第12話 虐待者・所

咄嗟の機転だった。

所になすり付けるつもりなどなかったのに。


(まあいい。所は常習者だ。また叶谷主任が揉み消してくれるさ。万事丸く収まる。)


『宮ちゃん、どんな感じ?』

神田が到着した。

神田は誰に対してもフランクに話しかける。どことなく「業界人」のようだ。


神田はスミの姿を見ても特段驚いた様子も無い。むしろ薄ら笑っている。経験年数20年オーバーは伊達じゃない。


『内出血が額と両膝と、あと頭頂部触ってみて下さい。』

宮野が促した。

『あちゃー。ゲンコかましちゃったなこりゃ。』

そうだ、そうだろう?さっきの滑落によるもののわけがない。神田のお墨付きが付いたことで宮野も冷静さを取り戻しつつあった。

増して先程自分が放った平手によるもののはずがない。

拳骨を落とした奴がいるのだ。


『でもこの膝とオデコは転倒かなんかだろうね。』

神田がスミの身体を観察している。


『…そう思います?』

宮野は訊ねた。

『確かに、前のめりに倒れたって感じでしょうね。』

大槻が口を挟んだ。

(くそ。普段は事なかれ主義のバイト根性丸出しのくせに。)

宮野毒づく。


『あいつのトランスは雑ですからね。端坐位が浅くて、しかもその時目を離したとか?』

宮野が話を逸らす。トランスとは移乗のことであり、端坐位とはベッドなどに腰掛けさせる事である。


『まぁ、あり得る。』

神田は笑うが、その笑みが宮野が組み立てた無理矢理じみたストーリーに勘付いてのもののように思えて宮野は気が気では無い。


『とりあえずこのタンコブは触らなきゃ分かんないし、デコは体交が深すぎて、体動があったときに自らぶつけちゃった。ってことになるだろうな。膝はまぁ隠しときゃいいし。

スミさんちは家族都内だから滅多に来ねーべ。』


要は、タンコブは年の割にふさふさな髪のお陰で目立たないからほっとこう。

オデコは、もしバレたら寝返りを打たせた人間が壁間際までに追いやりすぎて体動があったときに自分でぶつけたのだろう。

膝はズボンで隠れて見えないし、見て見ぬふりをしよう。

と言うことだった。



神田がこのストーリーを朝礼で発表したとして、わざわざ異を唱える人間はいない。


『こりゃ事故報は書けないっすよね?』

こうなると誘導尋問だった。

『まぁ、ことがことだからね。明日叶谷くんに口頭で、でいんじゃないの?』


実に有難かった。

自分は付いている。


今日のペアが大槻と神田でなかったらどうなっていたか。

宮野は胸を撫で下ろした。


(にしても所、お前はどれだけ思い切り年寄りを殴れるんだ。)

先程まで自分が虐待者である自覚から、自らも『不正寛容派』へ心が揺れていた。

 だが神田が呪縛を解いてくれたことで、卑しくも平時の己を取り戻していた。


『宮野さん。』

大槻が話しかけた。

存在を忘れかけていた。


『俺、滑落の件は黙ってますから。』

戦慄が走った。

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