあいつ、第二次超越者セカンドアウターか!」




 第二次超越者セカンドアウター

 超越者の誕生から15年の月日がたった2014年、突如として現れた新たな超越者アウターの申し子である!

 彼らは、複数の異能ちからを持つ次世代の超越者アウター! これまでの常識を破壊し続けてきた超越者アウターの常識、それを再び凌駕した恐るべき真実より『第二次セカンド』の名を与えられた!

 出現比率は通常の超越者アウター中の更に0.05%と言われ、 現在存在が明らかになっている第二次超越者の人数は全世界でも僅か34名! それでも1年におよそ7人ほどの第二次超越者セカンドアウターが誕生している計算となる!

 しかし、それはあくまで判明している人数に限ったものであり、実際は更なる多数の第二次超越者セカンドアウター跳梁跋扈ちょうりょうばっこしているものと見て間違いはない!

 そして、当然の如く彼らは──能力が多い分、通常の超越者アウターより遥かに厄介なのだ!




「オイ花芽智今すぐこのコスプレ野郎ぶっ飛ばせ! 思ったよりずっとヤベぇぞコイツ!」


「やんやん、気づかれちゃった♪ でもちょっと遅いんじゃないのカムイ君~。いっその事このまま騙し通して不意打っちゃおうかとも思ったけど! 気づいちゃったなら、次のステップに行くしかないわね☆」


 セーラーVは余裕綽々よゆうしゃくしゃくで呟くと、宙返りをして中空へと飛ぶ! そして己の両胸へ手を当て、己の二つ目セカンドの異能を声高らかに宣言した!


「『ヴァニッシュ・テイマー!! クロォォォーーーーウ・テクスチャーーーーーーッ』!!!」


 直後、セーラーVの背からは漆黒の両翼がばさりと広がる!

 純白の衣装とは対照的な漆黒の翼! 無数の羽根が宙を飛び交い、セーラーVは軽々と空を舞う!

 花芽智は火雷天からいてんの稲妻を直撃せしめんと脇差を掲げたが、セーラーVは背に無数の円盤のこを展開し、降り注ぐ稲妻それさえも防御!

 そして、はるか上空より爆雷の如くのこを投下! なまりの刃は垂直落下し、眼下の二名を貫かんと迫り来るのだ!


「やっぱりだ! あいつ二つやがった!」


小癪こしゃくな! どういうことだ!?」


「多分のこを生み出す力と、もひとつなんかして鴉の翼を生やす異能の合わせ技で、えーあー緊急退避!!」


 これはたまらぬとみた可夢偉、花芽智と共に中庭を脱し校舎内へと逃げ込みを図る!

 すると地表へ達したのこ達は先の屋上蹂躙時のように独り手に駆動くどうを開始、逃げる二人へ向け校舎内を切り裂きながら爆進!

 角を曲がり教室を経由してかく乱を試みる二人、しかしのこは校舎の壁をぶち抜き二人へただただ直線で迫る!

 屋内の鬼ごっこはやはり無謀と判断した花芽智は、天満自在天奉てんまんじざいてんほうを用いて可夢偉諸共もろとも校舎外の避雷針へ跳躍ちょうやく! 再度屋上へ到達し状況を一旦整理にかかる!

 しかし先の追跡のこはしぶとく校舎の壁を這い上がり、更に二人へと追いすがるのだ!


「あ~これやっぱ鴉だかのこだか自由に操ってんな! 文字通りの使役テイム型だな!? めんどせえ!」


「だろうな! 如何に出来る!?」


「同士討ちを狙えりゃ一番良いが、ちょっと思いつかん! 頑張って頑張る!」


「く、力押しか! とどろけ、火雷天迅雷からいてんじんらい!!」


 再度雷の刃にて迫るのこを機能停止せしめんとする花芽智、しかしのこは急速なターンをかけ雷から逃れ行く!

 フェイントを繰り返し巧みに回避を続けるのこは、そのまま二人の死角へ駆け抜けて行くのだ!


「なにっ!?」


「ウッソだろそこまで精密か!? 禿鷹野郎ヴァルチャーにしちゃチートすぎっぞ!」


 直後、足元より漏れ聞こえる破砕音&駆動音!

 下よりの攻撃を予測して飛び退いた二人! しかしその予想は外れ、現れるはずであったのこはまるで音沙汰なし!

 代わりに聞こえてくるのは絶え間なく続く破壊の模様! 木々がひしゃげ、窓枠が潰れ、ガラスが砕ける無数の轟音!

 気づいた時にはもう遅い! のこ白蟻しろありの如く展開して紫暮しぐれ学園旧校舎を裁断せしめ、ついにその刃は大黒柱まで到達したのだ!

 轟音と土埃つちぼこりを纏いて崩れ行く木造校舎! 着地点を失い滞空を続ける花芽智と可夢偉は、ままならぬ体勢へ追い込まれる!

 花芽智は脇差を投擲しての天満自在天奉てんまんじざいてんほう跳躍を試みるが、間の悪いことに上空には翼を生やしたセーラーV!

 その手からは鋸鴉ナイトが羽ばたき、辺り一面へ包囲網を敷いた! 苦し紛れの跳躍を行った所で逃げ場無し!

 そして更なる追い打ちが二人へ迫る! 眼下より今しがた破壊作業を終えたばかりののこが、仇敵を股裂きにせんと飛び出したのだ!

 上下左右より迫るのこの山! まさ四面楚歌しめんそかの絶体絶命! あわや、二人はのこによってなます切りとされてしまうのか!?


「があああーーー畜生ちくしょう花芽智ーーーッ、禍翅音かばねの奴の起こせっそれしかねえーーーッ!!」


紫宮禍翅音しのみやかばね隊員の超越者アウター規制現時刻をもって解除よろしく軍規に励むべし!!」




 瞬間、時間が凍結する。

 二人の四方八方から迫り寄った無数ののこは突然銀朱ぎんしゅ色へと染まった。

 そして勢いを失ったのこは、ごすん、と重たい音を立てて地に墜ち呆気なく砕け散る。

 瞬き一つの間だけで、二人を追い詰めた慈悲じひなき殺戮者達はただの石ころへと変貌した。


「なっ、なになに何が起こったの?」


 セーラーVはここにきて初めて狼狽ろうばい! 上空より二人の様子を確認し優位に事を進めた彼女は、謎の現象を目の当たりにして冷や汗を浮かべていた!

 二人の隠していた新能力か? いや、それならばこの段階まで温存する必要なし!

 ならば考えられるのは第三者の介入のみ! しかし、この場にて突然現る援軍など一体どこに居るというのか?

 いいや──初めから居たのだ!

 何しろ彼女が襲撃を仕掛けた屋上には、三人の人物が居たではないか!

 しかし、それもまたあり得ぬ筈である! 少なくとも、セーラーVはそのように認識していた!


「嘘でしょ、あんたは……中庭に降りてくる前、バラバラにしてやったでしょ!」


 現れた人影を前にして、セーラーVはこの上なく戦慄!

 その通り! 花芽智・可夢偉をあぶり出した編隊突撃にて、は五体をバラバラにされとっくに死亡した筈であった!

 だからこそセーラーVは花芽智・可夢偉の二人のみに狙いを定め攻撃を続けたのだ!

 しかし、今ここに居るは──身体どころか、衣服に至るまで傷一つなく──先と変わらぬ姿のまま平然と現れ、のんびりとした様子で呟いたのだ!


「ああ、やっと。お二方を視界に納めない位置取りを探していたら、しばし手間取ってしまいましたわ」


 は、ふわりと空から現れると、まぶたを見開いて二人の目前に堂々と降り立った!

 その瞳は白金プラチナの眩きに満ち溢れ、頬は桃に染まり高揚している!

 誰あろう、彼女こそ冒頭数文字の描写にてさらりと退場していた逆転の布石!

 名を、紫宮禍翅音しのみやかばねである!


「ぶっちゃけ頼りたくなかったけどな」


「つれないこと。まあ、私が出張れば全て片付いてしまうので、わからなくもありませんけれど」


「お前の後片付け面倒くさいんだよ!」


 禍翅音が温存されていた理由はただ一つ。

 彼女の能力が、それはもうすこぶる被害の大きく厄介であるが故である!

 それ故に、常日頃の彼女は作戦行動を禁じられており、天津星アマツボシ内での階級は他所属超越者アウターの一段下!

 即ち、他者の承認無くば能力を行使できぬ制限リミッターの掛けられている身であった!

 それも承認者は後に始末書を大量に片付けねばならぬため極力使用を控えられており、事実上の封印措置も同然!

 能力の無断使用に対する罰則! その枷から逃れた禍翅音は、晴れ晴れとした様子で笑みを零した!

 セーラーVはそんな禍翅音を見て憤慨! 中空で地団駄じだんだを踏み、かわいこぶりながらも怒りを露わにする!


「ふん、どんな異能を使ったか知らないけど、どっちみち一度死んだんでしょっ! だったらもっかい殺してあげる! 私の前ではどんな相手も、まな板の上のコイ同然なんだからっ☆」


「いいえ、死にません。私は決して滅びません。なぜなら禍翅音は、不変ですから」


「ッ何言ってんのかわかんないのよこの年増!」


「私はまだ21歳です」


「私なんて17歳よ!」


「うふふふ。よくも吠えることこの上無し。可愛い可愛い、本当に可愛い──けれども、脚色メイクアップ演劇ロールプレイでしたら私の十八番おはこ。私の友人を傷付けた罪をつぐない切るまで、かせてかためてとろかしてあげましょう」


「ちょっと待って友人って誰? 俺らのこと?」


 不敵に微笑む禍翅音の瞳が、嗜虐しぎゃく紅紫色マゼンダへと染まっていく。

 いい知れぬ恐怖を覚えたセーラーVは、即座に眼下の禍翅音へ向け鋸鴉ナイトを垂直投下!

 翼を広げた鋸鴉ナイトは、滑空するが如く翼を広げ重力なお速く禍翅音へ迫る!


 そして、禍翅音は

 禍翅音は邪視ゲイズの能力者。それは名前が示す通り、邪悪な魔力の宿った視線。一瞥いちべつのみで発動する最速にして最強の異能まじゅつ

 他者が腕を振り上げる一動作の間に、邪視者ゲイザーは無動作で敵を見据える。邪視者ゲイザーと相対する事そのものが、即ち死を意味する慣用句。

 ならば。正面からの撃ち合いにおいて、邪視者ゲイザーが負ける道理はない。


「『禍翅音理論:美的荒廃デマイズ・パフューム』──」


 禍翅音の視線に晒された鋸鴉ナイトは、ぴたりと動きを止め銀朱色に変化していく!

 鋼鉄ののこと鴉の羽根、二種の光沢は銀朱に覆われ見るも無残なガラクタへと姿を変える!

 そしてそのまま猛スピードで突っ込んだ鴉は哀れ地面に激突しばらばらと砕け散っていくのだ!

 たちまち辺りには石塊いしくれの山! セーラーVの攻撃に一切の益体やくたい無し!


「何よ、まさかそれ石化ゴルゴーン系!? ありえないわ、そんな超ド級レア超越者アウターがこんなところにいるなんて!」


「まあ、石化だなんて陳腐ちんぷな物言いはやめてください。私のまなこが映し出すのは、この世で一つのです」


「知るかーっ!」


 赤色硫化水銀せきしょくりゅうかすいぎん! それは硫黄いおうと水銀の化合物であり、柔らかく砕けやすい鉱物である!

 つまるところ石には違いないが、禍翅音はそれを頑なに否定した!


 禍翅音は休む暇なく猛攻を加えんとセーラーVを己の視線にて串刺さんとするが、目前に彼女の姿無し! 鋸鴉ナイトが団子となって彼女の周囲をガードしているのだ!

 硫化水銀と化して零れ落ちる端から、鋸鴉ナイトは生み出され隙間を絶え間なく塞いでいく!

 邪視ゲイズは最速最強の名を欲しいままにする無敵の異能、然らば対抗手段もまた多数生み出されるが道理!

 対邪視ゲイズ戦では“相手の視線を塞ぐ”単純至極な回答を如何にして実践するかが鍵となるのだ!

 二者は互いに様子見などという日和ひよりを見せず、初手より全力でのぶつかり合いへ移行!

 既に紫暮学園旧校舎があった地点は、無数の残骸が蔓延はびこる廃墟と化していた!


 セーラーVは鋸鴉ナイトの編隊を形成! 禍翅音へ向けて一列に並び突進してくる鋸鴉ナイトは、相手の視線をさえぎりながら接近を行う単純な戦法!

 先頭の鋸鴉ナイトは禍翅音の邪視ゲイズにより銀朱の硫化水銀と化したが、後続はなおも刃を躍らせる!

 禍翅音は横跳びに走りながらその全貌を見届けんとするが、大きく翼を広げた鋸鴉ナイト体躯たいく、予想以上の巨大シルエット! 背後の鋸鴉ナイトを覆い隠し、後続の防御を為し続ける!

 する暇もないまま鴉達の接近を許してしまい、やむを得ず禍翅音はきりきり舞いにて回避へ移る!

 しかし鴉達は禍翅音本人ではなく、周囲の足場へ達し駆動を開始!

 崩落した校舎の資材の中を掘り進み、視線から免れたまま禍翅音の周囲を回転! 彼らは禍翅音の喉を掻っ切らんと機を伺うべく地中に潜伏したのだ!

 さらに巻き起こる土埃が周囲を黄土色に染め禍翅音の視線を阻害! 地を掘り進むのこを目視にて認識することあたわず!


「煙幕のつもりですか? 古典的な。それで私の邪視ゲイズはばめると」


「…な~んちゃって☆ そう思ってるなら好都合! 一瞬目を逸らせりゃあ良いのよ!」


 禍翅音が足元ののこに気を取られた瞬間、上空からも再度の鋸鴉ナイト列襲来!

 一瞬反応が遅れた禍翅音、空の彼方から自身へ向け一直線に突き進むのこを見て戦慄!

 周囲をのこに囲まれた今、地上にて回避行動を取るのも危険!

 猛スピードで飛び出してくるのこを視線に収めたところで、慣性に従い飛び出してくる硫化水銀の塊は脅威!

 上下2サイドからの再度の攻撃! 数の暴力を体現した戦法によってセーラーVは相手の恐怖を煽るのだ!

 かくして禍翅音は絶体絶命!

 迫るのこを前に禍翅音は、眩しい光を見た子供のように顔の前で腕を重ねた!

 可夢偉の針をも容易たやすく切断する刃を前に人体など豆腐の如し! 禍翅音、はかなく無意味な抵抗に従事するか!


 だが、しかし!


「『禍翅音理論:豪放純潔コンプレックス・イマージュ』──」


 交差させた禍翅音の腕は、のこをしかと受け止め体躯を保っていた!!


「えっ、うそっ! 私の『ヴァニッシュ・スライス・テクスチャー』はダイヤモンドだってぶった切るのに!」


 当然の如くセーラーV驚愕!

 のこは禍翅音の腕一寸にも達さず、見事完璧に食い止められているのだ!

 よくよく見ればその腕は、禍翅音の視線に晒されて流加水銀と化した銀朱色! 硬質化した腕がのこの刃を食い止めている──


「なんで!? なんでその腕そんな硬いの!? あんたが見て石んなった私の鴉たちは超脆かったじゃん!?」


 いや、それは本当に銀朱だろうか? 目前の鴉達を払い捨てた禍翅音の腕は、静かに赤く煌めいている!

 その色は一面の緋赤色ヴァーミリオン! 彼女の腕は、宝石の如き光沢を湛えた鉄腕てつわんと化していた!


「赤色硫化水銀──それは辰砂しんしゃと呼ばれ、旧くは賢者の石、始皇帝の不老不死を実現する妙薬として扱われました。然るにそれは不変と永久と奇跡の象徴、不可能を可能とする非等価交換原則の産物──つまるところ、ただの石ころならいざ知らず。私の辰砂しんしゃのこの腕は、何があっても砕けない」


「屁理屈をこねるなーっ!!」


 鋸鴉ナイトが殺到するが、辰砂しんしゃと化した禍翅音の腕は傷一つないまま振るわれ続ける!

 どころか禍翅音は迫る鋸鴉ナイトへ手刀を繰り出し、次々と破壊していくのだ!

 禍翅音は頭上へ目を向け、迫る鋸鴉ナイトを一瞥し硫化水銀むりょく化! そして地中から飛び出したのこには目もくれず辰砂しんしゃの腕で受け止める!

 そのままセーラーVへ向けて受け止めたのこを投げつけると、道中の鋸鴉ナイトと激突し鋼鉄の砕ける音を響かせた!


「私の目の黒いうちは、物理的な手段は通用しないと思うことです」


 付け焼刃の曖昧な空手スタイル! それは天津星アマツボシ所属者全員へ義務付けられた護身術の構え!

 普段より体躯を鍛えていなければ慰めにしかならぬはずのそれは、不壊の腕によって並ぶ者無き無敵の拳法と化していた!

 禍翅音の目は、空色セルリアンブルーに輝く!


「むっ、ムカっつくやつねえ! いいわ、そんなに邪視ゲイズが自慢なら、邪視ゲイズ向きの戦いをしてあげる!」


 その直後、禍翅音の背後より鋸鴉ナイトが襲来! 未だ地中に残っていた鋸鴉ナイトが飛び出してきたのだ!

 そして振り向いた禍翅音の視界が暗転する! 鴉より零れ落ちた漆黒の羽根が、禍翅音の目元を覆っていくのだ!

 その羽根は不可思議なことに禍翅音の顔に張り付いて離れず! 腕を用いて引き剥がす他無し!

 まなこが封じられた隙を逃さず、四方より迫る鋸鴉ナイト! 油断なく多方面より攻撃を仕掛けるセーラーVの口元は吊り上がり、勝利の余韻へと浸っていた!

 しかし、禍翅音に動揺の色見えず! 直立不動の姿勢のまま呆と立ち尽くし、風を切る鋸鴉ナイトの音に耳を傾けた!

 超越者アウター同士の戦いにおいてまなこ無き邪視者ゲイザーなど赤子も同然! 敗北の運命を受け入れ走馬灯に身を委ねたか!?


「『禍翅音理論:熔融解剖サイコ・アナルシス』──」


 しかし直後、禍翅音の周囲へ集った鴉達の身体が銀朱で覆われる!!

 速度を落とした鴉達は失墜し、跳躍した禍翅音を追う事叶わず瓦礫の一部となった!

 再度青い顔をしたのはセーラーVである! 目線を隠し異能を奪うのは対邪視者ゲイザー戦法の筆頭! 事実、油断故に目隠しをほどこされ敗れた者の記録は数多く文献に残っている!

 にも関わらず、目隠しした禍翅音は平然と能力を行使した! しかも真後ろに位置した鴉にまで硫化水銀化は及んでいる! これは果たして如何なる事態か!?


「疑問ですか? なら種明かしをして差し上げます。私は、ただに過ぎません」


 

 音の並びは、これまでと全く同一。

 しかし、禍翅音は以前と異なるニュアンスを込めて言い放った。


「今の鴉さん、羽根に怪我をしたのが混じっていましたね? 羽ばたきの感覚が均等でない方が混じっておられました。おそらく、可夢偉様が繋ぎ止めておいた方を、校舎崩落の際に解放して再度活用されたのでしょう。あまり強引に徴兵すると、嫌われてしまいますよ」


「わ、私と使い魔ナイトの関係に口出さないで! っつか、なんでそんなコトわかるのよ!?」


 ナイト、ね。

 禍翅音は小さくそう呟いて、くすくすと笑った。


「ふふ、実は鴉さんの羽ばたき音を聴いてちょっとしたを致しました。私こう見えて実家がお医者様でして、聴診には聞きかじり程度の知識が御座います。その経験を活かし、この耳にて鴉さんの様子をさせて頂きましたが……おや。……あらあら、同じ発音ですね! うふふ、これはうっかり。混同してしまいましたわ。てへぺろ」


 何たる無茶! 彼女は同音の単語からなる行動を視覚情報と結び付け、強引に邪視ゲイズを行使したのだ!

 邪視ゲイズの枠に収まらぬ不可思議の所業! セーラーVは眩暈めまいのする頭を抑え理解を拒む!

 目隠しの羽根を引き千切っておどける禍翅音のまなこは、浅葱色ターコイズブルーに煌めいていた!


「後出しで無茶苦茶やんのもいい加減にしろーーーーーッ!!!」


 セーラーVの周囲を取り囲んでいた鴉達が、勢力はそのままに禍翅音へと迫る!

 禍翅音は腕を辰砂しんしゃへと変え突貫に対応するが、鴉達は直接攻撃は行わず禍翅音の周囲を覆い尽くした!

 それは団子のように鴉を集めて禍翅音の邪視を防いでいたセーラーVの状態の再現! 外と内とが入れ替わり、禍翅音のまなこは外界より遮断された!

 そして、禍翅音を覆った鴉団子は……硫化水銀へと変貌する様子を見せない!


「光を断てば、邪視ゲイズなんて何の意味もないのよ! さあっ、暗闇の中で怯えながら断罪されなさいっ☆」


 生物がものを見ることが出来る原理、それは光の反射によるものである!

 物質が放つ光情報を瞳孔が捉えることで、人間は視覚を有しているのだ!

 光の一切存在しない暗闇の空間において、人の目は何一つ情報を得ることが出来ない!

 目が機能しないと言う事は、邪視ゲイズもまた効果を成さぬという事!

 そして閉鎖空間内では無数の鋸鴉ナイトの織り成す音が混じり合い、聴診行為もまた不可能!

 鳥籠少女と化した禍翅音に、今度こそ逃れる術は無し!!


 止めを刺すべく、団子の外部よりさらなる鋸鴉ナイトが突入! 団子内部では駆動音、そしてぼたぼたと血肉の零れるが響く! 無惨残酷この上なし!

 ほくそ笑むセーラーV! 紫宮禍翅音、ついに命運尽きたか! 団子より時折まろびでる鮮血の量、人一人の致死量には十分!

 その後もたっぷり60秒の間、惨劇のレイディオは響き続けた!




 ……そして、鴉団子は展開され、血潮の流れたその跡に残っていたのは。

 五体満足の、紫宮禍翅音の姿である!


「なっ、なんでーーーーーっ!?」


「『禍翅音理論:自己再帰レゾン・デートル』──。私は私。禍翅音は禍翅音。そのような再確認を行っただけです」


 禍翅音の瞳はこれまでにも増して一際眩く煌めく! その輝き、永劫の輝きと称される黄金ゴールドの如し!


「自己を認識するという事は、己をということ。即ち私は己自身をことで、我が身を不変の象徴たる辰砂しんしゃと化し、かくして己の死という変化を拒絶したに過ぎません」


「アンタ何言ってんの!?」


「つまり、我思う故に我在りコギト・エルゴ・スムですねっ。あ、そうそう。最初貴女が私を仕留めたと思われたときも、このようにして生還致しましたよ」


「うわあああああんもうこいつやだあああああああああ!!!」




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「なあ、品陶殿。あれはインチキと違うか?」


 花芽智・可夢偉の二人は、可夢偉の勧めにより戦闘の余波に巻き込まれぬ近場のビル屋上へと退避していた。

 無論花芽智は禍翅音一人を残して行くことに渋ったが、可夢偉は『禍翅音がアレに負けることはない』と断言するので止むを得ず同調したのだ。

 そして、実際禍翅音はセーラーVを圧倒している。何しろ禍翅音の邪視ゲイズは、見たもの全てを石化……もとい、赤色硫化水銀と化す最強の邪視ゲイズである。迂闊うかつに戦場へ身を晒せば、己も物言わぬ鉱石となっていたに違いない。

 身を震わせた花芽智は、けれど目前で繰り広げられる戦への疑問をていしていた。その顔は得体の知れぬ物への怪訝な面持ちを表していた。


「そりゃインチキだよ。お前のも俺のも大抵インチキだろうが、超越者アウターの能力なんていうのは」


「まあ……それはさもありなんだが。しかし、紫宮殿の語る理屈に意味はあるのか?」


「あいつの理屈に意味はないよ。少なくとも俺達にとっては。本人にとってはあるのかもしれんが」


「もしも紫宮殿の言動が全て真実となるのなら、まさに彼女は無敵ではないか。決して壊れず、死にもせず。そのような存在がまかり通るのか?」


「まかり通ってんだから仕方ないだろ。あのキチ〇イを俺らの常識で見るなよな。まあ、どうにか言葉で説明するとしたら~……あれは自己暗示みたいなもんなんだろ」


「自己暗示?」


「自分のついた嘘を、いつの間にか自分の中で真実にして正当化しちゃう奴っているだろ。アクセルとブレーキを踏み間違えて事故を起こしたのに、車の故障だって主張し続けて裁判まで起こす奴とか。要するに禍翅音はそういうタイプの女で、そういう奴は超越者アウターとしてとびきり出来が良いってことさ」




 超越者アウターの用いる異能は、所有者が『そう』と信じた世界観を現世うつしよへ押し付ける超能である。

 脇差を掲げれば稲妻が飛来する。手のひらで触れたものを針と化する。触れたものに鴉の羽根を生じさせ私益する。

 それらはいずれも物理法則を超越した遥かな無茶の産物──神秘だ。

 しかしその神秘は超越者アウター本人が定めたルールによって、無茶なまま現実へ作用する。それは、超越者アウター本人の自意識の表れに他ならない。

 故に、超越者アウターは己の能力に固執するのが大抵である。

 己の能力の制約、そしてそれによってもたらされる効果。そのリスクとリターンを受け入れて、己の一部として抱えている。

 だからこそ彼らは己の異能を愛玩あいがんする。名前を付け、定期的に使用し、能力を使った承認欲求を充実させていく。

 ファッションや資格、ペットのように己の異能に拘りを持つものほど、超越者アウターとしてのレベルは上がっていく。

 己の身の丈と異能を合致させ研ぎ澄ましていく事こそ、超越者アウターの鍛錬に他ならないのだ。


 だがここに例外が存在する──

 紫宮禍翅音は、己の異能『見たものを硫化水銀へと変える邪視』一つでは満足しなかった。

 貪欲に力を求め、効果を求め、意味を求め、相関を求め、理屈を求め、応用を求め、奏功を求め、数を求めた。

 そして辿り着いた境地。彼女は、彼女自身が提唱する理屈と理論によって、己の異能を強化していったのだ!

 宗教家が己の考え出した宗派に傾倒するように! 学者が結論ありきで導いた理論に傾倒するように!

 己の能力の拡張を求め、それらしい説得力むりすじを伴った理屈を己の内で反芻はんすうすることで、己の自意識を変革していった!

 そうして彼女の能力『禍翅音理論』は、まさにインチキとも呼べる無数の能力を持つに至ったのだ!

 本人が『そう』と信ずる限りは、論理破綻を起こしていようが能力は権限し続ける!

 禍翅音が『そう』と信ずる限り、彼女の生み出す理屈が捻じ曲げられる事はない! それは彼女の思想が現世うつしよの何よりも頑強な概念である事に他ならず、絶対不変の有様を保ち続ける!

 『変わらない』ということは『ダイヤモンドよりも砕けない』のだ!




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「言ったでしょう。禍翅音は、不変なのです」


 両目を黄金に輝かせ、仏陀の如く直立する禍翅音!

 セーラーVは常軌を逸した相手を前に、全身をがくがくと震わせる他なし!

 障壁として絶え間なく発生し続ける鋸鴉ナイトの動きが乱れ、その行動には精密さを欠いていく!

 自信の喪失! 超越者アウターとしてそれは致命的な心の機敏である!

 そうして、半ば無意識のうちに後ずさった、その時!

 ちゃぷ、とパンプスのかかとが得体の知れぬ液体に触れた!


「……え? な、なにこれ?」


 視線を落としたセーラーVが見たのは、なまり色をした不透明の液体!

 いつの間にやら、周囲には似たような液体の水溜まりが散乱している!


「『禍翅音理論:御伽輪廻ダーク・ルナシィ』」


 ぽつりと呟いた禍翅音の言葉に、セーラーVはびくりと身を震わせる。

 チークの塗された明るい頬は最早見る影もなく、零れ落ちたアイシャドウの黒色が伝っていた。


「一度視たものをもう一度視たとき、私は硫化水銀を液体水銀へと変貌させます」


「は?」


けてしまうのです。固体であったものが、私の視線の熱に晒されて液体へと戻る。ただ、それだけの事」


「意味、わかんないし」


「では簡潔に申しましょう。そこな液体は、です」


 ひいっと悲鳴を上げながらセーラーVは脚を上げた。

 見れば、赤色硫化水銀の塊と化した鋸鴉ナイトの破片は随分と少なくなっている。その全てが水銀へ変化したとでも言うのか!?


「ちなみに、その水銀は……ジメチル水銀って言いまして。簡潔に申せば、ものすごい猛毒です。肌からの摂取でも中毒になること間違いなしです」


「……えっ?」


 セーラーVはふっと目線を落とし自らの様子を見る。

 衣装のあちらこちらにはみができ、薄暗い色に汚れていた。


水俣病みなまたびょう、というのをご存知ですか? 我々が生まれる遥か以前のやまいですが。症状は感覚、運動、その他諸々への障害……まあ、尋常ではない病に違いはありません。水銀中毒に至れば、似たような症状が出るとお考え下さい」


「は」


「まあ、この水銀ジメチルはかの病の原因となった水銀メチルよりもさらに数段大変な品ですが……ああ、すみません、また後出しをしてしまいました。けれどもご安心を。発症までは数か月の間があるので、今すぐこの場でどうという事はありませんよ」


「あ、ああああんた正気!? なにそのひっどい能力!? い、いや、いやいやつーかそんな脅しが効くわけないでしょバーカ!!」


「宜しいのですよ。今ここで貴女を見逃しても。それよりも貴女が今より数か月の間、どのような思いを抱きながら余命を過ごすのか。想像してみるだけで、私はとても楽しくて、うっ、ふふふ」


 彼女の瞳は真紅色クリムゾンに染まり、瞳の中では星々が明るく瞬いていた。

 荒唐無稽こうとうむけいな芸当を次々に披露して見せた禍翅音。彼女の語る言葉は、その由来を少なくとも形式上は裏付けて見せた。

 ならば、今彼女が口にしたことも真実なのか? 今ここで確かめる術は無し。いや、あったとしても、それが事実であればセーラーVの身はとっくに取り返しの付かない事態へ陥っている!

 液体の付着した彼女の衣装には、何ら神秘は宿っていない! 単なるコスプレ衣装なのだ!


「……ぶ」


 激昂する。


「……ぶ、ぶっ殺してやるううううッ!!!!」


 掌から鋸鴉ナイトを生み出し、激情のままセーラーV──本名・三澤忠子みさわただこは禍翅音へと襲い掛かった!

 硫化水銀の残骸と化していく鴉、その隙間を駆け抜けて、三澤は禍翅音の喉へ手をかけ、細腕に見合わぬ剛力によって持ち上げる!

 力の限り首を締め上げる三澤! 思考の暇が無ければ自己再帰レゾン・デートルとかいう奇妙な蘇生も使えまいとて、意識の断絶を目論む!

 暴力的かつ短絡的、だが論理的な思考から導き出された決死の直接攻撃である!

 禍翅音の瞳はちかちかと点滅! 灰色グレー濃紺色ネイビーブルーを交互に繰り返し、顔色はみるみる青ざめていく!

 けれど、禍翅音は震える腕を持ち上げ三澤の腕へそっと乗せたかと思うと、息も絶え絶えにそっと呟いた。


「らんぼうな、ひと」


 それは、哀れみの色を帯びていた。

 今まさに己を絞殺こうさつせんとする相手へ向けるには到底似合わぬ奇妙な感情。

 それを向けられた三澤は、顔を歪めながら嘲笑ちょうしょうした。


「は? 何がよ」


「あなた、は。とりつくろうのを、やめてしまいま、したね」


「だから何だってのよッ!!!」


 ぎゅう、と腕に力を込める。

 みしみしと禍翅音の首骨が音を立て、瞬き数度の後には圧し折れんとするその刹那!

 ──三澤の背には、のこの刃が突き刺さっていた。


「──は、」


 なんで、と口に出そうとして、言葉にならず血の塊を吐く。

 喉が血に浸食されていく。

 息は通らず。言葉も産まれず。口からは赤黒い液体を吐き出すばかり。

 何一つ状況のわからないまま、三澤は腕を離し倒れ伏した。

 解放された禍翅音は、げほげほと咳き込み涙を流しながらもぞっとするような笑みを浮かべ、困惑に溺れる三澤を見下ろした。


「だめですよ。役を演じるなら、最後まできちんとやり遂げないと。でないと彼等ナイトは、貴女についてきてくれません」


 宙には、目的を失い手前勝手に飛び回る鋸鴉ナイト達の姿があった。

 三澤は愕然がくぜんと目を見張る。

 触れた物に鴉の翼を取り付け、思うがままに操る彼女の異能、『ヴァニッシュ・テイマー・クロウ・テクスチャー』。

 使役テイムの異能を用いるにあたって、主人と部下の関係は強固に保たれ続けなければならない。

 彼女は、魔法少女プリンセス使い魔ナイトの関係性を用いてその図式を構築した。

 セーラーVの恰好は、役者へと入り込む脚色メイクアップ

 セーラーVの言動は、少女の品格を保つ演劇ロールプレイ

 外見と内面の両側面から上下関係を構築し、自由自在に使い魔ナイトを操る強力無比の万能能力。

 それは強力であるが故に、上下の図式が乱れた際には、いとも簡単に瓦解がかいする諸刃もろはの刃。

 その刃は、今まさに自分へと向けられていた

 怒りに駆られ、激情をたたえ──しとやかでみやびな少女の側面を削ぎ落した三澤忠子は、己の使い魔ナイトを操る術を失った。

 散々にしいたげられた鋸鴉ナイトは、容易たやすく主人であった者に反旗をひるがえす。

 本性を現した女王に対する、小さな小さな市民の革命。

 最早、彼女に先程までの力はない。


「嗚呼、あんなに硬い絆で結ばれていましたのに。こうも簡単に台無しになってしまうだなんて。哀しい哀しい、けれどもたのしい──嗚呼私、とってもはかどって、涙がこぼれ落ちそうです」


「……ッッッ!!!!!」


 その怒りで、三澤は覚醒した。

 彼女の有する能力は、使役テイムの『ヴァニッシュ・テイマー・クロウ・テクスチャー』のみではない。

 己の寿命と引き換えにしてのこを生み出す異能、『ヴァニッシュ・スライス・インフィニティ』。

 “美人薄命の定めを背負う薄幸の魔法少女”という演劇ロールプレイの恰好の材料。

 けれども、それにも既に意味はない。

 私を見下ろすこの女の首を、ぶった斬って道連れに出来るなら。

 この微かな命も惜しくはない。

 その後ろ向きの覚悟は、三澤の異能へみなぎりを与え──無音無動作にのこを生成!

 のこは禍翅音の首へと一直線に飛び掛かり、完全な不意打ちを成し、禍翅音の細首切断を成した!


 成して──

 切断した首からは血の一滴もこぼれることはなく、禍翅音の身体はぼろぼろと崩れ。

 三澤を見下ろしていた禍翅音の背後には、更にそれを見下ろす禍翅音の姿があった。


「な…………ん」


「私、当事者になるのは嫌いです。遠くから非業の有様を眺めて、美味しく頂くのが一番素敵なので。現実リアルなんて、糞食らえですもの。だから──」


 葡萄色グレープの瞳を輝かせた禍翅音は、ふっ、と優雅な笑みをかたどった。


禍翅音わたしは、最初から禍翅音わたししていました」


 疑似的な分身。己の見ている己は、己を演じる赤の他人だという自己認識。

 自分自身ですら物語を織り成す役者に過ぎず、世界の全てを外側から眺めているような気分。

 不変と永久を実現したが故に、物語つくりものの変化と破局を熱望する紫宮禍翅音の我儘わがままの表れ。

 それを実現する、邪視者ゲイザー禍翅音の最期の能力。

 自分の一側面の役者キャラクター化。何時でも切り捨てられる自己という自己欺瞞じこぎまん。神の視点から操作される自身マリオネット。希薄化された自意識が織り成す現実と幻想の混同。

 己を操る己という入れ子構造を空想する事で、第二第三の禍翅音を呼び寄せる自己再帰レゾン・デートルの極致。


「──これが、私の能力。『禍翅音理論:人間原理アダルト・チルドレン』、ですっ」


 それを最期まで聞き届けただろうか。

 三澤の瞳は、既に光を映していなかった。

 禍翅音の瞳は、葡萄酒色ワインレッドの深いよろこびを讃えていた。






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可「今回疲れたので後書き質問タイムはなしです」

花「おい!?」

可「後始末のことを考えただけでヘトヘトなので勘弁してください。何だろうねあの禍翅音とかいうやつ」

花「何あの御人……こわ……」

可「こわだよね。こわだし、あの水銀塗れあの後どうするんだ? って感じだし。ひどいよね」

花「え、あの水銀ってガチのヤバヤバ水銀なのか? 正気か?」

可「さあ。まあ怖くて誰も真偽を試す気にもならない。ホントのとこは禍翅音しか知らない。お約束だね」

花「校舎もさらっと壊されてるんですけど」

可「敵幹部(?)の参上と同時に拠点の崩壊は様式美だぜ。まあ本格的な登場から二話くらいしか経ってませんけど」

花「まだ続くのか、これ?」

可「さあ」

花「というわけで本日は省略でここまでです! それではまた次回。次回があれば!」

可「ここで星昴ほしすばこそこそ噂話。禍翅音の能力名のルビの方、あれ全部曲名が元ネタらしいよ。暇だったら探して聞いてみてね」

花「漢字四字の方は?」

可「それは作者のセンス。ごめん嘘。美的荒廃だけ借りもの」

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