第10話 虐待者4

咄嗟の事だった。


不意にといえば、不意だ。


「そんなつもりはなかった」

と言えばそうだ。


大袈裟なのは分かっている。


だが自分は無抵抗な老人の頭を叩いた。

人生で初のことだった。


時折利用者の体に不審な内出血や表皮剥離があり、それが「独歩による歩行からの転倒によるもの」や「体動によって」などと納得し難い形で処理されているのは、宮野自身知っている。


何故そんな事をするのか?


答えは簡単だ。

家族に虐待の事実が知れたら拙いからだ。


怪我の度合いにもよるが、基本的に利用者の身に何かあれば相談員経由で家族の耳に入れる。

すると、普段は面会にもこない家族たちが「お宅はどうなってるんだ」などと罵られ酷いと利用料の返還も求められたりする。


だから、皆隠す。しかしそれは不正であり許し難い行為と思っていた。


しかし今、どうだ。

太田スミはオムツ内に手を入れその手で手摺りや布団、シーツを触り、制止しようとした宮野の腕を便汚染した爪で引っ掻いた。

宮野は思わずスミの手首を捕り、力いっぱい圧迫した。

宮野は学生時代テニスの選手だった。握力は一般人のそれよりもある。


ミシッ

と、音がしてはっとして手を離した。


(折れてないよな!?)

実際は骨粗鬆症でも無い限り握力による圧迫で折れるほど骨は脆くはない。

しかし宮野は狼狽えた。


(あざ…痣には…なってない、けど…)

内出血も、そこまですぐ発生しない。


(とりあえず…着替えさせて、シーツを替えて…)

慣れたはずの段取りだが興奮と狼狽のあまり大いに混乱した。



宮野はこの日、気が立っていた。

恋人である女性にスマホでプロポーズした。

が、答えは「保留」

 理由は自分なりにわかっていた。

以前彼女の家に挨拶がてら訪問した際、彼女の父親に言われた。

『君は介護士だっけ?安定してていいね。でも、こいつはともかく子供が出来たらやっていけないよね?』

と。

宮野の年収は400万に達しない。

そこから彼女ともすれ違いが生じ始めたのだ。


そんな矢先だ。


ともあれオムツを交換し、汚染した衣類を脱がせ、更衣。再び汚れたシーツで汚れない様車椅子に乗せ、その間にシーツ等を替えた。


汗が滲んだ。


ひとまずこの汚物まみれの居室をどうにかしたい衝動に駆られ車椅子にスミを残したままシーツや衣類や汚物の処理を始めた。

こう言った物は一旦洗面下に入れ、後々汚物室に運ぶ。


宮野が新しいシーツを手に居室に戻る。

『え!!』

思わず声が出た。

スミが車椅子から滑落しうつ伏せに倒れている。

『ちょっと待ってよ!』

宮野は誰にともなく声をあげる。


ひとまずスミを抱き起こし車椅子に乗せる。

傷害部位の確認をする。

(膝がちょっと赤いな、オデコと…肘も打ったか?あれ?)


頭頂部を触ったとき異変に気付いた。

(なんだよこのコブ!?)

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