第13話 宮野優
宮野は3年生の介護の専門学校を出てすぐにここひだまりへ就職した。
現在31歳、9年目である。
介護業界は3年いれば中堅扱いである。
9年目はベテランと言っても過言では無い。
元々介護をめざし始めたのは高校の時だ。
実習としてとある特別養護老人ホームへ派遣された。
皆嫌々やっていた様に見えるが、宮野はそこまでこの仕事を嫌いでは無い自分に気が付いた。
実習先の評価がよく、担任に褒められた。
そして高3の時、介護系の専門学校への進学を勧められた。
勉強が出来たわけでもスポーツで抜きん出た才能があったわけでもない。
何より宮野家は父子家庭で、その父はブルーカラーの土木作業中。
大学進学の余裕などない。
だが
『いいぞ。行きてえなら。』
父はシンプルに了承してくれた。
この時突っぱねられていたら諦めていたかもしれない。
そこまで強い気持ちではなかった。
その後も担任との話し合いもあり「社会福祉科」を専攻することにした。
『ここを出れば生活相談員の資格が貰えるし、将来社会福祉士も受験できる。現場を続けるのは年が行ったときキツいだろう。』
担任の言葉はこうだった。
宮野も納得した。
いざ専門学校へ入学し蓋を開ければ、何の事無い大学と変わらず浮かれた学生ばかりだった。
宮野も元々は友達が多く、クラスで目立ちこそしないものの明るい少年だった。
だが、真面目すぎるが故におちゃらけた友人からからかわれた際うまくいなせずぶつかることさえあった。
専門学校でも友人は出来た。
皆ビジョンを持ち介護へのモチベーションが高い人間だ。
クラスの全員がそうなのではなくむしろ少数派だったのが宮野には理解できなかった。
(皆どう考えても介護をやる気があるように見えないな。)
大半のクラスメートは所謂専門デビューを果たし、おしゃれに目覚め、合コンや飲み会と浮かれていた。
そんなクラスメートを少しばかり見下していた。
宮野は黙々と勉強、休日には施設で入浴介助のアルバイトをした。
ある日アルバイト先の人間に言われた。
『宮野くんは真面目だな。』
宮野はきょとんとした。
真面目とは、良いニュアンスと悪いニュアンスがある。
だから聞き返した。
『どうゆういみですか?』
『もっと効率よくやっちゃっていいよ。』
その者は言った。
アルバイト先の入浴介助は2時間半で15,6人を入れる。
つまり150分で15人、1人にかけられる時間は10分以下、片付けや掃除なども時間内に済ませるのだから7,8分では終わらせたい所だ。
だが宮野は毎度所定の時間内に終わらせる事が出来ずにいた。
洗髪、洗体、特に陰部などよく洗い、足の間など垢の溜まりやすい箇所を入念に洗う。
どう急いでも10分はかかる。
この日も所定時間を数分過ぎ、先輩職員と片付けに追われていた。
『宮野くんぶっちゃけね、クレーム入らない利用者はちゃちゃっとやっていいよ。』
先輩社員は言う。
『はい、急いでるんですけどどうしても…。』
『宮野くんが一生懸命急いでるのはわかるよ。つまりね、洗うのも陰部以外はちゃちゃっとでいいし、浴槽にも1分くらい浸からせるだけでいい。』
宮野は驚愕した。
『え、それってひどくないですか?』
『仕方ないさ。上が馬鹿なんだ。時間設定がおかしいのと、頑なに土日を入浴解禁にしないから。』
『上に訴えてるんですか?』
宮野は食い下がる。
『うん、でも暖簾に腕押し。だから俺等は俺等でサービス残業しないように上手くやるしか無い。』
落胆は大きかった。
無能な経営者の割をスタッフが食い、意識の低いスタッフの割を利用者が食っている。
弱者から更なる弱者へツケを回すシステム。
しかし宮野は腐らなかった。
『俺が就く現場ではこんな不正はなくしていこう。』
そう心に決めた。
しかし現実は甘くなかった。
専用学校を卒業し、社会福祉主事任用資格と言う有り難味のない資格を得、社会福祉士取得のための経験年数稼ぎとして特別養護老人ホームひだまりへ入職した。
宮野は社会福祉士取得までの中継ぎと言う頭こそあれ、それに甘んじることなく仕事に傾倒した。
アルバイトの経験もあり、即戦力として重宝された。
とある日
『宮ちゃんも資格とったら現場離れちゃうの?』
当時の神田リーダーに言われた。
『いえ、まだ分からないです。何より一発で受かるとまでは思ってないので。』
そう笑った。
当時は本気で思っていたが、現場での経験を重ねるうち「自分が現場を離れたらどうなるのか」と言う自惚れじみた考えが生まれた。
事実現場には人手不足や業務過多に甘んじた不正が横行していた。
ナースコールも取らず書類の記入に追われていたり、口腔ケアや体位交換や整容を一日一度も行わなかったり、家族に了承なく拘束も行っていた。
宮野はそう言った不正をどんどん会議で指摘してきた。
当時の主任と施設長も真剣に向き合ってくれてると思っていた。
が、会議の終わり、喫煙所の横を通り過ぎようとした宮野は聞いた。
『宮野はしゃかりきだねぇ~。』
『あいつも5年経ちゃあんな奇麗事言わなくなるよ。』
『ああゆうのに限ってケアマネとか取って現場離れるんだよな。』
声からして当時の主任と神田と永田だった。
『ああゆうのに限ってー』の一言が引っかかつた。
自分が現実に負けて相談職に逃げると言うのか。宮野は憤慨した。
(奇麗事を誰も言えなくなった時こそ地獄だぞ?)
陰で揶揄されていることを意図せず知ってしまってからも社会福祉士の勉強に励んだ。
だが、
1年、また1年、そしてまた、更に、と不合格通知を受け取り続けた。
『くそ!!なんでだよ!』
宮野は納得いかなかった。
いつしか宮野は『俺が現場からいなくなったら』と、資格を得られずにいる自分に折り合いをつけるようになった。
一種の逃避だった。
俺は現場の為に現場に残ってるんだ、と。
そんな言い訳を7年ほど繰り返し、いつしか現場のユニットリーダーになっていた。
働きを認められたのはうれしかったが、なまじ「社会福祉士を目指している」と吹聴してしまったが為に「あいつは諦めたんだな」と思われているであろう視線が痛かった。
三十路を迎え、結婚を真剣に考えられる相手とも出逢った。
彼女は研修会で知り合った介護士だった。
彼女とは話がよく合った。
自分の理想についても真剣に耳をかたむけてくれた。
年月が経ち彼女の両親に挨拶にむかうことになった。
玄関先で簡単に自己紹介を済ませリビングに通された。
開口一番彼女の父に『君も介護士なんだってね?』
と言われた。宮野は胸を張って、そうですと答えた。
『失礼だけど年収は?』
と訊かれた。不躾な質問に多少表情が曇った。
『400万、くらいです。』
思わず盛ってしまった。
本当はボーナスが最大出たとしても350万に届かないくらいだ。
しかし『それだと、2人の間はいいけど子供はちょっと厳しいね。』
と言われた。
確かにそうだ、盛ったとは言え。
しかし宮野は共働きも視野に入れてますと答えた。
その瞬間彼女の母が一つ咳をした。
そして価格父は言った。
『なるほど…ね。まあ珍しい話ではないけど、「それ」ありきでは如何かと思うよ。』
彼女の父は遠回しに「NO」を突きつけてきたのだった。
大事な娘を、安月給の男に嫁がせ老いるまで共働きをさせられる。
客観的に見ても断られても無理のない話だった。
そこからは彼女の母が話題を変えてくれたがまったく頭に入らなかった。
小一時間ほどで逃げるように退散した。
彼女はラインで「気にしないでね。」と言ってくれたし、その後も付き合いは続いた。
数ヶ月経ち、プロポーズした。
答えは「今は返事できない。」と言う事だった。
NOに答えが傾いていることがひしひしと伝わった。
宮野の中で何かが綻びはじめた。
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