第7話 紀子(1)
「ーーーあはは、ひどくない?それ」
グロスを塗り直している紀子の後ろで、南原優花が吹き出しながら言った。
「いや、古田さんの通常営業でしょ。山田のオットとか!あはははは!笑える!」
真希が爆笑する。いっそヒステリックにすら聞こえる笑い声だった。
(−−−大口開けて、みっともない。この顔見てるとイライラする)
紀子は、鏡ごしに森真希の顔を横目で見ながら、絡まり合った睫毛のマスカラを剥がしながら言った。
「山田より、山田のオットと親しいからね?あたし」
同僚の二人は、どっと笑った。
(まあ、他にもたくさん人がいるなかで、山田の家は山田のダンナだけが来てた、ってだけ。嘘は言ってない)
紀子は、笑い続けている後ろの二人に、鏡ごしに視線をやりながら思った。
(どうせ、こういう話が大好きなんでしょ?こういうことをしたくてたまらないくせに、自分は勇気がないから、私にそういう役割を期待してるんでしょ?いくじなし)
「山田のオットって、高学歴なんでしょ?」
優花が興味津々で口にする。
「そ、そ。T大なんだよ。で、自分で商売やってるの」
「へー。山田もけっこういいとこ出てるんでしょ?」
「あー、山田、ガリ勉そうだもんね」
「山田のオットってスペックいいんだ?T大ってすごいじゃん。よくあんなのと……」
真希と優花の間で話はどんどん進んでいた。紀子は、こういうとき黙って微笑んでおくだけでいい。そして、もっとも効果的なタイミングを待つのだ。
「なんで山田なわけ?どこがいいの?」
「それ!私も思ってた。なんで山田?てか、なんで山田が結婚できんの?子どもいるんだよ?それってさあ……」
真希と優花が盛り上がってきたところで、紀子はゆっくりと口角を上げながら上品な声を出した。
「山田さんの御主人は、奥様より8歳下のT大卒で、自分で会社を興されたのよ」
ふふっ、と紀子は笑った。
「この前、高さん、あ、山田さんの御主人ね?高さんが、丁寧に教えてくれたのよ」
鏡ごしににっこり笑いながら、長い黒髪をかき上げて、後ろの二人に告げた。
「古田、すげーな!山田のオット、古田にデレデレなんじゃん?」
真希が吹き出しながら、紀子の狙った通りのセリフを口にした。
「そんなことないのよお〜とっても紳士な方なのよお?うふふふ。ただちょっと、お話が長くて、なかなか離してもらえなかったの」
紀子は子供を産んでも崩れていない腰のラインを確認するように、タイトスカートのホックを確かめた。支給品の制服のスカートは変哲のないギャザースカートだったが、古田紀子は勝手にタイトスカートを履いていた。誰も文句は言わなかった。それどころか、平原総務課長などは紀子の後ろ姿ばかり目で追っている始末だった。そして、紀子はそれを十分に分かっていてタイトスカートにハイヒールを合わせているのだった。
「古田、肩が震えてるって。清純な演技はいいから。あはははは」
真希がずっと笑っている。紀子はその顔を見て、うふふ、というような声を出して微笑んだ。
(演技?清純なフリが?どこからどこまでが?山田の夫なんかキモくて手も触れたくないのに、まるで他人のハイスペックな夫を手玉に取ってるみたいなフリをすることが?演技?あんたたちが私に望んでいる役割じゃないの?)
紀子は鏡のなかで、能天気に笑う真希の顔に手に持っているコンパクトを投げつけた。ガシャーン!激しい音とともに、真希の顔に激しくヒビが入る。蜘蛛の巣のように鏡中を割れ目が埋め尽くす。笑ったままの真希の顔が崩れ出す。
「ふふ」
紀子はそんな想像をしながら笑った。
「高さん、すごいハイスペックよねえ」
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