第22話 魔が差す9

どう納得しろと言うのか。


完全なる濡れ衣だった。


井原は本部次長と叶谷主任が控える会議室に呼ばれ、クビを勧告された。


入室し、席に促され、前置きなしに

『貴方には辞めて頂きます。』

ではこちらの面目もへったくれもない。


確かにこうなった心当たりがないでもなかった。利用者の金を拝借したのは数数え切れないほどだし、それが法の場では窃盗と呼ばれることなど承知している。


しかし何故今?


最後に金を抜いたのは一カ月ほど前。

松坂の6千円がそれだが、警察が立ち入り、綿密な捜査をしてのタイムラグがこの一カ月と言うわけでは無い。

 


そう考えを巡らせもしたが客観的に見て決定打に欠けると思われる。

首切りには当然「疑惑」についての聞き取りなどワンクッションがあって然るべきではないのか。


『貴方、松坂さんに何かしましたか?』

そら来た。

井原は思った。

叶谷の言葉は抑揚がなかった。


『何かしたかって私が松坂さんを虐めたとでも?』

意図して金の話題から遠ざけるよう切り返した。


『お金盗りましたよね?』

次長が口を開いた。

千葉と言うこの男は46にして独り身でありながら浮いた話に縁遠いと言った印象はなかった。

頭頂部に焼け野原こそあるものの、その肩幅は広く、運動部出身を思わせる足回りの筋肉と太い声。

 千葉が年下でなかったらこの場で竦んでいたかもしれない。


『何のことをおっしゃってるんですか?』

井原は努めて淡々と答えた。


千葉は叶谷を一瞥し、小声で何か囁いた。

二人の手元にはA4サイズの冊子のようなものがあり、井原はそれが酷く気になった。なにかのメモの様にも見えた。


『…こないだの田村さん騒動があって松坂さんも何気に財布の中身を気にしてみたそうです。そしたら、財布の中に貯蓄してた数千円が無いのに気が付いたそうです。額は明らかじゃないそうですが。』

叶谷の口調は半ば呆れた様だ。

まるで頭の悪い子供に言い聞かせる様であった。


『その数日後、まあ今日から5日前かな?松坂さんに買い物頼まれましたよね?』

 

『…』

井原は叶谷の問いに黙りを決め込んだ。策があるのではなく、ないからこその黙りである。


『別に買い物の件は咎めようと思ってません。今更。で、翌日にはその買い物の品を松坂さんに渡して、お釣りも渡した。』



そうだ、その通りだがなんなのだ?井原は爆発しそうな不安を押しとどめた。


『貴方は松坂さんから一万円札を受け取って買い物をした。そしてお釣りの数千円を松坂さんに返した。』


『…そう、そうですよ。何なんですか一体。』

既に井原の落ち着きのなさは隠せていない。


『そのお釣りの中に盗られた札が混じっていたそうですよ。』

叶谷が言った。


何?


そんなことあるか?

いや、盗った金が混じっていたのはあり得る。と言うよりも財布の中でごちゃ混ぜになるのだからどれがどれだか分からなくなるのは当然だ。


それが何故、松坂にはバレた。


『松坂さんの財布ね、財布って言うか小銭入れか。すごい小っちゃいでしょ?タバコの箱くらいの。だからそれに入れるのに何回か折るらしいの。』


知っている。六つ折りするんだ、松坂は。

だからってなんだ、それだけで特定されてたまるか。


『折り目が多い札なんていっぱい出回ってますよ?』

苦し紛れの表情は出さず切り返す。


『ご老人の知恵ってすごいですよねー。』

千葉がやけに芝居がかって言った。

『井原さん千円札を均等に三つ折りにする方法知ってます?』


『…は?』


千葉はポケットから千円札を出した。

『こうね、札の左端を野口英世の顔ギリギリに持ってきてと。それに右側を合わせれば、はい完成。』


知らなかった、こんな折り方があったなんて。そしてそれを毎度実行するほど松坂が几帳面だったなんて。

なる程、見事綺麗な三つ折りだ。


『松坂さんはこの方法で三つ折りにしてからもう1回折ってたんだって。これで六つ折り完成。』

千葉が微笑んで見えるのは錯覚だろうか。


『だからなんだって言うんですか?折り方がたまたま一緒の札なんて出回ってることありますよ!』

井原はたまらず声を荒げた。


『そう思います?』

千葉は卑しく笑っているように見えた。


『そうですよ!』


『叶谷くん。』

『はい。』

千葉は叶谷にバトンタッチした。


『正直ここまでの話で井原さんが自供してくれたらよかったんですが、仕方ないです。言いますね。確かに折り方は全く関係ないです。実は札には印があったんです。』


『印…?松坂さんがそんなこと…?』

そんな防衛策を実行する人間がいるのかと驚いた。


『いえ、厳密にはお嫁さんが。』


『お嫁さんが?なんでお嫁さんが?』


『盗まれた時用の印じゃないんです。ある意味呪いですね。』


呪い?

久しく聞かないワードである。最後に聞いたのはホラー映画かなにかか。


『野口英世の髪の毛の所あるじゃないですか?そこに、多分鉛筆書きで「シネ」って書かれてるんです、松坂さんのお札には。ぱっと見だと分からないですよね。お嫁さんの長年の恨みを込めた呪いですねこれは。でも松坂さんはそれを見抜いていた。光に当てるとギリギリ見えちゃうんですよ。鉛筆書きだから光って。まぁ、それを発見しちゃう松坂さんが怖すぎなんですけどね。』

叶谷は後半で少し笑っていた。



馬鹿な、そんな馬鹿な。


あろう事か松坂の嫁が積年の恨みを込めたつもりの「シネ」の文字が結果松坂の助けになるとは。

井原はめまいを覚えた。


『…嘘だよそんなのぉ。しょしょし、証拠見せてよぉ…。』


『証拠云々まだ言うならこちらも警察に届けますよ。証拠は松坂さんが持っていますどうです?確かめに行くならもう後戻りは出来ませんよ。どうします?』


叶谷の言葉は再び抑揚のないものになった。


先程の嘲るような笑い声で言われたのならこの場でボールペンで刺してやるところだった。

もういい。

『…やめりゃいいんでしょ、やめりゃあ。』


『はい。それからこのことは松坂さんとも話がついていまして、井原さんの給料から補填しますね。』


『好きにしてよ…もう。』


井原はその日付で「自主退職」となった。









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