第23話 内紛

ある日の早朝6:47

早番の神田はタイムカードを切った。


事務所に張り出されている割り振りを見る。

『今日は白鷺かよー。』

独りごちた。


『お疲れですー。』

舟木が遅れて出勤してきた。


『フナッキーも早番か!』

神田が快活に声をかける。

誰にでもあだ名を付ける神田は舟木を千葉県某市のマスコットキャラクターをもじってこう呼ぶ。


『うわっ。今日は俺風呂介助ですね。』

神田に並び割り振りを見た舟木は落胆の声をあげた。

『松坂さん入るからちょいと時間かかるなー。』

神田は同情した。

松坂は指示指定が多く「洗い方はこう」「着せ方はこう」と、その決まりを曲げようとしなく、こちらの望む効率の良いやり方を受け容れない。


『ましてやこないだの今日ですからね。』

『こないだの今日?』神田はキョトンとした。


『あれ、まだ聞いてません?井原さんの件。』

『なに井原っちどーしたの?』

『クビんなりました。』

『えー!?』

神田がフロア事務所全体に響き渡る叫声をあげる。

威勢の良い神田はそもそも常時から声がデカい。

『そんな驚きます?』

舟木がまた「んふふ」と含み笑い混じりに言った。

『なあに?バレたん?』

神田なりの小声で言った。

『あれ、知ってたんすか?まぁ常習ですからね。てかリーダーなら皆知ってるか。』


『松っちゃんとかも知ってると思うよ。あいつ、詳しいから。あは!』

神田が言葉に含みを持たせる。

ベテランの情報収集能力と言うかアンテナの高さと言うか出歯亀と言うか、恐ろしいものだ。


『松坂さん丸め込むのまじで大変だったんすからー。本部長も当然すっ飛んできて。んで、息子夫婦と松坂さんに土下座せんばかりに…。』


『あー、サチコも来たんだ?当然か!』

サチコとはこの法人の本部長件理事長、所謂頭を張る人物なのだが、これまた曲者だった。


『そりゃクビ切らないと話んなんないね。いやむしろよく納まったよなぁ?』

神田は腕組みした。


『そこはまぁあれじゃないすか?サチコの政治力ですよ。んふふふふ。』


『サチコのじゃねーだろ。おやっさんの威光がまだ残ってたんだろ。あははははは。』


このサチコこと理事長の本名は森下幸子。


年は46と、法人のトップを務めるには笑いがそれにも理由がある。

このひだまりは、正式名称「社会福祉法人幸祥会(こうしょうかい)特別養護老人ホームひだまり」である。

この幸祥会と言うのは前理事長である幸子の父、森下敬三が娘の幸子、幸子の妹の祥子の頭文字を取って付けたものだ。


敬三はもともと県内でも名の知れた土建屋の社長であったが、20年ほど前「これからは老人福祉」と突然言いだして介護業界に参入した。


もともと先見の明があった敬三は数年でひだまりの他に「こもれび「あおぞら」と特養を開設させた。


社会福祉法人をやるにあたって県政との繋がりも不可欠になる。

元々土建屋として県や市と上手く渡り合っていた敬三には馴染みの議員も居り、太いパイプを持っていたから、本来許可の下りないような地域への施設建設もあっさり許可が下りる。


そう言ったかくかくしかじかがあり、父敬三は従業員からも偉大な前理事長として認識された。


それが8年前父が二度目の脳梗塞を発症し引退、長女の幸子に代替わりした。


幸子は何かと従業員に嫌われた。

理由は至極単純。

無能でケチだったのだ。


敬三時代には当然のごとく受け取れていた「介護職員処遇改善手当」をまずサチコはイジった。

それまでは各月にインセンティブとして二万円前後受け取れていたこの手当(本来受分配方法は各事業所に任されている。)が、一部のベテランを覗き主に新しく入職した者たちには基本給に乗せて支給となった。


そして新入社員がベテラン職員に聞くと、手当を差し引いた基本給の額が数年前の水準に比べガクッと下がっている。

 分配方法が変わったのか何なのか説明もなしにだ。


当然ピンハネなのでは、との疑惑が沸く。

しかし証拠はない。

ベテランは言う『サチコに替わってからの新人たちの給料可哀想だな』と。


次に幸子は業務マニュアルをいじった。

前述した入浴介助のおかしな時間配分人数配分は幸子取り決めたことであり、当時はベテラン職員から不満が噴出した。


幸子曰く『文句のある奴は辞めさせなさい。代わりなんているから。』

そう各主任に通達したそうだ。


幸子の考えでは『一度介護である程度やった人間は介護しかできなくなる。皆もっと良い仕事を、と言って辞めるがそんな能力のある人間は元々介護などやらない。今一時的に介護業界が人手不足のようだが、これからリストラされたサラリーマンやら元ニートやら元フリーターやらが必ず介護に流れてくる。』

当時この言葉を聞いた人間にはそれなりに説得力を感じたそうだ。


事実、介護施設を辞めた人間は風の噂で別の施設で働いていると聞くし、社会に弾かれ気味な元ニートやフリーターは「介護ならできそう」と流れてくる。リストラされ、明日のない元サラリーマンは一日も早く就職したいと介護施設へ流れ着く。


まるで川の流れに抗えなくなった者達が最後に流れ着く下流の沢である。


実際にその通りとなり、一部ベテランを除き入れ替わりは激しかった。


辞めては補充し辞めては補充し繰り返したが、神田などに言わせると『年々スタッフの質が下がってくなー』とのことである。



そんな幸子でも一つだけ利点があった。


松坂や田村などのうるさ型の利用者の抑え込みだった。


これらの利用者は何故か共通して幸子と直で繫がっていた。


ケアマネなどは濁すが、恐らく待機の順番を繰り上げたりしているのであろう。

今回も、そんななあなあの関係が役立ってか火種は燃え広がらず鎮火した。


『そーいや今日リーダー会議じゃね?』


『議長宮野くんすよ。んふふふ』

また含み笑い。

舟木は神田の宮野嫌いを知っているのだ。


『めんどくせーな。帰っちゃうかな?』

言った神田の目は笑っていなかった。

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